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なぜギリシャとマケドニアは国の名前を巡って争うのか

Yorgos Karahalis / AP Photo

 

 ギリシャと隣国のマケドニアは、新しい国家の存在とアイデンティティの核となる問題であるその名前をめぐって四半世紀にわたり対立している。

「マケドニア」という言葉をめぐって両国間で高まった民族意識が論争を引き起こし、バルカン半島にあるその国は広く認知されている名前の使用を認められず、NATO(北大西洋条約機構)のような国際機関に加盟することができずにいる。

 

 この国は、1991年のユーゴスラビア崩壊によって生まれ、1993年、暫定名「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」として国際連合に加盟した。国際機関は現在もその名称を公式に使用しているが、130以上の国で単純に「マケドニア」と呼ばれている。

 

 昨年マケドニアに穏健な新政権が発足し、両国の代表の間で協議が繰り返される中、いよいよこの問題の解決に向けて明るい兆しが見えてきた。1月17日にニューヨークで行われた協議で、仲介役のマシュー・ニメッツ国連特使が国名候補に関する新提案を示し、進展が望めるか否か2カ月以内に判明するだろうと述べた。

 

 本記事では、両国の対立の歴史を振り返り、今ようやく解決の糸口が見えてきた理由を探る。

 

◆何が問題なのか
 1991、政権崩壊したユーゴスラビアの大部分を巻き込んだ流血を逃れ、マケドニアは独立を果たした。しかし、アイデンティティを作り上げようとする新国家の試みは、周辺諸国――とりわけギリシャの反感を買った。

 

「マケドニア」という言葉の使用は、同名のギリシャ北部地方の領有権の主張に当たるとギリシャは主張し、マケドニア共和国で流通している地図のマケドニア共和国が拡大され、ギリシャ北部の大部分に覆いかぶさっていると指摘している。

 

 また、その国の名は古代ギリシャの戦士アレキサンダー大王の遺産をはく奪するものとして、ギリシャは憤った。

 

 この論争が引き金となり、1992年、その国が「マケドニア共和国」として認識されるのを阻止すべく、ギリシャは北方の隣国に対する禁輸措置を宣言した。

 

 両国間で民族意識が高まる中、1995年、長引く禁輸措置をギリシャが解除する見返りにマケドニアが譲歩する形で、ギリシャとマケドニアは暫定合意に達した。

 

 マケドニアは、ギリシャにおけるマケドニアの領土の主張を放棄するために憲法改正を余儀なくされた。また、「ヴェルギナの星(Star of Vergina)」の紋章をあしらった国旗の変更に関しても譲歩した。アレキサンダー大王のシンボルであった16本の光芒を放つ古代ギリシャの太陽のシンボルの使用は、ギリシャに挑発行為とみなされたのだ。

 

◆なぜ今なのか
 長年続いた保守派のニコラ・グルエフスキ首相率いる国家統一民主党政権が終わり、マケドニア政府に変化が訪れるとともに打開への期待が高まった。

 

 昨年6月にマケドニアの首相に就任した左派のゾラン・ザエフ氏は、周辺諸国との関係改善を図り、NATOおよびEU(欧州連合)加盟への可能性を強化するべく、大胆な策を講じてきた。

 

 ザエフ大統領は、ギリシャと国名論争を最重要課題として位置付けている。

 

 1月に入ってから、ギリシャ北部の都市テッサロニキで両国の外相が非公開協議を重ね、マケドニアの副首相兼欧州政策大臣ブヤル・オスマニ氏がギリシャを公式訪問した。公式訪問を終えたオスマニ副首相は、国名問題はいよいよ解決を見るだろうと楽観的な見解を示した。

「この長年にわたる論争のために両国の間に疲弊した空気が流れているのを感じます」と、オスマニ副首相はAP通信に語った。「信頼構築に向けて両国が大きく前進していることに意義があると私は考えます」

 

 一方ギリシャでも、副外相のヤニス・アマナティディス氏が希望的な見解を示した。

 

 1月17日にニューヨークで行われた予備協議を終えたニメッツ国連特使は、進展が見られるのであれば、6カ月以内にこの問題の解決が見込めるとの見解を示した。ジミー・カーター米大統領政権で国務次官を務めた現在78歳のニメッツ氏は、かつてはアメリカを、現在は国連を代表して、この問題の解決に20年以上取り組んできた。

 

 西側諸国もまた、この地域で高まっているロシアの影響力に対抗すべく、NATOの拡大にふたたび興味を示している。

 

◆協議再開も根強い反対の声
 国連の仲介による交渉が繰り返し試みられているが、この問題は解決を見ていない。マケドニアの新名称についてさまざまな意見が提案されているにもかかわらず。

 

 ギリシャ側は、「上」「北」「新」などの地理的な修飾語やほかの歴史的な修飾語を使った「複合名」を提案している。マケドニアは、「マケドニア新共和国」と「新マケドニア共和国」など、修飾語の位置について懸念を表明、形容詞の位置がマケドニア民族のアイデンティティを変えてしまいかねないと主張している。

 

 2008年、ギリシャは暫定名称でのマケドニアのNATO加盟に反対した。これを受け、マケドニアはギリシャを国際司法裁判所に提訴、ギリシャによるマケドニアのNATO加盟妨害は違法であるとの判決が下された。

 

 2005年、マケドニアはEU加盟候補国となった。しかし、正式加盟国であるギリシャがマケドニアの加盟を拒否できるため、国名問題が解決しない限りEUの一員となる見込みは低い。

「マケドニア」という言葉を含まない新名称を期待するのは現実的ではないと、先の協議の後でニメッツ国連特使は語った。

 

 両国の政府が合意点を見出したとして、合意を受け入れるよう自国の民族主義者を説得するという課題が待ち受けている。

 

 現政権が急進左派連合と少数政党の独立ギリシャ人との連立政権であるという事実が、ギリシャの立場を複雑にしている。独立ギリシャ人の党首を務めるパノス・カメノス国防相は、「マケドニア」という言葉を含む恒久的な名称の受け入れに反対を表明している。

 

 1月21日、抗議デモがギリシャのマケドニア地方の中心都市テッサロニキで抗議デモが行われた。

By KONSTANTIN TESTORIDES and ELENA BECATOROS, Skopje (AP)
Translated by Naoko Nozawa

 

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↓古代マケドニア?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD

マケドニア王国(Μακεδονικό βασίλειο)は、紀元前7世紀古代ギリシア人によって建国された歴史上の国家である。現在のギリシャ共和国西マケドニア地方中央マケドニア地方の全域と、マケドニア共和国南東部ドイランボグダンツィゲヴゲリヤ及び南西部レセンオフリド各基礎自治体の一部、ブルガリアブラゴエヴグラト州のギリシャとの国境地帯、アルバニアポグラデツ県コルチャ県デヴォル県の一部にまたがる地域にあった。

 

↓セレウコス朝シリア(シリア)?

https://kotobank.jp/word/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%9C%9D-87896

シリア王国とも呼ばれる。マケドニア系ギリシア人によって古代西アジアを支配した王朝 (前 312~64) 。アレクサンドロス3世 (大王) の帝国が分裂したあと,いわゆる後継者戦争が続いたが,部将の一人であったセレウコス1世がバビロンを拠点とし,小アジア,メソポタミア,イラン,アフガニスタン,インド北西部などの領土を確保し,彼の名を冠する王朝による支配を始めた。

↓ペルシャ(イラン)?

メソポタミア(イラク)?  

 

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今の揉め事は別にして、この辺りの民族や歴史って複雑ですよね~?
こういうことは学ぶべきときにキチンと学んでおかないと、
今頃学ぼうにも、「何が何だかモルゲッソヨ」状態ですわwwwwww
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