10年前の還暦の年に、娘と二人で旅した北海道の
 旅行日記を記載して、あの冒険を振り返ってみます。

     

「8月になったら、”青春18キップ”を使って
北海道を放浪したい」と言う末っ子娘に、くっついて
本州を北上する決心をする。

20代を過ごす娘の心の中は、何かを求めて、
何かを感じたくて、ひと夏を大自然の中で、
過ごしたい思いに溢れていたのか、
私が同行することに難色を示していたが、 
「体力の限界を知りたい」と言う私のたっての願いに
しぶしぶ同意してくれる。

いつの日か"青春18キップ”で、旅をしてみたいと
思い続けていた私には、絶好のチャンスでもあり、
還暦を迎えての記念行事としても、
娘と同行できる喜びは、ひとしおであった。

{もちろん!親の本心は、遠い北海道で、娘が一人旅をする
ことへの不安で、留守の間の心痛を考えると、
ここは、何が何でも踏ん張って、
同行するための同意を取り付けることが必要だった}


  7月21日 月曜日 晴れ     
 待望の北海道旅行へ出発。
博多発 午前6時44分 下関行き
普通列車に乗車して旅は始まった。

早朝にもかかわらず、留守番をする娘が、
出勤前の一刻をさいて博多駅まで送ってくれた。

鈍行列車のため、駅名を一つ一つ確認して感心したり、
読み方を不思議に思ったり、歴史を感じたりして、
思いのほか時間は早くすぎていった。

海の日{国民の祝日}が日曜日のため、
今日の月曜日は代替休日。
乗客は少なく娘と私を入れて11名のみ。
娘と向かい合わせに座り、娘の横に足を伸ばして
血行の下がるのをふせぐ。
{長旅のため、足が腫れないように}
 
釣竿と冷蔵バックを持った人、ナップサックを肩に掛けた人、
朝刊を広げて見入る人などなど。  乗降する客は少ない。

東福間で開襟シャツに黒ズボン、ナップサックを肩がけで、
中学生の一団が乗り込んで来る。  

赤間で降りる。

下関を過ぎると田園風景が続き、福岡や北九州の
町並みとは対照的で、車窓から見える緑の広がりに、
つい、幼い頃兄の後を追って緑のジュウタンの上を走り回っていたことを思い出していた。
 
通津{つづ}駅で、ビール缶を右手に持った人が乗り込んで来る。

 藤生は、ふじゅう と読む。

線路を挟んで南岩国駅舎の反対側は、ホームの
向こうに一面のハス畑が広がっている。

五日市{広島県}は、車窓から見える山の中腹に高い
マンションが連なり、地滑りの心配はないのだろうか?と、
阪神の地震を重ね合せ、気になる。

 姫路到着。
乗り継ぎ時間が1時間42分ほどあり、改札口を出て、
姫路城の位置確認をする。
噂に高い白鷺城へ行ってみたいと思うが、
時間が足りないと諦める。

姫路からの新快速は、車両も新しく、窓も広く感じる。
下関からのローカル線に比べると差がありすぎる。
ローカル線は車両の数も少ない。
乗客も、姫路は若い人が多く、花やいだ空気が
パッと車内に流れた。

 関西へ向かうからか。       

 米原発 午後9時55分。 
通勤列車か?勤め帰りらしき人多し。
それも若い人が目立つ。
退社後、ひと息入れての帰宅かと想像する。

座席がやっと取れる。
この列車は、ボックス席ではなかった。
これで始発とは!満員列車だった。

 大垣{岐阜県}発 午後11時8分。
ムーンライト(ながら)に乗車。
博多、姫路で座席指定が取れなかったのに、
運良く大垣で求めることができた。
その指定席が、個室形式{セミコンパートメント席}に
なっているのに感動し、二人して顔を見合わせて、
ニッコリ。 「ヤッタァー」と、大喜びをする。

(ながら)の座席指定を取る事が出来なかったら
東京までの旅は、もっと辛いものになっていたに違いない。

大垣始発の臨時夜行列車の走る日でもあったが、
(ながら)より14分早く出発しても、
東京着は、5分遅れであり、車輌も通常列車で、
(ながら)とは比較にならない。

 この旅の良運を感じる。

夢現の中で、乗下車の人々の気配を感じ、辺りを見回し、
車内の明るさの中で、窓に顔を押し当てて手をかざして、
停車駅をいくつか確認し、いつの間にか 東京駅。

 午前4時42分着。

さすがに列車を降りる時は、お尻が痛く、
う・う~ん「ドッコイショ」と、言う思いで席を立った。

{下関、岩国、三原、姫路、米原、大垣 と
始発、始発に乗り換えられるように、そして私の疲れが
少なく済むようにと、娘は計画してくれた}