群集心理の怖さを考えたとき、わたしは一匹狼になろうと思う時がある。
自分の幸せは自分にしかわからないのだ、と強く言い聞かせる時がある。
普通の人が珍しくもないと通り過ぎる景色でさえ、じっくりと静かに希望を抱きながら眺めていたいと思うのが私だから![]()
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私の地元は「花の街」と、広告にも大々的に謳っているのだけれど、
花を飾る習慣も目立ってなければ、花の消費量も全国でワースト○位。
「住み心地がいい街だから、全国的に見て移住する人口が多い市なのです!」というけれど、
・・・津波とかの問題が絡んでるからねぇ。
共働きをする意義も都心とはちがう。
生きていけないから、ではなくて、不便な生活をしたくないから。
この間、保育園に子供を預ける人たちが言っていた。
「子供が寂しくて泣いてるのなんて最初だけ。預けちゃえばどうってことない、すぐ慣れる」
解釈はいろいろあるかもしれないけれど、ここ数年で児童虐待が急増して手に負えないほど問題になっている地元の話であることを前提にして、私なりの解釈を書かせていただく。
、
他人に子供を預けるリスクを考えたことはありますか?
ここでいうリスクとは脳の発達や、心の発達のこと。
知能が生まれつきだと思っているのか、心が勝手に育つと思っているのか・・・。
親の役割、子育ての意味を理解しているのだろうか。
偉そうなことは言えないけれど、ただただ疑問に思うのである。
将来どんな大人になってほしいと願って、物を与え続け、便利さだけを追求して共働きしているのか、私にはまったくわからない。
働いても働いても生活が苦しい人がどれほどいることだろう。
保育にお金を払えない人がいても、行政の担当者は、「よくわからない」で終わらせている。
そうして、貧困でない人たちが甘い蜜をすっている。
生活保護を受けているのに、外車に乗っている人もチラホラ・・・。
原子力発電所問題と同じ。
便利さを優先させて、将来を視野に入れて建設的な選択をしていない。
「きっとなんとかなるよ」「大丈夫でしょ」と、子供よりひどい根拠のない、中身のない言い訳ばかりを聞く。
現状から目を背けずに、自分さえ何事もなく快適に過ごせればいいなんて罰当たりな考え方、やめた方がいいのでは?
施設や制度や決断自体に問題があるわけではなく、
選択をする前提の認識や、そこまでに至るプロセスが問題なのです。
お天道様というより何よりも、自分のなかの自分が、あなたのことを見ています。
自分に恥ずかしくない生き方を。