私がこんなのあったらいいなーなんて思う現象の一つが、『星空に浮かぶ虹』でした。
でも最近知りました。こういう現象、本当にあるみたいです。
素敵。一度でいいから見てみたいなぁ。
さてさて、私は先日、
劇団四季 「ジーザス・クライスト=スーパースター」 エルサレムバージョン
を見に行ってきました。以前、『ジャポネスク・バージョン』を観劇して、すごくいい意味でショックを受けたのを覚えています。この作品は、自分と向き合う時間を、自分の周りをじっくりと見渡す機会をくれました。この作品と出会って感じた星空の虹。なぜか感じられずにはいられなかったことをここで、少し書いてしまおうと思います。それは、ユダとジーザスを結ぶもの。二人をつなげるものは果たしてなんだろうと考えているうちに、たくさんのことを発見できました。たとえば、みんな同じ孤独をもっているけれど、そんな孤独な一人ひとりが同じユニバースを共有している奇跡。それから、事実はいくつあっても、真実は1つであるということ。考える先に、二人の、二つの間に広がる空間が見えてきました。
満天の星空の中。
夜空にかかる虹。
虹の上を歩いてみたらきっと、とてもゆったりとした
深い海にただようように 眠るように 穏やかな時間が流れていそうで、
立ち止まって振り返れば、空から小さな光の粒が降り注いでくる。
天を仰げば、1つ1つの星が震えてきらめいて
耳を澄ませばその音が聞こえてくる。
広がる。
私の中までしみこんでくる。まるで水のように。
少し詩人ぶってみました。そして作品を見て見つけたキーワードを元に、抽象的に書いてみました。もちろん一つ一つの言葉に意味をこめて。私はクリスチャンではないけれど、こんな風に心地よくなるのだから、あぁ、私はきっとこの作品が好きなんだなーと思います。
作品の内容は、イタリアに旅行に行ってきた前と後では、少し解釈が変わりました。というより、政治的背景や歴史を学んできたことも含めて、吸収してきた知識が新たな発見を生みました。自分の中で納得のいく答えを見つけることが出来た気がしています。イタリアへはどうしても!ということで行ったのではなかったのですが、作品とのつながりを強く感じると、そのためにイタリアにいってきたのか?っておもうほど、不思議な感じがしています。すごいタイミング。すごい偶然。
こういう偶然ともいえる必然を大切にしたい。それこそアインシュタインみたいに。「生にはたった二つの生き方があるだけだ。一つは奇跡などないかのような生き方、もうひとつは、まるですべてが奇跡であるかのような生き方だ。」物事(物理的あるいは認識的な現象)の客観的、絶対的真理の判断の究めつけは結局自分にかかっているのだと思います。毎日が奇跡の連続。そう思ってると楽しい♪♪努力が報われないこともあるけれど、望まないこととあきらめることは違う。たとえ、目指す場所に望んだ確かな答えがなかったとしても、悩めば悩むほど、苦しめば苦しむほど、考えれば考えるほど、動けば動くほどに・・・見えてくるものが必ず、あるはず。
ちなみに・・・、ジャポネスクバージョンの観劇では、誘った友人と観劇の感想で盛り上がりました。ジャポネスクは、ビジュアル系ジーザスとユダが♪竹のようにしなやかな芯の通った声を響かせ、とくにファルセットがきれいな美脚の兄ちゃんジーザス(金田俊秀さん)、はじめの一音で会場を包み込んでしまうほど強烈です。強烈といえば、ジーザスの細かな表情や声の変化、それからカーテンコールのときの微笑も。萌えます♪そして、ロックオペラにしっくりとくる歌声だけれど、甘い余韻を響かせられれば酔ってしまいそうで、でもなぜ革手袋なのかちょっとわからない、けどすごくイケテル(ロックな)ユダ(金森勝さん)。観劇した帰りには、周りの声に耳を澄ましてみてください。「ユダかっこよかったねぇ~!」って言っている女子は多いです。絶対。間違いない。あと、ソウルガールの姉ちゃんたちの柔らかく澄んだ高い歌声と腰の振り方が忘れられない。素敵すぎます。そしてそして、大八車すげェ~~~~!!って感じです。4月は名古屋で公演があるみたいです☆☆
エルサレムはジャポネスクとは異なるカーテンコールが見れました。しかもなんかこれは、学校のイベント後にやる「お疲れダンス」を思い出さずにはいられない・・・。私はだいたい音響・照明卓で見てた役ですが、舞台に出て踊ったこともありました。今となってはいい思い出だ♪今年は何踊るんだろーなー♪
とにかく舞台のあとは幸せいっぱい!ユダキュン♪ユダキュン♪ユダキュンキュン♪
でも最近知りました。こういう現象、本当にあるみたいです。
素敵。一度でいいから見てみたいなぁ。
さてさて、私は先日、
劇団四季 「ジーザス・クライスト=スーパースター」 エルサレムバージョン
を見に行ってきました。以前、『ジャポネスク・バージョン』を観劇して、すごくいい意味でショックを受けたのを覚えています。この作品は、自分と向き合う時間を、自分の周りをじっくりと見渡す機会をくれました。この作品と出会って感じた星空の虹。なぜか感じられずにはいられなかったことをここで、少し書いてしまおうと思います。それは、ユダとジーザスを結ぶもの。二人をつなげるものは果たしてなんだろうと考えているうちに、たくさんのことを発見できました。たとえば、みんな同じ孤独をもっているけれど、そんな孤独な一人ひとりが同じユニバースを共有している奇跡。それから、事実はいくつあっても、真実は1つであるということ。考える先に、二人の、二つの間に広がる空間が見えてきました。
満天の星空の中。
夜空にかかる虹。
虹の上を歩いてみたらきっと、とてもゆったりとした
深い海にただようように 眠るように 穏やかな時間が流れていそうで、
立ち止まって振り返れば、空から小さな光の粒が降り注いでくる。
天を仰げば、1つ1つの星が震えてきらめいて
耳を澄ませばその音が聞こえてくる。
広がる。
私の中までしみこんでくる。まるで水のように。
少し詩人ぶってみました。そして作品を見て見つけたキーワードを元に、抽象的に書いてみました。もちろん一つ一つの言葉に意味をこめて。私はクリスチャンではないけれど、こんな風に心地よくなるのだから、あぁ、私はきっとこの作品が好きなんだなーと思います。
作品の内容は、イタリアに旅行に行ってきた前と後では、少し解釈が変わりました。というより、政治的背景や歴史を学んできたことも含めて、吸収してきた知識が新たな発見を生みました。自分の中で納得のいく答えを見つけることが出来た気がしています。イタリアへはどうしても!ということで行ったのではなかったのですが、作品とのつながりを強く感じると、そのためにイタリアにいってきたのか?っておもうほど、不思議な感じがしています。すごいタイミング。すごい偶然。
こういう偶然ともいえる必然を大切にしたい。それこそアインシュタインみたいに。「生にはたった二つの生き方があるだけだ。一つは奇跡などないかのような生き方、もうひとつは、まるですべてが奇跡であるかのような生き方だ。」物事(物理的あるいは認識的な現象)の客観的、絶対的真理の判断の究めつけは結局自分にかかっているのだと思います。毎日が奇跡の連続。そう思ってると楽しい♪♪努力が報われないこともあるけれど、望まないこととあきらめることは違う。たとえ、目指す場所に望んだ確かな答えがなかったとしても、悩めば悩むほど、苦しめば苦しむほど、考えれば考えるほど、動けば動くほどに・・・見えてくるものが必ず、あるはず。
ちなみに・・・、ジャポネスクバージョンの観劇では、誘った友人と観劇の感想で盛り上がりました。ジャポネスクは、ビジュアル系ジーザスとユダが♪竹のようにしなやかな芯の通った声を響かせ、とくにファルセットがきれいな美脚の兄ちゃんジーザス(金田俊秀さん)、はじめの一音で会場を包み込んでしまうほど強烈です。強烈といえば、ジーザスの細かな表情や声の変化、それからカーテンコールのときの微笑も。萌えます♪そして、ロックオペラにしっくりとくる歌声だけれど、甘い余韻を響かせられれば酔ってしまいそうで、でもなぜ革手袋なのかちょっとわからない、けどすごくイケテル(ロックな)ユダ(金森勝さん)。観劇した帰りには、周りの声に耳を澄ましてみてください。「ユダかっこよかったねぇ~!」って言っている女子は多いです。絶対。間違いない。あと、ソウルガールの姉ちゃんたちの柔らかく澄んだ高い歌声と腰の振り方が忘れられない。素敵すぎます。そしてそして、大八車すげェ~~~~!!って感じです。4月は名古屋で公演があるみたいです☆☆
エルサレムはジャポネスクとは異なるカーテンコールが見れました。しかもなんかこれは、学校のイベント後にやる「お疲れダンス」を思い出さずにはいられない・・・。私はだいたい音響・照明卓で見てた役ですが、舞台に出て踊ったこともありました。今となってはいい思い出だ♪今年は何踊るんだろーなー♪
とにかく舞台のあとは幸せいっぱい!ユダキュン♪ユダキュン♪ユダキュンキュン♪