22歳にして、乙女を磨くとは難しいことよの~と思う今日このごろです。歳を重ねることが、不思議だと感じることが多いけど、素敵なことだな~と思うようになるまでには、もう少し時間がかかるかも・・・。

 普段の生活の中で、見ていて気になることがあります。それは、よりサイズの小さいスカートを無理して着ていたり、お昼に、幼稚園児か!ってツッコミたくなるほど量の少ないお弁当を食べる周りの女子たち。美しさを磨くため、ありとあらゆるものを我慢し、化粧品や服装、小物やバックに投資する女子たち。そんな環境に入りたてのころに感じたことは、

 あたしゃ~ムリだわ。

 ってこと。昔からどっちかっていうとおしゃれには疎いし、年上の女性に憧れることはあっても、そのための外見的な努力を意識したことなんてそんなになかった。髪の毛は年中短髪で「となりのトトロ」のさつきみたいにボサボサ、本当に食べたいものを我慢したことはないし、服だってどちらかというと男物のほうに興味があって、家族のを着てた覚えもある。

 さて、こんな田舎っ子の私がどうすればいい?

 社会人としての身だしなみは大切。綺麗になりたいという強い乙女の願いも理解できんでもない。それはわかってる。でも、実際に私が求められる先輩からの要求は、応えるにはまだちょいとキツイ。出来ないことはないけど。けれども!・・・行き過ぎた努力は考え物じゃないかな、なんて思ったりもする。体を壊したり、精神的な負担がかかったり。加減って難しいもんだ。

 そういえば、中学校のときの恩師が「『いいかんげん』は『いい加減だ』」、と教えてくれたことがある。何かに取り組んで苦しいとき、この言葉を思い出すと少し心が軽くなった。今でもそう。壁にぶち当たったときに力をくれる。変に力んで、本当の力が出せないときにポンッと背中を押してくれる。そして案外どうしようもないと思ったことも何とかやってこれた。

 こうしなきゃいけない、とか、こう見られたい、とか、そんな欲求が内に秘める輝きを奪ってしまうことがある。外見も中身も同じ。年齢に縛られたり、固定観念に翻弄されたり。それが自他共に生き方や思想を模索する姿勢を取り上げてしまう。いくら「個性を大切に」「価値観の多様性」といわれる社会でも、ひとたび「変わっている」というレッテルで線引きをされれば、不自由になる世の中なのだ。だから、前向きで素直なポジティブさが必要。最低限のルール、マナーを守ればそれでいいんじゃない?と単純に思ったりもする。ダイヤモンドの原石だって磨かなきゃ、その輝きは眠ったまま。それに気づかなきゃ、無限の可能性の花だって開きはしない。

 かっこいいと思う、こんな風になりたいと思い浮かぶ人はたくさんいる。その人たちは、その人だけがもっている宝を本当に大事に大事にして、見つけたその芽を育て続けているように見える。
 そして、どんどん輝きを増す人を見ていると、私も自分の10年後20年後こんなに素敵でいられたらと、歳を重ねることがますます楽しみになっていくのに違いないと思う。