スピリチュアル系の界隈に於いて、よく使われるフレーズに

「引き寄せ」

というものがあります。

まあ、読んで字の如く何かを引き寄せる能力の事を指すのですが、スピリチュアル系の人々はまぁよくこのフレーズを使うんですよ。
そんなに簡単に色んなモノ引き寄せられたら世の中苦労せんわ!!!と突っ込みたくなるレベルで。
でも、彼らは能力系ですから「出来るんだから出来るんだよ」となるわけで、そこら辺は私も否定はしませんし、彼らの主張には大いにヒントになり得るモノも多いのです。

翻って、私のような「術者」の立場から「引き寄せ」を考えてみますと、何事も「因果」の下に生じていると言うのが術者の考え方ですから、「引き寄せ」にも何らかの「因果」があると考えます。
何かを欲しいと思ったり、何かを成し遂げたいと思ったとき、その「何か」に「因果」を結べるかどうかだと言うことです。

欲するものに「因果」を結ぶことが出来れば、それはやがて「応報」する形で現れます。

簡単に言ってしまえば、「縁を結べるかどうか」なんですね。

「縁」のあるものとは常に因果がありますから、タイミングはともかく、何時かは出逢うことになります。

術者の立場から言えば、これが「引き寄せ」ということになります。

スピリチュアル能力系の方は、この「因果」を自ら結ぶことが出来る能力があると考えます。
極めて能動的なのですが、デメリットもありまして「余計なものまで引き寄せてしまう」という話はよく聞きます。

私のような術者の場合は、「欲するものに因果を結ぶことが出来る確率を出来るだけ収束させる」という行動になっているのだと思います。
占いの術は「確率を収束させる為の手段」と捉えるのが的確かと思いますので。
(占う事で「余計な選択肢を減らし、起こりうる結果を収束させる」という事)

この考え方であれば、「占いの術的な思考が出来れば、スピリチュアル系能力が無くとも、占い師で無くとも引き寄せは出来る」という説も成り立つように思います。

さて、私がなぜこんな日記を書いているのかと云うと、ここまで述べた
「占い師的な引き寄せへのアプローチ」
は面白い効果があるからでして、それは何なのかと云うと、

「一度諦めても、状況が整ったとき突然応報する」

という事です。

スピリチュアル系の方は自分から取りに行きますから諦めるという概念は無いかと思いますが、「とりあえず因果だけは結んでおく」というアプローチをした場合、確率の収束に時間を要する為直ぐには引き寄せることが出来ません。

すると、「引き寄せられないなら諦める」という判断に至ってしまうこともありましょう。

でもここで、
「それは本当に引き寄せたい物なのか?」
と考える事も出来るのです。

これが肝要でして、思案することで確率は収束させることが出来ます。

思案した結果、「やっぱりいいや、諦めよう」となっても、「収束された因果」は引き寄せたい物に残ります。

そして、更に確率が収束したとき、つまり「状況が整ったとき」、因果は応報し、引き寄せたいものは「突然」現れるのです。

そして、「状況が整っている」訳ですから、今度は躊躇無くそれを手に入れる事が出来るでしょう。 

これが「思いがけず○○」の正体だと私は考えています。

私が体験した事例を挙げますと、まず欲しい靴がありました。
しかしながら、その靴は遠方へ出向かないと買えず、しかも値の張るものでした。
ずっと欲しいと思いながらも諦め半分で過ごしておりました。
そんなある日、「近場の靴屋に似たものがあれば、それでいいや。」と妥協して、買いに行くことにしました。
すると、なんと最寄駅にたまたま来ていた流しの露店商が欲しかった靴を置いていたのです。
しかも、「何時もは持ってこないけど今日はたまたま持ってきた。最後の一足だから半値でいいよ。」と来たのです。

かくして私は欲しかった靴を「近場で、かつ半値で」手に入れる事が出来ました。

欲しいと思いつつも手に入れる行動に移せず、時間だけが経過していた訳ですが、欲しいという因果を結んでいた結果、時間の経過が確率を収束させ、偶然の応報に至った例です。

いかがだったでしょうか?

「引き寄せ」は簡単なことではないと私は考えています。

そして、スピリチュアル的な引き寄せとは異なるアプローチもあるということです。

ここで重要なのが、「考える」事です。

占術的アプローチで引き寄せを行う場合、「考える」時間が無いと引き寄せられる確率が大きく下がってしまいます。

そして、考える事で「本当に引き寄せる必要があるものなのか」を検討することが出来ます。

この手法を応用すれば「断捨離」を行いたいときに捗るのではないでしょうか。

兎角「タイムパフォーマンス」ばかりがクローズアップされ、考える時間が減ってきている昨今、更には、インターネット検索の普及、人工知能の発達、思考を挟む余地のないコンテンツの増加など、世界が次第に「人間から思考機会を奪う」方向に廻りはじめています。
これは、裏を返せば「自立思考できる人間は邪魔だから排除しよう」と考えている勢力の存在の暗示でもありましょう。

だからこそ、「時間を掛けて考える」事のメリットを再認識しておきたい。

今回のお話がその一助となれば幸いです。