北の無人駅で過ごした夏の日
-JR宗谷本線 雄信内駅にて-


 BGM♪テネシーワルツ♪

木枠の「ガラス窓」「折り鶴」。窓の向こうには「緑の山々」が見える。
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ここはJR宗谷本線「雄信内(おのっぷない)駅」。昔ながらの「木造駅舎」が残る「無人駅」
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駅舎内にある「木製ベンチ」。かつては列車を待つ「乗客」の姿が見られたのであろう。駅周辺は「無人地帯」「閑散」としていて「人の気配」は感じられない。
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駅は「無人化」されて久しい。只今の行事は「空白」のまま。
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「大正14年」の開業からずっと駅舎を支えてきた木製の「柱」「コンクリート」「疲れを見せ始めているがまだ「現役」だ。
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線路で「チョウ」が一休みするほど宗谷本線の「本数」は少ない。
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遠くから聞こえる「踏切の音」。上り列車が停車するのは「4時間に1本」。静かな駅構内に列車の「エンジン音」が響き渡る。
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広い山中へ向かう列車。僕はその「背中」を見送った。
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持参したパンと缶コーヒーが今日の「昼食」。コンビニも自販機もない駅。
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「国鉄時代」の面影を残す「重厚な駅舎」。僕は「駅周辺」を歩いてみることにした。イメージ 3
 
駅前通のさび付いた「家屋」「白い軽トラ」が駐車してあった。「家主」が今も利用しているのだろうか。わずかだが生活感」がまだ残っている。
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昭和40年代までは「食料品店」「鮮魚店」など「5店舗」がこの駅前通に店を構えていた。当時この駅周辺には「150人」ほどの人が暮らしていたらしい。
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店を閉めてからそんなに「年月」が経過していないように思われる。「のれん」がまだ新しかった。
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積雪に耐えきれずに「倒壊」した酒屋。赤や黄色の「ケース」が生々しく散らばっていた。
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「住む人」を失った家屋。まだ「原型」を保っているが、度重なる冬の「積雪」にどこまで耐えられるだろうか。
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玄関先に放置された「オーブントースター」。ここで暮らした人たちの「生活の様子」を想像しながら歩いていた。
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しばらくすると「小学校の校門」が見えてきた。「雑草」が生い茂っている。イメージ 10
 
「昭和57年」閉校を迎えた「雄信内小学校」。各学年の児童が「10名以下」の小さな小学校だった。残された「体育館」は災害時の「避難所」になっている。
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閉校した年の卒業生は「1名」。昭和50年以降「過疎化の波」が押し寄せ「離農者」が相次ぎ人口は「激減」していった。
 
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駅前通りから「校舎」を望む。「夏草」に埋もれて「郷愁」を感じさせる。

日本の最北端「稚内」へ向かう宗谷本線。その沿線には昔ながらの「木造駅舎」と住む人のいない「無人の集落」がいくつもあるという。列車を待つ「乗客」・通りを「歩く人」の姿を見かけなくなった今、駅は気まぐれのように立ち寄る「旅人」を待っているのかもしれない。