無人の荒野に駅の足跡-森に眠る白樺駅の遺構-
BGMは森田童子♪「G線上にひとり」♪風に舞う「紅葉」が「冬の訪れ」を伝えている。そろそろ紅葉が「落葉」に変わる頃だ。「初雪」が降るのももうすぐだろう。

「白樺の林」が延々と続く山中。「人の気配」は全く感じられない。しかし、かつてここに「駅」があったのだ。JR「深名線」・「白樺駅」。「昭和40年代」までわずかな人たちがここで「生活」をしていた。
山中を貫く道路から細い道に逸れると現れる「小さな空き地」。ここが「白樺駅」の「駅前の広場」だった。今もその中央には「1本の木」が残っている。


遠い昔の「白樺駅」の姿
この「無人の原野」にも「昭和30年」には「100名」ほどの住人がいた。白樺駅は戦前戦後にかけて「木材の搬出」で賑い、周囲に「小規模の集落」が形成されていた。昭和35年の「地形図」を見ると駅周辺にいくつかの「民家」があったことがわかる。「木材事業」や「国鉄」そして「日通営業所」の職員が暮らしていたらしい。

当時は「有人駅」で「駅構内」もそれなりの規模を有していた。

駅舎は「国鉄時代」の大きな「木造駅舎」。

「小中学生」と「駅員さん」の「ふれあい」もあった。遠い昔まで遡るとこの山中に「人の生活と温かさ」があったのだ。

しかし「白樺地区」は「昭和40年代」に入る前に「急速に寂れ」自治区として「消滅」してしまった。ここは「市街地」から遠く離れ、鉄道でしか行けない「陸の孤島」のような場所。世の中が「高度経済成長」を迎えた時期、人々は「便利な生活」に目覚め、この地を離れていったのだろう。周辺が「無人地帯」となった白樺駅。やがて、冬期間は全列車が「通過」するようになった。またの名は「冬眠する駅」であった。
この「無人の原野」にも「昭和30年」には「100名」ほどの住人がいた。白樺駅は戦前戦後にかけて「木材の搬出」で賑い、周囲に「小規模の集落」が形成されていた。昭和35年の「地形図」を見ると駅周辺にいくつかの「民家」があったことがわかる。「木材事業」や「国鉄」そして「日通営業所」の職員が暮らしていたらしい。

当時は「有人駅」で「駅構内」もそれなりの規模を有していた。

駅舎は「国鉄時代」の大きな「木造駅舎」。

「小中学生」と「駅員さん」の「ふれあい」もあった。遠い昔まで遡るとこの山中に「人の生活と温かさ」があったのだ。

しかし「白樺地区」は「昭和40年代」に入る前に「急速に寂れ」自治区として「消滅」してしまった。ここは「市街地」から遠く離れ、鉄道でしか行けない「陸の孤島」のような場所。世の中が「高度経済成長」を迎えた時期、人々は「便利な生活」に目覚め、この地を離れていったのだろう。周辺が「無人地帯」となった白樺駅。やがて、冬期間は全列車が「通過」するようになった。またの名は「冬眠する駅」であった。
白樺駅の遺構を求めて
この駅は深名線の廃止を待たずして平成2年に「廃駅扱い」となった。あれから「20年以上」が経過した今「駅跡」はどうなっているのだろうか。僕は「駅の遺構」を求めて草木をかき分けて進んだ。すると「駅舎の土台」と思われる「コンクリート」が足下に現れたのだった。

笹藪の中からは朽ち果てそうな「階段」が見えた。おそらくこの先に「ホーム」そして「線路」があったのだろう。

ホーム跡に下りると「別の階段」を見つけた。草木が生い茂りホームや線路の姿は見る影もないが、この「階段」は「はっきり」とその形を残している。「上の写真」でも確認できる「唯一の遺構」だ。

これは「転轍(てんてつ)機」の標識。ずっしりと「線路跡」に横たわったままだ。「人や列車の流れ」をずっと見てきた。

土に埋もれそうな「木材」の残骸。ホームに立っていた「木製電柱」だったのかもしれない。

駅の設備だった「鉄製の箱」。廃線後は中に「旅ノート」が入っていて訪問の記録が綴られていた。「風雪」にさらされながらずっと「旅人」を待ち続けた。もうすっかり疲れてしまったのだろうか?すでに「原型」を留めてはいなかった。どうやら、その「役目」を終えてしまったようだ。

旅の者が捨てていった「空き缶」。いつからここにあるのだろう。なぜだか「時の流れ」を感じて「寂しく」そして「心細く」感じた。

この人里離れた山間部に再び「人の生活」が築かれることはもうないだろう。「枯れ葉」が風でこすり合う音が「サラワラ」・「ザワザワ」と僕を包む。
この駅は深名線の廃止を待たずして平成2年に「廃駅扱い」となった。あれから「20年以上」が経過した今「駅跡」はどうなっているのだろうか。僕は「駅の遺構」を求めて草木をかき分けて進んだ。すると「駅舎の土台」と思われる「コンクリート」が足下に現れたのだった。

笹藪の中からは朽ち果てそうな「階段」が見えた。おそらくこの先に「ホーム」そして「線路」があったのだろう。

ホーム跡に下りると「別の階段」を見つけた。草木が生い茂りホームや線路の姿は見る影もないが、この「階段」は「はっきり」とその形を残している。「上の写真」でも確認できる「唯一の遺構」だ。

これは「転轍(てんてつ)機」の標識。ずっしりと「線路跡」に横たわったままだ。「人や列車の流れ」をずっと見てきた。

土に埋もれそうな「木材」の残骸。ホームに立っていた「木製電柱」だったのかもしれない。

駅の設備だった「鉄製の箱」。廃線後は中に「旅ノート」が入っていて訪問の記録が綴られていた。「風雪」にさらされながらずっと「旅人」を待ち続けた。もうすっかり疲れてしまったのだろうか?すでに「原型」を留めてはいなかった。どうやら、その「役目」を終えてしまったようだ。

旅の者が捨てていった「空き缶」。いつからここにあるのだろう。なぜだか「時の流れ」を感じて「寂しく」そして「心細く」感じた。

この人里離れた山間部に再び「人の生活」が築かれることはもうないだろう。「枯れ葉」が風でこすり合う音が「サラワラ」・「ザワザワ」と僕を包む。
白樺駅周辺が賑わったのは戦前戦後の「わずか20年ほど」の短い期間だった。山間部の厳しい気候のため「農業を営む者」は現れず「林業が衰退」すると瞬く間に「無人の荒野」と化していった。その後、地図からも「白樺地区」の名前は消えて「駅跡」さえも元の「自然の姿」に還ろうとしている。「幹線道路」から遠く離れたところにあり「目印もない」ため、ほとんどの人がその存在に気づかずに通り過ぎて行くことだろう。駅の「遺構たち」だけがここに残り続けている。