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いつか見た町の風景-北母子里駅跡を訪ねて-
道北の「幌加内町」を縦断するように走っていた「深名線」。「廃線」を迎えたのはもう16年前のことです。今でも幹線道路沿いにはその「駅跡」や「駅舎」を見ることができます。さて夏の終わりの日曜日は深名線の「廃線跡」を追ってドライブに出かけることにしました。人気のない森林地帯を抜けると「小さな集落」が目に入ってきます♪近づいてみましょう♪その後の「北母子里駅」(きたもしりえき)
ここは幌加内町の「母子里」(もしり)という地区です。駅名にだけ「北」が付いているのは、道東にある「茂尻駅(もしり)」との混同を避けるためだったそうです。かつての「駅前通り」へ向かうと、既に駅舎は解体され、「携帯電話の基地局アンテナ」へと姿を変えていました。「駅の面影」はもうどこにもありません。



無表情に空高くそびえ立つ「硬質なアンテナ」。まるで「時代の流れの冷酷さ」を象徴しているかのようでした。「人の生活」・「生活の臭い」は非情にも文明に追いやられ、かき消されてしまったのです。
ここは幌加内町の「母子里」(もしり)という地区です。駅名にだけ「北」が付いているのは、道東にある「茂尻駅(もしり)」との混同を避けるためだったそうです。かつての「駅前通り」へ向かうと、既に駅舎は解体され、「携帯電話の基地局アンテナ」へと姿を変えていました。「駅の面影」はもうどこにもありません。



無表情に空高くそびえ立つ「硬質なアンテナ」。まるで「時代の流れの冷酷さ」を象徴しているかのようでした。「人の生活」・「生活の臭い」は非情にも文明に追いやられ、かき消されてしまったのです。
基地局アンテナの裏側にある「ホーム跡」が唯一の駅の名残です。列車が往来した「線路」や人々が乗降したコンクリートの「プラットホーム」も今では草が生い茂っていて「無人の荒野」と化していました。

廃線は「町の風景」の全てを変えてしまったのでしょうか。かつての駅前通りは「木造の廃屋」が点在するだけになり、その周囲を「放棄された農地」が覆っていました。駅を失った集落は次第に人の流れもなくなり「静けさ」に包み込まれています。



しばらく使われていない木造の倉庫。大学が所有する「製材実習工場」でした。再び利用される機会はなくても「産業遺産」としてこの地に残り続けて欲しいものです。


廃線は「町の風景」の全てを変えてしまったのでしょうか。かつての駅前通りは「木造の廃屋」が点在するだけになり、その周囲を「放棄された農地」が覆っていました。駅を失った集落は次第に人の流れもなくなり「静けさ」に包み込まれています。



しばらく使われていない木造の倉庫。大学が所有する「製材実習工場」でした。再び利用される機会はなくても「産業遺産」としてこの地に残り続けて欲しいものです。

この橋の名は「天使の囁き橋」。寒冷多雪のこの地域では真冬になると「ダイヤモンドダスト」(空気中の氷の結晶)が見られるためその名前が付きました。

毎年2月には町おこしのイベントとして「天使の囁きを聴く集い」が開かれ、ダイヤモンドダストの観察なども行われているようです。「廃線」・「離農」そして「過疎化」を迎え停滞が地域一帯を包んだとしても、今もこの町は生き続けています。町に残った「ともしび」は次の世代へと引き継がれ「母子里」の町を支えていくはずです。

「郷愁」を誘う地方の風景と「都市の文化」を象徴するアンテナが「青空の下」で同居していた北母子里の駅跡。秋の日差しを浴びて空高くそびえ立つアンテナがとても「印象的」でした。

毎年2月には町おこしのイベントとして「天使の囁きを聴く集い」が開かれ、ダイヤモンドダストの観察なども行われているようです。「廃線」・「離農」そして「過疎化」を迎え停滞が地域一帯を包んだとしても、今もこの町は生き続けています。町に残った「ともしび」は次の世代へと引き継がれ「母子里」の町を支えていくはずです。

「郷愁」を誘う地方の風景と「都市の文化」を象徴するアンテナが「青空の下」で同居していた北母子里の駅跡。秋の日差しを浴びて空高くそびえ立つアンテナがとても「印象的」でした。