https://localhokkaido.blogmura.com/hokkaido_douhoku/img/hokkaido_douhoku88_31.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 道北情報へ(ランキング参加中です。ご協力お願いします。)
「隣の駅までの距離が34km」
「道北」「道東」を結ぶ「JR石北本線」。この路線には延々と「駅のない無人地帯」が続く区間があります。なんと道北の「上川駅」と道東の「上白滝駅」の間は「34km」もあって駅と駅の距離としては「日本最長」なのです。今回はその石北本線にある「何もない空白の区間」を歩いてみることにしました。

時刻表から消えた駅たち-JR石北本線の空白区間を歩く-

峠を貫く石北本線
北海道のほぼ中央に位置する道北の「上川町」。この「上川町」「道東」「隣接」していますが、その境目には「標高800m以上」「北見峠」が立ちはだかっています。石北本線はこの「険しい峠」「長大なトンネル」で突き抜けているのです。この峠は「何もない森林地帯」に見えますが「その麓から頂上付近」にかけて「時刻表から名前を消した駅」がいくつもあります。峠を車で走る際に「線路沿い」に目を向けると「駅跡」「廃駅」が点在しているのがわかります。
「天幕駅(てんまくえき)」(平成13年廃止)
「最初の廃駅」「峠の入り口」にありました。この「天幕」という地域は明治時代後半に「入植者」を迎え形成された集落です。駅が開業したのは昭和4年。当時は「林業」で栄えていたと言われています。林業の「衰退」と共に人々は町を去り、昭和後期には駅周辺は「無人化」していたのだそうです。現在は駅舎は解体され「記念碑」がその地に建てられています。
イメージ 1

駅跡の周りを歩くと「天幕小学校」の石碑を見かけました。学校があるのはそれなりの規模の集落があったからでしょう。「昭和51年の閉校」から長い年月が流れ敷地内に残っているのは「コンクリートの土台」のみでした。
イメージ 2

付近を歩いてみると生い茂るの木々の中から「電話の中継所」が姿を現しました。積雪で屋根が抜け落ちています。いつの時代まで使われていたかわかりませんが、この地で朽ち果てるのを待っているだけなのかもしれません。
イメージ 3

ここは駅が廃止されるずいぶん前から「利用者は皆無」だったに違いありません。ただ駅跡から少し離れたところに民家もあり「人々の生活」を感じることができました。それでは次の駅跡に向かって峠の中腹に近づいてみましょう。

「中越駅(なかこしえき)」(平成13年廃止)
国道をさらに進むと道路沿いに「古い駅舎」が見えてきました。「中越駅」は峠の中腹に位置しており現在は駅業務を終了して「信号場」になっています。信号場とは列車が待機するために停車する場所なのだそうです。周りは「深い山」で囲まれていて見渡す限りの「原生林」が広がっています。今では「家の跡」すら見つけることもできません。
イメージ 4

イメージ 5

この地にも昭和中期までは「林業を中心とした集落」があったようです。「小学校の跡地」もあると聞いたことがあります。峠の麓の山深い場所だったせいか林業が衰退すると住民はいなくなり昭和後期には「無人地帯」となりました。すでに「廃屋」すらも見当たらず人々がこの地を去ってからもうずいぶんと長い時が流れているようでした。

「上越駅(かみこしえき)」(昭和50年廃止)
峠を登っていくと道路脇にはまだ「雪」が残っています。上川町は「豪雪寒冷」な地域。さらに「峠の頂上付近」は気温も低いためこの時期でも雪が解けきらないのです。
イメージ 6

上越駅は国道から脇道にそれた林道沿いありました。ようやく雪解けを迎え「ふきのとう」が顔を出した道を歩くと「つり橋」が見えてきます。橋の向こうには「線路」も走っているので「かつての駅舎」もきっとそこにあるはずです。
イメージ 12

橋の向こうには今は「信号場」として運用されている「上越駅の駅舎」が現れました。「標高634m」と峠の頂上付近にあった駅。信号場としても北海道では「最も高いところにある」と言われています。
イメージ 7

ちょうどこの真上を「高速道路」が走っています。人や車の流れも完全に変わってしまい、ほとんどの人がこの山奥にある駅舎に気づくことはもうないでしょう。
イメージ 11

イメージ 8

この線路の向こうは峠を貫く「長大トンネル」へとつながっています。そのトンネルを抜けると道東の「遠軽町(旧白滝村)」です。今は廃駅となった「奥白滝信号場」もそこにあります。その「奥白滝」という地区も昭和中期には「無人地帯」となり今は「元の自然の姿」へと戻ろうとしています。
イメージ 9

このような「峠の奥深い地」に本当に集落があったのかどうかはわかりません。上越地区の「生活の様子」については今でも聞いたことがないからです。それでも駅があるなら必ずそこに「住む人」がいたはずです。しかし、周辺には「生活の跡」は一切見かけませんでした。「原生林樹海」が広がる山間部に「ポツン」と信号場だけが佇んでいます。

林道をさらに進むと「大きなダム」が姿を現しました。「轟音」を立てて水が流れる様子に飲み込まれそうになります。広い山中に自分だけが一人。急に「寂しく・怖く」なってきました。
イメージ 10


北海道の歴史は明治時代の「入植者の開拓」で始まります。彼らは木々を切り倒して山々を「開墾」し「厳しい寒さ」に耐えながら「生活」を築いてゆきました。やがてそこに「集落」が生まれ「学校」も建てられます。住民の移動手段として「鉄道」が走り「駅」も作られました。しかし集落を支える産業が衰退すると「山深い地」から人々は去り誰もいなくなるのです。最後には「駅」だけがその地に残り「小さな集落」があったことを通り行く人に伝えています。北海道が歩んだ「時の移り変わり」を「駅跡」から感じた週末でした。