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春の青空の下で廃線跡を歩く-JR深名線の足跡-

先週の日曜日廃線後の町並みを訪れたのをきっかけに「JR深名線」の廃線跡をもっと歩いてみたくなりました。JR深名線は「深川駅」「名寄駅」を結んでいた路線で平成7年に廃線を迎えています。全長は「121.8km」で南北に長い「幌加内町」を縦断するように走っていました。
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幌加内町は道北の山間部にある「極寒」そして「豪雪」の町です。昭和53年には国内最低気温の「-41.2℃」を記録しています。この最低気温は町のシンボルとなり今では「カントリーサイン」にも堂々と記されています。それにしても「-41.2℃」ってどのような寒さなんでしょうね(怖)一応「-22℃」の経験はあるんですよ。あの夜は「ストーブ」を焚いてもなかなか部屋が暖まらなかったのを覚えています。そうそう翌日は車の「エンジン」があまりの寒さで動きませんでした。それを上回る寒さとは・・・想像がつかないですね。
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この廃線となった深名線には先週訪れた「沼牛駅」の他に「鷹泊駅」「政和駅」「添牛内駅」の駅舎が今でも残っています。抜けるような「春の青空」の下で廃線跡を歩いてみましょう♪
「鷹泊駅」 (深川市多度志町字鷹泊)
市街地から遠く離れた小さな町に差し掛かると、雪残る山を背景に「木造の駅舎」が見えてきました。冬の積雪にも耐えながらこの地に残り続けています。
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雪解け水でできた「水たまり」が直線上に伸びているのは線路があったからでしょうか。
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「駅のトイレ」は痛みも激しくもう何年持ちこたえることができるかわかりません。
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雪の重みで「倒壊した木造家屋」も北国ならではの光景かもしません。冬を越す度に徐々に崩れ落ちていったのでしょう。
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「鷹泊」は幹線道路に面した郊外の小さな町並みでした。民家や商店などもあって寂しさもそれほど感じません。この駅舎が「積雪」に耐えながら「辛抱強く」この地に残って欲しいと思いながら「鷹泊駅」を後にしました。
「第3雨竜川橋梁」
深名線では駅舎だけでなく「鉄橋」も残されています。昭和6年に完成し主に石炭輸送など町の動脈としての役割を担っていました。この橋梁は深名線の「最難関工事」と言われ工事の主任監督者も開通を待たずに亡くなっています。鉄橋横にある慰霊碑からこのことを知りました。
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「政和駅」 (幌加内町字政和第二)
幌加内町に入りしばらく北上を続けると「政和」の町並みが見えてきました。なんと政和駅は「食堂」として生まれ変わっていたのですが。しかし、残念ながら現在は「休業中」のようです。残された駅舎は澄んだ青空の下ポツンと建っていて寂しそうでした。「深名線」の沿線上はこのような小さな集落があるのはまだよい方で過疎化が進み「無人地帯」も数多く見受けられるのです。廃線になった理由がよく分かります。
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駅前には大きな「農業倉庫」がドンと構えていました。大きく立派な文字が印象に残っています。
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少し離れたところに地元の特産品の「そば」が食べられる「道の駅」「温泉」があってドライブで立ち寄ると楽しいかもしれません。
「添牛内駅」 (幌加内町字添牛内)
現存する駅舎の中では深名線の「最北端」です。駅名は「そえうしない」と読みます。広い敷地に「赤い屋根」の駅舎が静かに建っていました。手入れもされているのか全体的にきれいな印象を受けます。「風雪」に耐えながらもじっとこの地に足を下ろしています。
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この添牛内の人口も現在では40人ほどです。道路沿いで見かけた積雪で崩れかけた「廃屋」や倒壊した家屋の「残骸」「離農」「高齢化」そして「過疎化」というこの地域の現状を現していました。
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この町を覆う「天塩山地」はまだ雪で真っ白です。この季節でも「冷たい風」が容赦なく吹きつけてきます。北海道の山間部はまだまだ寒く春への移行期間なのです。
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豪雪地帯で生き抜く人々の大切な足となった「深名線」。沿線は現役時代から駅の周辺は「無人地帯」「小さな集落」で形成され「赤字線の代名詞」となっていました。廃線から15年が経ち駅周辺からさらに人々が離れ今では鉄道が走っていたことさえ忘れ去られるほど「静けさ」に包まれています。それでも、厳しい自然を生きる北海道の人たちを支えた鉄道は「私たちの歴史」の中に深く刻まれているのです。