タイトルに惹かれて
パラパラと立ち読みしながら目についたのは「途中下車」の文字でした。この「途中下車」という言葉からは「一人旅」「ふらりと降りた見知らぬ駅」「立ち寄った知らない町」などが思い浮かびます。日常から遠く離れた空間に身を置く楽しみが感じられるのでお気に入りの言葉の1つです。いつか時間と余裕ができたら旅にでも出掛けたいと思いながら、今回は作家 宮本輝さんの若き日の「途中下車」のお話を読んでみることにしました。
パラパラと立ち読みしながら目についたのは「途中下車」の文字でした。この「途中下車」という言葉からは「一人旅」「ふらりと降りた見知らぬ駅」「立ち寄った知らない町」などが思い浮かびます。日常から遠く離れた空間に身を置く楽しみが感じられるのでお気に入りの言葉の1つです。いつか時間と余裕ができたら旅にでも出掛けたいと思いながら、今回は作家 宮本輝さんの若き日の「途中下車」のお話を読んでみることにしました。
途中下車-宮本輝 『二十歳の火影』から-
大学受験のために上京
友人と乗った東京行きの列車の中。心細さと不安の中、友人と二人で静かに窓外の景色を見ていました。しかし、後に彼らの様相は一変します。京都駅に着いたとき、ある女子高生が乗り込み、二人の隣の席に座りました。彼女は滅多にお目にかかれないような美人だったのです。
意識して落ち着かなくなった彼ら二人でしたが、友人が意を決して話しかけたのです。その後、三人で話すようになり「彼女は京都の大学を受験して伊豆の大仁へ帰る途中」であることがわかりました。彼女もうち解けてきて、最後には「三人が無事受験に成功したらどこかで逢ってお祝いしよう」などうれしい言葉と微笑を残して三島で降りていきました。
親不孝な途中下車
二人の心はその言葉にすっかり乱されてしまい「今年は受けてもたぶん落ちると思う」「1年浪人して来年京都の大学を受けたい」と本気で言い出し、東京での宿泊費を「あの子がいる」伊豆の旅にまわすことにして熱海で降りてしまったのです。これはずいぶんと親不孝な途中下車ですよね。
二人の心はその言葉にすっかり乱されてしまい「今年は受けてもたぶん落ちると思う」「1年浪人して来年京都の大学を受けたい」と本気で言い出し、東京での宿泊費を「あの子がいる」伊豆の旅にまわすことにして熱海で降りてしまったのです。これはずいぶんと親不孝な途中下車ですよね。
彼ら二人は伊豆の温泉につかりながら伊豆の大仁のどこかにいる「きれいな女子高生」を思い浮かべていました。住所も電話番号も教えてもらっていたのに、二人はその紙切れを見つめるだけで何もしませんでした。
半年後の電話
もちろん大学には受からず浪人生活が始まります。それでも、二人の心の中からは「電車で知り合った女子高生の面影」は消えることなく、逢うとその話ばかりしていました。彼女が京都の大学に受かったかどうか気になって仕方がなかったのです。
もちろん大学には受からず浪人生活が始まります。それでも、二人の心の中からは「電車で知り合った女子高生の面影」は消えることなく、逢うとその話ばかりしていました。彼女が京都の大学に受かったかどうか気になって仕方がなかったのです。
それから半年後のある日、じゃんけんで負けた方が彼女の実家に電話をかけることになりました
以下は抜粋です。私が負けて、ダイヤルを回すと、ちょうど何かの用事で京都から帰ってきた彼女が出てきた。無事試験に合格し、京都の親類の家に下宿しているのだという。 「ところで、あなた、二人のうちのどっち?」 と彼女が訊いたので、私はほんの冗談のつもりで友人の名前を言った。 すると、しばらく考えて彼女はこう囁いた。 「逢うのなら、あなたと二人だけで逢いたいな」 私はだまりこくったまま、じっと電話をにぎりしめていた。そしてそのまま電話を切った。 18才の私は打ちひしがれて、ほかにどうしていいのかわからなかったのである。
何度も目を輝かせながら友人は「彼女の近況」を尋ねてきましたが、「彼女は受験に失敗して働いている」「もう電話などしないで欲しい」と言って電話をガチャンと切られたと嘘をついたのです。友人は「見事にふられたなぁ」とペロリと舌を出して笑っていました。
確かに、自分を振り返り、そう言えば「そういう恋愛の終わりってあるよな」と思いました。「電話を切ったときの気持ち」「友人に嘘をついたときの気持ち」がまるで自分のことのようにわかる気がしました。
最後に著書は次のようにエッセイを締めくくっていました。
このことはいつまでも私の中から消えなかった。自分がついてきた数多くの嘘の中で、この嘘だけは決して自分でも許すことができなかった。私がいまそれを文章にできるのは、にっくき恋敵であるその友が、交通事故で死んでからもう10年たったからである。
初めての「途中下車」は「恋」そして「嘘」が重なって忘れられない経験として心に残っていたんですね。人によってそれぞれの途中下車があることにも気づきました。それぞれに辿ってきた道のりも違うのですから、途中下車によって感じることや思い浮かぶことだってきっと違うんですね。このお話はなぜか何回も読み返してしまうほど気に入っています。