注目される廃線跡
最近廃線跡や廃駅が一部の間で注目されているようです。でも「そこに惹かれるのはどうしてでしょうか?」それは・・・今はひっそりと佇む地域も、かつては多くの人で賑わっていたという「時の移り変わり」を感じることができるから・・・だと思います。松尾芭蕉の句にある「夏草や つはものどもが 夢の跡」のような気分をかき立てるものがそこにはあります。
1980年代は国鉄再建法そして民営化に伴い、多くの路線が惜しまれながらも廃線を迎えることになりました。今回紹介する『名寄本線』跡もその一つです。

明治29年の「北海道鉄道敷設法」によってオホーツク沿岸の鉄道計画がスタートしました。『名寄本線』が開業したのは大正8年のことです。その後、昭和7年に遠軽町を始発とする湧別線を編入して、路線距離は廃止路線の中では最も長い部類に入る「全長143.0km」にまで及びました。 昭和37年に「急行・紋別」が遠軽-札幌間を走り、名寄本線は全盛期を迎えます。遠軽-紋別-名寄-札幌間の380kmを6時間半で結んだのです。今考えると、札幌まで「6時間半」とは途方もない時間と距離に思えますが、広大な北海道を結ぶ貴重な路線でした。 名寄本線はおよそ70年の間、厳しい寒さと風雪を克服する道北・道東の交通手段として活躍しましたが、1989年(平成元年)には全線が廃止され、その使命に終わりを告げることになりました。この時期、北海道では1400km路線も廃止してしまったため、鉄道網はほとんど幹線道路ばかりになってしまいました。
あれから20年が経ちました
廃線から20年が経過し、地元では駅跡を見直す動きも出てきており、駅跡もかなり整備されたと聞きました。そこで、実際に訪れてみることにしました。
大正10年の開業でした。現在は、ホームの一部と駅名標が残っており、この地に駅があったことを伝えています。昭和53年には既に無人駅になっていたようです。

線路跡は森林に覆われ近寄ることができませんが、この駅周辺は草刈もされてはっきりと確認できます。駅名標はずいぶん新しいので、最近になって設置し直したんですね。

線路跡は森林に覆われ近寄ることができませんが、この駅周辺は草刈もされてはっきりと確認できます。駅名標はずいぶん新しいので、最近になって設置し直したんですね。
「こむかい」と読みます。由来はアイヌ語の「コムケ・ト(曲がった沼)」です。確か近くに「コムケ湖」という湖があったはずです。

今は農業公園として整備され、駅名標の後ろには線路のレバーが設置してあります。

今は農業公園として整備され、駅名標の後ろには線路のレバーが設置してあります。
こちらは現役で活躍していた『小向駅』の姿です(wikipediaより)。1989年の撮影とありましたので、廃線の直前です。しっかりとした木造の駅舎だったんですね。


廃線跡を歩くと、駅がなくなった町は、同時に活気も失っていく印象を受けました。駅跡周辺がバスターミナルに代わっている地域もありますが、やはり衰退の様子は隠せません。駅は「町の顔」だったのかもしれませんね。
夏休み中に訪れた「秘境駅」「廃線跡」「駅跡」はこれで最後になります。いつも見ていただいた方そしてコメントをしていただいた方ありがとうございました。北海道でも特に道東はあまり知られていない地域ですので、少しも興味を持ってくれる方がいると嬉しいです。そんな思いで始めた「駅・廃線跡紹介」です。また気になる駅や路線があれば紹介したいと思います。
夏休み中に訪れた「秘境駅」「廃線跡」「駅跡」はこれで最後になります。いつも見ていただいた方そしてコメントをしていただいた方ありがとうございました。北海道でも特に道東はあまり知られていない地域ですので、少しも興味を持ってくれる方がいると嬉しいです。そんな思いで始めた「駅・廃線跡紹介」です。また気になる駅や路線があれば紹介したいと思います。