メタファーは比喩のひとつで、日本語では隠喩と呼ばれています。
「・・・のようだ」という形を用いず、あるものの特徴を他の物に例えて表現することです。
例えば、「人生」「愛」とは非常に抽象的でつかみにくい概念です。
ですから、人生について述べるときには次のような表現が使われています。
He's without direction in life.
「彼は人生で方向を失っている」⇒『彼の人生には目標がない』
I'm where I want to be in life.
「私は人生で行きたい場所にいます」⇒『私は目標が叶い人生に満足しています』
I'm at a crossroads ib my life.
「私は十字路に立っています」⇒『私は人生の岐路に立っています』
They will get a good start in life.
「彼らは人生の好スタートを切ることになる」⇒『 左に同じ 』
She's gone through a lot in life.
「彼女は人生で多くのことを通り抜けた」⇒『彼女は多くのことを経験している』
「方向」「行きたい場所」「十字路「好スタート」「通り抜ける」などの旅の表現を用いて
人生のようなつかみにくい抽象的な概念をわかりやすく具体的に説明することができます。
このように抽象的な概念を理解するときに具体的な事柄を用いて説明するメタファーは様々な表現で見られます。
恋愛でも同じです。例えば
Look how far we've come.
「私たちがどのようにやってきた見てみよう」⇒『(色々あったけど)今まで辿って来た道(経験したこと)を見てみよう』
Where are we?
「私たちはどこにいるの」⇒『いったいどうしたらいいの?』
We'll just have to go our separate ways.
「別々の道を行かなければならない」⇒『別れなければならない』
The relationship is not going anywhere.
「この関係はどこにも行かない」⇒『この関係がうまくいかない』
Our marriage is on the rocks.
「私たちの結婚は岩に乗り上げた」⇒『私たちの結婚は破綻だ』
このように「旅」の表現を用いて恋愛という形のない概念をわかりやすく表現しています。
適切な状況の中でこの文を見たり聞いたりしても、私たちは「2人は旅をしていて目的地がわからなくなった」とは思わず、やはり「2人はどうしてよいか恋愛で悩んでいる」と解釈するはずです。
これは英語学では意味論という分野で扱います。
上の例ですと、
「人生・恋愛」は‘target domain’そして「旅」は‘source domain’と呼ばれています。
つまり、難解な‘target domain’を理解するために、‘source domain’を用いることになります。
さらにこの2つの‘domain’には対応関係が見られますが、これを‘mapping’といいます。
‘mapping’とは、次のような-旅domain-と-恋愛domain-のそれぞれ1対1の対応が見られることです。
-旅 domain- ⇒ -恋愛 domain-
旅行者 ⇒ 恋人同士
乗り物 ⇒ 恋愛の関係
(私たちの結婚は暗礁に乗り上げた・・・ということは、関係=船です)
旅 ⇒ 恋愛中に起こる出来事
距離 ⇒ 恋愛の進展や発展
行く手を阻む旅の障害物 ⇒ 恋愛でおこる様々な困難
どちらの方向へ進むか考える ⇒ 恋愛でどうすべきか選択に迫られている
旅の目的地 ⇒ 恋愛の行き着く先
わかりにくい概念をわかりやすい事柄に例えるというのは日常よく用いられています。日本語でも「危ない橋を渡る」なんて言いますが、これも実際に「今にも崩れ落ちそうな橋を歩いて渡る」ことを意味しているわけではなく「危険なことを承知で色々と経験した」という意味ですよね。
他にも「考え」を「食べ物」に例えて
I just can't swallow that claim.
「その主張は丸呑みできない」⇒『その主張は鵜呑みにできない』
Let me stew over that for a while.
「しばらく煮込ませてほしい」⇒『じっくり考えさせてほしい』
That's food for thought.
「それは思考の食料だ」⇒『それは思考の糧だ』
というのがあります。このメタファーはかなり生活に浸透しているはずですから実際に使っている本人も気づかないかもしれないですね。