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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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美しく澄んだ 南国の青空に
モクモク白い雲が 浮かぶ
天を 眺めれば
爽やかな気持ち・・が
正午を過ぎれば 熱波
扇風機が ドライヤー
海面温度が 高くなる
台風の勢力が 衰えにくい
モンスター台風の襲来が 怖い
若い諸君
以前の夏 30年くらい前は
日本もフィリピンも
こんなに 暑く なかったんですよ
30度超えも
そこまで 多くなかったし
午前中は 涼しかった
灼熱地獄の 夏を生きる
若い人よ
大人が 語る 夏の憧憬は
「恵まれてた時代 だった」
気候が もう 昔とは 違うので
やせ我慢大会を
いまだ 開催中の大人は
そろそろ 大会終了
死んじゃうから
「夏子 もう ええやろ
そろそろ 旅へ出る 頃やで」
てな訳で
シンガポールへ小旅行
変わらず緑溢れる国
全ての物価が高かった
それでも クラークキーの
運河沿いのレストランは
楽しめた
固くなった アタマを
ほぐす意味でも 効果的な旅
旅で もって 心を 刺激する
誰にでも
受け入れられるような
「理想」を目指すのではなく
たとえ手に入らないものが
あったとしても
自分らしく生きられる道を
進んでいかなくては
明日が来ることを
楽しみにはできない
失敗を恐れて
自分自身を傷つけ続けるより
自分らしく挑戦し
もがく苦しみの方が
幸せなのではないか
そのために
今持っているものを
手放して
「日本から逃げよう」
と思った
自分を壊さないために
ダバオで長居し
一人暮らしている
その先が
どう良く変化していくか
なんて 誰にもわからない
だからこそ
自分の心が違和感を抱いた
その時は 良い方向に
自分を変えられる
機会だとも思う 移住
何歳になっても
変化していい

誰だって
いつだって弱い
だから時には
立ち止まったり
休んだりしなくちゃ
辛い時は
誰かに助けを
求めるべきだし
逃げていい
そして自分のペースを
大事にする
1人暮らしの良さだって!
他の人に
迷惑をかけるような
ことをしない限り
自分がやりたいことが
できるのが 良さかな
誰かが家で待っていたら
気軽に出かけられないし
家族と一緒に過ごすことで
得られる幸せもあって
それは素晴らしいこと
でも 家族の幸せと
1人暮らしの気楽さは
両立できない
自分は
その気楽さを選んだ
1人で
ご飯を食べたいときは
1人で食べるし
寂しいときは
自分から誰かに
連絡することもできる
たっぷり寝たければ
誰のことも気にせずに
お昼まで寝ても良い
それが楽だし
自分には
そのスタイルが合っている
1人の楽しさは
1人の寂しさと引き換え
何かを犠牲にすることで
何か良いものが入ってくる
あんまり先の
不幸なことを
考えないようにしている
未来に不安を抱くことって
大事かもしれないけど
何か楽しみが
奪われてしまっているように
感じてしまう
マイナス思考に
なってしまうし
ああなったらどうしよう
こうなったらどうしようと
考えるよりも
なるようになるさって
思った方が良い
70代って言っても
1人ひとり体力が違えば
育ちも違う
その人の趣味嗜好も
違うんだから
年齢なんて関係ない
無理をしているようなら
疲れるだけ
無理をせず
自分らしくあることが
「若いころに
戻りたいですか?」
こんなことを
訊いてくる人もいます
自分の答えは
いつも決まって
「いいえ」
決して強がりではなく
若いころに戻るなんて
まっぴら
20代のころの
何も知らなかった
自分に戻って
どうしろというの?
いまの自分を
作っているのも
これまで積み重ねてきた
年月があるから
こんな貴重なものを
捨ててまで
若くなるなんて
そんなもったいないこと
できない
「あと10歳若かったら」
なんて考えるだけ
時間の無駄

自分は
「あるがまま」を受け入れて
「それならどうする?」
目の前には
「いままでと違う自分」がいる
そう考えると
何か新しいことが
始まるような
気がしませんか?
「自分のことを
ちゃんと 分かってくれる
そんな人たちが
いるところで 暮らしたい」
そんな 気持ちが 強ければ
フィリピンは セーフ

わざわざ行かない街
縁もゆかりもなく
これといった観光地も
思い浮かばず
そんな場所ダバオで
今 何かが起きている
静かで にぎやか
懐かしくて 新しい
素朴なままで
洗練されている
アンバランスなようにも
感じるけど
それこそが ダバオの魅力
ダバオの街は
変わろうとしている
途中なのだ
もしもここに住んだら
どうなるかな?
そんな妄想をしながらの
旅も面白い
縁もゆかりも
自分で作ってしまえばいい

「世の中や
周りの人間に
惑わされない
自由な気持ちを大切に」
その言葉の通り
褒められても
けなされても
気にすることなく
自分ができること
やりたいことを
自由にやればいい
ごはんを食べにいく
会みたいなのに
誘われたことで
なにひとつ
興味も接点もない場所に
ひとりでのこのこ行くので
疲れ果てた
でも それも
いい経験だったし
ありがたく思っている
どういう感じのところに
深入りしないほうがいいか
なんとなくわかってきたから
自分を楽しませるものを
見つけることではないか
自分を楽しませるのは
自分しかいない

南国の果物は
エロく匂う
エロいは うまい
ドリアンが
シーズンを迎えた
精力増強果実
誰にでも 当てはまる
正解なんて ない
ここに
おおらかな年寄りが いる
好感を持てる
そんな人は やさしい
年寄り扱いされるのは
好きじゃないようで
若々しい雰囲気があり
アクティブに 旅もする
パソコンを 使いこなしたり
「アミちゃんと同じ
携帯電話が ほしい」と
スマートフォンを 持ったり
遊びに行くと
「ランチを作ったよ」と
お洒落な もてなしを
してくれたり
こんな
歳の取り方もある・・ と
思わせた
フィリピンでの
日本人 老い人の存在
団塊なら みんな
老いと向き合っている
PCは 古くなり
新しいアプリが 開けない
うまくメールが うてない!
足が痛くて 歩けない!
目がくしゃくしゃで 読めない!
頭が 理解不能!
もう まともじゃないんだよ
この先 どうしたら・・
でも 自分の生き方
生き方 死に方を
つかむための道程
正解とか 常識とか
フィリピンでは 曖昧
大切な人が いて
仲間がいて 面白くて
好きな家で
生きていられれば
それで十分
一人を 嫌がらず 楽しむ
「いのち」が
体と心を包んでいる
「生きがい」という
問題も ある
「生きがい」の発見とは
居場所の発見
どんなに
才能や経験が あっても
居場所が なければ
「生きがい」は 花開かない
「人間の生活」を
見据えている人は
生活の中に
量ではなくて
質を見ている
「量的」な ものには
代わりがある
「質的」で あるとは
ひとつしか ないもの
自分の「いのち」
「いのち」を
見つめる姿勢を 取り戻す
「長生きすることよりも
元気でいること」
老いたとしても
一人だとしても
自分の中で
満足感をもって
日々を重ねていくことが
できる
1日の時間を
自分の自由に使えるのは
何物にも代えられない喜び
さみしいとは
まったく思いません
できないものはできないと
さっさと割り切ってしまう
今を楽しむことが大事
自分が楽しければ
経済的な豊かさだけが
人生の目標ではないだろう
「自分らしく生きること」は
経済的に豊かになって
自分の欲望を
満足させることと
同義ではない
だが 自分たちが
この社会で
生きていくための
原動力は多くの場合
欲望である
誰もが知っているはず
この世は理不尽
努力はいつでも
報われるわけではない
犯罪や災害 病気
そして死は
誰にとっても
すぐそばにある
生きる苦しみと向き合い
苦しみの源泉にほかならない
欲望を否定し
エゴを超えていこうとする
心穏やかに生きるために
なるべく欲望を
「あきらめる」ことで
苦悩を少なくしようとする
どうにもならないことを
どうにもならないと
「あきらかにする」
高齢になると
近いところに
助けてくれる人がいることが大切
事故や体調急変
災害などいざという時に
放置されかねないような
環境は危険です
またそういう人がいれば
面倒な作業や手続き
力仕事なども
代わってやってもらえる
守られてないと
生きていけないみたいな
好きなものを食べて
心をときめかせるのが
一番の養生
今晩は 天丼にビール
いればいい
疲れたら
立ち止まればいい
一生自分を
大事にしてあげられるのって
自分しかいない
何事も決めるのは自分だし
本当に嫌だったら
逃げていいし
でも逃げた自分が
嫌だったら
またチャレンジしてもいい
そんな風に素直に生きても
いいのかなって
それを否定する人とか
周りがどうこう
言っているとかは
気にしなくてもいいこと
みんなが自分の人生を
大事にできれば
相手の人生にも
優しくできるのかなと
こうして 今日が暮れてゆく
草の葉の上で陽の光が
徐々に輝きを失い
物音が静まり
いつか過去が去り
未来が自分に寄り添って
くる
草木の無口な囁き
肌に触れる記憶の風
意味を逃れて
自分は世界に身を任せるが
この夕暮れの静けさに
まだ言葉の未練







