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       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
    
        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」 
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愚かにも
時間をかけて
あまり緻密ではない
老人が
なんとか かんとか
フィリピンまで
辿り着いた

ダバオ市で
暮らしている
日々の暮らしを
自分は悠々生きている

『自己責任』という
言葉が 日本で増えて
社会的弱者が
追い込まれるようになり
憤りがあった

自分が子どもの頃
長生きが良いことだと
教えられた

お年寄りを敬う…
それが最近
お金がなくなってと
不安が あおられ
高齢化の問題の怒りが
年寄りに向かっていた
危機感があった

この狭い日本が
全てでは ないと
感じていた

 



正解が
わからないなかで
日本の可能性を捨てて
異国に可能性を取る
ことを指していた

異国の不確実性を
受け入れることで
自分は はじめて
何かを決められる

何が起きても
それを受け入れよう と
決意することで
自分は前向きな気持ちで
移住に決断を下した

どんな決断にも
間違った判断をする
可能性がある事実を
冷静に受け入れられる
そのようになる人生は
科学のように正解を
導けるものでは ない

ダバオ移住 間違った
判断をしたとしても
少なくとも
自分は 危険を承知で
大胆な決断をする
勇気があった と
過去を振り返られる

 



自信を持つことは
異国で自由を楽しむ術を
学ぶこと
自由を楽しむ力が
自分にあると知るには
特別な喜びがある

なぜなら ダバオには
ちいさくて だいじな
ひとり ひとりの
こころの断面が
みっちりと
詰め込まれている

そして それらが
簡単には
つながりあえないこと
そのうえで
「だけど つながっている」
という事実も
さりげなくあって
その真摯さに
邦人のひとりとして
すごく励まされた

 



こころ動かすのも
動かさないでいるのも
大変だし

見つめるのも
目をそらすのも
命がけ でも やっぱり
手放しては
いけないものがある

めんどうでも
想像しつづけて
こころを動かし
つづけなくては
いけない

容易では
ないからこそ得られる
とても ちいさなもの
外に出て仲間と
楽しい時間を
過ごした時には
これがしたかったんだな
という瞬間

 



自分が選んで
ダバオに行った
ひとり暮らしは
自由に時間が使えるし
自分の心配だけしていれば
いいので
気持ち的には とてもラク

さまざまな
背景を持つ邦人たちが
悩み惑いながら
一歩を踏み出していく姿

移住契機と呼べるのは
とりあえずの後書きに
記したように
「穏やか」で
「囚われる」自由

こうした魂による
ダバオへの繫がりは
誰にも 否定しえない
にも かかわらず
ほとんどの人は
それを見ていない

いい加減さ さえ
感じられるダバオに
自分は いっそう
惹かれていた



少しでも
楽しく生きてゆくためには
一人 一人が 少し優しくなる
寛容になるべきでは
ないでしょうか?

「今の日本で
   一番必要なものは?」と
訊(き)かれる
「親切」ですと
答えることにしている

この世で一番大切なものは
親切であるというのは
長く生きてきて
骨身にしみた教訓

今の日本人が
失ったのは
「親切の作法」ではないか

 



70年も 
生きていると
あれは もしかして
運命に
なり得たかも?って
の出会い

だけど 
気付いた瞬間に
手を伸ばさないと
雑踏にまぎれちゃう
考えて立ち止まってたら
もう遅い

好きなものに
出会った時は
なんでか分からないけど
見るだけでドキドキして
ぎゅっと
心つかまれたかと思えば

心臓だけが
体から飛び出て
しまいそうな ほど
大きな勢いで
ぐんぐん
引き寄せられてしまう

さらに それらは
簡単には離れずに
一定の距離を
保ちながらずっと
自分の周りに
いるような心地
「好き」の先にある
出会い



どこが好きかは
たっぷり話せても
なぜ好きになったかを
言葉にするのは難しい

しっかり
説明できれば
いいのだけれど
先に動く心も また大切
一度好きになったものは
姿や距離が かわっても
自分の一部になる

オレに大切に 
オレに大切に
どうか 大切にされて
ほしい



時代がひっくり返った
現代としか 言えない

その前の時代
昭和に生きてきた
自分のような人間は
どうしたら良いだろう? 

これまで長年培い
正しいと信じてきた
価値観をひっくり返し
新しい現代に
乗っていくのか? 

その労力に
耐えるのは難しいと
現代に精通した
人間と組んで
生きていくか? 

あるいは
過去の時代から
一歩も出ることなく
自分のやり方を
貫いていくか? 

その場合 
現代とぶつかり
摩擦が起きるたびに
傷つくのか
孤高に浸る必要が
出てくるだろう

いずれにせよ
どの道もなかなか
険しそうだ
年齢が行動力を
削いでいく

年齢を重ねれば
ワインのように
熟成できると
思っている人がいる
だが 酢になるのが
関の山だ

70歳を越えた
人間にとっては
耳の痛い台詞

酢ではなく
ワインになるには
相当なエネルギーを
要するのだろう

月並みな努力では
難しいように思う
しかし 何も年齢と
争わなければいけない
ということでも ない

惰性に
転がってしまわず
歳を重ねながら
熟成できる
生き方が ある

生き方に 貴賤はある
「生き方」を極めたい
人間としての
振る舞いに
品格を持つ「生き方」



「嫌なものは嫌」

「しょうがない」が
増えてきたら要注意
それは わかってる

現代を渡るに
このせりふを
聞かない試しが
ないのも 本当

平凡なことを
毎日平凡な気持ちで
行うことが非凡だろう

「うその自分で
   愛されるよりも
   本当の自分で
   嫌われた方が いい」

「大体 本当の自分て
   何なんですか?」と
問われてしまえば
言葉に詰まる

本当の自分って
考え出したら
なーんにも
残らないような
感じがして
訳が分からない

「自分ガニコニコスレバ 
   自分モ嬉シクナッテ
   ニコニコスルノダ」

「自分ガ怒ルト
   自分ハコワクナルノデ 
   スグニ自分ト
   仲直リスルノダ」

「自分ハトッテモ
   傷ツキヤスイカラ
   自分ハ自分ニ
   優シクスルノダ」

「自分ノ言ウコトサエ
   キイテイレバ
   自分ハ自分ヲ
   失ウコトハナイ」

毎日懸命に
何が好きで 何が嫌いか
自分のいうことに
耳を傾けていること
なんじゃ ないかと

自分らしさって
結局 その積み重ね
なのだろうネ



自分は昔から
感情の起伏が
あんまりない
表面的には
喜んでいるんだけど
実はそこまでうれしく
思っているわけではない

涙を流しているけど
そんなに悲しんではいない

怒っているけど
もう1人の自分は
全然怒ってない

そんなところがあって
自分の中には
何人かの自分がいて
1人は実際に
この世に生きていて
いろんなことを
経験している 自分

もう1人は
自分に起こって
いることの全てを 
ただ じーっと
傍観しているだけの自分

その自分には
感情は あまりなくて
ふーん て 感じで
ただ見ているだけ

ずーっと ずーっと
奥というか
遠いところには
ただ生きてる だけで
うれしくてしょうがない
自分みたいなのが
存在している

ただ生きてる
だけで うれしい
自分みたいなのは
最近発見して
こんな自分も
いたんだなぁ と

若い頃は
何事も ふーん
ていう自分自身を
傍観するほうが
勝っていたので

何 考えているか
分からないと・・
言われた

年齢を重ねるにつれ
自分の中にある
感覚的で複雑な部分を
だいぶ言葉で
伝えられるように
なってきたので
ようやく人間ぽい
会話が取れる



「良かった時代は?」
と 聞かれたら

間違いなく1983年
東京ディズニーランドが
開業した年で

当時 自分は30歳
給料はどんどん上がって
いたので 職場で
嫌なことがあっても
頑張れば報われるから
何かあっても
耐えることができた

あの頃は
欲しいものが
たくさん有った

円がまだ安く
海外旅行は
憧れだったけれど
日本は最強だと
信じることができ
暮らしが充実した

みんなが
欲しいと思うものがあり
多くの人が孤独を感じず
生きることが できた
そんな時代だった

変化を感じ始めたのは
1998年
欲望の低下が起き始め
次第に上流と下流に
分化していく

野心がなく
意欲の低い若者の中から
下流化する人たちが
増えていった

なぜ「下流」は
生まれたのか
その一因は欲しいものが
何もない時代になって
しまったからだろう

今や
100円ショップに行けば
たいていのものは
そろってしまう

ファストフードや
安価なレストラン
コンビニフードが増え
いつでもどこでも
食べられる

見たい映画やドラマも
いつでも見られる

便利で速くて安いものが
増えた一方で
どうしても欲しいものは
なくなっていった

結婚も恋愛もセックスも
してもしなくてもよくなり
欲望は個人化して
みんなが欲しいと
思えるものがなくなり

その結果
孤独を感じる人が
増えた



「お金がないから
   遊べないんじゃなくて
   遊ぼうとしないから
   遊べないんだ」

「遊ぶ」って
パワーがいる
時間を作らなければ
ならない

お金も作らなければ
ならない

他人と遊ぶなら
気も使わなければ
ならない


「遊び」が
心豊かにしてくれる

「遊ぶ」ことによって
今まで自分が
知らなかった世界を
発見できる

自分が知らない価値観を
知ることもできる

何より 楽しい
遊べる自分がいることが
いいのかもしれない

年上の人とばかり
遊んでいると
葬式 入院 病気と
遊べなくなる人が増える

いずれは
自分もその仲間入りを
するのかもしれない
自分が元気なうちは
遊べる人が
増えるほうが楽しい

だからこそ 自分は
「遊ぶ」ということを
大事にしてる

遊んでくれる人を
大切にしてる



因果はめぐるから
物事が起こって
しまったときに
リセットしたり
上書きしたりして
何もなかったことには
できない

くよくよしても
始まらないと
積極的に前向きになって
根性論でがんばろうと
押し通すのでは なく

みんなで くよくよして
立ち止まり 総括して
詮索しようじゃないか と
自分は思っている

現実は正解
時代が悪いの
世の中がおかしいと
いったところで仕方ない

現実は事実
現状を理解
分析してみろ
そこには 
何故そうなったかという
原因がある

現状を認識して
把握したら
処理すりゃいいだけ

シングルマザーや
子供たちの貧困を
はじめとする格差

日本の場合は
顕在化するまでに
時間が かかる

よくいえば
我慢強い
逆にいうと
結局は自分が
悪いのではないか と
自己責任を感じてしまう
そんな人が多い

そこに生きづらさが
あるのでは ないか
誰もが自分の弱さを認めて
お互いをカバーしあう社会
フィリピンのように
なってほしい

自分の弱さを認めることが
本当の強さにつながる
甘えられる社会の
必要性を感じる

フィリピン 今日も
ヌルい風が吹いている
みんなが優しい
他人を許す事に
なれている人たち

勘違いするほど
人と人の距離が近い
ホッとする



何を信じればいいのか
わからない時代に
視野狭窄になって
陰謀論に染まったり
フェイクニュースを
信じてしまう人も
いるかもしれない

必要なのは
それをたたくこと
ではなく
賢い考え方や
生き方とは?と
考え続けること



その時 その時に
自分の心がやりたいと
言った時には
素直に従っている

自信が ついてから
なんて言ってたら
新しいことには
挑戦できないし
飛び込んだら
あとは誠実に
そして必死に
できるまで
やれば いいだけ



風俗に
救われていた

人生でつらいとき
好きなプロレス
美味いメシ
キレイな景色
友人とのバカ騒ぎ
色んなものに
救われてきた

その中の一つが
風俗だった
確実に救われたのか
といったら
そうでは なくて

現状は
何も変わってない
でも なんとか
やっていけるような
気にさせてくれる

風俗とは
救いのようなものだった
ステキな時間の無駄遣い

そうしてきたから
すべての経験が糧になって
今の自分がある



挑戦せずに 後悔する
新しい事に挑戦するとき
異国の社会に入るとき 
受け入れて
もらえるだろうかと
緊張する

不安なとき
人は背中を丸めてしまう
そして その後は
きっと自己嫌悪に陥る

心の中は
自信がなくてもいい
いつか心が追いついて
きてくれると信じて

ただ背筋を
伸ばすだけでいい
それだけで人は
輝いて見える



フィリピンでは
ビールが安い
日本の1/3

「人は何で
   酒を飲むのでしょう」
という曲がある

その曲の内容は
「ちょっとだけと
   言ってても
   もう一杯!となる」

「飲むうちに
   明日のことは
   どうでもいいやと
   なるのが常」

酒好きにとっては
うなずいてしまう
いとしさと哀愁に満ちる

自分はお酒が好きで
毎晩呑む
どこかの店で飲むことは
今では 滅多になく
誰かと飲み食いすることは
月に一度あるか ないか

ほとんどの日
夜は家にいて乾杯

その夜のアテが
魚系なら焼酎だし
肉系や粉もんならビール
イタリアンならワイン

そんなお酒類は
できるだけ安物で
難しい理屈抜きで
ガブ飲みが好き

夜の習慣
もう何十年も
そのペースで
「休肝日をもうけよう」と
考えたことも ない

さて ここで冒頭の
「人は何で
   酒を飲むのでしょう」

こればかりは
驚くべき事実だが
世界中に地酒がある
日本酒があるように
テキーラ ラム ウオッカ
ジン マッコリ バーボン
スコッチ

そしてものすごい種類の
地ビール
そんなものがなくても
人類は機嫌良く暮らせて
いたんじゃないのか?

いや いや
ストレスは溜まる
きょう一日の暮らしで
気持ち袋に
「嫌なこと
   忘れたいこと」が
イヤが応にも
詰め込まれている

人間はそんなモヤモヤを
何かの方法で消さないと
やっていけない

だから酒を飲む

そして
「本日のあれこれ」を
すっきり忘れて
明日また機嫌良く暮らす

そういうヒトの本性が
世界各地に
その地にふさわしい
酒を生んだ

今夜もまた 自分は
夜のバーボンタイムを
過ごしながら
これを書いている
決して泥酔はしない

ほんわかと心地良く
夜の自由時間を
漂う感じで
「ワールドスポーツ」で
大谷選手の活躍を見たり

猫たちのあくびを
目撃しながら
書き終えたら
寝ようと思っている

「人は何で
   酒を飲むのでしょう」
…答えは

「おいしい上に
   イヤなことを
   忘れられるから」と
わかっているが

あえて
「何で飲むんやろなぁ?」と
思いつつ 飲むのが
楽しいからかも
しれない