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       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
 
   
        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」 
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ホタルの乱舞が終わり
紫陽花が花を咲かせる
雨にぬれて美しさを増す

満開の紫陽花咲く頃
吾はただ蛍となりて
空へ逝(い)きたし

いつもニコニコ
怒らない 怒らない
死ぬ直前まで
元気で動いていたい
それだな 最高の老後
死ぬまで 上機嫌

コロナで年寄りは
「いつ死んでも
   おかしくない」
その状況を
目の当たりにした

持病にコロナが
追い打ちをかけ
老人の死を急がせた

いつ何があっても
おかしくない
だからこそ健康に
気をつけなければと
強く実感した

食以上に
健康で気遣うのは
遠い展望じゃなく
明日を楽しく生きたい
その気持ち

明日 女と会うから
元気でいなきゃとか

先を見通せない
毎日を生きている

コロナの完全な
終息はない


 
 

だから 元気に
一日が無事終わったら
また 次の一日を

小さな張り合いの連続が
健やかな生をつなぐ

パートナーを
持つ世界にも
興味を持てるし
結果 毎日が
ゆたかになる

与えたり
与えられたり
暮らしの中に
小さな喜びを分かち合う
ふたり単位で楽しむ
新しいシニアのかたち

若い友達にも
惹きつけられている
太陽のように輝く女




歳取れば 明日も

生きられるなんて
誰も保証していない
悲愴感では ない
みんなが知ってる
唯一の真実
限りある生と死

晩年を否定しない

ダバオで
人生を休息してる
サボりではない

朝起きて 生きている

目覚めた 今日を
感謝しどう過ごすか
昨日が あったから
今日が あって
明日が あるから
今を 懸命に生きる

自然体で暮らす
見栄を張ったり
自分にできないことを
背伸びしない
自分にできることを
楽しみながらやる

冷子じゃないよ 冷コ
と言っても通じないか
アイスコーヒー作った
で 一息ついてから 
さて・・

一人で
時間を過ごすことが
苦にならない
一人の時間を満喫

世の中では
こういう感覚の

老い人は 少数派

「高齢者が
   一人ぼっちだなんて
   寂しい」と いった
否定的なイメージを
持たれている 
哀れみの優しさ か

だったら ほっとけ
余計なお世話だ と 
意気がっている

一人暮らしは
そりゃ寂しい 痩せ我慢

でも「自由」
この側面に
目を向ければ
一人暮らしの
よいところを得心し
最大限に享受できる

若い国フィリピン
地縁も血縁もない
ダバオに移り住んだ

 

ゆったりした郊外
「便利」「効率的」と
いうよりも
「滞在」という言葉
見知らぬ土地で
生活を整える必死でした



 

人数は少ないが
団塊の仲間が

ダバオに永住してた

いい店は ダバオにも
あるけれど 高いし
1軒だけということも

多様性に富んでいて
選択できるという
東京の大きな魅力を感じる
だが あえて 東京現実逃避

人生の

ご褒美タイムの 今
有り余る時間がある
だから いいお米屋と
コーヒー豆屋と
パン屋は 時間をかけて
ゆっくり探せば いい

生活の足だった
車は手放した
維持費がかかるし
事故の補償は無い

その代わり タクシーは
申し訳ないくらい安い

ゆるやかに
人付き合いが増え
そして 今
同年代以上に楽しいのは
若い女達の存在



 

ギラギラ好奇心に
年齢は 関係ない

年金 ひとり暮らし
お金がなくても
日々の作りかたはある
自分の中に足りるという

軸を持てた



 

こんな高いメシ
食いたくない
なんだ このコーヒー
昼飯が食える金額

それでも
朝からスタバには
多くの若者達が

おまえら何者なんだ

大方の人間は
自分の存在についても
相手の存在も
解らないまま
解ったような顔して
生きている

そんな自分の全貌が
解らないから面白いし
それを創造するのが
人生じゃないか

 

ふ〜ん

だから自分が
「何者」だ なんて
どうでもいいこと
考えたって解らない
それを知ることは
神への冒涜 かも

カタイこと言うな



 

強気な事を言っているが
川の流れや遠くの山並み
老境に入ったんだもの
生まれ故郷の風景を
ことさら懐かしむことは
あるよ



 

ご飯を食べて
シャワー浴びて 寝る
朝 少し運動して
ふらっと外を歩いて
通りすがりの人と
笑顔で会釈……

もう それだけ

東京にいる時と
生きる情感が変わった

歳を取ったせいだよ
そうかも しれない

ダバオの地で 何を想い
何を感じてきたのか
自分の言葉で
解らない自分を
ブログで語ってきた

いつまでも
ダラダラやりやがって
と 言われるんですけど



 

少しは読者が
いてくれるんでしょ

堂々と続けてください

おお向こうから
「もういいです」と
言ってくるまでは
ということね

いくつになっても
色恋沙汰のブログを
書き続けたい



 

どんなふうに老いて

自分の顔変化していくか
なんてわからないし
そんなこと考えてたら
生きていけない

だったら 知らない
関係ないっていう態度も
必要なのかな

隠しようが無いもん
悪くなった身体を
修正するのではなく
否定せずに受け入れ
自然体で付き合う
眼鏡もそのツール

現れた身体的な
ハンディキャップが
自分のキャラクターを
変えてくれる




心地よかった
ダバオの空気感なのか
一人だけど
一人じゃなくて

モールの店員さん
ウエイトレスの人
トライシクルの
おじさんとかと
笑顔を交わす



 

大家の家族も親切

ダバオの家庭とも
女とも仲良くして
もらっている

あなたは特別?
違う ダバオの人は
普通に付き合ってくれる

 

 

何も解らないダバオで
先人邦人に頼る選択

全て知ってる邦人に
頼らなければ
何も知らない街だから
そりゃ 苦労する

1人でやってきたから
出会いがあった
邦人に固執していたら
そんな経験できなかった

ひとりだけど
一人じゃない
それはダバオでの
生活で感じられた

その場 その場で
邦人の友達ってできた
移ろいゆく人達だけど
ちゃんと幸せに見えた

ダバオで 生きていく
気持ちが変わった

――どんな風に生き方が
変わったんですか?



 

何かこう キラキラした
美しいものだけが重要で
そうじゃなきゃいけない
日本の同調圧力みたいな
そんなもの
ダバオには無かった
見栄や虚飾はいらない
捨ててみたら なんと
喜楽が 初めて見えた

――自分らしくいたい
自分らしくしたい
どう見られるかなんて
裸の自分を曝け出せば
いい人だね に

なれるんですか

 

自分らしくが いい
そう言うじゃない
でも その自分らしくが
わかんないから
皆 悩んじゃう
間違っちゃったりも
相手に 優しくあれば 
それで いいんじゃない

老いは 自分一人で
人間成熟できる機会

自分の場合は
ダバオに生きることで
自分らしくなれた

周りに見栄はって
終始 気を使っていた
ダバオでは
自分を飾る必要ない
自分が居心地よく
相手も居心地よく
生きる事

なのかなって

――あなたとしては
そういうスタンスの
取り方が気持ちよくて
自分がすっきりする?

自分として生きたい
その感覚は基からあった
けど ダバオで過ごし
それが やっと出来た

大勢の仲間といるのも
日本語の会話も楽しい
現地コミュニティ関係に
べったりした執着心を
持つんじゃなくて
距離感を持ちたいなって

――距離感とは?

年齢も男女も問わず
人は移りゆくもの
来るもの拒まず
去る者追わず
集まったら
その時はちゃんと
会話をして それであとは
もう執着しない

――なるほど

世の中で
素敵って言われる枠に

はまろうとして
自分が平均化されるより
ちゃんと
自分のやりたいことを
一人で……やりたい

思えば無理に
平均化させなかった
おかげで 自分は
色んな事ができたし
そういうスタンスでも
気の合う人達に出会えた

情感の捉え方で
こんな風に変わる
人って多面的だから

人は見えてる部分や
イメージだけが
すべてじゃなくて
多角的に人を見ると
何か素晴らしい 隠れ
キャラクターを発見する

フィリピン娘との恋愛で
好きになり過ぎると
そこから執着しちゃう
束縛しちゃったり
勘ぐったり 嫉妬したり



 

好きになって
捕まえた途端
この女がいなくなったら
どうしようっていう
恐怖に襲われたり

そうすると

恋人に対して
ものすごく
何かを求めてしまう

でも 今 そうなったら
あなたは「大丈夫?」

今 女と一緒にいる
女っていうのは
心変わりするものだし

過去を忘れ 今を生きる
それが女の摂理

人が生まれて
死ぬことが
当たり前のように
人の心は移ろいゆくもの

言いたいし
聞きたいけど
一生一緒にいようねとは
言えないよ

誰でも

感情のコントロールが
きかない時はある
一生好きでいてほしいって
思うこと自体が
悪いわけじゃない

 

けど その思いが
強くなりすぎたら
きっと人は重くなり
離れていく


自分が

自立してるからこそ
長く一緒にいられる

 

だから 自分は

自立するってこと
自分一人で生まれて
一人で死んでいく
覚悟を持てるような
大人になりたいって

――あなたという人間に

深みが加わった?

これまでは 

一生懸命入れ込むだけが
素晴らしいことだって
思っていたこともあった

 

今は自分の時間を持つ
自分の中心に戻ってる

 

自分の中心っていうのが
一体何なのかっていうのを
知ることが大事なんだろう

 

好きになっても
好きになり過ぎない
ほどほど 好きだけど
別の場所や別の女を
好きでもいいんだよって
それはしょうがないねって

――執着しない と

そう そうすると結果的に
人は離れないんじゃないかな
でも 同時に人は
いつか離れてしまうもの
そのどちらもあって

当たり前なんだって
ダバオで思った時
重いモノが下りたような
求めてきた真実に

出会ったような感覚

小学一年生の時に

母親に問いただした

「勉強はどうしてするのか」

 

母さんいわく

「勉強するのは

   だまされないため

   殺されないため」だといった

 

ものを知っていることは

あぶないことを

回避できるという

 

危険な

シチュエーションに

巻き込まれても

生きていけるような

知識を豊富に

しておくことが

勉強なのだと話した

 

人は

「だまされないため

   殺されないため」に

勉強するのなら

 

大人になったら

だまされても

殺されても

いいわけではないので

一生涯勉強をし続けるべき

なのだなと改めて思う

言葉に「職人」

というのがある

ピザ屋より「ピザ職人」のほうが

格好いいように

この世のすべての仕事を

「〇〇家」か「〇〇職人」に

置き換えたら 誰もがもっと

自分の仕事を好きになれる気がする