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       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
  
  
        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」 
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ダバオと日本の六月は違う?

同じ 盛夏に向かってる

地球のどこにいても
新緑や天気のいい季節を
喜ばない人間は いない

真新しい芽や
葉っぱをみていると
キラキラしているなーと
季節に目を細めている

日本が 気になる 
政治が真面にならない
暮らしの物事が正常に
戻らない限り
国も国民も壊れていく

真の心の豊かさが
離れてから久しいが
政治に不満があるなら
何故 反対行動が起きない

生きにくい
生活が苦しいと
聞こえてくるが
そんな人 少数なのか

なら 救うのは簡単

大方の人は 暮らしを
「まあこんなもんだろう」
余裕があるのだろう 

報道は 幼稚化した
社会の隅をつついて
大騒ぎしてるだけ?

そんな事 気にせず 
知らんぷりして
日本で 老い先を 
突き進んで いけるほど
自分は 強くなかった



 

アレも駄目 コレも駄目と
同じ方向を向かせる風潮
自分の頭で考えさせない
SNSにある 恥ずべき投稿

お金を持っていない人は
価値が低いだって!?

バカいえ 正義中毒も
いい加減にしろと
吐き捨てたくなる



 

嫌なものは嫌
ああなりたくないな
決して 同じことを
思わなくて いい

「そうだよね」の後に
「でも 自分はね」と
付け加えて 良い

「儲かる」拝金でなく
誰かを愛し
誰かに愛される
「愛」にすることで
日本の崩壊は 止まる

浮ついた見方だと言うか

うさんくさいか

南国にいれば そうなのだ

自分の人生を
誰かのせいだと
愚痴った でも
何も変わらなかった
 
東京はもういい
お金がないと
楽しめない街だなと
だからと いって
そういうところが
嫌では まったくない
たまには
遊びにいきたい
 
今思えば 東京卒業は
人の命には限りがある
それを意識したから


 
 

貴重な余生の時間
「自分の老後を生きたい
   もう人のせいに
   しても仕方ない」

老いは
記憶と欲とを奪い去り
生を滑らかにする
代わりに
死への道行きをも
なだらかにしてくれる
人間も自然の一部だと

覚悟みたいな
重苦しいもんじゃない
ひと昔 軽やかに
ダバオ移住を決断実行
今 考え 振り返れば
なんとなくの直感だけ

「自分のタイミング」
いずれやってくる
自分のための機会に
備えて準備を続けていた

現地に
知り合いがいなくても
気が休まる場所に住める
それで老い先は充分

異国 フィリピンに
暮らしてるって いっても
大袈裟な もんじゃない 
地方都市ダバオの
小さな貸家で 
ビール吞んでの 一人三昧



 

何処で暮らそうが
生きていくのは大変だ
少しも油断はしていない

それでも
フィリピンは気楽
ダバオに住もうか
友達もいなければ
知り合いもいない
でも そんなこと
1ミリも
どうでも良かった

息付ける場所に住み
心を自由に解放する
そう出来れば 充分

DAVAOに
身を任せれば
きっと大丈夫
友達もできるし

後悔は 
するかもしれない けど

行動した後の
困難や後悔は
仮定に過ぎない
だから 一切 考えない



 

移住が上手くいったら
「御縁があった」
上手くいかなかったら
「御縁がなかった」と
考えれば いいだけ

 



普段の日本社会から
離れた場所で
長い老後を過ごす
自分に付された意味を
はがしていく経験

ささやかな 
楽しい部分を拾って 
これからを生きたい

そういうことが 自分の
人生に起きるのだと
受け容れる態勢を作る
それだけで移住できる

不安になるだけだから
お金のことは
考えないように と
先々のお金のことは
見て見ぬふり

なにも不安がらず
海辺でぼ~っとしながら
砂浜に太陽を浴びる

植物が作り出す

日陰に寝っ転がって
ゆったり流れる
雲を見ながら時を過ごす



 

何もせず
過ごす時間に心和らぐ
時間が経ち日が暮れたら
オレンジに変わる
夕陽に照る雲 見ながら
涼しくなった風を浴びる
最上級の いい気持ち

今の心が
今までで 一番いいなあ
この心がずっと
変わらなければ いい

体が言うことをきくなら
ずっと歩いていたい
もしこの体に
限界がないなら
今の心のまま永遠に
続いてほしい

ダバオには
サイゼリヤもなければ
日本のセブンと同じも
ないけれど
そんなこと
どうでも良くなった

 



これからも ずっと
この島で生きていく
今は 思うほどに
これから先も
一緒に過ごして
いきたいと思える
大切な人たちにも
出会えた

いい人間関係を基礎に
こころの高みを
目指すことができる

 



多少不便なところが
あったとしても
十分に充実した生活を
送っている

ダバオに住み
年金だけで暮らしてみた
生活できる事がわかり
お金の不安は消えた

「お金を使わずに
   時間を消費する」
それが キモかな

食べることで生きる
健康は一足飛びでは
手に入らず
日々の食に養われる
心身にとって
最高の「良薬」

 



自分の様な境遇の
ジジイには
ダバオが 丁度よかった

知らない街に住み始めれば
「未知の街の地図」を描く
怖いけど わからないけど
歩き回って 地名を憶え
ここは危ない所だとか

ここには
景色のいい場所がある
頭の中に
地図を完成させるように
街を探求していく

探れば
意外なほどに整って
手頃な街だとわかった

汚くて信じられない
ものばかりの街でも
信じられるものしか
見ないで生きるのなら
そこは 不安のない
美しい世界

周りから見たら
洗脳されているかも
しれないけど
自分の中では整っている

 



長くダバオに滞在する
経験をしていた
映画のなかに放り込まれて
周りが 宇宙人のような
笑っている人も

本当は
何を考えているのか
まるでわからない

コミュニケーションへの
違和感があったので
本当によくわからない
宇宙人と出会ったような
瞬間連続 ダバオ

年をとるというのは
自分にたどりつくこと
知り合いが そう言った

見栄や理想から離れ
自らの限界と
可能性を見極め
ありのままの
自分を曝け出していく

裸の自分を見つめ
無理して
大きく見せる事など
まったく必要としない
解るには老いるまでの
時間が いった

自分を受け入れ
周囲の人々や現実も
静かに受け入れる
自分を失わずに済む

自分も含め
「あの頃はこんなだった」
と言いがちで
ウンチクを披露したがる

年配者は
映画を早送りで見る
若者にはうとまれるに
違いない

だって調べれば
ある程度のことは
ネットで分かってしまうし
ジジイに聞く必要もない

ネットで知るなら
それもいいだろうが
知り得たのは
表面づらだけだろ

面倒くさいプロセスこそ
根が深いんだよ
レコードや
フィルムのカメラや
コーヒーのネルドリップや
片刃のひげそり……

忘れ去られる
かもしれない
プロセスを
もう一回ちゃんと
こなせることが
老いていく人には
できるんだよ

人生っていうのは
生身の人間が
あっちでぶつかり
こっちでぶつかり
ちょっと涙したり
こっちで倒れたり…
遠回しになるような
人生の方が 豊か

ワイン一杯と
タバコをおくれ

お祭りっていうのは
ずっとあると
思っていたら ダメ

ダバオの祭りカダヤワン
今年は 開催できるかな?
祭りをなんのために
やっているのかを
忘れてしまうと
続けられなくなる
思い出していけることを
やっていかなければ
消えてしまう



 

理想の
老いの暮らしなんて
めざしていない
そんなものないんだから
執着をなくし 自分らしく
生きていけている状態を
心掛ける

年齢を聞かれたら
「100歳未満」と答え

腐る程
「150歳まで生きる予定」
なんて冗談言ってる
でも それは地獄かもね
自分の周りに 今いる人は
みないなくなってしまう
わけでしょう?

人間は概ね
不老長寿を願うが
長生きは
何かをなすための手段で
長生きそれ自体に
意味があるとは 思えない
・・・どうなんだろう

70歳の古希以降は
いつくたばっても
悔いないように
毎日 ボーっとでもいいが
「それなりに」充実して
過ごした方が いいのでは

クソヂヂイなら いいか
バイアグラほどの
効用は望むべくもないが
ちょっと愛して
長ーく愛してと このブログ
読んでいただければ 幸甚

最近
しゃっくりしたことある?
しゃっくりは
老化とともに出なくなる

それを尋ねると
さっきまで体の悪いところ
自慢をしていた
ほとんどの人が
「えっ……たしかに
   最近してないかも!」と
驚愕(きょうがく)する

皆さんも「爺さん認定」の
指標の一つに使って みては

おまえは「大器晩成型」
無能な者を慰める
唯一の言葉
その言葉にずーっと
すがってきた 
バカだよなぁ

朝 目が覚めること
それが原点
寝たまま
目覚めなかったら
自分も気づかないから
それは それで
いいかもしれないけど

生きにくい時代に
自分らしくあるため
日常が大切に思えたり
頭の中が自由になるダバオ

日本よ いつまでも
子供では困るぞ
早う一人前の国になれ