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       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
 
   
        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」 
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独りの生活って
ちょっと 自分でも
思ってるとこもあって
常にクスッと どっか
自分を見てる

年齢を忘れて
はしゃいでとろ~ん
南の島暮らし

市役所の男性職員は
どの国に 住むのですか?
国名だけを 問うた

現地の住所も 連絡方法も
必要ありません と 言って
事務的に書類に記入し 
住民登録を 抹消した
手続きに 5分も 
かからなかった

職員は背を向けて
自分の席に戻っていった

どうぞ 勝手に・・か
冷淡な取扱いだな

「こんなこと
   してしまったが
   これで よかったのか?」

日本への納税義務 
福祉の恩恵からも 外れた
ただ 唯一 繋がる 年金

会社を辞めて 2年後
一人 南へ向かった
五十七歳の 晩夏

何をするか 
何をしないかも
決まっていない

飛行機が 
ゴツん 衝撃音をたてて
フィリピンに 着地した
小さな暗い空港だった
 
ミンダナオ島 ダバオ
ロビーを出た そこは 
暖かい残照に 包まれて
夕方の風が 気持ちいい

マンダヤホテルの
送迎用ワゴンが待っていた
 
ブロック壁とトタン屋根
または ココナツ葉の屋根
歴史を感じる 家々が
ポツン ポツンと見えた 

子供たちが たむろして
夕日を背に遊んでいる

島民は 
傍目を 気にしない
自由に 生活してる
人々が「素」で いられる
フィリピンのローカル



 

たくさん食べて 
吞んで たくさん笑う
やりたい 日々を 愛撫
それこそが 
自分に とっての
南国で老いを生きる
実感と 思い込めた

訪れた国が
好きだと 解らなくなって
嫌いだと すぐ 解る
きっぱり 言い切って 
みたが どうか?

でも!!

フィリピン『好き』って
ことにしておかないと
自分に言い訳が
つかないでしょ?

「あやうく 日本で一生懸命 
   老いを生きるとこ だった」

まことしやかな物言いや

有無を言わさず

押しつけられる東京の

真実への警戒感

たかが移住

高齢となった者が
わがままを貫きつつ
好きに暮らす異国の日々は
お気楽になれるのか

住居が変わったのを
きっかけとして
初心に戻ってブログなどを

書き始めたのだった



 

いえば これから
世の中ついでに生きてみる
そのような
のん気なお調子者
落語の与太郎といった
ところでしょうか

与太郎は

ぶらぶらしているばかりで

生産的なことはやらせてもだめ

まわりからは

愚か者だと思われているが

そうではないんだと

立川談志

 

ありとあらゆる欲望を

充たしてやるのが文明だと

思い 信じ 正義とか

正当とか称して

それに向って

突き進んでいる人間社会に

与太郎は見事なまでに

警告を与えている

 

人間は働くものだ

働かざるもの食うべからず

という世間の常識に潜む

誤りや噓を

与太郎は見抜いている

 

だから与太郎が

馬鹿なはずはない と

生産的な仕事は

できないかわりに

たいした欲も持たず

幸せそうにしている

 

まずは こういう

キャラクターになろう

ダバオでなら こういう一見

ぼんやりした登場人物に

なれるような気がした

 



洗濯物もすぐ乾く
何ともおトク感
ま それだけの
ことなんですけどネ
「それだけのこと」で
ウキウキしている
自分に笑える



 

知らない国
右も左も分からない街
自分が小さく感じるもの

 

何もない場所に暮らせば
自然と自分を見つめ直す
そして 何が大切なのか
解りかけてくる

 

あぁ 青く美しい空
悠々たる雲
澄み切った海
巨木な木々の緑
なんて 惚けていたら

いきなり
東京の仲間から
電話が来た

「あんたっ
   いつ戻るのよっ
   もう帰ってこないつもり」

「いや いや
   いろいろこっちであってね」

そう言ったら
いきなり叱られた

 



「あのね あなたは
   もうトシなんだから
   ふらふらしてないで
   自分の最期の場所を
   決めなきゃ駄目なのっ」
だって

思わず
「えっ あなたは
   決めているの?」と
聞いたら

 

すかさず返ってきた

「当たり前
   だからここにいるのっ」
   
そこは 彼が入っている
高齢者施設

「どうすんの」

大丈夫 と伝えて
電話を切ったものの
「最期の場所ってなに?」と
つい考え始めてしまった



 

よく「終の棲」とは
言うけれど
それは結果的に
そうなった
ということではないのか
そんな考えの方が 素直

都 家 人間関係を捨てて
あらゆる執着を捨てて
何者にも縛られず
自由になる

ほぼ「成り行きまかせ」
それに徹して生きれば・・
そう 決めてしまおう

仕事で 何百人もの人と 
東京で会うよりも
ダバオで 一人の人と 
1年 一緒に暮らしたり
1年 向き合って 
言葉を 交わし続けたり
そのことの方が 

大事では ないかな 



 

老後ってのは
己の魂の世話をする
なんてネ

絶対的な 老化と
そして死という現象を
それとして認め
受け容れることで
魂はその成熟と
風味とを増す

『死とは何か?』
そんなの解らないもん
考えてもしかたない

老化によって
魂は成熟する
その成熟した魂が
他人の害に
なるはずがない


 

過酷な環境で あるほど
食べ物は 輝いて見える

彼女には 
フカヒレスープより
腐臭漂うスラムの
鳥スープのほうが 
断然 うまい

生きるために 食べている
食欲があるから生きられる


 

フィリピン人の活動源
それは 白米
白米は 体内で
ブドウ糖に
効率よく分解される

ブドウ糖は
心身のあらゆる活動の
エネルギー源

人が元気にいきいきと
活動できるのは
エネルギーが体内で
産生されているからで
エネルギーが不足すれば
疲労感が強まり
心もイライラしやすく
生活を楽しめなくなる

普段目にする料理や
パック詰めの肉では
生きていた姿を
想像しないし できない

フィリピンでは
子豚の丸焼きや
市場では 
解体したばかりの
肉がぶら下がり
命を売る姿を
目にする

食べることは
「命をいただく」こと
悲しみと
不思議な可笑し味

食 躰のときめきは
体中の全細胞を
イキイキと
させてくれる

大自然と繋がる
細胞の声に耳を傾ける
命の輝きを再生してゆく

お酒も好き
毎日晩酌をする
たくさんは飲めません
二合とちょっとくらいを
晩酌にいただくと
いい機嫌

陽が燦燦(さんさん)と
降り注ぐように
恋愛というのは降ってくる
だから 防ぎようがない

テラスから
庭の木々を眺めて
「今日は気持ちいい
   風が吹くな」
なんてことを
一人でつぶやくより
誰かに言いたい
たとえその人が

傍にいなくても
心の中の面影に向かって
つぶやくような

自分以外の誰かを
愛することを
味わった方が
生きているという
感じがする

相手から
返してもらおうと
思うのをやめて
ただ思ってあげる……

そういう愛があれば
自分に自信を持って
あれこれ
とらわれるものがなくなる
とても自由になっている

自らの内に
「慈しむ」を 包摂し 
それを 愛で 親しむのか

それとも 
余裕を 失った 果てに
無いものを 追い求めるのか

どっかに行こうと 自分が言う
どこ行こうかと あなたが言う
ここも いいなと 自分が言う
ここでも いいねと あなたが言う
言ってるうちに 夜が明けて
ここが どこかに なっていく

いま ここに いることへの 
強い喜び

老いたんだから 
親しい人 愛する人に
上機嫌で 接することが 
義務だと 思うよ

結局
人間が幸福になるとは
心にこだわりを持たなくなり
何ものも畏れなくなる
そのことじゃないかな

 


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