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       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
                   

        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」 
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老いて独り 異国で
「小さな暮らし」
必要なモノだけを持ち
そのモノに居場所を与え
不自由ない生活だから
機嫌よくいられる



 

楽しみを 
後に とって おいた
食べ物でも 
好きなものは 
後で食べる 悪いクセ

好きじゃないものを 
先に食べ
好きなものは 後にして
「ああ おいしかった!」で 
人生も 終わりたかった

自分は周りからは
照れ屋で小心と見られる
けれど
そういうヤツにかぎって
やたら大胆な事を
してのけてしまうもの

無鉄砲にも

自分はフィリピン 
ダバオに移り住んだ
 
最後に 
取っておいたもの 
おいしい老後をここで 
面白がろうとしている



 

生きてきた 最期だもの
「好きな事だけをやる」
なかなか出来ないが ヤル

そして 人生の正解が
ほかにもあったはずだなどと
「タラレバ」なんかで
もう くよくよしない

これまで 
ダバオで生きてきて
「女の人にはかなわないな」



 

信頼する現地の女との
つながりは「心地よく」
自分なりに満たされた

 

無縁1人の孤立じゃない
信頼できる女がいれば 
異国でも やっていける

女に惹かれるというのは
精神的には まだ まだ
若いのかもしれない

 

女は 友であり同志 家族
頻繁に会うわけでは
ないけれど
離れていても
互いの存在を肌で感じ
ちゃんと老いを生きる

女と共に生を歩んでいる
「ワイン」に例えるなら
時をただ咀嚼して
消化するのではなく
味や香りや喉ごし
人生の美味をちゃんと
「味わっている」

美味しい小皿料理や
お酒を囲んで
カタコトの言葉で
ダバオの女に話しかける
心を交わす 温かい時間

貧しくも 
暮らしを楽しんでいる
ダバオ人の素朴な熱情
老人に向けられた敬意

 



東京原郷から幻境へ
そして現況は?

計画性なんて 全然なかった
最初は なんでもいいから
知らない街で暮らしてみた

 

生活を始めて
暮らしているあいだに
暮らし方が 浮かぶので
その思いつきに従う
少しずつ 暮らしが
具体性をもってくる

不便な街 行動を通して
いろんなことを学んでいく

東京にいる時よりも
10倍ぐらい
明るくなれた

年をとったら
都会の方が住み易い
そうだろう

でも 東京にいる時は
勝手にふさぎ込んでいた
一人でいじけていた

ダバオに来て変わった
「人に甘えていい」
「気楽にやっていい」と
自分を縛り付けていた
そんなものが なくなり
気が楽だった

当たり前の楽を
当たり前に受け取れる



 

退屈 きわまりないのが 

平和「それを選んだ」

単調な 単調な
あけくれが 平和
生き方を
それぞれ工夫しなければ
ならないのが 平和

このありがたみを
つい忘れてしまうのが
愚かなる人間

フレッシュに
持ち続けるのは 難しい
けれど わたくしたちは
平和を選んでいる

退屈なようでも
単調に思えても
平和とは当たり前に
あるものでは ない



 

ここダバオ 
戦前 2万人以上の
日本人が 移民した
ミンタル「民多留」 
日本語を 町の名とし
後世に残した



 

マニラ麻生産に成功し 
ダバオ人の雇用も生んだ
現地で結婚 家族を養い 
内地より 豊かな暮らしを 
築いていた



 

或る日 突然 
戦争に巻き込まれ 
町も 生活も 破壊された
神風特攻隊を 生み

若き命を散らした
仲間の人肉を食べながら 
敗走し 殺された日本兵

戦争をして 喜ぶ者は 
誰一人 いない



 

自分が子供の頃の昭和
大人たちは
みな不完全だった



 

お調子者の
見栄っ張りだったり
色恋にだらしなかったり
理性にブレーキが
かからなかったり
口や素行がとてつもなく
悪かったり

と いっても
芯はまっとうで
ひとでなしでは ない

そんなちょっと
ダメな大人が山ほどいて
それを許した社会が昭和

今と違って
人との関わりを断つと
生きていけない時代

 

業や欲を抱えたまま
もがいて生きていく
その姿が昭和人に
奥行きをもたらした

人を許すことや
諦めることの
「生きる余白」が
まだ あった 

昭和が終わって
平成に
音楽の世界では
レコードがCDに
置き換わっていった

平成に入り 誰もが
かっこつけるように
なっていた

うっとり憧れる
素敵な職業の善人や
正義の人が増え
人々の消費を
煽(あお)る背景が描かれた

人間の悪意が
より具現化され
善悪がよりくっきり
馬鹿でも猿でも
わかる構図の定番が
蔓(まん)延した



 

令和では
人と関わりたくない
社会不適応者が増えた
人と関わらなくても
生きていけるネット時代に
なったからなのか・・

その 一方で
真逆の「絆礼賛」という
奇麗事も増えた
正義と数の暴力が横行
人間の幅が狭まった

そもそも人間なんて
情けなくて
みっともなくて
恥ずかしい生き物

自分が教わったのは
「人間なんて目くそ鼻くそ」
昨今は ちょいと

清潔すぎやしないか



 

フリーターと言う言葉は
バブルの頃生まれた
当時 高い時給の
アルバイトを掛け持ち

正社員より
高額な収入を得て
『組織には
   縛られたくないですね
   自由に働いて自由に遊ぶ
   最高ですね』と
笑顔で話していた人もいた

彼らは 現在
どうしてるんでしょうか?

♪チョイト一杯の  
つもりで 飲んで 
いつの間に やら ハシゴ酒 
気がつきゃ 
ホームのベンチで ごろ寝 
これゃじゃ 体に 
いいわきゃ ないよ 
分かっちゃ いるけど 
やめられ ねぇ・・

野暮は 言いっこ なし
酒が まずく ならあ〜

「ぐでんぐでん」と
「べろんべろん」は どう違う? 
どちらが 酔っ払っているのか? 
それは 酔っぱらっての お楽しみ

「ごくごく」と
「ぐびぐび」は
どちらが 勢いよく 
飲んでいる?
この擬声語は 
老人の得意とする ところ

「へとへと」と
「くたくた」は
どちらが 疲れている?



 

昭和を代表するモノ
数々あれど
インスタントラーメン
世界的な発明だった

お湯をかけて
3分間待つだけの
袋入り即席麺

そして
カップヌードルへ

お湯を注ぐだけで
空腹を満たせる
素晴らしい食品

東京・浅草に
明治43年に開店した
中華料理屋の来々軒が
日本初のラーメン店らしい

それから
110年以上が経過して
中華や和食の枠を超えた
ラーメン文化が
日本で定着



 

人気店の海外展開が
話題になることも増えた

 

海外で

日本と同レベルの価格と
美味しさを求めるのには
まだ ハードルがある

ダバオローカルでは
フィリピンの味覚や
素材にあわせた

ラーメン魔改造

「ラーメンもどき」
「ラーメンまがい」
ラーメンと呼んだら
悲しくなるよなぁ…

魔改造された
高価なRamenを食べるのが
在外邦人の宿命なんか…

日本人を
満足させるだけの
一杯を出す店を
ダバオで見つけるのは至難

だったら
「自作するしかない」

食べ方に 工夫をする
「サッポロ一番塩ラーメン」
ソーセイジ2本と
冷凍空芯菜をひとつかみ
麺を茹でる鍋に足す

そうすると 
主食だけでなく
野菜とたんぱく質も
ちゃんとそろう

ソーセイジの代わりに
カニかまやチャーシュー

これで
インスタントラーメンが
栄養バランスの整った
我慢できる 一杯になる

食べ物に罪なんて ない! 

人間が
ラーメン1杯のために
1時間並ぶような状況

もし その1時間を
違うことに
費やしていたら
……なんて考えるのは
ヤボかもしれませんが

一方で もしも
あと少しというところで
「売り切れです」
と 言われたら

失意の感情を
ごまかすために
「きっと言うほど
   おいしくなかったん
   だろうな」などと
言い聞かせ
平静を保とうとする
それもまた 人間
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終末期患者を抱える大病院
死は日常茶飯事の出来事

長期入院患者が
ある日亡くなる

ベッドは
その日のうちに清掃され
長年にわたって
家族のように
会話を交わしてきた
看護師も翌日から
何事もなかったかのように
新しい患者に接している

しかし
同部屋の他の患者には
自分が死んだときも
こうなるのだ という現実を
突きつけられる出来事

まるで
死んだ患者など
存在していなかった
かのように
毎日は滞りなく進んでいく

「死」とは 一体なんなのか
当事者にとって
当事者を囲む人びとにとって

縁側でひなたぼっこを
しているうちに
いつの間にか
息を引き取っていたーー

こんなふうに
「老衰で亡くなる」のは
他の死に方と比べて
穏やかなイメージ

でも 老いて死ぬって
どういうことなんでしょう?
「老衰で亡くなる」とは
私たちのまわりで
よく使われている表現

ところが 実際
「老衰」で 死ぬ人は
ひとりもいません

 

え! どう言う事ですか


必ず先行している病
または新しい病が
ほかにあって
それが死因となる

死亡診断書に「老衰」と
書かれることは まずない

老衰じゃなく

死因は別にあって
なにかの感染症
心臓発作やがんなどの
基礎疾患による
心不全のほうが
死因の可能性が高い

「眠りながら死にたい」
願う人も いますが

眠りながら
息を引き取った人は
たまたま
起きている間ではなく
寝ている間に
がんや感染症の症状が
悪化しただけ

かもしれません

90歳代以上の

年齢まで生きた人は
死を恐れていない
なぜなら
やることは

すべてやり尽くし
言うべきことは
すべて言い尽くして

いるから
 

もう 何年も前から
心の準備をしてきた

のかもしれない

緩和ケアの
スペシャリストが言うには
高齢であればあるほど
最期にじたばたせず
過激な治療を望んだり
長く苦しい化学療法を
望まなくなる と言う

死を受け入れて
すうっと亡くなられる
別れを告げる覚悟が
できているってこと
なんじゃないだろうか

それでも 生きていく

生涯を考えたとき
時間は無限じゃない
もう自分の本当に
好きなことしか
やりたくないって

 

たとえば 最後の晩餐

「最後は お寿司がいい」

なんて言いますが

死は予期せず訪れるか

すでに 衰弱して

食べられない可能性が高い

 

元気で 食べられるうちに

心置きなく食べておこう



 

20代の頃は
早く年を取りたい
なんて 思っていた

その頃 

面倒見てくれた
大人の方には余裕が
あるように見えたからね
年を取ったら
楽になるはずだと
浅はかに考えていた

そんな 考えは
現役の頃 
ことごとく砕かれた

「調子に乗るなよ」
というのは 肝に銘じて
今でも引き締めている

老後は
「不安」だけじゃない
不安はそのままにせず

理解しょうとしている

70歳過ぎた いまも
健康でいられることは
もうけもん 

 

感謝する一方で
肉体の自然老化を
無理に元の状態に
戻そうとせず
体がそういう状態なら
それに従えば
いいんじゃないかと

老後のつくり方
老々しく生きては
もったいない!

もう無駄にする

時間はない

それを認識したことで

喜びや知識 好奇心を

あおってくれる人や

出来事を優先する

でも 気づけば もう
正真正銘のジジイ
いまは ジジイと
現実の自分が乖離せず
無理なくピタリ重なる

まあ ジジイを
やりやすくは
なっている

世間から
どう見られようと
満ち足りてる老後



 

右も左も注意散漫であり
すべてがめんどくさい
できることなら
ずっと酒飲んで寝ていたい

 


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