□□■─────────────────────■□□
       ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
          Last Life Shift In Davao Philippines
    

        フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
              「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
□□■─────────────────────■□□ 
黒いワンピース
20代後半の
脂の乗り切った肢体の女
女の体というのは
太ももやお尻が花びら
あの部分は花芯
そんな やもめと
知り合った

ワタシは ネ
適齢期を過ぎた処女
ふっふ ふ
そんな冗談を 
さらっと飛ばしてきた



 

いい女が現れたら
先に声をかける
自分から動くから恋

おとぎ話の街のよう
ダバオで飛び交う出会い 
人と人との関係が近い
偶然ってのが 日常に
たくさん散らばってる

ダバオに移住したこと
おおげさに考えない
先々のこと考えたって
何かが起きるときは
起きてしまうもの?

新鮮な空気を
吸い込むような
気づきなこの街は
東京の喧騒から離れて
たくさんの失敗をして
たくさんのことを
理解するため 

ダバオでいろいろなこと
やってきた

 



そうすることで
周りのものすべてに
感謝できるようになり
東京を離れてみて
ひとりで考え事ができた

失敗してもいいんだと
教えてくれているよう

現実とは
少し異なる理で作られ
自分にとって都合がいい
何でもアリで許される街 ダバオ



 

移住の企ての根底には
欲望が見え隠れする
現実での都市への不満と
社会からの不満から逃れ
自分に都合のいい街を
おとぎ話として
消費したい欲望

ストレスのかかる
状況下を逃れ
心身のバランスを
保つためには 
移住は 心の行動



 

生き方などの自由が
拡大されつつある東京
自分の頭で
ものを考えて決断し
実行することが求められる

現実 東京で
自由を謳歌できる人には
居心地のよい場所
そうでない人にとっては
怖くて 息苦しい場所

 



社会のどこかに
正解があって
それに対する回答が
間違っていたのではなく
社会のどこにも正解はなく
自分なりの正解を
作って いいのに・・

それが できない

そんなしんどいこと
そうそう
誰も やりたくは ない

自分は やってしまった

自分なりに正解を

移住に帰結させた

ダバオ郊外に住む
ちょうど いい貸家

あおぞらが 妙に 乾いて
ブーゲンビリヤが
路に あざやか



 

うんと年の離れた女と

心温まる関係を
築けるような老男
「いい女」像?
受け入れるのか 
自分は 何を想って
女たちと関係する

テレビや音楽を
つねにかけているという
雰囲気では ない

無音の暮らし
テレビやラジオをつけず
無音の自宅にいると
心が落ち着く
シーンと静まった
空間にいるのが
一番 居心地がいいし
心穏やかになれる

そう思うのは
すべてのものに

意味があるとされる
東京と呼ばれる世界
その中で人間が
暮らすようになったから

都市 東京の中では
意味あるものしか
経験することができない
それに慣れきってしまうと
やがて 意味のない存在を
許せなくなってしまう

意味ある 東京から
離れることによって
エネルギーが 花開いた
気弱になっている
自分へのショック療法 移住

日本を離れることで
精神の自由が得られた
おこがましい話だけど



 

黒いワンピースの女
大学を中退
二十九歳となった 今は
実家で くすぶっている

薄汗をかいて
ダンスの稽古に励む女
踊りに見惚れる老男
すべて妄想と
思えなくもない



 

老いて 苦しくても
生きられるなら

生きていこう
頭と足だけは
死ぬまでしっかり
していたい

老男 
心の障壁につきあたり
苦難に見舞われても
それを粛々と乗り越え
自分らしく
この街で 老いを養う

食堂のどこに座るのか
窓際の席にするのか
店の奥にするのか
できるだけ
静かな場所にするのか
賑やかな
雰囲気を選ぶのか

座りかたも
ひとつでは ない
男と女 ふたりなら
向き合って座るのか
横並びで聞いたほうが
いいかもしれない

たわいもない会話が
重ねられていく
「しょうもないなあ」と
飯を食いながら 笑い合う

色気を
ぶつけられるのは苦手
色気は オレが見つけるから

躰の匂いをかいでいた



 

不器用な老男と女の
泣いて 笑って ぶつかる
めんどくさい付き合い
フィリピンを描き出す
『まっぱだか』

我が家のソファーで

わたし・・

うん!

女が いきなり
ギャンギャン泣きだして
「もう ワタシ
   ちきゅうでたい!」と
大き過ぎるスケールの
泣き言を言った

重力が煩わしいの
重力をカット
してしまいたいの

こういう時には
どうするべきか
何を女に言うべきか
皆目分からなくて
途方に暮れる

オレだって 女に
今日の出来事を
聞いて欲しくなり
「今度は 
   オレの番だから!」
大人げなさ丸出しで
女に話を聞いてもらう
権利の奪い合いを
熾烈に繰り広げる

女を慰めているうち
図々しくも
豊満な胸に
躰をうずめながら
「ちきゅうを 
   でていかなくても
   いいんだよ」
耳元で ささやく

女をたくさん愛する
いや 決して
良さげなことを
言おうと
してるんではなく

ん? 
言おうとしてるかな
オレ? 

いや いや やはり
「たくさん愛する」
これしか 自分には 
できない

少しは
「ちゃんとした大人」
「ちゃんとした男」に
ならねばと
自分を律することに
なるかもしれないなと
女をかき抱きながら思った



 

自分は
周囲の視線を
気にすることより
自分が快適でいる
そのことのほうを選ぶ

いつだって
自分のことにいちばん
興味があるので
女を待ち受けにした
ことなんて ない



 

ただ 時折
悲しい表情をするのは
ダバオに住んでるのには
事情があるからだ

平穏に暮らしているように
見えて 人間達は
それぞれのドラマを抱えて

自分も70歳を超え
機嫌よく
やっているように見えて
蓋を開ければ
傷があったりする
だから 女に慰められる
笑ってくれたのは
あの女の 思いやり
だったのかもしれない



 

女に気持ちを
伝えようとする
人生の残された時間に
後悔はなるべく残したく
なくなっているから

そんな自分に対し 
いつも疑問を抱く オレ
どうする どうなる おまえ!?

もう こんなものかな と
あきらめていた人生に
奇跡がおきる
いや そんな
たいそうなものではない
誰かが 誰かに
「飼い慣らされる」過程



 

自分は
女の生活を観察し覗き
やがて関与するように
なった 親密な他人

女のいる男たち
男たちは何を失い
何を残されたのか?

女はなぜ
あの男と関係したのか…

男は誰かに殺された!?
犯人だけが
その財産を譲り受けられる
という奇妙な遺言を受けて

見慣れたはずの
フィリピンに潜む疑惑



 

いまひとつ
元気が足りない
世の中にいま
必要なことは何なのか

皆 もっと
正直になれと言うのか

みんな気付いているのに
気付かないふりをしたり
言いたいこともガマンする
ズバッとセックスや飢えに
目を向けたらいい

何処かで
肉を焼いているような
匂いが鼻を刺した
それでようやく
ああ ダバオだ と
しみじみ嬉しくなる

ダバオの街中
埃っぽい空気を
吸って 吐いてと
繰り返していくうちに
身体が開いていく

自信をもって日々怠ける

この指止まれの
指を磨くといった感じ
できるだけ多くの人が
手を取り合って 肩組んで
へらへら にこにこ
わっははと笑いながら

気がついたら
自分の周りのの風景が
かきかわっている

生活のはじまりに
あるのは肉体
年齢は肉体の疲労で

感じるものか

それとも

精神の疲れだろうか

 



これまで肉体を通して
どうにか この国の
複雑さを飲み込もうと
してきた

南国で対立する
価値や存在でも
躰が受け入れるだけで
意味なんか求めない

この体を拡張し
肉体を超えたものとへと
開かれていく体験が
南国なのだと



 

人は 自分の視点だけで
人の幸せをはかろうとする
それは いかがなものか
幸せを測るものさしは
本人だけが持っている

幸せには

すぐに慣れてしまい

かつてのそれと

比べてしまうのだろう

今ある幸せを感じ

大切にすることができたら

きっと幸せに限りはない

女に寄り添うとは
一体どういうことだろう

まったく別の
文化圏の大国によって
度重なる支配を
受けながら
独自の言語や文化に

変えてきた逞しい国

でもそこは まだまだ 
人間臭くて土に近い
その空気が残っている
この国を老後に選んだ

ここでの暮らしぶり
経験値が熟成すれば
ちょっとやそっとじゃ
グラつかない

ダバオ 街を見渡すと
まだ薄くて柔らかい
皮膚のようなものが
この国の若者たち

滑らかで 艶々した
女らのおでこや頬を見る



 

市場 その界隈は
日に焼けた逞しい
「ダバオ」の人たちが
丸々一頭分の豚を解体し
骨を咥えた野良犬が
だらしなく寝そべっていたり
巨大な魚が店先に並べられ
山盛りの野菜が 果物が
剥き出しで売られる

ああ これが
生きている匂いだな

黒いワンピースの女
近くに住んでいる
たまに家に
ご飯を食べに来たり
会うのは
1ヶ月に1回くらい



 

いつでも
手を伸ばせば
女がいる環境
出会った頃の
愛情は感じられなく
なるかもしれない
依存しては いない

70歳 男ひとり
女との付き合いも
自分の尺度で
自分らしく

無理はしない

女は
一番身近な赤の他人
育った環境も違う
男と女が共に助け合い
泣き笑いしながら
人生を刻む

老いて子供に還る
子供でいることは
健康でいることでは

自らの中の
子供と一緒に
生きている人が いい

延命のために
ジョギングをしたり
アスレチックをしたり
ジムに通い
サプリメントを
飲むのもいいでしょう

老いて そんな
面倒臭いことなど
しなくても
自分の中の子供と
戯れていれば 死なない



 

「アンコ」と
おっしゃいました?

大の大人が
アンコなんていいますか

やっぱり子供性が
抜け切れないんですかね

アンコは大好き

ボタ餅のことですかな

脈を取っていた医者が
「あきまへん
   喉につまってこのまま
   おだぶつでっせ」

親戚中が寄って
父の枕元で
「この世の別れや
   食べさせてやりいな」
と言われて

子供の僕は 泣き泣き
自転車で
ボタ餅を6個買ってきた

 

親戚の人達は
「しゃーない
   食べさせへんかった と
   怨んで化けて来られたら
   かなわんわ」と 一同

ボタ餅が喉につまって
死ぬ瞬間を

医者と共に今や遅しと
見届けることになった

 

死にかけていた父は
6個ペロリと
たいらげてしまった
危篤の人間が
ボタ餅6個ですよ


まるで仮病

だったんじゃないかと

疑われても仕方ないが
ボタ餅が 結局
生命力になった

脳死が
人間の死なのか
なんだか知りませんが
自分の中の子供性が
失くなった時が
人間の死だと考えたら
どうでしょうか

と 考えると
生きているけれども
死んでいる人が
世の中に
沢山いるんじゃ
ないでしょうか

別に飲まなくても
いいんですけど
毎日飲むと
それによって
その日の調子がわかる

自分の気持ちの
鮮度が高いうちに
美味しく味わう

一日の終わりに
「今日はおしまい」って
お酒を飲む

自分で
自分の機嫌を取る
気持ちの熱が
冷めないうちに
お酒飲んだ方が
自分の幸は高い

自分の気持ちを
一番に理解して
あげられるのは 自分で
気持ちを叶えてあげられる
一番近い人も 自分

意味の無い存在を
一日眺めて暮らす

それでも日々はつづくから

 


◇◆◇ ───────────