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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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「ペニスで障子を突き破る」
そのフレーズが
もてはやされた小説
みんなが青臭かった時代
日本の高度成長を
担う一方
好き勝手やってきた
団塊世代
遠ざかっていった昭和
今とは
比べものにならぬほど
元気だった
青春も性春も
手際よく料理してきた
団塊が
まもなく死滅すれば
普通に戻る 日本
今朝のダバオ
晴れ渡り 夏が迫る
暑くなりそうだ
だが 爽やかな涼風に吹かれ
気持ち全快!
団塊 70代の自信に
根拠なんかいらない
ダバオ郊外の
小さな貸家
自分のままで暮らす
「今日は
きっといい日になる」
そう思って
変わり映えのしない
毎日を歩んでいく
かっては
20年学び 40年働いて
15年間年金生活を送る
20代初めまで
学生生活を送り
60代半ばまで働き
そして老後の15年間は
年金生活を送って
人生を終える
日本人の平均寿命が
80歳の時 そうだった
人間 生物としては
長い道のりを歩む
独立器官で障子を
突き破るなんて
今は できないし
射精欲まで減退してる
大人になるに連れて
心の勃起がしづらい
老(ろう)ツバメ
この言葉には
生物学的な問いが
含まれている
多くの生物は
生殖能力を失うと
死を迎える
コオロギなどの
昆虫などが典型
春に生まれると
夏から秋の間
盛んに求愛の曲を奏で
パートナーを見つけて
次世代(卵)を 産み
冬になれば
自然に退場(死)する
ヒトだけが
生殖能力を失っても
かなり長生きする
オランウータンや
アカゲザルにも
更年期があり
シャチや
クジラの一部には
閉経後も生きる種がある
とは いえ
生殖期間が終わった後
数十年にもわたる
長き老後が 存在する
生物は ヒトだけ
一体 なぜなのか
考えてみれば 面白い
子孫を残すための
戦略として 生物が
採用している方法は
大きく分けて2通り
ひとつは
できるだけ
たくさんの子孫を
できるだけ効率よく
産むという方法
何千個 何万個もの
卵を産んで
産み終わったら
さっさと命を終える魚や
昆虫のような
生き方が これ
あとは 運任せ
大量に卵を産み残せば
わずかな個体が生き残って
次世代をつくっていく
実際 この戦略で
成功してきた
多くの生物がいる
まさに ギャンブル
一方
もうひとつの戦略は
子孫を産む数は
少ないながら
これを できるだけ手厚く
丁寧にケアして育てる
という方法
そのぶん
子どもを 一度に
たくさん産むことは
できないし 子育てに
手間隙が かかるので
簡単に 次の子どもも
つくれない
しかし
子孫を確実に
守り育てることが
可能となる
ヒトの子育ては
まさに これ
どちらの
生存戦略が
賢明なのかは
一概には言えない
確かなことは
いずれの戦略も
この地球上に
併存していると
いうこと
双方が成功している
ここで もう一歩
考えを進めてみたい
大量の卵を産む方法は
その中で なんとか
次世代へ
生命をつなぐ個体が
生き延びることを
確率に託するしか
なす術が ない
しかし ケア型の
戦略のほうはどうか
めんどうな子育てには
時間と労力が かかる
子どももなかなか
一人前にならない
そして ここが
ポイントだが
親は一体 どの時点まで
子どもの成長を
見守れば よいのか
「生殖年齢に
達するまで?」
現代社会では
たとえ身体が成熟しても
まだ 子どもは 子ども
「成人に達するまで?」
いいえ たとえ子どもが
成人に達しても
その先
何もなさなければ
人間生命の系譜は
そこで途絶えてしまう
一番確実なのは
その子どもが
成人して 結婚して
次の世代を
つくるところまでを
見届ける
親は孫の誕生をもって
初めて 一安心できる
ケア戦略に おいては
各世代は 次世代を
つくるだけでなく
次の次の世代までを
ケアするところで
ようやくひとつの仕事を
生物としてやり遂げる
これが 連続して
人間生命の系譜が
つながる
それゆえに
おばあさんの寿命が
延びたと考えられた
言い換えれば
「ババアが
長寿であることが
有利に働いた」
子育てと孫の誕生には
ばあさんだけでなく
じいさんも長寿となり
知恵を貸したり
ケアに参加している
かくして ヒトの長寿が
達成された
どんな問題を
考えるうえでも
「進化論的思考」は
謎を紐解く
今ある生物の特性には
なんらかの
合理性が あるからこそ
その特性が保存された
合理性というのは
「生き残るうえで
有利」と いうこと
「無駄」な状態が
生起すれば
それは 早晩
「進化の網の目」に
淘汰され その生物は
消えてしまう
攻めの養生なのか
そこに 人間の
生命の躍動がある
働けなくなった老人が
囲炉裏端で
孫の面倒を見ていた
かつての営みと
現代が 重なるかな
なぜなら それは
現実の
あなたたち だから
人は
いつか 必ず死ぬ
200年前に
生きていた人が
今この世にいないように
この先 200年後には
ここに生きる
すべての人が
この世を去っている
それだけ
死が身近になっても
いざ 自分にとって
唯一無二の人の死を
迎えるというのは
受け入れがたい
誰も避けられない死が
やってくることを
知っているはずなのに
その日は来ないような
顔をして過ごしている
人を愛するほどに
幸せな時間を
感じるほどに
いつかは それを
手放さなければ
ならないのが死
そんな理不尽で
やるせない事実を
知っていながらも
自分たちは
愛や幸せを
追い求めずには
いられない
それが 人間たちの
性と死 生きる意味と
呼べるもの
抗うことのできない
運命を前に どう
生きていけば いい
自分の手で
選んでいくしかない
人間たちが
迷いながらも
見せてきた
潔い決断の数々
性と死の匂い
言うなれば
選べない生まれより
誰と生きるか
ということのようだ
今 こっそり
南国ダバオで
一人の老いを養う
自分の現在地を
きかれたときに
原点的な意味ではなく
絶望している状態を
ダバオ地点に
置いておきたい気持ち
矛盾しているが
絶望している状態って
何かにものすごく
希望を抱いてる
状態でもある
そういう状態に
自分を置いておきたい
そういうふうに
自らを律しておかないと
おごりがでてしまう
冷徹なぐらい厳しく
自分をみておかないと
おかしな方向にいく
可能性がある
臆病でいて いい
ただ それだけだと
下しか向けなくなって
しまうから
そういう感情を抱きつつも
前を向くことは 忘れない
もう ペニスで障子を
突き破れなくても
いいんだよ
もう貴女が
来なくったって
コーヒーは減ってく
ひとりぶんの速度で
男というもの
自分が好きなタイプは
ずっと変わらない
いい女が現れたら
先に声をかける
努力をする
自分から動く恋を
見つけ出す
「誰かを
満たしたことは
あるのか?」と
自分に問いかけた
計画通りの人生なんか
存在しない
無計画の中で
どう自分の力で
方向を変えていくのかが
人生の醍醐味
失敗なんかない
ダメならダメなまま
存在させる
日々の小さな失敗に
笑いをまぶす
なんにでも意味を求める
自分の悪いクセ
でもナ 意味なんてない
生きてることだって
別に意味はない
かといって
早く死ぬこともない
ただ生きてるから 生きてる
80歳は
未体験ゾーンだな
まあ 幾つでも
刻一刻が未体験
80歳にして
ようやく 朝起きるのが
楽しみになったヨ
なんて台詞吐いてみたい
自分の人生は
人から見りゃ失敗ばかり
だが わざと
失敗したみたいな顔してりゃ
失敗なんて ねえんだナ

何もしたくない日
昼からお酒を飲んで
家事もせず
時間を浪費する
それが 一番贅沢な
過ごし方 幸
平日の
明るいうちから
ビール飲む
ごらんよビール
夏だよ ダバオの
この 冷たいビールの
旨さと きたひにゃあ
もう何も知らネー! って
感じ だなあ~
自分は 何も知らない
あぁ あのとき
あの人が言っていたのは
こういうことだったのか と
ウクライナを見ていて思う
映画「私は貝になりたい」
理髪店を営む
気の弱い清水豊松は
赤紙一枚で
戦争に駆り出され
上官から
負傷した米兵捕虜の
刺殺を命じられる
戦後
C級戦犯として逮捕され
死刑の判決を受ける
「お父さんは
生まれ変わっても
人間には
なりたくありません
どうしても
生まれ変わらなければ
ならないのなら
いっそ深い海の底の貝に…」
家族に宛てた
豊松の言葉は
戦争に巻き込まれ
平穏に送るはずだった
人生を終える
悲痛な叫び
上官の命令に
従わざるを得ず
心を無にして
銃を向けた兵士も
いるのではないか
豊松の苦悩が重なる
人間にひそむ残虐さを
あらわにし
良心を許さないのが
戦争だろう
非人間的に
なっていることに
ぜんぜん気付かない
今を
納得できるように暮らす
それが 人の暮らし
人類は長いあいだ
「意識」というものを
持たずに生きてきた
人類の歴史を振り返れば
「意識」が生まれたのは
わずか 3000年ほど前
それ以前の人間は
右脳で神の声を聞いて
それを頼りに行動してきた
自己というものを
持たなかった
人々が農耕社会に定着し
文明を築き 文字を得て
その結果
意識を身につけたとき
神の声は
もう聞こえなくなってしまう
神々の沈黙
人類にとって
どちらの状態が
幸福だったのだろう?
子供は子供だった頃
自分が子供だとは知らず
どんなものにも魂があり
すべての魂はひとつだった
やはり人は
生きてきたように
死ぬのかもしれない
最近 そんなことを思う
死は目が覚めない
眠りと同じだ
21グラムは 魂の重さ
人間が 死んだ ときに
軽くなる その重さ












