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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines 
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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57歳の時
身辺を整理 勢い付けて
ダバオに引っ越して……
「もう日本に
住むところは ないよ」と
迎える老いを独立させた

自分をしばりつける
全てのしがらみからは
解き放たれた
だが
縛られないからこそ
今度は
その本質的な意味を
自分で探していく
難しさがある

子どものときは
挨拶もできないくらい
内気でした
今でも 人見知り
でも ビール吞みながら
人の話を笑みを浮かべ
聞くのが好き

収入である年金は
フィリピンに住む
他の邦人に比べれば
少ないが
ダバオの生活費
高くなったとはいえ
まだ なんとかなる
吟味に吟味を重ねて
とっておきの物を
ひとつ買う
そんな尊さを味わう

フィリピン
年寄りを尊敬して
大事にする国民性で
本当に居心地がいい
絵のような
老後を送りたかった
虚と実
此岸(しがん)と彼岸
自己と他者など
さまざまな境界を超える
フィリピンでの暮らし
南国で媚(こ)びは いらない

新鮮な空気を吸い
家事が できるのも
海に囲まれた
熱帯性気候のおかげ
子供の頃から感じていた
モヤモヤが
少しづつ薄れていくのを
実感していた
多くの本を読み
映画を見て 人と話し
我慢なんか
此処では いらない
ふとした瞬間に
全身をまるで
洗い流して
くれるような
優しい風
海水に足をひたすだけで
体の芯の疲れが
癒される感覚
新緑をただ
眺めているだけで
目や頭が澄んでいく
そんな なんでもない
全てが いい

残された人生を
より充実させ
楽しく生きていく
真っすぐ 老いを
正面にした 適温生活
毎日暮らしている中で
嫌な事は ほとんどない
多分 それは
自分で決めたことを
やっているからだ と
これまで
どんなに良い時間を
過ごしてきたとしても
今が良くなければ
今までのいいことも
無かったことに
なってしまう
この人
『いい老後』だったよな
そう 言って貰えるよう
締めくくりたい
自分の老後を決める
自分しかいない
何かを始めるのも
続けるのも
そしてやめるのも
自分次第
自分の決断を信じる
誰にも ダバオの暮らしが
最高だなんて いいません
それぞれ似合った場所が
あるでしょうから

自分の時間ができる
まず本を読むようになり
一人で好きな場所に出る
そして 一人で
考えることが増えると
「自分はこんなものが
好きなのか」と知る
社会と距離をとることで
「こんな考え方も
あるのか」と
異なる価値観を捉える
好きな音楽 絵 写真
言葉を通して
自分の中に穏やかさが
増えていく
他人の調子を
伺う努力をするより
ずっと 安定的
そして 何より平和
一人での決断
誰の許可も取らず
行うことができる
お金以上に
心配なのが健康
人間の体には
素晴らしい性能がある
具合が悪いところは
躰が教えてくれる
傷つけば痛い
バイキンが入れば熱が出る
毒を飲んだら吐き気がする
そうやって
わかるようになっている
健康診断はいりません
早期発見とよくいうが
その効果は ごくわずか
具合が悪くなったら
はじめて 対処する
人は そんなに
簡単に死にません
明日死ぬわけじゃない
生活を丁寧に
健康情報に
振り回されて
おいしいものを
我慢することは
幸では ない

塩分だって
油だって
糖質だって
気にすることは ない
暑い日にはビール
おいしいですよね
おいしいもの 我慢せず
好きなものを食べて
にこやかに生きる

体に聞くこと
お酒も好きだけど
昔ほど飲むことは
なくなって
それも自分の体に聞いて
今日はやめとこう とか
お茶にしよう とか
女性の好みについては
変わったというより
幅が広がった
そのお陰でいいことが
起こるもの
死ぬまで
女性の幅を広げつつ
女好きを続けたいと
愛をケチらない

なにより
目の前の笑顔を
大切にすれば 健康
雨をしのげる家があり
健康な体があり
今日食べるご飯がある
お金も
今ある分で十分ありがたい
『人のため』ではなく
『自分のため』で
生きるのがラク
誰かのために
何かをすると
つい 見返りを
期待してしまう
自分のため と
自分軸で行動すると
余分な感情は生まれない
自分にはできないと
判断したら
やらない勇気を持つ
もう一方で 余裕があれば
自分を大事にしてくれる
誰かと 共に生きる
日常に起きた
小さな奇跡が生まれる
女との
新しい経験を楽しむ為に
一人の時間で
パワーチャージする
余裕を貯める時間
型にとらわれず
自分を解き放つ
われわれは
何でもありの
存在なのに
自分で規制をかけ
社会に通用する
自分を演じてきた
人間の多面性
その姿を描くことで
自分は自分の中の
素直な自分に ダバオで
ちょっと出会えたような
気がしている
これは 許せるけど
これ以上はダメ
生きる基礎になるものは
できてきましたが
まだ 構築中
そういうものを
自分自身で
持っていないと
異国では
ブレてしまうし
人の影響を
受けすぎてしまう
日本に おいて
かっての 自分は
身近な者に対し
辛い態度や
言葉を取り続けた
現実を どのように
受け止めるべきなのか と
葛藤と共感に
毎日揺れ動いていた
限られた時間を
過ごしているなかで
自分は 後悔を
抱えている
・自分に正直な人生を
生きればよかった
・働きすぎなければ
よかった
・思い切って自分の気持ちを
伝えればよかった
・友人との連絡を
取り続ければよかった
・幸せをあきらめなければ
よかった
恨みつらみなどは
もう とっくに『棚上げ』
人生で 自分を
支えてくれた者に
十分な時間を
費やさなかった
自分の価値を心ではなく
自分の所有している物や
やり遂げたことにあると
考えて いたことに・・
愚かだった と
今 ダバオに居て
悲しみを感じている
大事なのは バランス
だったのだろう
後悔は
ここで 懺悔できる
自分は ここで変わった
自分の老後
ダバオが救ってくれている
過去は変えられないが
今をどう生きるかで
過去の意味が変わる
笑っていよう
笑顔は老いの味方
ダバオに暮らして
老いを 陽気に捉える
老いは ユーモア
笑いに溢れて
精一杯生きる
人間家業 元気出せ
悠々自適は
世俗の雑事に煩わされず
のんびりと
心の赴くままに過ごす
目の前のことに追われる
現役世代には
夢のような境地ですが
それは
生活のスタイルではなく
若い頃には抱けなかった
新たな興味を心行くまで
探求する生き方なのでは?
そう思い至ると
自分が上機嫌でいられる
サードライフの夢を描く
ないのは お金だけ
あとは全部そろってる

日本に住んでいれば
わかっちゃいるけど
ちょっと遠いお伽話が
ダバオに暮らすと
すぐ手の届く場所にある
生き生き賑やかな
ダバオの日常が
展開されているから
登場する誰もが
たとえ貧しく
苦しい環境に
いたとしても
老人も若者も子供も
ニコニコしている
ご飯が 当たり前に
食べられる
それだけの幸せ
ダバオの人たちは
飢える怖さを経験してる

腹が減っていれば
旨いも不味いも無い
ただ 有り難い
ごちそうさま


