□□■─────────────────────■□□
ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
□□■─────────────────────■□□
無数の閃光(せんこう)が
闇を照らす
恐ろしい空襲だ
外は昼間のように明るい
平和な生活が 一気に暗転
多くの日本人にとって
ウクライナは
なじみの薄い国
第二次大戦中には
ナチから 日本に避難して
来た人も多く
横綱大鵬の父親も
そんな 一人
ウクライナ人でした
地球全体で
物事を考える この現代に
いきなり 戦争を始めて
逆行している感じが 怖い
ウクライナ首都キエフと
京都市は 1971年9月に
姉妹都市提携を結び
昨年は 50周年の節目
口だけの
友好関係ではなく
少しでも具体的な
力になりたい
市民の善意の
受け皿になればと
義援金を募っている
ウクライナで
子供も 年寄りも
ロシア軍の無差別攻撃を
受けている
数日で 子ども14人を含む
350人以上の民間人が
これまでに 死亡
これからも増える
隣国に避難する人は
これから 100万人に
達するだろう

ロシアの兵士たちも
ただ 平和に暮らしている
人々のところに攻撃する
どんな 気持ちだろう
地下シェルターに
避難している市民
地下鉄駅の他にも
スーパーや
アパートの地下にも
シェルターは
市内に数千カ所あると
シェルターの中では
子供を抱きしめる
母親の絶望した表情を
想像できる

ウクライナから
長い距離を徒歩で
国外に退避する家族
キエフ300万人の市民
日本の
年老いた戦争体験者は
隣国に逃れようとする
ウクライナ人たちを見て
ソ連が攻めてきた時の
満州を思い出す
子どもや女性 病気の人が
まず 犠牲になる
ソ連の戦車に
爆弾を抱えて突撃した
日本兵士もいた
満州から
シベリアに連れて行かれ
国境付近で
日本人の
大勢の亡きがらを見て
どうすることも
できなかった
それが戦争ですわ
二度と起こしたら いかん
侵略という
恐ろしい体験をしている
「戦争を 正当化できる
そんなもんなんて ない
市民の無事を祈ってる」

軍隊を持たず
隣国の脅威に
ならなければ 他国から
攻めらる はずない
どんな争いも
平和を訴え
話し合いさえすれば
侵略されず 解決できる
それが 日本人の発想
永世中立国のスイスは
軍隊を持っている
カシス大統領は
ロシアは
自由や民主主義を
攻撃しており
受け入れられない
侵略者の術中に
はまるなら
中立ではないと語り
プーチンの資産を凍結した
陸続き欧州の歴史と事情
島国日本とは 訳が違う
そうとも言える
尖閣諸島周辺で
領海侵犯があったとしても
ニュースを 騒がせて終わり
ウクライナ侵攻は程度が違う
集団的自衛権を認めたら
他国の争いに
巻き込まれるから 危険だ
こうした主張をする方々には
ウクライナの辿った道を
知ることは 必要だろう
2013年から14年にかけ
親ロ派政権の成立に反発
ウクライナ人の学生デモが
国中を巻き込んだ 革命
ウクライナは
核兵器をロシアに渡し
100万人の軍隊を
5分の1の20万人に縮小
ロシアとの対立に
巻き込まれないよう
軍事同盟にも 一切
加盟していない
ブダペスト協定書で
国際条約を結び
ロシア アメリカ イギリス
フランスが
ウクライナを守る
約束を交わした
ところが
その当事者である
ロシアによって
侵略された
1945年8月9日
ソ連が日ソ中立条約を破り
日本統治の満州に侵攻した
国際法を守らないのは
当時の指導者スターリンと
プーチン よく似ている
ソヴィエト連邦が 南下侵略
現在の北方領土を
あのような形にしてしまった
日本兵は ロシア各地の
収容所に連行された
収容所はウクライナにもあり
抑留者は 60万人
6万人が 亡くなった
他国との条約が
約束が いかに当てに
ならないものであるか
そして国の防衛を
他国に委ねることが
いかに危険であるか
ウクライナの実態が
このことをハッキリと
物語っている
条約が破られたら
国際社会が
何とかしてくれる と
期待し 信じてる
日本人は 多い
ウクライナが
ロシアに侵略を受けた
一緒に戦い
守ってくれる国は
一切ありません
ロシアの侵略を
口先で批判するばかりで
具体的な行動は 誰も
何も 起こしていない
ウクライナばかりではない
チベットもウイグル 香港も
侵略や弾圧によって
人々の自由が理不尽に
奪われていることに対して
国連は批判こそしますが
行動は起こしません
尖閣諸島は
アメリカが
守ってくれるから大丈夫
というのも どうかな
アメリカが
追求しているのは
あくまでも自国の国益
いくら同盟国 日本の領土でも
自国の国益に合致しない限り
行動を起こすことは ない
日本の母親は 自分の息子が
戦争で亡くなるのは 嫌だから
アメリカ人が 戦えば いいと
しかし アメリカの母親は
戦いもしない
日本人の代わりに
自分の息子が血を流して
戦わなければならない道理が
どこにあるのでしょうか と
米兵にも家族があり
故郷がある
他国のために
死にたいと思ってる人など
一人も いない
日本を守る主役は
あくまでも 日本人
アメリカは
それを支援をする立場
そのこと忘れてはならない
「戦争は最悪の解決方法」
人間ならば 言葉と知恵で
解決しなければならない
知らなかった は
学んでみて 知り続ける
ロシアが始めてしまった
事の深厚さと 重大性を
考えるのも 面白くないが
考えなければ いけない
他国を侵略してるロシアは
遠い国ではない 日本の隣国
考えても 答えは
出ないだろう
だが 自分の問題として
考えたい
自由は
専制政治に勝利する
プーチンの人道的な
正義心に訴えよう
そんなアプローチは
効かない
ゼレンスキー大統領
この言葉を結びに
国民に訴えている
私たちは
自分たちの守るべき
ものが 何であるかを
知っている 自由と独立
我々は間違いなく勝利する
私たちの兵士
一人ひとりに栄光を
そしてウクライナに栄光あれ
逃げ惑う市民
爆発音に怯える子供の涙
戦争の悲惨さを知る
形式だけの 口先だけの
ロシア非難決議では
一人も 救えない
国会が政府に対して
ウクライナ国民への
人道支援を具体化し
速やかに行動に起こす
それが
日本が ただ出来る
ことでは ないか
行く所まで
行き着かない限り
終わりがないのかと危惧
プーテイン大統領は
何時に なれば
正気に戻ることがあるだろうか

◇◆◇ ───────────
恵方巻きから
ひなまつりときた
そして お花見
楽し気な 慌ただしさ
まつりだ まつりだ
戦争なんかより
ばか騒ぎしてる方が いい
平和だね 日本
音楽ガンガン 平穏だよ
日本 みんな 生活が苦しい
なんて TVが言ってる
けど 案外 豊かな暮らし
メディアやネットで
貧しいなんて
煽ってるだけ だろ
憶測情報が あふれ
TVのコメンテーターの
情報など 疑っている
ぼーっとしてれば
うっかり
騙されるとこだった
日本は 便利で安全
住みやすい美しい国
フィリピン人の言う
暮らしが大変とは
同じ言葉でも
質や苦しさまるで違う
だが ゆずりあう
その言葉が 活きていて
その言葉に救われている
柔らかく搖れる言葉
今日食べられば ご機嫌
バナナの花は食べられる
◇◆◇ ───────────
メディアは 誰でも解る
「やさしい日本語」を
使ってもらいたいもの
言葉の伝わり方の問題
他人の顔色を
気にするということでは
日本人は たぶん
世界で一番でしょう
何か すると
人の迷惑になると
その傾向は
一層強まっている
堅苦しく考える必要は
ないのだろうが
場面に応じて
話を聞いている相手の
気持ちを想像し
反応を 確かめながら
話したりすれば
それがやさしい日本語
言葉で 伝え方を
工夫することは
相手との年齢差を
推し量り
時代の文化
慣習の違いを知り
日本を見つめ直す
きっかけにも なる
共に地域社会を
つくっていく
共生社会では
相手への理解を深め
ゆずりあいは
欠かせない
意味不明の造語や
カタカナ英語の氾濫
年寄りには 意味不明
価値観の多様化だって
聞こえだけよい言葉使って
左巻き思考で糊塗し
言い訳で 放置した問題
セックス レイプ ヤクザ
強盗 暴力 ギャンブル 薬
売買春 殺人 同性愛……
この世の
スキャンダラスな部分も
それも すべて多様性だと
うけいれろと 言うのか
新しくもないが
「人それぞれ」という言葉
最近 頻繁に耳に 気になる
最近 若者の話を
聞いていると 使う
「人それぞれ」の言葉
授業で
討論のテーマを設定しても
「それって
人それぞれ だから…」
と なって
議論にならないことが
しばしば あるそうだ
それも 多様性で片付ける
学生どうしで
進路の話をしていても
最後は
「人それぞれだよねぇ」
と いって
おたがい 深入りしない
そんなことも多いのだとか
授業で設定する
「結婚は恋愛の先に
あるべきか」といった
テーマへの意見も
恋愛の先に
結婚する人もいるし
それ以外の目的で
結婚する人もいる
強制されず
「人それぞれ」に
選べることこそが
自由な社会の根本
そのようなことを
ふまえると
「人それぞれ」という
表面的 平坦な言葉には
個々人の意向と自由を
尊重する意味合いがあると
思えるが・・
とはいえ
それだけでは
ないような気もする
たとえば サークルを
辞める
ある友人をめぐって
あなたが
「あいつ辞めるって
言うけど
何かやること
あるのかなぁ」と
別の友人に
話しかけたとしよう
そのとき
「まぁ 辞めたいって
言ってんだから
しょうがないよ
人それぞれだしなぁ」
という言葉が
返ってきたら
どうだろうか
フィリピンに
移住を考えている方
そうした相談者にも
人それぞれだから
優し気に聞こえる言葉
ただ 自己責任だからと
突き放しては いないか
なんとなく
さみしい気持ちが
わいてこないだろうか
「人それぞれ」
という言葉には
相手のことを
受け入れているような
突き放しているような
不思議な語感がある
「人それぞれ」が
あふれてきた社会
人それぞれが さみしい
やさしく 冷たい
人間関係 それが
人それぞれの
社会ならば 残念
だから 人情が希薄に
世間が おかしくなった
もう やめろヨ
◇◆◇ ───────────
いま なんじ
ビール呑みたい!
と 思ったら
午後の三時半!
コレが不思議と
三時半なんですヨ

昔は もう少し
黄昏刻だったんですが
まあ 夏なら六時頃
雨期は 四時半頃
あゝビール欲しい
と思って時計見ると
三時半ですヨ!
コレ 凄いでしょ

深夜から
「2軒目バー」
そんな普通の遊びが
ダバオで 解禁されている
少し前からの事
ぼちぼちでんな

どんな人と 話すときでも
初対面の人と話すときも
バーのカウンターで
たまたま隣同士になった
として 話すということに
していた
たまたまバーで
隣同士になった
それだけだと思えば
誰とでもそれなりに
気軽に話せる
たまたま
メッセンジャーで
知り合った女
その女の
僅かな情報を
知り得てるだけ
待ち合わせる
始めて会う女
目の前にして
女と話をしなければ
素性も何も解らない
勘違いって ことも
あった

バーで たまたま
隣り合わせただけ
その感じで
女と話し始める
それとなく
挨拶から始まって
まともな自己紹介など
しなくても
自然に話すうちに
何となくお互いの仕事や
性格や生活がわかり始める
また
会うかもしれないから
変に冷たくはしないし
だからと いって
妙になれなれしくもせず
せっかくだから
女に楽しんでもらおうと
お互いの笑える
エピソードなんかを
話していく
その夜 お互いが
おもしろければ
それで いい
そんな ゆるやかな
初めての言葉のやりとり
話や態度から
相手の女を想像する
見る人によって
経験知によって
想像のかき立て方が
違う はずだ
誰にでも
わかりやすい女は
見えやすいかも
しれない
フィリピンの女を見て
想像力を鍛える
笑顔は 愛らしいが
目が笑っていない
猜疑心の女は苦手
女って めんどくさいが カワイイ
なんでか 批判ばかり
悪者にされてしまう
フィリピンの女
誹謗中傷を相変わらず
くらっている
生きてきた
文化 習慣も違うんだし
不満を感じることも
あるだろう
男どもの世間噺だけど
フィリピン文化と
女の立場を
想像できたら
当たり前だが
いい娘が ほとんど
よく
どうしたら
機嫌よく暮らせますか
なんて聞かれる
自分は 笑うことが
大事だと・・
少しでもおかしいこと
面白いことがあったら
大きな口を開けて笑う
ちょっとしたことにも
反応して 笑うって
いいですよ
そうした
無邪気な笑い
しろくじじゅう
笑顔でいてくれるのが
陽気なフィリピン女
真骨頂
笑えるところは
一緒に笑う
女を観る男の目線
想像力が高まったら
もっと もっと
創造的な関係を
作れるんじゃない
そうやって
女と男が相乗効果で
高め合っていけたら
きっともっとおもしろい
関係が 暮らしが
フィリピンで生まれる

ジジイの恋はまわり道
男と女は 生きるための
快適な状況を
作り続けていくもの
そして心地いい状況とは
男が自分を 自分自身を
ある程度知っている
という そのこと
なんじゃ ないのかな
老人の風貌をして
見る者をなごませる
ジジイだ

とぼけたジョークで
周囲をしらけさせたり
するが
不思議な存在力を放つ
ジジイならではの
キャラクターに
仕上がっている
いつも 一人芝居して

関係を作ること
男と女に
深い意味があって
社会的に必要で
そんなすごいことを
ジジイたちは
やってたんだ!……って
気づいちゃった
こんな ジジイ達が
フィリピンで
遊んでいるんだな
おまえは
立派な変態だから
もっと わかりやすい
格好をしなければダメだ
脱皮を繰り返しながら
成長していく蛻変
男の歌 女の歌
酒 切々と人生 ドラマ


















