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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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『ドリフ大爆笑』を
U TUBEで見ていた
40年前の映像
ドリフターズのメンバーが
入れかわり 立ちかわり
ちょっかいを出しては
いかりやさんに
メガホンで叩かれる
5秒に1回くらい
叩かれていた
最初こそ 笑いながら
懐かしく 見ていたが
しつこく繰り返される
イタズラと暴力の繰り返しに
途中から 嫌になって
見る気が しなくなった
自分が
同時代に見ていた頃は
これとまったく同じ映像を
間違いなくゲラゲラ笑って
見ていた
今では 笑えない
確実に時代が 過ぎ去り
変わってしまったのだ
ドリフターズ…
いまは 3人だけに
M-1グランプリで
優勝した錦鯉の
漫才を見ていた時も
似たようなことを 思った
長谷川さんのスキンヘッドを
良い音を立てて何度も
ペチン ペチンと叩く
渡辺さんを観て
「こりゃ ダメだよね……」
こういうツッコミが
笑いをとれる時代は
もう長くないのかも
しれない
ペチン ペチーン……
漫才 最後の花火が
上がる音に聞こえた

◇◆◇ ───────────
本当に ひとびとが
さよならを捨てに
大阪の海に
来るのだろうか
そんなに沢山の人が
悲しみや 苦しみを
捨てにきたら
海は汚くなるだろうが
いったい
どのあたりの海なんだー
もう 関西国際空港で
埋め立てられちまったのか
マニラ湾は 綺麗に
清掃が 済んだらしい
さよならしたいものが
沢山ある
苦しくて 生きていられない
ときが あった
涙が止まらないときがある
出来たら 身を投げたい
でも 逃げては 逃げたら
あかんのだろ
でも 自分は逃げた
女なら 艶やかな色気に
変換させてやれよ
泥に染まらない
『蓮の華』になる
そういや
神戸のオヤジの飼ってた
ドーベルマン 元気かな
あいつ 目つき悪りぃよ
泣いたらあかん 泣いたら
せつなくなるだけ
大阪の海は 悲しい色やね
さよならを
みんな ここに捨てに来るから
もう マニラの海に
ゴミ捨てたら いかんよ
◇◆◇ ───────────
街に出れば
あっちに唐十郎
こっちには大島渚がいる
そして浅川マキが
夜中じゅう歌っていた
黒い服を着て
西瓜をぶらさげた
不機嫌な女
縁側に坐った 女は
仕事がうまくいかない
と言って 姿を消した
それがのちの 浅川マキ
「夜が明けたら」を
歌っていた
夜が明けたら 一番早い
汽車に乗るから……の
メロディが 繰り返えされる

渋谷
文化が充満していた村
こだわりのある
生き方をしている
大人たちが 集まっていた
そういう文化的な空間は
すっかりなくなりました
これまで 信じ
憧れてきた文化が
唯一絶対なものではない
「平成」という時代を
通して あらわになった
現役の昭和だった頃
それなりの
給料を稼いでいた
誰に 食べさせて
もらってるんだって
よく威張った
気に入らないことがあると
出てけ!とか
女を人手の一つとしか
見ていなかった
技術立国 経済大国 民主主義
戦後の日本を支えてきた
昭和が ことごとく崩壊した
屋台骨が なくなり
「何を 信じれば
いいんだろう」と
人々が ぐらついている
長引く経済の低迷やコロナ
経済的にも 精神的にも
追い詰められている人々
でも 日本は まだ豊かなので
それを 食いつぶしながら
耐えている
それが 現代 令和
経済優位の
グローバル経済へと
世界は向かっていった
みんなが 日本は
このまま続くだろうと
思っていたんですね
成功の要因は
終身雇用だとか 年功序列
男性優位といったものに
代表される 昭和的な
日本の組織構造
昭和の時代は
それで良かった
それらのシステムが
うまく機能することで
日本は経済大国になれた
その成功が
大きかったゆえに
変えることが できなかった
大企業の利益確保のために
下請けの中小企業が
薄い利益で我慢しなければ
ならないなど
日本独特の 社会構造は
労働者を貧しさの中に
閉じ込めた
ものづくりこそが 尊い
古い価値観に縛られて
IT企業などの 新規産業も
世界に遅れをとったこと
一気に 顕在化した
世界から 日本が
遅れてしまった
時代の荒波の中で
取り残された人々
忘れ去られた人々の
苦しみや 哀しみは
社会に暗い影を残した
それは
他人ごとでは なく
自分の身に起きていた
弱者は簡単に切り捨てられる
という国家の冷酷さが 露わ
そして今 経済成長なき
インフレが 始った
円高が定着する時代は
終わったようだ・・
インフレは 隠れた税金
物価が高くなれば
実質賃金を下げてしまう
増税するのと変わりない
そんな
絶望的な状況にあっても
「それでも 生きていく」
それが 大事だと
なんとでも 言え
そんな 慰め 邪魔なだけ
すべてを 引き受けて
生きていかざるを
えないという
最終章の「日本幸福論」

◇◆◇ ───────────
これから 私たちは
何を信じて
どう生きていけば いい
欲望が あるから
経済も社会も文化も
発展してきた
そして
「生産」ではなく
「消費」を通じて
人々の欲望は 計られる
欲望の実現には
限界があることに
今 生きる人たちは
気付かされてしまった
欲望のために
環境に負荷がかかれば
公害が 発生したし
気候変動を引き起こした
福島第一原発の事故で
東京の欲望を満たすための
電気エネルギーが
福島で作られていた
そのことを知り 愕然
欲望を満たすために
実態は どうなっているのか
見届けて いなかった
欲望を 否定しない
ただ これからの時代
他者に対する負荷を
限りなく少なくしていく事が
真っ当な 社会のあり方

◇◆◇ ───────────
欲望の時代において
幸せのあり方は
「快・不快」に
大きく左右されていた
おいしいものを食べたり
豪華に暮らすことが
幸せと直結していたが
少しずつ 変わってきた
「快・不快」と
「幸・不幸」は 異なる
仕事で
たいへんな思いをした
けれど
やり遂げたときの
達成感や
他者と築いた信頼関係に
満足感を覚えたという
経験をした方は 多い
つまり「幸せ」とは
その人の人格に依拠したもの
そのようにして得た「幸せ」は
時代の変化の中にあっても
いささかも 揺らぐことが ない
世界は愚かだけど
それを高みから批判しても
何の意味もないし
何も生み出さない
この世には
信じるに値するものが
まだ残されてある
ダバオのダイレクトな
鮮明な強い光に比べると
東京の光は 靄がかって曖昧
だからこそ
ふとした日常の瞬間の
曖昧で ささやかな
優しい感情を
日本人は 失っていない

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フィリピンの路上商人たち
彼らは 時に「騙し」
「騙され」ながら
嘘をも受け容れている
経験知として
失敗しても 誰かの稼ぎで
食いつなぎ合いながら
頼り合ってささえられ
ギリギリの状況を
たおやかに生きている
彼らは 不確実な環境を
織り込んで 生きていて
それまでの仕事が
立ちゆかなくなっても
あっという間に
ほかの 新しい商売を
見つけてくる
たくましい人たち
人生の問題の多くには
そもそも 明確な
解決の方法など ない
そうなれば
フィリピン人の様に
問題を迅速に解くことよりも
問題が解けない 宙吊り状態に
持ちこたえる力のほうが
生きるに大切だと 理解できる
答えの出ない 毎日の中に
いつづける フィリピン人

間違った
理解の仕方をしてしまい
ともすると
「問題を 解けない自分が
ダメなんだ」という
袋小路にハマり込む 日本人
解けない問題の中で
試行錯誤して
ひらめきを得たり
やっぱりダメだったという
失敗を繰り返し
そこから想定外の
新たな問いに
向き合っていく
フィリピン人
とりあえず
今すぐ成果を出す
拙速に解答を出さねば
ならないと なれば
フィリピン人のプロセスは
非合理と一蹴されてしまう
でも それ 違うな
「偶然」や「不確実性」を
前提として 答えの無いものを
生きていく力に換えていく
その事も ありじゃないか
頑張ってみても
失敗するときは 失敗する
でも
「失敗=終わり」では ない
若いときに流した汗が
年老いて涙に変わる
そんな 日本が垣間見える
残念
頑張り 努力しても
ままならないことがある
他人や自分自身に対する
寛容さや 頼り合う事が自然
困ったら 助け合ったり
人と人のつながりが
暮らしの根幹を支えている
それは
世間の複雑さに対する
想像力へとつながり
能動的な働きかけの
原動力になる
ままならないから
豊かであることもある
貧しくも 心は豊
丸出しになった 貧困
己らの現実を受け容れ
それを 陽気なものへと
変換してしまうところに
フィリピン人に対する
おおいなる底力を感じる
競争社会
そこには参加せず
必要最低限の
生活ができればいい
そう考える人たちが
ベッドの中にいて
歩くこともしない
それでブツブツ言っている
自分だって 似たり寄ったり
70歳を過ぎた今
たくさんのものは
もう 要らなかった
今は 一日一日が貴重
貧困ではないが 質素な暮らし
心豊かに生きていくには
どうしたら いいか
さぁ 今日はどうやって
豊かな気分で
機嫌良く過ごそうか
取り立てて 特別なことを
するわけじゃなくて
モーニングコーヒーを飲んで
買い物や散歩に出かけたり
家で食事をしたり
天気がよければ洗濯
終われば 映画を見たり
何でもない ごく普通の営み
そこに喜びや豊かさを見出す
フィリピン人と何ら変わらない
質素な豊かさを
じっくり味わう生活
ないのは お金だけ
あとは 全部そろってる

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南国のフィリピン女
本来的な肉体の美しさとは
こういうものかと
思わず目を瞠らされる
音楽が聞こえれば
その肉体を ゆすり
ひたすら踊る
ステージではなく
街角や自然の中などで
即興的に踊る「場踊り」
気持ちよく
身体を満たしている時にかく
うっすらとした汗
躰をおおい 陽に光る
女の人間味や あたたかみ
人肌のぬくもりと抱擁
やわらかいまなざしを
感じ取る
自由気ままな遊び好きの
女の周辺で起こる
喜怒哀楽
南国女は 早熟
酸いも甘いも
かみわける大人
人生模様をつづって
いかにも 南国女らしい
食(生きる)とは
死とつながる
かけがえのない儀式
飢餓を思い知らされてきた
女たち
渡航費用を借金
縛られながら
何も知らない国に
働きに出る
たいした女たちだ
何年も故郷に帰れない
寂しかろう
事件に巻き込まれ
レイプや暴力にもあう
危険な海外就労
でも 元気出せ!
日本では 戦中にあった
女のアジア戦地就労
サンダカン
根は同じ 家族の救済
中年やシニアの恋愛
「黄昏ダバオ海流群」
現地物語りが 繰り返される
エロスを押し出しすぎず
内面のひだに 分け入る
ダバオ女を シニアが支持
ダバオに住むシニアに
社会常識や世間知を求めない
こうした「大人の事情」
ダバオの男と女のあり方
味わい方を知る
食べて 恋して
人は 生きている
ヴァギナ 女性器を
魔除けとする風習
それは 豊穣のシンボル
「圧倒的な存在感」
その圧倒的な存在感を
ただ観ている
何も 求めなくて いい
いや 求めても よい
ダバオの女は 献身的
微笑めばカワイい
そして「幸せと」 口にする
日本人の目から見て
何が 幸せだ と?
なぜ そんな事言える
自分は ためらうことなく
「わからないな」と言う
将来への希望や 未来より
幸せとは 満足感なのか
今日は 腹一杯メシが食えた
それで 幸せか?
1日を生き 今に集中する
そういう姿勢で臨めば
確かに 気は楽だろう
フィリピン人 人々の
日常生活や気分は
感情では ないな と
考えてみた
つかの間の 喜び
幸福を決定するのは
目の前の状況よりも
むしろ性格なのか
生まれつき
幸せな性分の人もいれば
もともと
ふさぎ込みがちな人もいる
ならば 幸せに向けて
手助けできることは
あまりない
恋愛が充実すれば
男も女も
生きる張り合いが
強化される
南国女に
アタックするときは
堂々と 正面からぶつかる
だが 相手が少しでも
迷惑そうな
そぶりを見せたら
素早く退散
これっきり これっきり
もう これきりですか♪♪♪❓️
自信をもって女に
ガンガンぶつかる
自己肯定感の低い男が
魅力的なはずが ない
いけ〜
「若いイケメンが好き」
そんな集団には 参入しない
そこは無理 最初から捨てる
自分に可能性があるのは
「ぽっちゃり好き」
「年上好き」
「頭のいいひとが好き」
という女たち だけ
どんな好みの女だろうが
それらの要素がないなら
ぐっと堪えないで 去る
なにをやったところで
どうせ無残に散る
あなたも知ってるだろ
いるよ いっぱいいる
シニア人生を 担保する
健康と良好な女性関係
それさえあれば 生きるは
なんとでもなる
年齢はジャストナンバー
男と女は 年齢より
相性のほうが大事
たかが
お金ごときのことで
心をざわつかせるのは滑稽
「南国への憧れ」
「ビーチリゾートへの憧憬」
ではなく もっと
リアルで身近な存在 南国の女
健全で
心地良い この瞬間が
存在している
日本では得られない もの
それを
遠い土地のものとしても感じ
あらゆる土地と時代が
この瞬間から
すべてつながっているような
感覚を持ちはじめている
自分は
いったいどこに
属しているのか
問いながら・・
さまざまな女との出会いも
発見も苦い経験も
ありとあらゆるものを
ミックスしながら生きている
シニアの姿に
新しい世界の地平を見いだす
南国をとおして
老い人は 穏やかになり
ダバオのありようを知る
文化が女性が社会を変える
こういう基点から
ダバオは 始まっていく
南国女の眩しすぎる
魅力的な笑顔は
まさに ダバオのありようを
象徴している

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相変わらず
「成長」という言葉を
日本は 安易に使う
もう 既に コンビニに
代表されるように
日本は凄い国に
なっている
でも 目指すべきは
「成長」では なくて
「成熟」じゃないのか
人生は すばらしい
なんて 褒められない
「善き者は逝く」
誠実な人たちは
先に逝ってしまい
しぶとい人間だけが生き残る
人間世界は 矛盾だらけ
努力したって
報われないことが
山ほどある
それを覚悟した上で
努力すれば
落ち込まずに すむのか?
いまや「マサカ」の連続
もう何事も予測ができない
日本が老大国な事実
フィリピンは 若い国
それだけで 未来に希望が
楽観なのが いい
日本は この先100年ぐらい
若返ることは あり得ない
だからこれから 立派な成熟を
どう遂げていくかしかない
それでも 日本には
まだまだ先がある
ゆき過ぎた便利さを見直し
もっとシンプルな暮らしを
考えながら 成熟していく
生きいそぐ日本から離れて
自分とゆっくり
深呼吸の仕方を確認し合う
そして ダバオで呼吸して
酸素をたっぷりと
取り込んだ 自分はまた
自分の居場所である
海の深くに帰る
人間が本当に必要とされ
楽しいと思えるような
社会の作り方を考えたら
日本は いい
それが 成熟ってことだと思う




















