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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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何もかも恵まれ過ぎた 日本
だが 残酷な現実もあり 離脱
老人ホームに入れなど
年寄りを 子ども扱い
言う事を聞いておれだって
自由が 制限される
まっぴら御免
何故 姨捨山な日本で
老後を送らねば ならない か
「日本では ない
どこかへ行きたい」
早く逃げて
そして自分が自分らしく
耳を塞がずに
生きられる場所へ行こう
誰にも邪魔されることなく
自分のペースで
日々を過ごせる場所
自分のことは 最期まで
自分で 後始末をつける
言葉が分からない事が
良かった
街を歩いていて
聞こえる言葉は ビサヤ語
「聞こう」と しないと
なんと言っているか
分からない
それが 良かった
南国が手渡す ひとときは
短すぎる老後だが
それでも 充分すぎる
自分の永遠の夏が
霞むことは ない
ひとが 呼吸をやめず
瞳が見ることをやめない限り
自分に限りある命をもたらす
日本不在の「自分」と
ダバオにいる自分との距離
素朴な民と 海と自然
女性もエキゾチックで魅力的
環境を変え
人目も気にせず 過ごせる
自分にダバオは 別天の地
女の汗を感じる距離
目に見えない何かに癒やされ
これまで 感じたことのない
満足感と感謝に包まれる
同じ空を見て それを
一緒に綺麗だと言えて
同じものを一緒に食べて
おいしいと言える パートナー
限りある時間を
有意義に使って
楽しい時間を過ごす
楽しいことだけではなく
苦楽を共にする 覚悟で
向き合う 年の差の恋
ダバオに行くことでしか
見られない風景があり
触れられないものが ある
そして
知ることのできないことも
みずみずしく
描きだされる植生や
さまざまな
鳥の鳴き声を聞き
昼寝にふける
緩やかに生きる場所
何も知らない所で
知らない人達の中で
自分が主張しなければ
誰も自分に気づかない
不便とも言える
環境の中で
工夫して生きている
食べること ひとつでも
「コンビニで 適当に」が
できない環境
カップ麺の牛乳もどし
たまにしてる
写真がなければ
メニューが 分からない
この料理は 美味しいか
考えて 慎重に選ぶ
物と出会い
食べ物と出会う
明日も そこにある
保証は なにもないから
今に集中して楽しみ 味わう
明日のことは 考えない
今が すべて
先のことばかり不安がっても
この国では 仕方ない
いや 仕方 あるか
餓鬼の如く 悩み無く
今のことだけ 考えれば いい
昼間 電気を付けないで
太陽光だけで
部屋の中にいるのが
南国らしく すごく好き
極力 太陽光で生活してる
自然と人工の対比
野生の中で
生きるものにとって
けがや病は 死に直結する
自分も 此処では 同じこと
生存と生きるということは
違うようだ
自然の中で 生きることと
人工の中で生かされている
そこの違い
自分なりの人生を
精いっぱい
生きてきた つもり
そう言える歳に至った
この年まで 生きてきた
そのこと自体
誰にでも 出来る事では ない
胸を張り 感謝する
「有限」と 言うように
体力とか集中力のサイズは
見えてきているが
今の自分の体で いける?
いけない? みたいな
気持ちのソワソワより
体のワクワクを優先
体力と気力は 直結してる
自分の命に 最後まで
ギラギラをもちつづけ
最後は神仏に命(めい)を託す
その先に どんな命運が
待っていようとも
もって瞑すべきでは ないか
というのが 自分の論法
「今ここ
これで いいのだ」と 思う
本音を言えば 3割ほどは
「今ここ これで
すごく 良くは ない!」
そんな 気持ちも残っていた
日本を そっと抜け出し
南の国に移民した“事実”
多くの人の心の中に
ぼんやりと存在するであろう
南国への憧れを 憧れのまま
終わらせることなく
形にした邦人たちが
ダバオに住み暮らしている
自発的に それを現実とした
その気概に同意
多彩な生き方を実践
ダバオには 個々 邦人の
ユニークな営みがあり
その何でもない出会いや
時間を噛み締めている
移民者の姿勢に共感できる
ゆるい暮らしぶりや
人生観の対比が おもしろい
勝手に 助かっていく
自分にダバオは「向いてる」
そう思い込んでおこう
せっかち人間は
三日間だけの滞在で
飽きてしまうだろう
そんな 田舎街ダバオ
人間というのは
そんなに変わらない
大事なのは 環境
自分の老後を思う通りにと
それは 思っていたことだ
ましてや 何か現地で
いいことまでしちゃおう
なんてことまで
思ってしまった
「好きな場所で
好き勝手したい 老後」
昭和のジジイの 血が騒ぐ
未だ 鼻息も荒い
言ってしまえば
未来すらも
引けを「トラ」ないような
そんな負けず お「トラ」ずの
1年に仕上げていきたいもの
なんと言っても
今年は「トラ」年なのだから!

◇◆◇ ───────────
一年が 終わり
新しい年が始まっている
地球が太陽の周りを
一回りし 次の一回りに入る
1年たつと
私たちは太陽を 1周する
新成人は 産声を上げてから
今までに20周したことになる
その1周は とてつもない
太陽と地球の距離は
1億5千万キロあり
それを半径とする円周
(直径×円周率3・14)
9億4千万キロが
1年かけて太陽を回る距離
この道のりを 365日で割り
さらに24時間で割って
出る時速は 10万7千キロ
秒速なら 30キロになる
東京からわずか 1秒で
立川や八王子に着く速さ
想像を絶する距離を
猛スピードで
自転もしつつ
進むのが この地球
昨年 宇宙空間に
少しだけ飛び出した
富豪らをうらやんだ人も
いるだろうが
誰もが 壮大な宇宙旅行を
地の上で 続けている
しかし 宇宙船
地球号の旅は孤独
同じく太陽を回る
いくつもの惑星と
関わり合うことは ない
夜空に輝く無数の星の
どれかの周りには
生命を育む地球のような
惑星があるかもしれないが
それこそ 天文学的な距離の
隔たりがあるために
存在を確かめることすら
難しい
この星で
生きていくしかないのだ
それなのに
核戦争の不安や貧富の差
環境汚染など 課題は山積
それこそが
まさに自分が立っている
地球そのものの実体
頭を言葉で満たしている時は
この現世とつながっているが
空っぽに なった時は
宇宙とつながる
そうなると 人知を超えた
知性や感覚を超えた
霊性とつながれる
その境地を 手に入れろと
やかましく言われる
そのために
礼儀礼節が 必要だと
自分には わかるようで
わからない
映画では宇宙人の襲来に
一つになる人類が
現実世界でまとまる方法は?
広大な宇宙空間を独り行く
旅路を思う想像力にしかない
幅1キロの小惑星が
19日の朝 地球に最接近した
24年前に公開された映画
アルマゲドンでは
小惑星に仕掛けた核爆弾を
爆発させ 地球減亡の危機を
間一髪で救ったが
個の惑星 1994年に発見され
今後200年来で
最も地球に接近する小惑星
トンガの 海底火山噴火は
地球規模の
地殻変動となるのでしょうか?
フィリピンの火山噴火の
翌年は 冷夏になった
横綱・曙は サモア育ちだが
生まれは トンガだった
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贔屓力士が 何人かいて
大相撲初場所 楽しんでいる
贔屓同士が ぶつかれば
応援に 具合いが悪い
日本では 古くから
行楽や宴[うたげ]を
楽しんだり
儀式を行ったりする際
周りに「幔幕[まんまく]」と
呼ばれる
大きな布を張って仕切った
祝い事で使う縦じまの紅白幕
白と黒の鯨幕は現代でも
用いられる
この幔幕が
大相撲の番付で最上位の
「幕内」の呼び名に
つながっている
江戸時代に将軍が
相撲を上覧した時
一部の上級力士だけが
同じ幕の内に入るのを
許されていた
この習わしに由来し
前頭から小結 関脇
大関 横綱までの関取を
指すようになった
現在の定員は 四十二人で
心技体に優れた者だけが
到達できる地位


















