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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines
    

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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大晦日 近所の騒音に
夜中の3時 起こされた
「自分の現在地点」を
教えてくれる



 

真夜中なのに 腹ペコ
冷蔵庫を開けても
何も無い

どうすれば いい?
という台詞を吐いた

古い年を除き去り
新しい年を迎えた
フィリピン人が
クリスマスを重視するように
われわれ 日本人には
年があらたまる大切な 一日



 

人々の心それぞれに
去年(こぞ)
今年(ことし)が
おありだろう

正月が終わり また
いつもな日常に戻った
「雑談」の皆様 今年も宜しく

 

おせちもいいけど 

フィリピン料理もね

 


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人間は生まれたときから
孤独だから 人を愛するし
互いに肌を温め合う
だけど 根本は孤独

マンジャーレ
カンターレ アモーレ
食べて 歌って 愛して
ラテンで 陽気なフィリピン
今年も狂気に抱かれよう



 

この命は 自分一人の命
それなのに
自分が命を嫌いに
なってしまったら
生きている甲斐が
なくなってしまう

それどころか
たったひとつしかない
命に対して 申し訳ない
そう思いますよ?

老いての死因は「自然死」
美しい言葉

自分という人間は

この世に一人しかいない

そのたった一人の自分を

認めてあげないで

「どうせ 私なんか」などと

自分を否定したり

卑下したりするのは

自分をバカにしている

自分に対して失礼

 

「私なんか」ではなく

「私こそは」と思って生きる

おおらかに
笑って過ごす余裕は
どうしたら持てるのか?

生き物は みんな

陽の差す方へ
明るい方へ伸びていく
自分も同じ
生き物は みんな
そういうふうにできている

だから 陽光輝く
南国暮らしが 命を繋ぐ

自分へのおまじない
そうやって
おまじないをかけながら
生きてきた

燦々と降り注ぐ 太陽には
人を生に向かわせる力がある
おまじないの効力は ダバオで
20年経ったいまも 続いている

 


◇◆◇ ───────────
自分は 少しな収入で
ごろりと横になって
軽量化された暮らし 

独り住まい
落ちぶれた 世捨て人
なのかな?・・

今年 
困ったことになるのか
日米の金利差はさらに拡大
ドル買い円売りが加速し
フィリピンも

インフレ下で増税
さらに円安が進みそうだ

異常気象の脅威も高まる
世界は「災害のデパート」
日本から 回復力を学べ

「時代閉塞」だと
新聞 TVが 騒ぎ立てるが
本当にそうなのかな と疑う
マスメディアは これまで
社会をどのように報道
描写してきたのか?

世論に まどわされない
老いては 起ち向かえ ない
ゴロリと寝そべることで
「NO」と言う 姿勢

今 日本人は 

自分自身の中に
押し殺している
怒りのようなもの
いっぱい抱えすぎている
すでに その許容量は
MAXを 超えてしまった
怒りに触れた途端に
免疫機能が過剰に反応して
アレルギーが 吹き出る
無差別犯罪を引き起こす

新年の願い事は しない
「いつでも ただ
   ありがとうございます と
   お礼を申すことにしている」
 
日々の苦労や
不本意な出来事は多くても
まあ 何とか
昨年を過ごすことが
できたんだから その感謝

 


◇◆◇ ───────────
ここは ダバオ
ほとんどの日本人には 
知られていない 南国の街

ダバオに行くことでしか
見られない風景があり
触れられないものがある
出掛けないと
感じられない空気

知ることのできないこと
みずみずしく描きだされる
南国の植生や 海 空 風
さまざまな鳥の鳴き声

 

ネエちゃんも 綺麗だ

 



最初に目にしたときの
直視できない真実を
見てしまった嫌な感じ
そそけ立つような風景

しかし それこそが
まさに自分が立っている
ダバオ そのものの実体



 

はて 自分は なにを求めて
この街に
やって来たんだっけ?

ここに立つと
どんな景色が見えるのか
どんな空気が吸えるのか
音 明るさ 陽射しの強さ
無限にかき立てられる
感情の変化

時間にゆとりをもって

いつもより もっと

ゆるいテンポで歩む

穏やかを運んでくれる

歩みを落としたことで

同じ景色が違って見える
 

そんなの試すのに

なんらカネはかからぬ

気持ちも表情もゆとりある

南国の穏やかさを

心がけては どうか

山登りをすると
すれ違うときに
「こんにちわっ」て 

挨拶するでしょ
でも 下界に降りた途端
やらなくなっちゃう

エレベーターで
知らない人が
乗ってきたとき
「こんにちは」と
なかなか声をかけない
日本人は どうしても
受け身になってしまう

ここ フィリピンでは 
道で擦れ違えば HELLO
アサ ヵ

「どこいくの」って

余計なお世話だ・・が
声がかかる

こちらから
声をかけなければ
向こうからも
声はかからない
こっちが笑顔にならないと
向こうも笑顔になれない

自分は そういうことを
ここで 自然と学んできた
笑顔が 大事だって



 

「こんにちは」って
声をかけて 
自分の範囲内の
コミュニティを理解する

そうしないと
自分も変わらないし
世間も変わらない

 


◇◆◇ ───────────
自分が
ここでしたかったのは
主体的な振る舞い
主体的に物事を進めてみると
どういうことが 起こるのか

主体的であることの
喜びに目覚めた人は
自分を変えるのは
自分の行動一つだという
その事に気付いている

どう生きるかを 
決めるのは自分自身
そのままで いたいのか
変わりたいのかを考えて
変わりたいと思えば
変わればいい
自分の気持ちに
素直になれば
変わっていく

「変わらない」その実感が
日本の絶望の構成要素
現場の自由を拡大すれば
現状が 不利であっても
「いつか変わる」希望と
「自分で変える」力を育てられる

書いているだけで
気が滅入ってくるのですが
これが 今の「日本社会」

成熟した大人になれ 日本



 

日本は 美しく 素晴らしい国

 


◇◆◇ ───────────
自分の住まう環境を
自分に最適化させる
自分が心地いいように
一つずつ 試しながら
変えていく

人生 どんなところでも
気をつけて 耕せば
豊かな収穫をもたらすものが
手の届く範囲にたくさんある

もの凄く
大変なことでもないし
もの凄く
運が必要なことでもない
少しずつ
いつでも 変えられる

トーベ・ヤンソンのムーミン
生き物が全部違う形をしていて
しかも みんな
ちょっと性格が悪い
じゃこうねずみは
愚痴ばかり言っているし
ミィも陰険だったりする
でも ゆるく共存している

いろんな人たちが
凸凹のままでよくて
それぞれが抑圧されずに
押し殺されずに
その人の形のまま存在できて
ぶつかり合わない
そのバランスを
私たちは感覚的に
自然に もう一度再生し 
作り上げなくては ならない

老いた者は ただ 
やりたいことをして
楽しむ
そうすると
生きている苦労なんて
あんまりないんですよ

天気の良い日であれば
テラスに出て 風に吹かれ
しばしの 昼寝 昼夢
そのくらい自由で
いいんじゃないですか

もう 何もしなくて
良いのですから
何もしない

元気で愉快に老いるコツ



 

自分が思っている自分と
他者から見た自分が違う
面白いところだなと思う

人は案外
自分のことほど
わかっていない
自分自身を
理解できるようになれば
他人を理解しやすくなる
豊かで建設的な対話のために
まず 自己理解なのだろうな

しょうがないものは
受け入れるしかない
折り合いをつけるしかない
あとは のんびり
好きなようにやればいい

 


◇◆◇ ───────────
どうも最近は
「さっさと処理する」
行動が 苦手になって

「これは 優先事項だろうか
   後回しにしても
   問題ないのでは ないか」
なんて グズグ ズすることが 
多くなった

加齢とは こういうことか
老いてみないと
分からないことは
随分あるものだ 
面白いなあ なんて
また また グズグズする

ランチには 

ヘルシーなものだって
でも 
自分はホットドッグと
フライドポテトを
ビールで食べる

好きなものを 好きなだけ
ガマンすることなく食べて
毎日を楽しむ
それが 長生きのコツ

そんなもの 食べて
70歳まで 生きてきた!

あなたは いくつ?と
気遣う

それに 毎晩 お酒を飲む
ラムは 1杯か2杯だけ
3杯目を飲む必要はないから

タバコも吸っている
甘い物も好き
体重を心配しなくていい
痩せる事も 太る事も無い

しっかりと食べ 飲み
歌い 踊り 恋し 愛し
そんな フィリピンで生きる


 

そして いつも
ささやかな自由と
ひそやかなプライドを
心に抱いてネ

人としての生き様は
それで十分 と
言われているようで
肩に入った力が
すーっと楽になっていく



 

生命が躍動していれば
健康だというのが
自分の考えですから

年をとれば
体力は衰えていく
しごく自然なこと

自分は それと反比例して
心の体力が ついてきた
普通は 体力と共に
気力も落ちるのだそうだが
自分でも 驚いている

本当なんですよ

女性には 
今も150% ドキドキ
98歳と決めていた
自分の寿命を
コロナで失われた
3年を延ばして 101歳とした



 

最期を迎えるとき
幸せだったら右手を上げる
そう女に伝えているのですが

男が 自分ひとりで
完結させるべきものが
ダンディズム
女は宇宙だ



 

日本の男たちは
どうしてこんなに ひよわで
ダメになって しまったのだ
男らしさが 足りない
という目で見られている

取り戻す 妙案など無いが

自分の足元をみつめ
未来をみつめる
そして
ただしく絶望する
そうして思い切って
「しょんぼりする」

そうすると わかるが
「しょんぼりする」は
構えとしては
きわめて安定的で
しなやか
どこにも 力みがなく
こわばりもない
何か起きても
すぐに対処できる

現代修験道は
若い女性たちが
支えているようである
なんと・・強いことか

なぜか 今
好きだと叫びたくなる
自分は生きることが好き

 


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フィリピンでは
みんな 小さな商売している
間口一間の ささやかな店
そう 
サリサリストア 雑貨屋

近所周りで 金を回して
みんなで食って行くって
すごいな

近所周りで
子供たちの騒ぐ声で
将来に希望を 持ちながら
死んで行きたいと思いますが

日本人は みんな もっと
フィリピン人のように
寛容になれないものですかね

 


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