□□■─────────────────────■□□
           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippine 

       
            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
□□■─────────────────────■□□
あさみどり
澄みわたりたる
大空の廣きを
おのが心ともがな

それぞれの朝は
それぞれの物語を連れて 
今日も やってきた

とにかく朝

目が覚めた時の

南国の澄み切った空気……

前日に

大酒を飲んだとしても

朝になったら

体中に染み込んだ

「汚れた脳細胞」やら

「邪悪な胸の内」が

ス~ッと 浄化されている

 



今日が
自分史上初という毎日
だから それを楽しめる
自分で いたいもんだ

「今日 やりたことって?」
「自分が 喜ぶことって?」
 
料理を作って
美味しい顔に
喜びを感じる時も自分

海風にあたりながら
物思いにふける
静かな自分も自分

自分は こんなヤツ!
決めてしまうと
疲れてしまうよね

コロナだって
「道徳的に悪い人」が
かかるわけでは なく
偶然性によって
誰でも かかるもの
重篤になれば 死ぬ

人生とか 人の一生は
とても残酷で 不平等で
理不尽で 死ぬ
コロナが 証明した

自分は 生きている

なるべく それを
他人のせいにしないで
自分に 言い聞かせる

人は 流されながら
年をとったって いい

それでも 強く柔軟で
深みのある大人
「よい大人」になれる

「今日死ぬかもしれない」
事故で?そう思うほうが 
生きられる強さを
身につけやすい

自分に ダバオは
「不在」の土地として
映っている
ダバオと言う場所で
連綿と続けられてきた
人々の暮らしと
信仰の深さと
天がすぐそこにある風景

「不在」の感覚
入り組めば
入り組むほど
見たこともない景色が
広がって 愉快 痛快

自分は 密かに抱えていた
思いを ダバオで遂げ 
老いを達成した

その一瞬で
自分は 自分の老いと
折り合いをつけた
死に場所を探しながら
年を重ねてきた が
流されながら 年を取り
丸くなってきた
そうやって
生きていると
いいこともある
それでいいんですよ

毎日 答えが欲しくて
生きていますが
今日の答えは これ

笑いながら
生きていかんと!

自分は 明るいものが
本質的に好き
笑っている人が 好き

 

でも ボーっとしている
自分を 誰かが
笑わせてくれることはない
人は笑うために 努力する

笑うには

体力もいりますしね

コロナ対策の制限が
ダバオで 少し緩和された

ジープ内
ビニールの仕切りが
取り除かれた
酒も自由に買える                
                
だが まだ
飲食店では 店内での
アルコール販売は 禁止
店内で お酒が 呑めない

酒は 自由気儘に飲むもの



 

あの灯りが好きだ

やかましくて

雑然としてて

温度があって

友だちを祝ったり

がんばった人をねぎらったり

しょうもない話で笑ったり

言えなかった想いを伝えたり

そんな時間が 気づけば

ずいぶん 遠くなって

それに慣れてきたのは

どこか さみしかった

いっしょに

飲みたい人がいる

大げさに言えば

生きる喜び だから

居酒屋の バーの

レストランのあの灯りが

我々には 必要だ

なんか 普通の空気に
なって きてる だが・・

これは コロナの

「死んだフリ作戦」で

世間の人々が 

気を許したスキをついて

一気に増加の大逆転劇

 

したたかに 頭のいい

ウイルスだから

狙っているのでは? 

と思いつつも……う~ん

ダバオのものごとって
みんなとてもあいまい
まさに そのことが
自分を 安心させるん
だけれどもね

あいまいさを そのままに
明確にしようとしないのが
骨折れるが 笑ってしまう



 

22年間
ウナギをペットに…?
自分と どちらが
長生きするかって
競争してる男

そんな男が 可笑しい
いいなぁ

このウナギ8年ほど前
脱走騒ぎを 起こした
夜中に水槽から逃げ出し
翌朝 床の上で もがき
苦しんでいるところを
発見された

皮がむけて瀕死の状態……
これは ダメかと思いましたね
でも ウナギの生命力って
凄いんです

みるみる 回復して
いまは 元通り元気


 

口の悪い仲間が
『みんなで食っちゃおうよ』
と言うんですが

私は1度も
食べようと思ったことは
ありません
いまでは
どっちが 長生きするか
競争ですよと 

仕事に疲れると
水槽の前に椅子を置いて
ビール片手に
ウナギを眺める 谷口さん

「君は 大丈夫だよ
   おもしろいもん」

「そのまんまで
   あんたは 
   おかしいから」
自分も人から 
そう 言われたい

 



──今までで一番

ハッピーだったのは

何歳のときですか? 

それは「今」ですね

20歳や 10歳のときと比べて

自分自身の期待の程度を

現実とうまく

合わせられるように

なったから

いつも悠々と 愉快に
自分をもてなし
機嫌良くしていたい

笑顔を絶やすな
あいさつはしたか
感謝はしたか
油断はないか
満足の一日だったか

 


◇◆◇ ─────────
母親は
「どうして
   普通のことができないの」
と いつも 
自分に言っていた

アルバイトで
食いつないでいた頃は
「ちゃんとしてくれ」と
泣いた

母親は「普通が尊い」
そういう人でした

「本当に親不孝だな」と
思いながら
普通にできない
日々を 送っていた

あの頃は
とりあえず 大学へ行って
法事で親戚の前で
名前を言っても
恥ずかしくない
できるだけ
つぶれない会社に就職して
結婚して 子どもを作って
家を買う それが
「いい人生」
普通だと されていた

父親が
駅前の店で 飲んでいて
母親から
呼んで来るように言われ
よく迎えに行った
飲み屋は キャバレーが
建ち並ぶところにあり
その前を通るのが
恥ずかしくて

カウンターで飲んでいる
父親の腕をゆすると
決まってもつ焼きを
何本か 頼んで
食べさせてくれた

あの味 忘れられない

すでに店を閉じてしまい
記憶のなかにしか
残っていない店がある
名前すら忘れてしまった
店もある

せつなくなる
しかし 自分の舌には
それらの店の

もつ焼きのタレの味
それは 記憶されている

両親の世代は
進学→就職→結婚
→子作り→持ち家という
ステップを踏むことが
大人になることだという
「昭和の普通の価値観」を
まっとうしてた

当時 若者だった
自分たちの世代は
生き方において つねに
「正しいか」
「間違っているか」の
二者択一を 突きつけられて
いたのでは ないか

そして 自分は
昭和の幸せの価値観の
「進学・就職・結婚……」
そのステップのすべてを
人よりも 後回しに
達成することに
なったので・・

母親から
「あなたは間違っている」と
言われていた

ところが 時代は一変
今でも 昭和の価値観は
存在しますが

長引く不況で
そういう幸せな人生を
送ってきた人が
ある日突然
会社の倒産により
苦境に追い込まれた

また 近年では
「会社が 老後まで
   面倒をみてくれる」
その前提も 崩れつつある

そういう中で
従来の幸せのモデルが
「本当に幸せなことなのか」
疑う風潮が 出てきた

今の若い世代には
「多様な価値観を
   共有する」という
感覚が当たり前にある
それが とても羨ましい

当時 今の風潮で
自分が 
同じことをしていれば
母は 大号泣しただろう

当時 彼女が出来て
ふたりで いつものように
渋谷 円山のラブホにいた

朝起きたら
彼女が 三島由紀夫の
『金閣寺』を 読んでいた

当時の自分は
文学や音楽の情報を
彼女から

教えてもらっていた
そのときも 自分に
『金閣寺』の
素晴らしさについて
説明してくれた

それで
「金閣寺に行こうよ」
と 言った

『金閣寺』を 読んで
金閣寺に行った
今思うと
かなり危険な
行動では ある

彼女は 金閣寺を見て
「普通だね」を
自分に 連発していた

四半世紀後 彼女は
普通のお母さんを
していることが
Facebookでわかった

一方 自分は
彼女に言われた言葉を
引きずりながら
「普通でいたくない」と
思って生きてきた
女性は 残酷な生き物だと
感じていた

彼女とは
自然消滅で
終わってしまったので
本当は どういう人間なのか
当時 何を深く考えて
生きていたのかに ついては
いまだ わからない まま

 


◇◆◇ ─────────
気が付いたら
生まれていたんだから

とくに 長生きしようと
思っているわけでは ない

ただ 自然のなすがままに
日常を任せていたら
いつの間にか
長生きしてしまった

そんなのが いい

 


◇◆◇ ─────────
「負 けた」はずが
「勝った 大勝ちだ」に
だから まあ笑い話

勝った
気がしない 自民党 
茫然自失

4年ぶりの選挙
何も変わりません
あまりに 不毛だ

比例って 何?って

落選後 比例復活 え!
ゾンビ議員が ウヨウヨ
選挙区で有権者に
否定された議員が
大量発生で 生き残る 
やりきれない

「民意」とは 一体
何だったのか

独り善がりの
オッサン政治に
いい加減 うんざり

工事現場は 昼休みで
赤銅色の顔した
老いた工事人夫が
積んだブロックに腰を下ろし
湯気立つカップ麺と
おにぎりを

交互に食べながら
何か思い出したか
空を見て 

一人笑いしていた

目が合ったので
お辞儀をすると
老人も機嫌よく
うなずいてくれて
うれしかった

 

こういう人たちを

心配してあげるのが 政治

自由で寛容な社会が
過去に 確かにあった

どのような
時代の変遷に遭おうとも
日本は 日本を
日本たらしめているものを
見失っては ならない

政府は今
台湾の半導体大手を
日本に誘致し
最大8千億円もの
建設費の半額程度を
補助することを検討中

産業政策の失敗のつけを
納税者に回すようなもので
大いに疑問

独創的技術への挑戦を
もっと真面目に政府は 
評価するべきだった
挑戦する人を大切にする

新しい酒は新しい革袋に盛れ
新しいものを 生かすには
それに応じた新しい場や
形式が必要

新しい場や
受け皿があってこそ
新しいものが生かされる
新しくて巨大な革袋には
多くの知恵も盛らねばならない

日本人であることを 忘れない

 

 
◇◆◇ ─────────
国は 食べ物に飢える
国民を 一人でも 
出しては いけない 
政治の根幹



 

餓死者をだしてしまう
国もある

食糧不足で 苦しんでいる
人々を救うため
世界一の富豪である
あなたの資産の一部を
提供して欲しい

そう呼びかけられた
テスラ社のオーナー
イーロン・マスク
テスラの株を 今すぐに売って
寄付してもいい と 答えた

しかし そのためには
どうやって 世界の飢餓を
救えるかを 正確に説明する
そのことが 条件だと述べた

もっともなことだ

 



世界一の富豪に
やって欲しいこと
マスクに
寄付を訴えていたのは
国連世界食糧計画
ビーズリー事務局長

ビーズリーは
コロナ感染症の影響で
4200万人の人たちが
深刻な食糧不足の
危機にある と 警告

その際に
ジェフ・ベゾスを抜いて
世界一の富豪になった
マスクに対し

マスクが 1日で稼ぐ
金額に相当する
7520億円が
4200万もの人たちを
救えると述べ 
支援を求めた

マスクが 反応した
7520億円で
どうやって世界の飢餓を
解決できるのか
国連が 正確に
説明できるので あれば
テスラの株を 今すぐに
売って支援しましょう

その上で お金が正確に
どのように使われるかを
一般の人たちが
見られるように
オープンソースの会計で
説明しなければいけない
とも 求めている

このマスクに
ビーズリーは
私たちには 透明な
オープンソースの
会計が あり
マスクのチームは
国連と一緒に
内容を確認した上で
納得してもらえる
と 回答した

そして
あなたの助けで
私たちは 希望を
もたらすことができる

世界を安定させて
未来を変えましょうと訴え
直接会って
説明させて欲しいと求めた

食糧不足に苦しむ人々と
資産を増やした富豪
気候変動や
コロナの影響で
世界各地で 食糧不足に
苦しむ人々の数が
急増している
緊急な援助の必要性を
訴えた

その一方で
世界トップレベルの
富豪たちは
コロナの中でも
資産を増やしてきた

マスクは
その筆頭とも言える存在
マスク氏の資産は
38兆1700億円
世界で最も裕福な人物に
なっている

米国大手の
自動車レンタル社Hertzが
「テスラ・モデ ル3」を
10万台注文したところ
客からの反響が すごいので
更に10万台追加 お願いした

このような大きな販売では
当然大幅な割引になるはず
だが テスラは
通常の小売値段で 契約した

嫌なら 他へどうぞ
まだ 生産台数が
限られ ているので
貴重な車なのである

マスクは
ロケット工場敷地内の
極めて質素な
小さなプレハブの
小屋に住み

本田総一郎氏のよ うに
工場で働いている

利益の全ては
火星移民100万人計画の
費用に充てている
新興宗教の教祖のような
タワゴトに聞こえるが
本気であり 実現するだろう

評価額が
4兆円を超えた
オーストラリアの
スタートアップ企業

「Canva」の
創業者が
その資産を

ほぼ全て 寄付した

Canvaは 誰でも簡単に
ウェブデザインができる
お馴染みのツール

創業者の
メラニー・パーキンスと
夫のクリフ・オブレヒトは
11億円を
アフリカの貧困支援を行う
NPOに寄付し
今後も寄付活動を
積極的に行うそう

一昨年 Amazonの
ジェフ・ベゾスと離婚して
世界で最も裕福な女性となった
マッケンジー・スコットも
パンデミックの

困窮者支援などに
9680億円を寄付している

今後は
毎年の資産総額ではなく
寄付総額で富豪ランキングを
作ったらどうか
ちゃんと再分配を行い
人の命と地球環境を守る
「最もいいお金の使い方」
その功績こそ 称えるべき

その後 マスクが 
援助したのか どうか
自分は 知らない

 


◇◆◇ ─────────
ソファーで無為の時間を
むさぼっている
ぼ~ッと
考えるでも無しの 毎日

楽しいことも
嫌なことも
苦しいこともあって
過去 現在 未来
案外 人生って
短いもんだな と

まだ 
死にたか ないけど

「もう生きるのに 飽きた」
そんな思いも ぼ~ッと 
涌いてきたりする 

自分にも 世間にも
希望というものが
見えてないから かな

そうなら 自分で 
ご機嫌にしてるしか
ないか

食物連鎖は
地球に生物が誕生してから
連綿と続けられてきた真理

肉でも魚でも野菜でも
食べるということは
その命を頂くとこと



 

まだ 日本に居た頃
臨時収入が あって
高級和牛を買った

 

肉は 特別感を
覚えさせる箱に
綺麗に並べられていた
その箱に 一枚の書類が
同封されていた

「子牛登記証明書」と
いうものらしい
これに よって
「由緒ある牛肉」と
証明される

初めて見る
子牛登記証明書は
なかなか胸に
こたえるものがあった

牛の名前が
「はるこ」と ある
かわいらしく
ノスタルジックな
切なさを 漂わせる名
 
“はるこ”の 簡単な
家系図のようなものも
目を引いた

父母
それぞれの祖父母
更に それぞれの曽祖父
計10頭の牛の名が
記載されている

「これらの血を継いで
   はるこは 生まれた」
とのことであろう

識者が見れば
「この家系の肉なら
   うまいに違いない」と
知れるのかも しれぬ
 
一番心を
揺さぶられたのは
鼻紋であった
人間でいう
指紋のようなもので
鼻で判を押した
シワシワの模様があり
その右上に
手書きで“はるこ”とある
 
これらの情報は
目の前でツヤを放つ肉が
単なる“牛肉”ではなく
かつて はることして生きた
牛肉であることを
痛烈に感じさせた

食肉は
生産者の努力や
畜産動物への愛情を経て
消費者に届けられる

この仕組みは
当然頭に置いているし
肉を食べるということは
動物の命をいただく
ということで あるのも
理解している つもり

しかし
畜産動物が食肉に
加工されていく過程を
鮮明にイメージする事は
日常の中では ない

「痛ましいので
   考えないようにしている」
といった方が 正しい

 

卑怯者である 自覚はあるが
「大体みんな
   そんなものでしょ」
という開き直りもある
 
だが はるこの肉は
逃避しようとする
自分を捕まえ
現実の前に
しかと 引き据えた
口に運ぶことが
ためらわれる肉
 
自分より
感性が鋭敏な妻は
「この子 はるこは
   うちの娘(3歳)より
   生きていない」などと
感じたらしく

「食べられないかも
   しれない」と
身を震わせ 葛藤していた

結局
ともに覚悟を新たにして
“はるこ”を おいしく
頂いたわけであるが
これは印象深い
体験となった
 
食肉には
業が付きまとうことを
再確認させられた

だから いまを生きよ 
いまを生き切れ か

あわあわ……
この意味
サッパリわかりません

そうだろうな
阿呆の独り言だもの

インフルエンザになると
高熱が出て
大変だと思いますけど……

それとは ちがいますよ
子供たちの希望は
インフルエンサーに
なりたいんだって

何だ 知らんな そんなこと

今時の子供たちは 
そんな話してるんですね

それが 好きな事 
子どもらの希望か 小さい
世界は もっと広い
社会の役に立つ事
いっぱい あるぞ

そんな 
小さな発想では
人気も出ないし
インフルエンザで
金なんか 稼げないと
思いますよ

自分には 最近
わからない話ばかり

 

余談の類いになるが
「軽石」とは英語で
何と言うかなどは
知らない

まさか
“light stone”では
あるまい
そう思って 調べてみた
“pumice”というの だった

 

この発音は
「ピュウミス」かと思えば
あに図らんや
「パミス」だった

我が国に蔓延る
「ローマ字読み」にすれば
「プミス」となって
しまうかとも思った

 英語の特徴である
「不規則性」に
してやられた 軽石

 


◇◆◇ ─────────