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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippine

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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空が 青すぎる
ダバオ この街の特徴
生まれたての 毎日に
おはようと 声をかけた
おはようの相手が 今日の日
意志をもって 意識して
ほんの少しの言動を変える
心と身体を微調整していく
この命 ある限りだから
もう覚悟を決めた
だからなのか どうなのか
こうしてフィリピンの
ミンダナオ島暮らし
太平洋またいで
大股びらきしている
今日も ダバオにいます
ひとりダバオで人生の財産
残り時間を手入れしている
いやはや 何というか
「お腹いっぱい
もう十 分です
ご馳走さまでした」と
言いたくなるほどの コロナ
9月にワクチン接種を
2回受けた
40代にみえる
女性医師による
2、3の問診があった
私が
「専門は何ですか?」
と質問した
「泌尿器科です」との答え
「歯科医かと心配しました」
そんな 茶々を入れた
そのうえで
「副作用はありますか」
と たずねたら
高齢者には ないが
「若い人は でますね」
といって
私たちの会話が終わった
2回とも副作用がなかった
やはり老人なのだと思って
ひどく落ち込んだ
思いがけない副作用だった
今日の80代は
半世紀前の60代だという
自分に
「お元気そうですね」
そう言う人がいた
「元気なフリをして います」
「元気なフリができるのも
お元気だからでしよ う」
と いなされた
齢(よわい)を重ねるにつれ
反比例して酒量が減る
酒神を もう一 人の
よき伴侶として生きてきた
酒肆(しゅし)では
酒杯を抱いて
相手がどう思おうと
かまわず
へらず口をたたく
旅へ出かけることもなく
退屈を託(かこ)っている
忙しいより退屈によって
病んで 気が晴れない
鏡にふと写る 自分の姿に
こんなもんか
いま思えば こないだまで
まだ ぐらぐらしていて
自分が なかった
思春期から
人に愛されている感を
持てたことが ない
両親に否定されて
育ったからか
自己肯定感が薄い
人生で まともな
自我が芽生えて
自分を好きになっても
いいかなと 思えたのは
ダバオで暮らし始めてから
60歳過ぎだった
ダバオ暮らしで
「何事も人と比べなくなった
比べても きりがないって
わかりました」
気づくのは
自然な流れだった
比べることをやめたら
この街で 楽に
自分らしくなれた
いやぁ もう 老いれば
全て 成り行きまかせが 楽
愉快 ゆかい
開き直ってしまおう
もう 背伸びしない
完璧を目指さない
多くをほしがらない
考え過ぎない
あの人とは
ウマが合う なんて
よく 言いますけどね
これまで そんな人
一人しか いなかった
自分のように
進んで物事をする
元気にとぼしい
引込思案の性格は
ほとんど 友達もいない
新橋界隈の居酒屋で
オヤジたちが 頻発する
「俺に言わせれば・・」
ホンネを語る際の予告文句
誰も
聞いてくれないから
自ら名乗り出る
気恥ずかしさを
押し殺す効果を持つ
オヤジたちは
小心なので
「俺に言わせれば」の
そばには 必ず
アルコールが控えている
笑顔とユーモアだろう
気難しい顔して
面白くもない話をしたって
誰も聞いてくれませんから
ユーモアセンスが あれば
老人ホームなんかでも
人気があるに違いない
チャーミングな
年寄りにならなくては
チャーミングな人なら
ダバオの若い娘も
かまってくれる
若い娘と高齢者が
接する機会
交流の場があるのは
いいよね
話をしたり
笑い合えるような
機会が増えれば
高齢者も もっと元気になるし

◇◆◇ ─────────
1LDK DAVAO HOTEL
なんてね 洒落てみた
自分の住まう 手頃な借家
ある日 あるとき
ある場所で食べた 食事が
その日の気分や体調に
あまりにもぴたりと
ハマることが
ごくまれにある
ビクトリア・プラザ
駐車場の一角にある
「アハット」
大きな中華系食堂で
海鮮コロッケを食べ
炒飯を片づけ
ビールを
気持ちよくお代りして
ちょっとかすれた声で
春歌をうたう
おいしいものを
心からおいしそうに食べる
自分の 一番自慢したい
自分だ
目の前の女
欧州人との混血だが
陽気なフィリピーナ
目が吸い込まれるように
美しい じっと見つめる
聖なる場所から
やってきたという
女神の気配もあった
早熟な知性と
感受性を持つ女の日々は
輝かしく
ブランディー漬の
さくらんぼが もたらす火照り
彼女は 自分が笑うとき
ガバッと
大口をあいて笑うのが
男心を そそるのだと
言っていた
マスクをして
目もとだけで
アピールする時代
たぶん 彼女にとっては
ひどく棲みにくい
世の中だろう
熱心に 信仰している
二大欲求「性と金」に
対応する ものすごく
わかりやすい女神
安易に手を出すと
痛い目を 見るわけですね
遊(あ そ)び女(め)たちに
優しくすれば
善因善果を積める
中華食堂の窓の外
風に揺れるココナツの樹
沢山の実を付けていた
大きな葉を眺める
風は吹くから
風なのであって
止まってしまったら
それはもう
風じゃなくなってしまう
一日中
ずっと風が 吹いてる
窓から見える 葉が
絶えず 揺れているのを
見ていると 不安になる
不安の正体が 何か
自分でも 分からない
そんな事 考えるのすら
面倒かもしれない
不安なる物の要因を
ネットやTVやSNSで
誰かが発信している
そんな言葉から
納得するのでは なく
自分の直感の なかから
見つけたい
人間は 胃袋だけ
満たしていけば いい
そんな生き物では ない
精神を思考や考察で
常に鍛えていなければ
たちまち 愚鈍化し
今以上に 地球上で
危険な野蛮生物に
なってしまう
国家を
多少なりとも 良い国にし
後人に引き渡す
それが 生物の義務
それを 天命だと思う人は
いずこの 先進国でも
減っている
80年も平時が続くと
行き過ぎたような
個人主義や
福祉の進展と ともに
人間は 野性というか
天命を軽視しがちになる
温室のような環境に
慣れ過ぎると
生命力や耐性が 劣化する・・

◇◆◇ ─────────
人は 他人の内面を
知ることが
できるだろうか
私には できない
自分の内面すら
窺い知れない
どれほど長く
つれそった男女でも
それは
同じこと じゃないか
人の心の内側を
のぞくことなど
誰にも できない
お店のスタッフと
お客さんの関係性も
ダバオでは
上下関係がなく
スーパーの
スタッフ同士が
楽しそうに
雑談しているところに
お客さんが 混ざったり
カフェで
素敵な音楽が かかると
スタッフが踊りだしたりと
接客中でも 1人ひとりの
人間性を感じる
しいて マイナス面が
あるとしたら
日本よりも
物事が スムーズに
進まないケースが
多いこと
ダバオの とても自由で
リラックスした雰囲気が
自分には 好ましい
といっても ダバオが
どうしても 合わなく
出ていく人も
多く見てきた
課題は いっぱいで
完璧な街では ないことも
もちろん知っている
夢中であり 夢見心地
そして瞬間
夢見る瞬間
好きなだけに
囲まれる瞬間
この瞬間のために
息をしていて
懸命に 生きている
そんな大切で
惜しむべき瞬間が
本当に 楽しい
歌っている時
踊っている時
気の置けぬ女との
最高の談笑
上手いとか
下手とか
第三者の目など
気にならない
自分だけの主観で
生きられる時間が
最も美しい瞬間
女が輝いている 瞬間
ただ ただ
好きを 好きと言える
誰にも 止められない
想いを伝えても
笑われない世界
そんな ダバオにいる
日本にいた頃よりは
多様な好きが
認められる場所
自分は ただ
シンプルな人間
好きなことしか出来ない
好きなことを
していないと
息が詰まってしまう
自分のことを
守るために
自分の世界を持つ
そして それが
女の身の回りを
守ることに繋がる
押し付けない
追いかけない
そのことだけには
気をつけている
好きを 好きと
表現し続けて
「ほら時代が
自分に追いついてきた」
なんて 言えるように
なりたい
小一時間 うたた寝をして
あとはシャキッと目覚めて
次の行動に!と
毎回出来るようになるには
どうしたら いいものか

◇◆◇ ─────────
そういった
ダバオの非日常は
徐々に 狂気から
平生に変わっていった
日本とは異なる
ダバオ文化の世界に
深く入っていく
「その文化の違いは
心得ている つもりで
入って 行っても
『こんな事があったとは
知らなかった』や
『こんな事までが違うのか』と
困惑させられたり
思ってもいなかった
失敗も起こり得る」
自分も何度も
そういう異文化に
苛まれる目に遭ってきた
ダバオで暮らす それは
「英語が話せるか?」
などという
「単純な 問題では
ないのでは ないか」
そんな次元の問題では ない
異国の生活
その事を 言いたい
それでも 異文化という
凸凹道の向こうに
「楽しみが」が ある
日本人は「当たり前」の
基準が 高すぎる
何も 当たり前では ない
仕事も 生活も
生きていることで さえ
当たり前では ない
だから
フィリピン人のように
全部 自慢して いい
怪しいモノを
避け続けていると
どうなるか
自分の未来を
良く変えてくれる
可能性も
見過ごしてしまう
怪しいで
失敗してしまう
可能性もある
しかし
ある程度のリスクを
取らなければ
良い未来が 手に入らない
「怪しい」モノには
時々は 近付いてみても
いかがでしょうか
自分の長所を活用して
生きなければ・・
書いてしまえば
今 不満だらけでも
現在は たちまち過去になる
状況を俯瞰(ふかん)でき
本当の自分の気持ちに
気づくこともできる

◇◆◇ ─────────
杖をついても
足取りは 覚束なく
イタリアン食堂には
いつも 見ず知らずの人に
手を取って貰って
入っていた
手を引く ほとんどが
若い女性で あることに
気がついた 店主ジェフは
「あんた
歩けないってのは 嘘だろ」
と 問いただされて
二人で 口論になった
つましい生活を
支え合ってきた
妻に 先立たれて
男には ダバオで
家族というものが
存在しない
ひとりきりの老人の
心の拠り所は
この食堂だけで あり
毎回そこで 男が頼むのは
トマト味の パスタだった
グラス一杯の
赤ワインと
パスタで満腹になると
老人は 店主ジェフと
口の悪いやり取りを交わし
大声で笑い出す
普段は ふてくされて
ばかりいる老人が
子どものように
楽しそうに笑う
その顔を 見ていると
自分まで 無性に
嬉しくなってくる
世の中では
無垢な子どもたちの
笑顔が平和と
幸せの象徴のように
形容されるけれど
何十年もの人生において
酸いも甘いもさまざまな
経験を経てきた老人の
それでも 人生を
謳歌しているかのような
天真爛漫な笑顔は
少なくとも自分にとっては
安堵と元気を与えてくれる
圧倒的な効果があった
一方 日本で
製造ラインで働いていた
74歳のジイさんから
人生の話を聞いた
高卒で
入社してから45年間
製造ラインで平社員だった
深夜残業・土日出勤を厭わず
40代で 年収700万円以上
持家・車ローンを完済の上
子供2人を大学まで出して
今は 孫が可愛いと
かつて 昭和に存在した
ユートピアの話をした
イチロヲさん
現代の感覚では
「ブラック」と 一蹴される
おじさんの働き方だが
昭和の豊かな社会は
たしかに そういった
労働により支えられてきた
製造ラインは 単純作業で
特殊な能力は いらない
体力が 必要の中で
会社内では 時給当たりが
1番安い職種になる
なので 製造ライン者は
長時間労働を
“頑張って” 金を稼ぐ
その根性があれば
普通の人が
日本の中流と言われる
レベルの生活は
30年前には できた
30年前の社員なら
700万円は 可能だが
今の社員 40代が
同じ事をやっても
600万円ぐらい
しかも 30年前に比べ
税金は+50万円ぐらい
多く取られる
しかも派遣なら
500万円行けば良い方で
不景気にはクビを切られる
昔は 何で
能力の無いオジサンが
現在 仕事してる
俺の方が給料低いんだよ!
能力主義を夢見た
普通の人が それなりに
幸せに暮らしていける
昭和は 凄かった のでは
ないか
今の能力主義って
沈みゆく船の中で
我先にと 上を目指して
他人を蹴落としている
そのように見える
昭和往時と現代の
変化について指摘する
息子を大学まで 出したのに
正社員に成れないなんて
イチロヲさんは つぶやく
令和を生きる若者は言う
昭和 全然 良いと
思わないけどなあ
生涯同じ会社とか
飽きるし 嫌だし
家族との時間
自分の時間もないとか
生きてる意味
わからなく なるし…
スキル磨けば
磨くほどちゃんと
金になるし
今に生まれて
良かったよ…
どんなつらさや
苦しみを経ても
人というのは
人生の終盤において
イチロヲさんふうに
笑えるものなのか
それを思うと
元気になれた
自分も 団塊
安月給だったが
中流だったの だから
現状は よく知らない
昭和の人たちの多くは
すでに仕事を退職した
団塊世代
何の取り柄もない人間が
生きていける国が
むしろ 普通なのでは








