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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippine 


            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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Hi みなさん
フィリピンしてますか

澄み渡る青空 陽光 風
昼は暑く 夜は肌寒い
天気も 変わりやすく
だから 南国で育つ人間には
気分屋が 多い

気分屋アンナ
7秒間のハグして あげる



(愛〜ン か)

 

ダバオに移り住んだのは
いつだったか 記憶は 曖昧
20年前近く なるだろう か

義務教育終わるレベルの長さ

特別感なんて なくなり
あるのは 平凡な日常だけ

長いこと
住んでいた つもりでも
ある程度
その国の言語が
できるように なっても
外国人は とにかく
致命的に「知らない」のだ

ふだんは
その「知らない」が
新鮮な海外体験として映る
「へぇー こうなんだ! 
   海外って すごーい!」と

「知らない」は
混乱を招くし
ストレスフルだし
いろいろ困る

でも 外国人である以上
「知らない」からは
逃げられない

外国人は
滞在を許可してもらわないと
暮らせないヨソ者
その国の方針が
少しでも変わったり
自分の状況が
少しでも変化したりしたら
滞在資格を失うかもしれない
不安定な存在

「そんなことない! 
   自分は海外生活を
   楽しんでるから!」
そういう人も いるだろう

そのウラには たいてい
「優秀な現地妻」とか

『秀麗な愛人』とか
「太い実家」とかが
あったりする

頼れる人が
つねにそばにいて
支援体制が できてる
その快適さがあるのだ

でも
外国人が「弱い立場」
その事実は 変わらない

それでも 楽しいこと
海外だから
経験できることも
たくさんある

ダバオに
移住したことを
後悔していないし
ダバオ移住を
迷っている人がいたら
背中を押したいと思う

自分は
一度 挫折したものの
持ち直し いまでは
「外国人で

   よくわかんねぇっす! 
   助けてくだせぇ!」
開き直って
まわりに 甘えまくって
生きていけてる

でも 
それができるか どうかは
適性と環境による
ヨソの国で 暮らすって
だからこそ
楽しい部分もあれば
だからこそ
大変な部分もある

言葉の壁や
文化のちがいだけでなく
それによって
自分が無知で
不安定な立場の

「弱者」になる
 

そのことは
覚悟して おかなきゃ

 

とくに いまみたいな
コロナ非常時に おいて
海外在住者は
その「覚悟」が問われる

サンダルが靴に変わり
タクシーは 全て冷房車に
そして 信号機が設置された
ビル建設 道路建設は 
人力から 機械化された

自分を 信じて
自身を ダバオに投影させた
老いの暮らし ここで作る
周辺で暮らす
多様な人々の表情や
暮らしぶりを 眺めてきた

何かを かましたり
偉そうな態度に出て
得られるものは
なにひとつ なかった 

何よりここは フィリピン
肩書きも 財力も関係ない
裸の人間力だけが
ものを言う世界

人が生きていくのに
大切なものが
シンプルに問われる

日本は 制限が多すぎて
自由度が 十分にない
真の自分を出しては
いけないような社会

日本人が 自由に関して
抱いている感覚は
フィリピン社会でいう
「息ができない」という
意味になる


 

「自分が
   ワクワクすることは
   何ですか」と 自分に聞く

自分は 自分で自分を
騙すことに 成功した
騙すなどと いうと
聞こえが 悪いが

考えてみれば
今までだって 自分は
何かに洗脳され
それだけを 真実だと
思い込んで 生きてきた

これまでは 他人に騙されて
生きてきて
これからは 自分に騙されて
生きていくって こと

何か 問題でも?

それで 自分の気持ちが
前向きになれる
アホだろうが 何だろうが
これほど有難いことはない

そう 真実だな
「元気があれば何でもできる」

景気が停滞しているにも
かかわらず フィリピン
勝手な 物価上昇が 続く
こうした状態は
購買力を 低下させるだろ
へん!そんなの 関係無い 
そう言わんばかりの 値上げ

嘆いているよ 庶民は

いい国 なんだけど な

 


◇◆◇ ─────────
自分の中で
なんとなく「60歳」を
区切りにして
「60歳以降は『老後』」
そうしちゃって いたの
ですが……

どうやら
そういうわけでも なさそう

「70歳以降の 生き方の
   模範ケースが ない時代」に
立ち会っている

意外と知られていない
平均寿命と いうのは
「その年に生まれた
   0歳児が 平均して
   あと何年生きられるか?」を
示したもので

「自分が あと何年ぐらい
   生きるか?」を
示したものでは ありません

なんだ 知ってましたか

「自分らが 
   あと何年ぐらい生きるか?」
それを示した数字は 平均余命

厚生労働省の 男性の
簡易生命表を見ると
60歳から:24年間生きる
80歳からは:9年間生きる

余命は 平均寿命よりも
長く生きる と
考えておいた方が良さそう


 

「自分に とっての
   幸せってなんだっけ?」と
時々 考えてみる

人は人 自分は自分
自分の幸せは 誰も作って
くれないの だから
自分で決めた
幸せを カタチを
自分で 形作って
いくしかない

自分らしい 
望む暮らしや 楽しみ
いずれも
自分の意欲と直結してる

もしかすると
お金もモノも できるだけ
自分でウッシッシと
溜め込むことが
幸せなんじゃなくて

必要な人に 必要なものが
うまいこと行き渡る状態が
幸せってことなのかも

自分は ただその中の
一人であれば 幸運

そう心から
思うことができたなら
何か足りないと悲しんだり
たくさんのものを
持っている他人を
羨むこともない

となれば 少なくとも
自分自身は 永遠に幸せ

何かが 欲しいと思った時 

あるもので何とかする
もらう
買う

こうなってくると
「買う」ところまで
行き着かずに
終わることが多い

機嫌良くしていようよ

 


◇◆◇ ─────────
少量のお米を 炊く
栄養バランスを
整えるには
コンビニで 肉や魚
豆腐などタンパク質の
おかず1品

野菜中心のおかず1品
余裕が あれば
汁物を選んで合わせる
これで 定食スタイルの
バランスの良い食事が完成

白米の飯があれば
あとは わずかなおかずで
十分というのが
日本人の原点

やはり 白米のおいしさ


 

日本人の当たり前は
世界的に見れば
かなり贅沢

おいしいものが 安く
日常的に 食べられる
そんなの 恵まれ過ぎ
文化でも なんでもない

おいなりさん
いい名前じゃないか
「さん」が つく食べ物って
ありそうで なかなかない

お餅だって おはぎだって
おでんだって 呼び捨てだ

「おいなりさん」
稲荷寿司 稲荷神社
その後に
「陰嚢の俗称」だって!
玉袋とは ヒドイ 
でも似てる

おいなりさんで
酒が飲める シブイ 
池波正太郎入ってきたか?

おいなりさん 一つ食べて
口がちょいと
脂っぽくなったところへ
ビールを流し込む

これが たまらない
ビールをグビビと飲んで
ここで甘酢生姜ひと切れ
うまし 口直しにさわやか
辛味が口の中を引き締める



 

おいなりさんが
もう一度 おいしい

あー この飲み方は いい
飲み屋では
とうていできない

池波先生は
生涯おいなりさんで
酒なんか
飲まなかったかもね

すいません

日本に居る 
独り身のジジイは
恵まれているんだな

そういう人は
「とても まぶしい」

美しき老年

「ガチョーン」

あまえなんか
「お呼びでない?」

これまた 失礼を・・ば

 


◇◆◇ ─────────
「花魁(おいらん)」には
着替えや 食事
移動の手伝いに
客との逢瀬の手はずを
整えるスタッフが 
何人も ついていた

チームで 生活や
仕事をしながら
花街にいた

小さい見習いの子供から
着付や移動 接客を手伝う男
客あしらいを習う 新人から
「ねえさん」「あねさん」と
呼ばれた

会話に 出てくる
「オイラのとこのねえさん」が
訛って おいらん… その名が
花魁に 定着したん だとか

親しみの 呼び名
だったのかも しれません

後を継がせる だって
江戸時代じゃ あるまいし

盤石の地盤がある 領地
あんた 大名 殿様のつもりか

世襲 二世 三世の政治家には
読みやすくて
画数も さほど多くない
簡単な名前が 多い

選挙の時に
投票記載台の上で
有権者が 書きやすい名を

オヤジの名前は 一郎
息子は 太郎

たぶん そんな
親しみの名前を 
付けたのは
政治家一家の浅知恵と
親心なのだろう

政治家は
任期中の 本業よりも
次の選挙に 
当選するための作業に
多くの時間を 割いている

国会活動よりも
選挙区内の盆暮れの
イベントの参加 街頭演説
多くの有権者と
握手することが 優先

政治家の仕事は
政策を作り実現する力
あわせて行政を
正しく監視すること

立法と行政監視

現職の場合
選挙では その仕事ぶりで
評価されるべき

政治が 悪いとすれば
国民が 悪い
民主主義制度が
機能するには
すべての参加者の
「倫理・理性が 高く」
なければ 
政治は 良くならない 

駅で 知らない人に近づき
握手をする
普通に考えたら
「異常」な 行為

この異常性と
握手のぬくもり こそが
相手の意識に 強く残り
票につながる

 

(サラ市長を囲む)
◇◆◇ ─────────
これほど便利で
豊かな時代なのに
なぜだ・・
明日が 不安でいっぱい

「どうせ誰に入れても

   同じだ

   適当な候補者もいない」

後に続く

「選挙によって

   政治や暮らしが

   良くなるわけでない」

政治の中心テーマは
常に「自民党の是非」
野党は その文脈の中で
批判を 繰り返す
 
自民党総裁選でも
「じゃあ 自民党の誰なら
   マシなのか?」
という 問いかけを
有権者が 当たり前の様に
自民党を 受け入れている

では 野党は 
何を 変えるべきなのか
目的は「古典左翼」的な
批判政党からの 脱却だろ

まずは
何よりも「言葉」を
話し方を 変えて ほしい

憲法や綱領を
聖典のように 位置づけて
難しい言葉を 
使うのでは なく

文脈依存度の高い
永田町用語や 
霞が関文学でも なく

誰もが
理解できる言葉で
情報発信を し
国民と対話していく べき 
そうじゃないか

1960年代 以降の
アメリカで 公民権運動や
ベトナム反戦運動の際に
左派活動家が
強く意識したのが 言葉

それは 政治の会話を
家庭内会話に まで
落とし込み
若者が それぞれの感情を
語りだすような
社会との 対話が できる
言葉を使った

野党が 
言葉を大事にすることで
自民党が 真剣に
向き合って こなかった
沈黙の有権者と
つながれるかも しれない

同時に 発信の仕方も
新聞 TVから
スマホへ シフトしている
若い生活者に 寄り添った
ものに すべきだろう
この点 野党は 自民党に
後れを 取っている

そして また
「怒り」を 動力源として
動員したり 票を集めたり
そこに 頼っても 

効果 成果は 上がらない

若い世代ほど
マイナスのエネルギーに
共感する人は 少ない

自民党が 設計した
旧来型の「システム」の
不備を あげつらう
それ だけでは
これまでの固定票
以上のものは 得られない

与党政治家が
セクハラや差別発言を
したとして
それに対する 批判は
あって しかるべき だが
徹底的に 叩いて
敵の失点を 広げようとする
今の姿勢では 限界がある

そこから 一歩抜けて
自分たちの 議員構成で
違った形の 希望を
人々に 見せられ ないか

政権交代可能な野党が
常に控えていることが
民主主義として 望ましい
そう思ってきた

その意味で 野党勢力に
期待するところは
大だったの ですが

「良くない意味の
   純粋志向」が
高まっていく 感じが 
あって…

と いうのは?

現与党の政治を
非常に純粋主義的に

「絶対悪」

として設定し それに対して

「絶対善」の 野党たち

…という対置を していく
その姿勢なんですね

こういう姿勢だと
「狭く深い」支持は
取れるでしょうが

その外側を 刺激できないし
そもそも こういう姿勢で
「政権交代後の政治」を
この政党は 指導できるのか
国民は 不安になって しまう

野党の国会議員は
「こういう純粋志向の
   糾弾家ばかりでは ない」

もっと広い視野と 現実感と
具体的な政策知識の
積み上げが ある人も 結構いる

「へえ 野党政治家にも
   こういう人って いるんだな」

自分が 感じた
こういう 驚きこそ
「政権を任せても大丈夫そう」
という 信頼回復のために
一番大事なことで あって

もっと もっと 華麗かつ
過激に 純粋悪である
自民党政府の
ダメなところを 批判
糾弾してやろう!という
今の野党の基本路線は
耳目を 集めやすいとしても

それを聞いて
政権を任せても
問題なく仕事できそう と
思ってもらえるのか どうか

結果として
自民党の支持率は
増減するけれども

野党の支持率は
一桁台に貼り付いた
現状に つながっている

いろいろな人が
旧民主党の失敗で
信頼を失っている

そのことが 今の野党の
重しになっている 

その意味での
「仕事ちゃんとやれそう」感を
回復していくためには

むしろ
自民党政治の不正部分以外を
悪魔化しない 上で
自分たちなら ココをこうする
という話を していくことが
政権交代可能な野党としての
信頼を得る

…のでは ないか? 
と思って いますし
それを 志向している人も
少なからず いるのですが

しかし 現実には
実際に野党が
やることになった場合の
バランス感覚とかは 疑問

自民党政治家を
絶対悪化して
全力で 糾弾する人の方が
野党内でも主導権を
握りがち なのが
良いことなのか どうか
よくわかりません

ただ 見ようによっては

今の日本の野党は
政権を取る気は 全くない
常に理想論をぶつけて
政権の方針に
影響を与える役割に終始

昭和の
日本社会党の ような存在に
なりつつあるのでは ないか?

…指摘が 的を得ている
かもしれず

ひょっとすると 
国民の願いは
すべての個人が
自由に生き方を
選択できるよう
国家が支援するべきだ
その政策の方が スムーズに
実現するかも しれないとも
最近考えるようにも
なってきている

なぜかと いうと
要するに社会構造が
どんどん複雑化してきて
右を選ぶか 左を選ぶか?
みたいな単純な
路線対立だけで
物事が決められなくなって
きているから

だから
実際に政権を担う人は
「絶対善VS絶対悪」みたいな
単純化した構図で
話ができなく なるのは 当然

しかし それだと
極論を言って
議論を豊かにする
役割が 失われて
硬直的に なりがち?

そこでは
「現実に 困っている人が
   目の前に いるんだし
   実現性を 考えすぎて
   身動きが取れなくなる方が
   問題なのだ」
という「理想論」を
極論としてぶつける
グループが 
左に立民や共産
右に維新…と 控えていて

それに 殴られつつ
自民党が融通無碍に
舵取りをしていくというのは
非常に「日本人として理想的」な
運営方法なのかも しれません

過去10年ほどの
自民党が強引な政権運営や
隠蔽的なことまでして
与党の座にしがみつき
それでも なお 国民が
政権交代を
支持しなかったのも
本能的総意として
 

「政権交代して
   任せられる 野党がいない
   のに 情勢の気まぐれで
   交代してしまったりすると
   困る」ことの
本能的帰結だった
ところが あるので

「もう政権交代とかは
   ほぼ無理と
   みんな わかっている」

自民党の方にも
スキを見せてもいい
安定感が出てきて
自浄作用を惹起できる
 

「あれは間違いだった」と
言えるようになるとも思う

「現代政治の複雑さ」を
いかに 民主主義制度の上で
日本は 乗りこなして 
いくべきなのか?

たしかに
経済は 不調だったが
一応まだ 都会も田舎も
富裕層も 貧困層も
同じラーメンと コンビニと
漫画を共有できる 部分が
幻想に なりかけの
土俵際の薄皮一枚
繋がっている


同時に 社会的公正や
多様性を重視する
自由主義を 名乗るなら
国際水準の視野で
環境問題や人権問題について
多様な視点を 提示してほしい
感度の高い人は
反応してくれる はず

海外の例で いえば
イギリスの2大政党の
一角を担う 労働党

あるいは 先日の
ドイツ総選挙で 躍進した
緑の党のような
左派政党が イメージに近い

昭和的・テレビ的
電通的な自民党とは
対極の冷静な 存在として

日本社会の 深層にある
複雑な問題に 向き合い
長期的な国家観を
創出する野党の出現に期待

維新は 少し躍進するかな

政治家には
いろんな仕事がある
その基本は
その地域に住んで
皆さんの声を聞いて
何に悩んでいるのか
何が課題なのか
何が夢なのか
それを共有しながら
政治の力を使って
課題をひとつひとつ
解決をしていく

それが 政治家の基本
なんだろうと 思う

でも なんで 自民党なの
「押しつけられた洋服に
   身体を合わせるほうが 安全」

そう 考えて ない?

自分の頭で考えて
自分から動かないと
意味ないぞ というのは
いつの時代の
誰にとっても 必要な決意

希望の先の絶望という 感じが
より絶望感を引き立たせている

 


◇◆◇ ─────────
何度見ても 奇妙な光景だ

「日本国憲法第7条により
   衆議院を解散する」
衆院議長が
天皇陛下の詔書を読み上げると
議場の議員が 万歳する

解散に よって
議員は 職を失った
テレビ中継も される
公開リストラ

やけっぱちにでも
ならない限り
人前で リストラされて 
万歳する
そんな 会社員なんて
どこにも いないだろう

庶民から すると
浮世離れした 慣習
万歳に 法的なルールは 
ないが
明治時代から
続いている そうだ

現役の頃 勤め先で
決まって 酒宴の締めを
任される 大先輩が いた

その方は 登壇すると
うやうやしく
「正式な万歳三唱」の
方法を 説いた

「直立不動の姿勢から
   右足を 一歩斜め前に
   両腕は 垂直に上げて…」

注意事項として
手のひらは 必ず内側に
向けるよう強調された
 

「前に向けたら
   お手上げになって
   しまいますから」
ここで 笑いが起きるのも
お決まりだった が

ご当人は 真面目に
明治政府の『万歳三唱令』で
定められた やり方だと
そう言われれば 
皆が 得心した ものだ

ところが
「万歳三唱令」なるものは
架空だった
元は 酒席で生まれた 
一発芸で
政府から出されたという
文書も偽物

衆議院が 解散され
議場に 万歳三唱が響いた
恒例の光景だが 
なぜ やるのか
確たる説は ない
議員たちも 知らずに
やっているのだろう

コロナで なお
苦境にある 国民にすれば
万歳どころでは ない だろ

ナニ バカやってるんだ が 
真情だろう

◇◆◇ ─────────

 

今日
あなたは 空を見上げましたか

 



問い掛けだけで
「答え」が ない

空は 遠かったですか
近かった ですか…

特別な質問では ない


 

◇◆◇ ─────────