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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippine 
   
            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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日本人は「新」という
言葉が 昔っから 大好き
新米や 新蕎麦が 
そろそろ出回る 季節

「炊きたて」
「打ちたて」
「茹でたて」といった
フレッシュな言葉

季節の
新しいもの 想像する

南の国 ダバオで 
季節を 感じられるもの?
果物だよ 果物の王様が
これから旬 楽しみだ

日本の場合は
「水がない」という前提が
これまで なかった
江戸時代でも

「水がない」と いうことは
まず 起きなかった もんだ

だから
日本人は 水感覚が ゆるい
日本人は 無類の風呂好きだ
年間に 1万立方メートルの
水を使う

海外で 水は 買うもの
直に飲める国は 少ない
ダバオは 直接飲めて
水道代も安く 有り難い

豊富な水に 恵まれた
日本人が
たどり着いたのが
「新米」では ないか

玄米を 食べていた 
日本人が「白米」を 
食べるようになった
「米食文化」が 定着

白米の
うまい飯が あれば
あとは 
わずかな おかずで 十分 
おにぎりや 一汁一菜
日本人 食の原点

白米の おいしさ
日本人の 当たり前は
世界的に見れば 贅沢

だから 意識的には
顧みられないの だが
「おいしい米が
   日常的に 食べられる」
日本人の 中心にあって
文化を つくってきた

「米の文化」を
失っては ならない

魚が旨いと書いて 鮨!
上手いネー この漢字
我々庶民は 値段を気にせず
喰ってみたいもんだと
思いますわなー!
銀座辺りの 高級鮨屋でねー!

聞くところによると
一人 五万なんて店も

 

五万円だと
軽く呑んでも 七 八万は
取られるんでしょ

二人で行って
十五 六万円!か~
凄いネー

一ツ星だか 三ツ星だか
知らないが それ程
フランス辺りのブックが 

有り難いのかね~

ま そういう高級店が
繁盛してるって ことは
金持ちは 相当いるって訳で
結構なことですがネ

こういう 高級鮨屋へ
三日にあげず 
行ってみたい! 

 

イヤ違うな 違うぞ
モノには 
ホドってもんがある

自分のような
セコな舌じゃ
五万も 六万もの味が
分らんだろう

あゝもったいない
一握り何千円かの 鮪とか
聞いたことのない 魚とか
腹一杯に するには
五万で 足りんのかネ
アブラ汗が 出てくる

しかも 少しは呑みたいし
この話 止めた!

淋しくなってきた

でもね 一度だけ
そんな店に
行った事が あった
社内接待でね

江戸の昔
作家・池波正太郎さんが
書いてらっしゃったけど
月 一両二分稼げば
親子三 四人で
毎晩 晩酌やって
月に一度は
芝居見物に行けた

一両は 大体十万円前後
まあ こういう人が
どれ位 いたのか
判らないけれども

この当時は
鮨も うなぎも 天ぷらも
屋台商いだし
一寸つっかけて
パパっと喰って 勘定! 
良いですなあ!憧れますぜ

消費減退により
コメ余りが深刻な状態
それに伴い
米の買い取り価格は
過去最低レベルまで
落ち込んでいる

来年の22年産米が
20年産の相場に戻らないと
コメ農家が 食べていけない

日本の農業の未来が
暗たんたる状況

危惧する 米
このままでは
担い手が いなくなり
離農が 確実に進む

農家も政治家も
世界に米を売り出そうと
主張する人が 多い

しかし 自国民への
食糧の安定供給が
維持できない状態で
輸出をメインに据えた
消費拡大の検討は 
いかがかな ものか

欧米各国では
準公務員的扱いで
自国向け食糧を

生産する農家を 守り
自国の食糧安全保障を
重視している

小選挙区比例代表の
選挙制度になって以来
農業県への取り組みは
放置されている

差別や女性問題も いいが
農業問題を 公約に掲げる
野党が いたりすれば
いいのだが
なかなか そういうことが
争点になる「政権交代」が
ないのが 残念

 


◇◆◇ ─────────
「強い愛国心と
   抵抗力を持つ国民は
   征服できない
   それを 我々は
   ベトナム戦で 学んだ」

この言葉
アメリカ政府の
世界戦略に対しての反省

今日の 日本人は
強い愛国心と 自己愛
持っている だろうか

フィリピン人は 
どうだろう

この20年で
世界と人々が
大きく変わった

日本での 生き方が 
合わないと 感じたから
精神的に窮屈と感じた
何故 我慢して 日本に
住み続けなければ いけない
移住と言う 抜け道が あった

自分に合った 

老いの生き方を
「つくって」いける 所に
生きる希望を もらえた

日本にいた 自分と
かけ離れた人生を
想像するような 願い

それが 移住でしょう

異国生活では
「色々危ない気が するので
   補習受けさせてください」と
先人移住者に頼んだことがある
勉強の仕方が 分からないと
自習できるレベルには 達せない



 

こんなはずじゃ なかった
そんなことも あった

その事に 気づいていても
最善策も 分からずで
今日まで 過ごしてしまった

だが 老後なら

ダバオが 良かった
ここが 平穏なのは 確か

そして
でも ずっとつまらない
正直に 付け加えておく

ダバオは 刺激が なさすぎる
それだから ドラマのない
平穏な老後を 過ごすには最適
というのが 自分のメッセージ

嫌なことは あとまで残り
良いことは すぐに忘れる
人間の習性



 

自分の異国生活は
幸せだと までは
とても 言えないが
日々の暮らしが 

苦痛だけに 彩られている 

わけでも ない

ゆるゆると 暮らしているよ
ゆるやかに 穏やかに
無理をせず しなやかに
南国バテ知らずの 秘訣は
ショウガとニンニクとネギ



 

自分に とって
一番居心地のいい
場所を探して 老いを暮らす
ストレスも ない
猫みたいな 生き方

ダバオが 自分に

合っているの かなと
改めて 考えてみたり

こんな 心ぜいたくが
あって いいだろうか
なんだか 悪いジジイに
なった気分

紫外線なんて 気にならない
ハイビスカスが
元気に咲いていた
ここでは 夏が 終わらない

 


◇◆◇ ─────────
自分は 気づいてしまった

結局のところ
病気予防であれ
老化防止であれ
ダイエットであれ
運動機能の維持であれ
どれも これも
やるべきことの
最終結論は
一つなの だった

「規則正しい生活」
「健康的な食事」
「適度な運動」

健康テーマは 多岐に及び
登場する 専門家の方々も
さまざまゆえ
どの記事にも 話題に応じて
示唆に富む 豊富な解説が
あれこれと 書いてある

それは それで 読ませるし
大いに参考になる

しかし 結局のところ
最後に 登場するのは
見事なほどに
前述の3点セット
なの だった

で 自分
いやも 応もなく
この3点セットを
実行するように なった

そして 今の生活に
何の不安も 不満もなく
おそらくは 死ぬまで
この3点セットを
継続するに 違いない

となれば ですね
ハイハイわかった わかった
いろいろ 言ってるけど
結局は それでしょって
ことに なって この先
読む気を失って 当然

健康になること なんて
複雑なことでも
難しいことでも
ないという そのことに
気づいて しまったのだ

その気にさえ なれば
誰だって 今すぐできる
特段のお金も
特別な能力も いらない

具体例として
自分の暮らしを 引き合いに
出させて いただければ
日の出とともに 起きて
コーヒーを すすりながら
テラスで タバコを 1本
灰にしてから
ちゃっちゃと 家事を こなす

食事といえば 毎度 毎度
飯と汁物と漬物
たまに 一菜が 加わる
そこに 夜は
グラスビールを 添える

いろいろ情報が 錯綜
過剰に なって
純粋な食だけの 楽しみは
なくなっている 気がする

10gだけ 
余ったひき肉や
野菜の切れ端
冷蔵庫の奥に残った
乾物や練り物
みそ汁に 入れれば
使いきれる

肉や練り物は
味出しに なるので
少しでも 加えると
おいしさアップ
大丈夫 みその風味が
具材を 包み込んで
うまく まとめてくれる



 

ふりかけや ごはんのおとも
豆腐 ダバオで 高価だが 
たまに 口寂しさを なだめる

食べ物を 口にする
味わうよう 意識する
そうするだけで
食べることに関する
考えが 変わってくる
食べ物を愛で 香りや味
食感を 楽しんで
食べられるようになった

もともと
食糧難の時代に育った
おなかが 満たされれば
何でもよく
グルメでも ないので
ぜいたくは 言わない
今の飽食を 弄ぶ姿勢に
やりきれなさ 覚える

夕食後は 
U-TUBEなど 見たり
読書などして さっさと寝る
これだけで 3点セット
ほぼ 完璧

ここに各自 お好みで
ラジオ体操や散歩など
組み合わせれば
楽しさも 加わって
言うことなし

そう たった これだけで
誰だって ありとあらゆる
健康をめぐる 問題に
対応できる

そして 体の声を聞く
自分の体から発せられる
メッセージ
体調の変化や
いつもと違う状態になれば
体は何らかのメッセージを
自分に 伝えてくる

奇行とも 重なる
奇人変人ぶり 自分でも思う
こんな自分が 周りに居たら
そりゃまあ 
たまったもんじゃ ないだろ
精一杯の 強がりだもの
家に籠っての 独り言

破天荒な 

不良老人の生活
いや漂流怪人の実相か

わかっているけど
できない理由
となると ですね
謎が深まる 一方なのだ

あのー……
一体なぜ 皆様
これを やらないのか?

というか なぜ
やろうと しないのか?

この「3点セット」は
隠された特別な情報でも
なんでもない
ほぼ すべての 専門家が
結局は コレなんだと
何十年にも わたって
包み隠さず 言い続ける

で 先日ふと とある
健康記事を 読んでいて
思わず ハタと
膝を打ったのだった

ある生活習慣病をめぐる
専門家へのインタビュー

そのインタビュアーが
多少 苛立った様子で
こんな趣旨の
質問を していた

――いや もう
「3点セット」に ついては
聞き飽きました
皆さん そればかり言う
十分わかっている
わかってるけど
できないから こそ
こうして いろいろ
聞いているんじゃ ないか
もうその話は 持ち出さず
別の解決方法を
示して ほしい……

いやー ほぼ逆ギレ
でも これ 間違いなく
その方の 心からの
本音である いや 多分
その方だけ じゃない
世の中 ほとんどの人の
本音なのでは ないか

なるほど みなさん
わかってるんですよね
わかってるけど できない
だから他の方法を
知りたいんだ
ここなんだろうな

筋肉量は 年に1%減少 
運動嫌いでもできる
チリつも運動10選で
衰えた 筋力を強化
こうした 宣伝言葉に
取り付かれてしまう

ここが 健康という
巨大市場誕生のモト

3点セットという
誰もが 知っていて
特段の お金もかけずに
誰でも できるはずのことが
なぜか 自分には
「とても できない」と
多くの人が 思い込んでいる

だから 誰も知らない
画期的な 魔法のような
素晴らしい 健康情報を
誰もが こぞって
求めまくっている

ここに 永遠の
健康巨大市場が 誕生し
日本経済が くるくると回る
めでたし めでたし……って

それで いいんだろうか? 
それで 皆様 本当に
健康になれるんだろうか? 
何しろ これだけ
多くの専門家が 口を揃えて
結論は 一つと 言っている

別の方法は
ないわけじゃ 
なかろうが
普通に考えて
それは 代替手段 亜流

亜流は 
本流には かなわない
尽きることない
「亜流情報」が
永遠に求められ
出され続けている

そうまでして
多くの人が この3点セット
「健康的な生活」を
拒むのは なぜだろう

もちろん
人は いろんな事情を
抱えて生きている
一刀両断に すべてを
決めつけることは
できない

でも 僭越ながら
自分には その理由が
わかるような 気がする

自分が できなかった
かつての 自分自身が
まさに そうだった
健康的な生活を
するべきなのは
十分わかっていた
でも それが
ムリだから こそ
別の方法が 知りたい

なぜ 
無理なのかといえば
仕事が めちゃくちゃ
不規則だとか
ストレス解消には
夜の飲み会(暴飲暴食)は
欠かせない とか
言い訳は
いくらでも できたけれど
究極のところを 言えば
その理由は
一つだったのだと 思う

来る日も 来る日も
早寝早起き 質素な食事
自分に厳しく
欲望に流されないって
そんな人生に
何の意味が あるのか?

だって 
そこには 生きてる
楽しみってものが
ないじゃないか
あれこれ 美味しいものを
心ゆくまで 食べ歩き

暇な夜は 浮かれ騒いで
朝は ぐうたら寝る
せめて そのくらい
楽しんだって
いいじゃ ないか

この厳しい人生には
楽しみってものが
必要なのだって いうか
そもそも 楽しむために
生きているんだろう

それが そんな楽しみを
全部我慢して
修行僧のような
一生を 送るなんて
そりゃ 健康には
なれるかも しれんが

そもそも健康って
人生を 楽しむために
必要なんで あって・・

健康は 手に入っても
そのためには
楽しみは すべて
我慢しなきゃ
いけない なんて
そりゃあまりにも
無体というか
究極すぎる選択というか
現実には 
不可能な 提案としか
言いようが
ないでは ないか!

健康も 人生の楽しみも
両方手に入れた!?

……ところが
そんな 自分が
まあ いろいろあって
否が応でも
この3点セットを
実行する羽目になった

で どうなったのか
自分は 健康は手に入れた
しかし 人生の楽しみは
どうなったのか
健康のために
日々 食べたいものも
やりたいことも
我慢して暮らす 日々って
いったい
どんな ものなのか?

お金の足りなさも あった
限られた予算の中での
創意工夫こそが
暮らしを 鍛えること
知ってしまった
お金が足りないから「考える」
それが 自分を 洗練させる

何事も
やってみるものである

結論から言えば
自分は 人生の楽しみを
失うことは なかった

華やかな外食を
日々 楽しんだり
それどころか
家でご馳走を作ることも
なくなった
夜のお出かけも
月に一度あるか ないか
華やかなナイトライフなど
たまな こと
かつて 楽しんでいたものの
多くを 手放すことになった

でも その一方で
別の楽しみが
雪崩のように
我が人生にドドドッと
舞い込んできた

まず 何より「体調がいい」
おそらく 大人になって
初めて 手に入れた
手に入れてしまえば
これ そのものが
特大の「楽しみ」だった

来る日も 来る日も
日の出とともに
スッキリ目覚め
さあ 今日も元気だ
空気が ウマイと
1日を スタートすることが
できるのだ

となれば たとえその日が
実際には 散々なこと
ばっかりだったと しても
案外 アハハと笑って
やり過ごせる

何しろ 翌朝になれば
何はともあれ また
「今日も元気だ」と
スタートを 切ることが
できるのだ



 

「元気が あれば
   何でも できる!」は
アントニオ猪木の至言
まさに 自分は
身をもって その至言を
リアルに 生きることに
なった

はっきり言って 最強だ
安心と余裕を前にしては
ナイトライフなど あまりに
ちっぽけな 快楽であった

そして こうなってみて
改めて 実感したのは
かつての自分 すなわち
「やりたいことを
   ガマンしたくない」が 為に
延々と不健康な生活を
続けてきた自分は 
その結果
「体調の悪さ」という
いつも体が 重くて
だるくて 胃が むかつき
時に頭が痛く……
という状態を
ずっと ずっと ガマンして
いたのだと いうこと

それが あまりにも
常態化していたために
我慢していたという
自覚すら なかった

いろんな 病気を抱えて

産婦人科以外は

全部まわった

しかし 一旦
健康な状態というものを
味わってしまった
今と なっては
そのガマンが
いかに 自分の人生を
損なっていたかを
考えずには いられない

となれば
「やりたいこと」の中身を
慎重に吟味せずには
いられないだろ

目先の小さな欲のために
あの不愉快なガマンの時間を
延々と過ごすことを 思えば
中途半端な
「やりたいこと」など
一気に
「やりたくないこと」に
格下げである

「わかりやすい快楽」の
落とし穴 結局のところ
すべては 選択の問題に
すぎなかったのだ
健康という快楽を取るか
不健康という快楽を取るか

健康で あり続けるのが
修行ならば
不健康であり続けるのも
また修行である
どちらを取るかは
個人の自由である

それから ですね
自分に厳しく
欲望に流されない生活で
人生の楽しみが
失われるのか
という問題ですが
これも まったく
そうじゃなかった
ということを知る

驚いたことに
人生には
「健康的な生活をしながら
   楽しめるもの」が
たくさん あった! 

それが 証拠に
自分の人生は 今
楽しみで いっぱい

ギターを 弾くこと
本を 読み返す
文章を 書くこと
ものを 使い捨てずに
奇天烈な 何かを 作る
小庭で 下手な
家庭菜園を 楽しむ

近所の木々や鳥を
愛でながら
意味もなく 散歩する
近所の人たちと 挨拶
どれも これも
このうえない 楽しみ

つまりは 3点セットを
実行したところで
自分は 何も失わなかった
健康を手に入れるために
生きる楽しみが 
無くなるとか
減るなんてことは
まったく なかった

自分は これまでずっと
何を目指し
何を恐れてきたのか

ただ 充実した人生を
送りたいと願い
そのために せっせと
お金を稼ぎ 使ってきた
そうでなければ
負けるんだと 思ってきた
でも それは 本当に自分が
望んだ人生だったんだろうか

今 つくづく 思うのは
自分が こだわってきた
欲望は とても狭いもの
だったんじゃ ないか
ということだ

ご馳走を 食べることが
幸せだと思っていた けれど
毎日の質素な 食事の中にも
喜びがある

タクシーで 
楽に どこまでも
移動することが
リッチだと 思っていた
けれど 歩いて行ける範囲に
素晴らしいものを
たくさん開拓することも
贅沢である

世の中は「お金」を
使わせるようにできている
そうなのだ
自分は あまりにも
「世の中」に
振り回されすぎていた

誰が悪いわけじゃない
世の中は お金を使えば
幸せになれるという
広告で あふれすぎている

それは 往々にして
ラクにイージーに
わかりやすい
快楽を感じられるものに
偏っている

何しろ それが
一番効率的に
人の欲を 刺激できる
お金儲けの元になる

要するに お金を使えば
体も頭も動かさず
手っ取り早く
欲が満たされますよと
誘っているのだ

でも そういうものの
ほとんどは 残念ながら
不健康に 偏りがち

で この世の中ってものは
よくできておりまして
そのような誘導に
誘われるがままに 行動し
不健康に なったとしても
ちゃんと解決策が
用意されているのだ

大丈夫 手っ取り早く
体も頭も動かさず
ラクに健康になれる方法が
ありますよと これまた
多くの広告が 誘ってくる

このよくできた
サイクルの中で一生を
過ごすこともできる
思う存分 ご馳走を食べ
多くのことは
便利な機械に任せて
でも それだと太ったり
健康を害したり するので
スポーツクラブに 通ったり
パーソナルトレーナーを
つけたりして 運動に励み
サプリを飲み マッサージや
エステに通う

それは
かつての 自分である
思えばかなりのお金を使い
そして 決して
健康になることはなく
ゆえに さらなる
お金を投じることになる
精一杯頑張っているのに
自分は どこにも
到達できなかった

そして じわじわと
体を痛めていた
日本経済には
貢献したと 思うけれど

あの時に 戻りたいとは
決して思わない

人生は広く 自由である
お金を 経由しないと
何もできないというのは 狭く
場合によっては
危険な思い込みだと
つくづく思う

こんな話し
思わず抵抗を覚えた人は
多いでしょう



 

考えてみる
自然の中で過ごす
規則正しい生活をする
「できること」に 目を向ける
自分を褒める
よく眠って運動する

どの考え方も
間違いではなく
ストレス解消や
幸福度アップの効果が
確認されている

実践すれば
何がしかは 得られるはず
少しでも 苦痛が減るなら
実践すべきでしょう

とはいえ
これらの手法により
根本的な人生の
寄るべなさが
解決されないのも
また 事実

「のんきと 見える人々も  
   心の底を たたいてみると
   どこか 悲しい音がする」

「今を生きる」という
言葉がある
難しいように 聞こえますが
目の前のことを
楽しめるか どうか かな

ひとりでまかない 食べられて
生きているのだ 有り難い
その上「食を楽しむ!」なんて
がんばらなくても いい

なにか 

しなきゃ いけない とか
情報を 追いかける とか

そんな事を 止める
平和で なくなるから
自分の波動を 

心地よく整えてれば いい

技術の進歩は 素晴らしい
決して 自分たちが

賢くなった わけでは ない

完璧では ないけれど
全体として満足度が 高く
皆が受け入れやすい解決策を
見つけることが できる

私たちは 今
「答えのない世界」を 
さまよっている

価値観が 多様化する世界
「どちらが 正しいか」
その視点から では
解決できない課題が 

あふれる

そうした中
完璧では ないけれど
全体最適な解決策を探る
その姿勢から 学ぶことは多い

 


◇◆◇ ─────────
結局のところ
「早寝早起き 質素な食事」
たまの ぶらぶら散歩
年寄りには それが いい

今ここで 急に大地震
きたら どうしよう…
という漠然とした
杞憂めいた 不安まで
思い浮かべたら
キリがないほど 出てくる
しかし最終的には
「どうにもならんことは
   どうしようも ない」と
考えを 停止させることが
ほとんど 

そうでも しないと
日常生活なんか 送れない

それでいて
飛び切りの酒好き
女好きでもある
特に目がない「エロ」は
老人回復の原動力

エロスは 黒い神
男は 誰でも
死ぬまで女性が好きだし
出来ることなら
触れたいと思うのは
自然の心理



 

女性によって
男性ホルモンを高める
という取り組みは
現代に限ったことでは
ありませんでした

昔から 続いている
生活の知恵でもある

古典落語の世界でも
横丁の ご隠居が
美人の元芸者に
何かを 習いに行く
という話は 多くある

元気が
なくなってきたから
女性と接するのは
もう いいや
そんな事 思い込まず
若い人との 交流にも
進んで参加していく
それが 男性力を
衰えさせない

若くてキレイな女性の
顔や胸元に迫る時の
デレデレ顔は
見ていて 笑われてしまう
ふ ふっ ふ 

人生の有限を実感しながら
根源的な命は 結局
わからないまま死んでいく
答えが欲しいのでは なく
命の営みを 体中で
感じて いたい

「癒やされた」とか

幼稚な言い草が

はびこっている

日本人は 根本を見つめ

その思考に返って

何もかも 解体して

ゼロから やり直したら

どうだ

 

何が 新総裁だ

世の中 どん詰まってるぞ

障子の張り替え政権の

後釜たちは 分かっているのか

 


◇◆◇ ─────────