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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippine

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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本当に ひとびとが
さよならを捨てに
大阪の海に
来るのだろうか
そんなに
たくさんのひとが
悲しみや苦しみを
捨てにきたら
海は 重たくなって
たまったもんじゃ ない
いったい
どのあたりの港なんだ
もう 関西国際空港で
埋め立てられちまったのか
自分も
さよならしたいものが
沢山ある
苦しくて
生きていられない
ときがある
涙が 止まらない
ときがある
出来たら
この痩せた 身体ごと
大阪の海に 身を 投げたい
でも 逃げたら あかんのだろ
そういや
神戸のオヤジの 飼ってた
ドーベルマン、、元気かな
あいつ 目つき悪りぃよ
泣いたらあかん 泣いたら
せつなく なるだけ
大阪の海は 悲しい色やね
さよならを
みんな ここに捨てに来るから

フィリピン人は ゴミを
海に捨てにくるから 汚れてる
困ったものだ
活動停止から30年
RCサクセションに
「どろだらけの海」という歌
歌詞は シリアスだ
汚れた浜辺を見て
悲しむ子や
泳いで 水着が
真っ黒になった子が
「どうして 海はこんなに
汚れてしまうのか」と歌う
自分たちが
かたくなに
信じてきたこと
絶対 そうあるべきと
思って きたことと
一回 決別しないと
再生するのは
難しいかも しれない
一度 覚悟というか
さよならする 覚悟あれば
決して 暗くはない
という ところでしょうか
大阪の海に
秋の気配は 漂ってるかい
五輪が開催された年は
首相が 退陣する
ジンクスは 生きていた
池田勇人(東京五輪)
佐藤栄作(札幌五輪)
橋本龍太郎(長野五輪)
自分は 誰が次期総理に
なられても 結構
そのお方が
中国との 関係を
「お国のため」に
なるように 調整できて
アメリカの民主党政権とも
堅実に巧みに歩調を合わせ
コロナ制圧策を 推進され
医師会傘下の 病院にも
感染者を 受け入れさせる
そんな方向に 持って行って
頂ければ それで十分
みみっちい党内の小細工や
コップの中の嵐への対処を
第一義に 置かない人
そんな人さえ 選んでくれれば
誰が 幹事長でも 結構だ
「予測不可能なことが
次々と起きる 今
難しい決断を 下しながらも
方針転換を 恐れない
そして その時々で
国民に力強く
自分の言葉で説明できる
リーダーを 求めている」
「先憂後楽」という言葉
優れた政治家は
国の憂いを 国民よりも先に心配し
国民が政治の結果を 喜んだ後に
自分が 楽しむべきという戒め
フィリピンの大統領選も同じ
国を整えて 貧しさから
多くの人が 脱却する
海外出稼ぎなんて 悲惨だよ
みんなが 豊かになるためには
個人の意志の力に 頼らない
仕組みや環境づくりが 急務
余計な お世話だが・・・
小村寿太郎外相は
日露講和条約(1905年8月)に
不満な国民が 起こした
日比谷焼討事件について
「国民の士気盛んなるものあり
国家の前途また 洋々たり」
当時の国民に
大国ロシア 何するものぞ
という意気 覇気
元気が 国民に あったので
対ロ外交が できたと評した
国民にとっては
不満だったろうが
ぎりぎりの線での妥協だった
国民に
これくらいの勢いがないと
政治家は 惰弱になり
まともな外交が できずに
国益 国家の品格を
損なうことになる
三島が 頭にき て
やがて 絶望したのは
そういう ことだろう
全国で 1か月も
くすぶって いたという
日比谷焼討的な
ショック療法が ないと
大和民族の荒ぶる魂は
覚醒しないのでは ないか
若者たちに
早く ワクチンだろが
都内の臨時会場に
朝から並ばせておいて
揚げ句に「抽選」なんて
マヌケ なにやってるんだか
フィリピンみたいな こと
やらかして いたが
呆れて 二の句が 継げない
今の若者も
よく我慢できるもんだ
よく暴れ出さないもんだ
1960年代末期の 若者だと
間違いなく 暴れていたな

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自分は いつでも
神様が 自分を 連れていくと・・
しかし 自分は 70歳を 超えていた
きっと 神様は とても忙しくて
自分のことを 忘れたのか
だから 自分は 神様に
思い出して 欲しく ないと
ほおっておいてくれて いい
「さとり」とは
どのようなものですか?
なんだよ いきなり
「さとり」とは・・に
そこに続く言葉は 無い
言葉に することで
それだけが
正解になってしまい
他が 不正解に
なってしまうので
言葉には できない
「さとり」の 答えは
掴んだ瞬間に 無くなって いて
問いでしか ない
さとり その問いを
ずっと心に抱えたまま
生きていくこと 自体が
答えと 言えば
答えなのかも しれないな
「わからない」という状態は
毛嫌いされたり するんだが
「わからない」と 思いながらも
「それで いい」と
生きて行けるように なった
ーーさとりは 言い表せない と
「つながり」と いうのが
キーワードかも しれない
本来的には すべてが
つながって いるのだから
それに 気づいて
生きていこうよ
ーーすべてが つながっている
どのようにしたら 腑に落ちて
実感できるのでしょう?
たとえば
空気が なければ
いのちは ない
自分の いのちって 言うのは
自分だけのもの じゃなくて
縁の中で 生かされている
その事を
「そんなの知ってるよ」
そう じゃなくて
謙虚に静かに
感じて 行くしかない
ーー今から 興味を持った方は
縁を 何から始めれば?
体感のために
座禅をやってもいい
入り口は どこでも
いいんじゃないか
縁のあるところを
ノックすると
他にも扉が 開いていく
日本で 仏教は
電気 水道 ガスと同じ
基盤みたいな ものなのに
でも 伝わって ない
法事の時に
何となく お経を聞いて
足しびれたな とか
それくらいじゃ ないか
じゃあ 仏教って
何を 言ってるの?に
進んで いかない
仏教は
さとりの境地を 指し示す
そうと 思っているんだが
そこを ガツンと言ってくれる
お坊さんが なかなかいなくて
「さとりの話を 聞かせてください」
そう言っても 煙たがられる
何言ってるの?と
だけど 潜在的に みんなが
「このままの社会で いいのかな」
「何か おかしいんじゃないか?」
そう思って いて
でも 何がおかしいのか
分からなくて
それは たぶん
「自分」という前提を
疑っていないから なんでしょう
そういう自分を 疑わないから
その先に 行かない 行けない
自分一人で 生きている
その気になって いるから
どんどん おかしな事に
なってしまうんだ けれど
そうじゃ ないんだよ って
ーー「さとり」とは
遠い世界な気が していましたが
「さとり」というと 大げさ
日常的な「気づき」は
どんな方にも ある
普通の人たちが
その気づきを持ち寄って
対話をする
人間は
どんな日だって
楽しむことができる
そして人間は
そのことに 気付く
その 連続の中で
生きている
日々 老いに関する
新たな発見を しながら
上手に 老いていくのが
望ましいのでは ないか
おそらく 私たちが
恐れているのは 病気
でも
「がんは 運である」
どの病気に かかるか
どのような 死に方をするかは
運に左右され
私たちが 選ぶことは できない
むやみやたらと がんを恐れ
がんにかかったら 恐怖とともに
死ぬしかないのかと いうと
けっして そうではありません
「がんは運である」
しかし 運なのだから
何も 考えなくて いい
という訳では ありません
がんに
限ったことでは ないが
運を味方に するには
正しい知識を 持って
自分の頭で 判断する
そう 知識があれば
自分のがんが
どのようなものか 理解し
最善の治療法を 探りつつ
自分の生き方を 考えることも
私たちには できる
そう考えると
やはり病理に対する知識は
持っておいて 損はない
人とて 一つの生き物
生き物とは
本来「健康」に できている
生まれながらにして
健康をキープする
仕組みを 備えている
「自然治癒力」ですね
コロナにしたって
ワクチンばかりが
注目されるが
我らの体は
そもそも自然免疫という
能力を備えていることも
忘れちゃ いけない
要は 余計なことをせず
自然に健全に 生きてさえいれば
生き物は おおむね健康でいられる
健康とは
情報やお金で
手に入れるものでは なく
毎日の習慣により
積み上げていくもの
日々 健康でいるってことは
人生の時間の質を アップする
生きている時間を
輝かせることに 他ならない
生きとし 生けるもの
すべてが 望むもの
そして それは
何に頼らずとも
自分の力で
作り上げることができる
そうとわかれば
作り上げるのみ
どんな大金持ちを
羨むこともない
今の自分で まったく十分
そう思えるだけでも
実に健康的
快便は元気のバロメーター!
我ら 食べること ばっかりに
夢中になっているが
出すことも 同じくらい大事
まず 夕食は「夕方」に済ませる
午後6時までに 終える
その後は 食べ物は 口にしない
胃腸が 余裕を持って
働く時間を確保し
消化を完全にする作戦
朝 起きぬけに
1杯の白湯を飲む
もちろん2杯でも いい
しばらく ゆったりと過ごす
瞑想などしても よし
すると 程なくして
便意を催してくるので
スッキリと排泄して
1日を スタートさせる
これを 毎日の習慣にする
ここまでくると
排便の具合で
日々の体調も わかる
ウンコの出が悪いとき
つまりは 出るまでに
時間がかかるとか
いいリズムで
ウンコが出ないときは
これは きっと
良くないサインだなと
思わざるをえない
人生を「排便」が
リードするようになっていく
生きていくために
スッキリ排便を
目指していたはずが
いつの間にか
スッキリ排便するために
生きている
といった感じになってくる
人生で
何一つ うまくいくことが
なかったと しても
毎朝の快便という
人生ベストの快感だけは
日々 必ず
手に入れることが できる
そのことが わが人生を
どれほど明るくしているか
お金に振り回されるより
100倍効率的であることは
間違いない
うん これでいいのだ
体を健康にしておくことが大事
血管が キレイなら
認知症にもなりにくい
田中角栄が 言った
【人の一生は やはり運だと思う
実力が あっても
駄目なものは 駄目
努力と根気 勉強
こういったものが
運をとらえる きっかけになる】

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――日本人は
どこか 不安なんですかね?
――それに
日本人は 自分を どこかに
分類したい 気持ちも強い
日本には 社会のルールが
決まったパターンが
たくさんある
こんな
シチュエーションの中では
こうしなければ いけないと
決まっている
そうしないと いけない
日本に 滞在すれば
日本とフィリピンの
文化ギャップを 感じていた
そのギャップは
日本という国の独特の文化や
風土あってこそ
「日本の常識は 世界の非常識」
という言葉が あるように
フィリピン生活で 当たり前と
慣らされてきてしまったことでも
ひとたび 日本に帰れば
「当たり前では なかったんだ!」
既に 忘れていた事の
数々を 想い出させる
「お客様」は
スタッフよりも立場が上
自分に非が なくても
組織を代表して謝る
飲食店で
無料の水とおしぼりが出てくる
国民が ほぼ同じ民族で
ほぼ同じ言語を話す日本
「なにを 今さら」と
思われます か
日本のように
国民のほとんどが 同じ民族で
同じ言語を話すという国は
世界的に見れば 少数派で
アジアを見ても
多民族国家です
外見が アジア系や
アフリカ系 欧米系で
明らかにフィリピンに
ルーツを持たないであろう
そう 思われても
移民の子孫で そこで生まれ育った
「フィリピン人」かも しれない
日本では
見た目や 言葉が違う人がいれば
「外国人」と 判断されます が
世界的に見れば そう単純には
いかない国が 多い
色白の人は 小麦肌に憧れ
そうでない人は 美白に憧れる
人間は ないものねだりをする
そうした 生き物なのだ
「小顔」は 誉め言葉?
日本では
誉め言葉として
認識されていて
外国人に誉め言葉のつもりで
「顔が小さいですね」と 言っても
「私の脳みそが
少ないみたいじゃない」と
不快にさせて しまったりする
野菜や果物は
一個売りか パック売り
日本では
世界でも まれにみる
便利な国で ありながら
なぜ 世界的には
多数派の合理的なキロ売りを
採用していないのか
そこは 不思議
ホテルの料金は
一人当たりで 提示される
日本のホテルを予約すると
気付くのがこれ
日本では ホテルの宿泊費は
一人当たりの料金が
設定されていますが
1名での宿泊料金と
2名での宿泊料金は
大きく異なります
世界の多くの国では
部屋単位での料金設定
1人で 泊まっても
2人で泊まっても
料金は同額ということが 多く
2人で 一部屋をシェアすれば
日本より ずいぶん
割安に 感じられる
子どもの頃 お金を触ったら、
必ず手を洗うようにと
母親に口酸っぱく注意された
誰が触ったかわからないから
それが 理由だった
老年になった
今でも よく覚えている
フィリピンの紙幣が
日本のお札よりも
だいぶ 汚れている
20ペソの少額紙幣は
色が変色したり
シワだらけになっていたり
珍しくなく
財布に入れたくないと
思うことすら ある
弁当箱の中の整然とした美
エレベーターガールの
上品な接客
「ありがとう」「好き」という
言葉の魅力
温かいおしぼりや
お冷やが 当たり前のように
出てくる レストラン
自販機や
無人販売所から見える道徳心
外国人の目から見れば驚きと感激
いっぽう 日本人にとっては
あまりにも 当たり前すぎて
気づけて いなかった
「幸せ」が あたたかに ある
「日本人は もっと
自分たちの良いところを
知るべきでしょう!」
日本人の
コミュニケーションは
問題ですか?
そうですね
20~30年前と比べたら
コミュニケーションの能力が
下がったと思います
電車で偶然に誰かと
私が 会話するとしたら
ほとんどが おばあちゃん
彼女たちは 昔のやり方で
そのまま やっている
誰かに話したければ
話すんですね
今 若者は
あまりそんなことは しない
一つの問題は
スマホだと 思いますが
後は 教育の環境も
変わったと思う
簡単に会話をする機会が
少なくなって
きたんじゃ ないか
『不便でも 気にしないフランス人
便利なのに 不安な日本人』
元気な うちから
お互い様を やっておけば
それが 返ってくる
自分の人生を 自分で決める
そんな事が 案外難しい
今日よりは 明日
明日よりは
あさってって いう
思いだけは 強くある
100歳以上が
5万人という時代に入って
日本国民の中で
いま 一番多いのが
61歳なんだ そう
これに62歳 63歳
60歳が 続いていて
この人たちが
いまの日本の人口の
大きな部分を占めている
つまり日本は いま
大人の時代に 入っている
昔は シルバーと
呼ばれていた世代が
日本の活力を担う
新しい時代に 入っている









