□□■─────────────────────■□□
ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippine

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
□□■─────────────────────■□□
ある藩で 家中の者が
酒に酔って 不始末をしたため
殿様が 禁酒令を出した
殿様による 直々の命令とあって
初めは家臣たちも守っていたが
徐々に 規律は乱れた
見張りをする番屋が設けられた
それでも 酒好きは何とかして飲みたい
屋敷内で こっそり飲もうと
懇意にしている酒屋に配達を頼む
酒屋は カステラだと
ごまかそうとして
番屋の役人に 見破られたり
その仕返しを したりの
ドタバタ劇が 展開される
落語の「禁酒番屋」である
酒屋にすれば 藩と得意先の板挟みだが
今の世の中でも 似たような ことが・・
行動変容を促すには
強い発信力が 欠かせない
ダバオ サラ市長の禁酒令
今年いっぱい続ける と宣言
かんべんしてくれよ
酒も落語も一席
ゆったりと楽しめる日は
一体 いつになるのやら
闇のビール 特大瓶1ℓが
350円に 値上がり まいったな
◇◆◇ ──────────────────────
「ご飯食べた?」と 聞かれると
日本では 食事に誘われたように
受け止めることも あるだろう
フィリピンで「ご飯食べた?」は
「こんにちは」「元気?」など
あいさつ代わりにも 使われる
米を主食とする
フィリピンの暮らしで
「ご飯」という言葉は
食卓を飛び越えて
日常生活に広く用いられる
文化のキーワード
「食べられてこそ」という
強い意識が 根っこにある
日本の「メシが食える」
その感覚と 響き合う
自由で あるために
私たちは 健康を 必要とする
人が 自らの健康や生命の
主権者でいる ことは
たやすいことでは ない
異国生活 フィリピンでは
健康である事が 絶対条件
健康だから 生活を 維持できる
もし 医療を すべての人間が
平等に 安く利用できる ならば
肉体的に ばかりでは なく
精神的にも より健康でいられる
自分たちの生存が
貧富や社会的地位に
左右されると 思わなくて 済めば
私たちの生活は 心配に満ちた
孤独なものでは なくなる
もっと自由に なれる
現実は 貧者に厳しい
好きなものを 食べ 不摂生?
健康的に カロリーや 塩分
水分の量が 決められ
タンパク質や カリウムも制限される
高齢者施設での 食生活では
医療的に きちんと管理される
ひとり暮らし 自炊では
医療的 食事管理は 難しい
あと 何年生きられるのか
分からないの だから
そこまで 厳格な制限をかける
必要があるのか 疑問
75歳以上の高齢期に
塩分制限を かけても
死亡リスクは 下がら ない
医療的に厳格な管理をして
味気ない 食事で
低体重に してしまう よりも
好きな料理を たっぷり食べて
ふくよかな体形に なったほうが
総合的には 安全だと いえないか
野菜は 健康
あらゆる制限は 健康に通じる
そうなのだろう が
固定観念に 縛られていて
本当は 何が 大事なのか
考えなく なっている…
人間本来の 本能
食べる楽しみを 軽視して
管理すること ばかりに
目が 向いて いる
「食べる力は 生きる力」
人間の本能である 食べる行為
おいしい食べ物 好きな料理で
腹一杯 食べる
老後を 幸せにすることは
疑いようも ない

◇◆◇ ──────────────────────
日本のコンビニが
訪日客に好評だとか
日本人には 当たり前だろう が
フィリピンにも 各国にも
セブンは ある が
日本とは 別物
日本のセブン 拘りの品質 低価格
うわぁ〜 と 驚くばかり
商品やサービスの充実度は
日本と海外では まったく異う
訪日客は 日本のコンビニが
すっかり気に入ってしまった
セブン-イレブンが
午前2時に 開いているなんて
枝豆チップスと
エッグサラダサンドイッチが 旨い
セブン-イレブン
あなたが いなかったら 何もできない
ひとり暮らしの 若者や老人も
そう言うのだろう
午前2時10分の東京
セブンのドアは まだ開いている
棚には 商品が 再補充されていた
なんて場所 なんだ
フィリピンのセブン-イレブンでは
日本と同じ経験は できない
エッグサラダサンドイッチなど
とても食べる気になれない 貧弱
日本の これなら食べたい の 商品
ひとり暮らしの老人に
コンビニは 無くてはならない
また コンビニも ひとり暮らしに
応えた 対応を している
ファミリーマートで販売されている
「海老と野菜の天重」価格は430円
海老だけでなく 野菜もたっぷり入った
天重3本の海老 歯ごたえのある野菜
具材の食感と風味を楽しんでいるうちに
ペロリと完食してしまう 贅沢な弁当
具材が たっぷり
最後まで飽きることなく 食べられる
「海老と野菜の天重」うわ〜 ナニ凄い
こうした弁当に たすけられ
日に 一食で 生きている
高齢者も いることだろう
日本は 3600万人が 65歳以上の高齢層
人口に占める割合は 30%
老人らの収入の80%は 僅かな 年金
そして現在 生活保護の約50%を
高齢者が 占めている
日本では
極度の富裕層も極度の貧困層も
「まだ」存在しないの だが
その日本でも 格差が広がっている
いずれ その両方が出現する
もっとも
超富裕層になるのは ごく少数
大半が 貧困層に向かう
そのような社会が 見えてきて
「どうしたらいいのか」と・・
日本は 少子化問題も 高齢化問題も
放置し続けてきた
社会のダイナミズムが 失われても
誰も 問題意識を 感じなかった
日本人が 日本の問題点を
きちんと修正できない以上
突如として 日本が成長気運に入って
格差も是正する社会が 来るなど
夢のまた夢 ありえない
民間企業なら とうに 潰れている
日本が
先進国から脱落している過程で
起きている 高齢者問題に見える
日本社会の底辺は
もう「先進国」に 生きていない
政府は国民を
どうするつもりなのだろうか?
もう 政府は答えを出している
「死ぬまで働け」その答えだ
政府は 「生涯現役社会」と
キレイな言い方をする
いかにも日本政府は
高齢層のライフスタイルを
考えてくれているように見える
だが 本音は そこには ない
「年金を払いたくないから」
死ぬまで働け それが 本音
よほどの富裕層でも ない限り
「働き続ける」ことで
生き残るしか 道は残されていない
何も持たない 高齢者が
唯一できる 現実的な生き方は
「働き続ける能力を持つ」
そのことに つきる
悠々自適の老後など 消えた
便利で 刺激的 残念だが
『東京に住む理由が なくなった』
「威張っては 言えない けど」
自分に とっては 今
不便な フィリピンの田舎
ダバオで 老後暮らし
つじつまが 合ってる
腹の中で 納得できる 貧乏
恥じる事も ない
笑っていこう 笑っていよう
「小児科」は「こじか」と 読もうよ
よく学び よく遊べ
余り言わなくなったね
身体の衰えに 文句を言うのは
筋違いだろう
70を越えても 身体臓器は
無給かつ 不眠不休で
今日も 働いてくれている
アリとキリギリスを学んで育ったが
いまは キリギリスで いい歳だろうと
身体に感謝しつつ 日々を 過ごしている
若い頃は 随分と悩んだ
流れに身を任すと いうのが ある
欲はない要所を 突きながら
面白おかしく 生きていた
世の中の流れに 沿いながら
<ス~ッと生きてきた>のが タモリ
『天才バカボン』の 主人公
バカボンのパパの口癖に
<それで いいのだ>が ある
外で 何が起こっても 結局は 自分
昨年から 今年は
これまで普通だと 思っていた こと
根こそぎ 崩れた
今まで 当たり前だった ことが
普通でも ベストでも ない
新たに問われている 機会
それぞれが 自分自身のベストを
新たに探す その機会を 貰っている
正しいというより
おもしろければ
それが 正義だという気に
なってきた
何が 正しいかなんて 分からない
本当に 幸せ 平和とは・・
何も恐れることが ないこと
努力と 真面目だけでは
幸せに なれない
こんな時 融通が利き 楽観的に
なったほうが 幸せ度は 高そうだ
選んだ以外の 生き方が あった
そんなこと 思わぬ ことだ

◇◆◇ ─────────────────────
勤め人の頃 職場に
毎日 毎日 牛丼ばかり食べてる
先輩が いた
彼は 牛丼が 大好きだったから
なにも かも 世界のすべてを
牛丼に置きかえて考えるのが つね
牛丼が 1杯400円として
1600円の映画なら
牛丼が 4杯食べられる
3千円のTシャツなら 7杯分
それだけの牛丼を 犠牲にする
値打ちが あるのか-と
彼の思考は 巡る
彼が うらやましかった
牛丼中心の その世界が
断固として 揺らぎが なかった
自分には 彼にとっての
牛丼みたいなものが なかった…
彼の「牛丼」みたいに
頼りになる 物差しが
自分には あるだろうか、と
考えたのを 覚えている
あなたは どうだろう
たたき上げの苦労人の 彼は…と
書きかけて あの人 総理
自分が食べた物の値段を
把握しているかな と
余分なことが 心配になった
首相動静では
「ホテルで 誰かとご飯」を
見かけなく なった な

◇◆◇ ─────────────────────
わたしたちは みえないものを
とりかわして 生きている
誰かと向きあって 話しているとき
いくばくかの菌を 交換している
自家製の味噌や ぬか漬けは
かき混ぜている人の 手の常在菌が
乳酸菌と むすびついて 発酵して
できあがる
氷室さんのぬか漬け おいしい
おいしいよ そう 言いながら
食べているとき その人を食べた
そんな事 思わない でも
そのひとを 構成している
なにがしかを 食べている
キスだって常在菌の交換だから
相手のなんらかを 食べあっている
菌の交換は みえないから
ふだん意識は しない
菌と個人とが
結びついていない からで
それが とてつもない嫌悪感に
繫がったりも する
私たちの体の中には
微生物が 山ほどいる
最近では 腸内細菌が 有名
昔は ばい菌と言って
排除しなければ ならない もの
今は そういうものが いないと
「自分」では なくなる
「自分」と言う時の 自分は
これらの「生き物込み」
バクテリアたちが 一緒にいて
私たちを 支えている
そのことが 分かってきた
バクテリアは 体内に何兆個も いる
ところが ウイルスは
380兆個もいる と あれば 驚く
びっくりする数の
バクテリアやウイルスが
躰の中に いて それが 自分
両親からもらったDNAを 持っている
これが 自分だと 思ってきましたが
バクテリアやウイルスも 一緒にいて
これらもDNAを 持っていますから
そういうDNAも あっての自分
私たちが 親からもらった
DNAの量よりも
微生物やウイルスたちのDNA量の方が
多いわけ これが 自分
生き物の世界で 生きることは
そういうことなのだという感覚
その感覚が コロナウイルス後の
生き方にとって 重要だと思う

◇◆◇ ──────────────────────
短編を 読んでいた
はじめは まじめに狂っている
登場人物が おかしくて 笑うが
それは 自分が 正常だと
思いこんで いるから
笑えるだけに 過ぎないのだと
恐ろしかった
「生命式」は
死の弔い方の 新しいかたちで
作中世界では
それが 政府推奨の式として
一般的に なりはじめている
生命式は
通夜振る舞いのような かたちで
故人の肉を ふるまい
そこで みな肉を 食べる
それと 同時に
妊娠をのぞむ 男女が
「交尾」をする場でも ある
人口減少が 激しいらしく
また 性愛を 恥ずかしいと
思うひとも いなくなり
セックスという表現が
なくなっていた
「妊娠を目的とした交尾」
「受精」だけを みな求める
生命式は 死者を 弔いながら
新しい命を宿す場に なって いて
猪鍋を食べるような感覚で
肉を食べながら 相手を 探している
好ましい人物が みつかれば
「受精」する
一見 異様なのだ けれど
もとから 冠婚葬祭の集まりは
生者のための場所で あるし
ひさしく交流のなかった ひとと
繫がるきっかけで あるから
いまと大きくは
違わないのかも しれない
もし嫌いなひとの肉だったとしても
食べるんだろうか 牛肉や鶏肉に
いいやつ わるいやつ などときめて
生前の相性が 悪いから 食べないわ
そうは 思わない わけだから
そうじゃない判断で
みんな食べているんだろう
上司の中尾さんの肉の味を想像して
「中尾さん 美味しいかなあ」と
言ったりする
生きている うちから
みんな こっそり
味を値踏みしたりしている
容姿の美醜のように
おいしそうであることが
生前の魅力にも 加味される
おまえら ちょっと前まで
違うことを 本能だって
言ってただろ と 言いたくなる
本能なんて この世にはないんだ
倫理だって ない
どちらも変容し続けている世界から
与えられた 偽りの感覚なんだ
「正常は発狂の一種でしょう?」
この世で 唯一の 許される発狂を
正常と呼ぶんだって
じぶんたちの「正常」さを
保証するために「本能」という
体のいいことばを つかう
社会規範をつくったのは人で
倫理は うつりかわる
そのときどきの
ちょうどいいところに
いられるひとは 正常だけれど
そこから こぼれ落ちたら
狂人のスタンプを 押される
正しいことは 気持ちが良いから
漏れてしまうひとを
糾弾できてしまう
アインシュタインも
常識とは 十八歳までに身につけた
偏見のコレクションのことを 言う
そう言っていた
短篇集のなかでは
さまざまな「正しさ」に
なじめないひとたちが 出てくる
そして みなひたむきに 狂っている
芳子と菊枝という 二人
女友達同士が 七十代になっても
同居をしている
処女のまま
体外受精で 子供を持った芳子
セックスを 好むけれど
特定の恋人を もたない菊枝
ふたりには それぞれ子供も おり
家族として同居をしている
友人であるが 恋人ではない
ふたりそれぞれが産んだ子供の
共通の母でもある
夏の夜に ふたりが散歩をする
ふたりの呼吸が とてもこぎみよい
「わらびもちって
男の子の舌と似てるのよ」
だから 食べたくなるの
キスしてるみたいな
気持ちに なるから
「そう じゃあ いらないわ」
芳子が肩をすくめると
「あら 悪いこと言っちゃったわね」
菊枝が笑った
自分たちは 真逆なのに 似ている
菊枝は 芳子が処女だと打ち明けたときも
「あらそう」と 頷いただけ だった
「やっぱり 一つ頂くわ」
芳子は 手を伸ばし
一つを 口に入れた
柔らかい塊を 歯で嚙みちぎると
胸がすっとした
「激しいキスねえ」菊枝が笑い
静まり返った夜道に
二人の足音が弾むように響いていた
芳子が 男の舌に似た
甘い菓子を くいちぎって
飲み込んで とかしてゆく
性への違和感というよりも
性をもとめない じぶんのことを
他人から 詮索されることへの
違和感を くいちぎる
芳子は 女二人の関係を
邪推されることへの怒りもある
学生時代 結婚できなかったら
いっしょに暮らそうね と
友達同士で言っていたのに
いざ 実行すると
周囲から 奇人扱いされてしまう
そのことへの 怒りだ
短篇集のなかでは
登場人物が抱いている
腑に落ちなさや
正しさを押しつける
傲慢な視線や態度への怒りを
食べることによって 反発したり
新しい価値観の発見を
体に取り入れたりしている
「生命式」では
作中で、死んだときのために
あらかじめ「俺の肉」のレシピを
入念に考案していた
主人公の友人の
山本という男がでてくる
彼の肉を食べながら
「山本って
カシューナッツと合うんですね」
しみじみ 彼の未知なる部分を
発見する台詞が ほがらかにきこえた
(ジープの中 時に退屈させない)
◇◆◇ ──────────────────────






