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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippine 


            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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「なんて こった」



 

300万人が 既に 亡くなった 人類の愚か
一年半分の 自分の 残り少ない 貴重時間
コロナだけに 貪り食われ 失った
たまったもんじゃ ない

いい天気と 言えば
晴天を イメージする
フィリピンの ある人は
「曇り空」が いい天気と している
過ごしやすくて 日照りが 起きない
そう考える人には 曇り空も いい天気… 

ぐずついた天気から 一転
真っ青な空に 飛行機が 浮かんでいた 
国内便 PALが ダバオ空港に 
ジェット音残して 侵入して  いった

一年半 旅に 出られな かった
今の様子では あと 1年は
いや 1年以上か・・ 
世界に ワクチンが 行き渡るまで
旅に出るのは 無理な ようだ 

海の上を 漂いながら
ココヤシの樹々が 立ち並ぶ
沖から 浜辺を 眺めていた
さまざまな文化と 人種の人々が
同じ場所と瞬間を 共有している
その様子が 蜃気楼のように 見えた

もう だいぶ昔の話しに なる 
ジジ ババ 連れ立っての ツアーで 
ハワイ旅行 した事が あった

みんな 50前半で 若やいで いた

時差ボケの ババア ノンさんが
朝 ホテルのバルコニーに いた
藍の 粋な浴衣に 薄紫の帯を しめ 
着物姿が ハワイの 乾いた空気に 
よく沈み 溶け込んで いた

「ノンさん 何してるの?」
後ろから 声を かけた・・

「日の出を 見るの」そう 言って 
サンセットの方向を 見て いた

「日の出は こっち だよ」と 言うと

ノンさん 真顔で
「きのう 隠れた所から お日様は
   また 顔を 出すんでしょ?
   そうじゃ なきゃ おかしい もの」

そう 言った ノンさんに 笑いかけた 
幼なげで 可愛いらし かった

紅潮した頬 恥ずかしそうな表情
平静さを 装いながら
隠しきれない 動揺の ノンさん

おそらく 大抵の人が 
そんな ノンさんを 
好きに なるでしょう が
人は普段 好きだなんて こと
まったく 忘れて いる

「好きな人」と して
ノンさんの ことを 念頭に 
浮かべる ことは しない
人は ノンさんの ことを
人気者を 好くような 仕方では 
考えていない

ノンさん ハワイまで きたんだ
『幸せの 答え合わせ』しよう か?

もしも ノンさんの ような人を
邪魔にする人が あると した なら
その人は 心の邪な人に 違い ない

「修一はん 何しとぉ? 
   こっちきーへん? 一緒に お茶しよ・・ 
   あー そないな こと あかんね
   うちは 人妻や・・
   ほんまに 修一はん イチビやなあ」

ノンさんは 神戸の人

大阪弁の「なにしとんねん」だと
何だか 怒られている みたい だし
京都弁 の「何してはりますの」では
言い訳しないと いけない ような
圧迫感を 覚える

神戸弁の「何しとぉー?」なら
「当ててごらん・・
   こっちおい で 可愛いなあ」
ドラマに なるね
事件に なったり して・・

女の色気 独特の「艶」
ノンさんの色気 これまでの蓄積
心の余裕が もたらす「奥行き」
品のある 身のこなしに 現れる

何を 持っているの かは
自分でも わからないのよ
生きてきた 年数分を 持っている 

そう いったら 分かって貰える かしら
 

ノンさんの哲学 その言い方が よかった

ノンさんの 
色っぽさの 正体 
わずかに 見せた「隙」

常に 大人らしく 振舞って
たまに覗く「ほころび」が
たまらなく 色っぽい

若い子の 色気は
局部を 最小限覆う 水着姿
露出された 健康的な こぼれる肉体
少女の無邪気から 発せられる
「無防備な隙」に 色が 表れる

大人の色気は
着物の衣紋抜き 
襟元を あけて うなじが 見える
意図せず 覗かせて しまう
「隠しきれない隙間」に 表れる

隙間から みせる 色気
ノンさん 素敵だった

「修一はん サンチカ知っとぉー? 
   三宮の地下街や 今度 神戸に来たら 
   案内するからね きっと よ・・」

果たせぬ夢
夢のままで 置いて おくから
いいんだろう なあ

30年振りに 会った ところで
いい思い出が 消えるだけの よう

「今ある人生 それが すべて」

失ったものを 嘆いても 
時は 戻らない
誰かを 恨んで 生きても
幸せには なれない
辛いことも 悲しいことも
全部 ひっくるめて
あの時が あったから 今が ある

人は 褒められて 生きていける
自分だって 褒められたい 
嘘でも お世辞でも
社交辞令でも かまわない
さんざんに おだてて ほしい

「好きな人の ことを 褒めることで 
   残った生涯を 送りたい・・」

 


◇◆◇ ─────────────────────
フィリピン南部の島 ミンダナオ
大きな湾を抱えた 小さな街 ダバオ
自然に囲まれて いる けれど
街自体は とても 小さくて
この街を よく象徴してる

この場所と この街の特徴が
自分に対して 他の邦人に おいても 
どんな役割を 果たして いるのか 
そのことが 大きな意味を 持つ

乗り越えられない 過去を抱えた者
孤独にしか 生きられない者
この 小さな街で 暮らす
傷を抱えた 年老いた異邦人
みなが 心の癒しを 求める場所



 

一度死んだ場所 日本
ゼロ地点から ダバオで 生き直す

社会から 姿を隠せる 異国の街
ひっそり 老後を暮らす 世捨て人

置かれた場所 日本で
サイコーの老後を 送る
そんな人の方が 幸せ

完璧な人間など いない
誰もが 不完全で 愚かで
傷つけたり 傷ついたりを
繰り返して 生きている

受けた傷 与えた傷 おかした過ち
それらと 老いて どう向き合うか 

人間は頑丈 何度でも やり直せる

「普通の1日の はじまり」
長い道のりの末に 手に入れた
尊い「普通」

「今ある日々」を 
抱きしめることで 生きて いける

退屈しないと いうか
異国の生活は 結構大変

自分で 自分を 喜ばせ 楽しく生きる

 


◇◆◇ ─────────────────────
決して
「正しい」人間とは 言えない 老人ら

そとずらが いい 
仕事場や 介護施設では
「立派な人」「いい老人」な 評価で
通っていた と いうから 苦笑い

老いの 処世術だったん だろう

日本では 歳をとった 人たちを
『老人』枠に 勝手に はめ込み
理想の『老人』像に 押し込め
はみ出ないで ほしいと 迫る

さらに 都会では 人に迷惑を かけない
『いいおじいちゃん/おばあちゃん』
その空気が ちょっと 強すぎ ないか

世間体や 好感度を
いっさい 気にせずに 生きている
そんな「老人」も いるか と 思うと
自分の好きに 生きりゃ いいん だわ
と 気が 楽に なる

好き勝手に 生きてる人が
健康で 長生きしそう だ
そうした 予感が ある

自分の過去を 語るのは
愚痴を いうことと 同じでは ない
老後の 困難な体験を シェアし
誰かを 元気付けられて
誰かに 陽気さを 与えられる

自分で 自分が
負傷している ことを 見抜いて いた
自分では 到底 治療できない
日本で 受けた傷

治らない傷に 怒りを 募らせていた

でも その 現実とは 戦えない 
負ける事が 分かって いた
それなら 逃げて 隠れるしか 
傷を 癒せないじゃ ないか

ダバオに 逃げ込む 一大決心 

会社を 辞めた
幸せに なるための再生

元気溌剌 自由に 豊かに 生きるため
給料が もらえなく なった くらいで
くじけ 落ち込んでいる 場合では ない

何歳だろうと
心開けば 新しい何かが 起きる
『自分の人生が 戻ってきた』

「苦しみを 断ち切って 幸せに」
ダバオから そんな声が かかって 
呼ばれた わけでも ない

勝手に ダバオに 逃げ込み 
にわかに 非日常な 高揚感を 覚えた

「今後を いかに生きるか」なんて
そんな 大袈裟なこと 考えて ないよ
丁寧に 残り時間を 生きてみたい

いつ 何が 起こるか 分からない
異国の刹那 外出は 今でも 緊張

ダバオで 家賃節約のため
老朽極小住宅に 住んでいる

2万円の家賃で 見つけた
築20年の平屋は
静かな住宅地の中に あった
海に近い ラブリーな 貸家

驚いた ダバオの住宅には 
収納というものが 一切 なかった
クロゼットや 押入れは もちろん
靴箱も洗面下収納も ない
冷蔵庫置き場も
洗濯機置き場も ない

勝手に 空間を工夫して 使え
そういう こと か

ここで 暮らすには
所有物を 最小限に
収納が 無いの だから

「ランクを 落とす」いいえ
ランク外の暮らしへ 転落

後には 引き返せない
三途の川を 渡って しまった

生活に 何が「要るもの」なのか
その定義 大幅に 変更しない と

「これが なきゃ 死ぬか どうか」
という 次元まで 落として 考える

フォークとスプーンが なくとも
箸さえ あれば 必要なら 
歯で 食いちぎって 食べれば 良い

それで どーした

ことごとく 全てを 手放した
数枚の衣服と 100冊の文庫本を 残した
この くらいで いちいち
落ち込んでいる場合じゃ ない……と 

自分に 言い聞かせるも
どうもね……何度 言い聞かせても
心は 沈んだ まま

今 必要なのは 
新しい生活のイメージ
お金や キラキラに代わる
何かを 見つけないと と 焦る

自分が 心から納得できる
生活イメージさえ 見つければ!  
おそらく 大丈夫

「え 転落?」  
いやー 確かに そう見えますよネ

それが やってみたら……
フフフ と 心から 不敵な笑みを
浮かべることが できた
不気味な 大丈夫

大好きな 時代劇を 見ていて
これだ! まさしく四畳半 貧乏長屋
貧乏などという 名が 付いてる から
つい「気の毒な」と
先入観を 持って しまう が

それを 取っ払って よくよく見れば
狭いながらも なかなか
すっきりと 暮らしているでは ないか
余分なものが なにも ない 
貧乏ゆえ か そうでは ないだろう

長屋に 実際に 暮らした 
江戸の人たちが いるのだ
長屋暮らし それが 当たり前
そこに 生活見本が 何人も! 
まさに 時代劇 まんまの現実

長屋 本当に 四畳半なんだね!  
だが 驚いたのは
押入れが なかった ことだ
まさしく 収納ゼロ
我が 貸家と 同じでは ないか

自分が 借りた 収納の無い 平屋
さらに 上(下?)を 行く 江戸の長屋

それでも 問題なく暮らした 庶民が
ほんの 200年前に 当たり前に
この世に 存在していた 事実に
やれるな まずは 励まされる

長屋は 狭いが なかなか美しい
ものが ほとんど なく
整理整頓されている

調度品が 木や竹
陶器など「全て 自然素材」
プラステイックの家電品など ない
江戸時代は かまどに 七輪
当たり前だけどね それだけ

いずれにせよ 総合的に 見て
これぞ 簡素な美と 言える
うん これぞ 自分の目指す
「ダバオの四畳半暮らし」
そう 定義しても いい気が した

だが よくよく観察 研究するうち
江戸長屋の生活を 実現するのは
並大抵の ことじゃ ないことも
わかってきた

「貧乏長屋」などと 言って
彼らを 一段下に 見ているが
とんでも ないこと
長屋で 暮らそうと 思えば
並外れた「片付け能力」が いった

1日の生活に 合わせ
寝たり 起きたり 
食事を したりに 合わせて
布団や ちゃぶ台などを
くるくると 片付けたり
広げたりする この空間で
家族4人暮らしなどと いう
奇跡のような 芸当が 
成り立って いる

ダラダラと やりっぱなし
広げっぱなし 片付けは 後回し
だらしない ことでは
お話に なら ない

余分な ものを 持たないことも 必須
何しろ 入れる場所が ない
「持たない」レベルが ハンパない

着物は 衣紋かけ(現代のハンガー)で
壁に吊るすの だが
これなら 場所いらずとは いえ
2  3着しか 所有できない
10着しか 服を持たないと いう
フランス人どころの 騒ぎじゃ ない

それでも 時代劇に よれば
江戸の庶民は それなりに
オシャレを 楽しんで いた
いったい どうやって?  
自分には 想像も つかない。

まだ ある

長屋だもの 揉めごとも あった はず
大家が なんとか かんとか 丸く収める
協同生活能力が 全員に備わって いないと
長屋で 日々食べて 出して 生きていくこと
できなかった ろう

人間の暮らしって
食べて 寝て 友達と会話して
トイレ行って…
要素は みんな 一緒なのに
暮らす時代が 違うだけで
こんなに 興味を そそられる

知恵と工夫
けじめと たしなみ あって こそ 
生活できた 

江戸庶民の長屋暮らし
小さな すっきりした生活を 可能にした

それを ごく普通の庶民が
ごく当たり前に やってのけて いた
江戸の長屋 おおいに 見本になる

現代の 自分には
とても 同じ真似は できない

広い家に 暮らすなど むしろ簡単
金さえ あれば いいの だから

貧乏長屋は そうは いかない
己自身を 磨かねば 長屋のような家で
暮らしていくことは できない

いや もうまったく
落ち込んでいる 暇など ない

暮らしを 小さくする
みじめでも なんでも ない
自分を 鍛えなおす
日々の修行 なくしては
生活を 整えることは できない
自分の能力を高めていく 試練



 

自分を 中心に
周りが 動いてる わけじゃ ない
自分が 死んだ あとも
ダバオの街は ずっと 続いて いくし

人は いつか いなくなる
そう思えば 今を 始末よく 暮らす 

生きてる だけで 有り難い
命を上回るもの どこにも ない
生きる意味なんて 見つけなくて いい
何かを 成し遂げ なくても いい 
毎日を 生きる それだけで 大変な こと
生きてる そのこと自体に 意味が ある



 

誰に でも
「あの出来事」が あった
出来事を 乗り越えて きたのだ 
今を 困らせない

ちょっと 落ち込ん だり
思い通りに ならない とき
たった一つの 言葉だったり
たった一人の 味方だったり
たった一口の おいしいもの だったり
そういうもので 随分 助けられる

心地よさの作り方 人それ ぞれ
自分は 限りある空間で
そのとき 必要な もの
好きなものを 選んで 暮らす

家に帰れば 狭くても 安らげて
風もよく通り 居心地が いい
そういう場所を つくった

家での 暮らしは
自分の気持ちを 大きく左右する
家の心地よさは 生きる豊かさに
大きく 関わって くる

どこに 住もうと 貸家で狭かろう が
「今ある場所で 心地よく 快適に暮らす」
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自分は ダバオで 独り暮らし
70を 超えた 偏屈な ジジイ

頑固さや 戸惑い 崩壊する躰
自分に 優しく 話しかけている

時空を 超えた 妄想
現実と幻想の境界を 行き来 している



 

「気分」と いう 言葉
あいまいだから と 軽く 見てないか・・

朝 起きた時
『変な一日に なりそうだな』
『楽しく なさそう』
そんな 気分で いれば
本当に そうなるから 怖い

『今日は 楽しい一日に なる』
その 気分のときは 楽しくなる 
心と行動は 気分次第

『元気出せ』って 言われた

『言われなくても 元気だ!』と 反抗

元気 なくても 
元気出さない と 一人だ もの
何事も 成り立たない
元気ださないと 何も 動かない
何も 始まら なかった

自分を 奮い立たせる言葉
『元気 出せ』 

言われてる うちが 花だって 
気付いて からは・・

『さぁ 元気出して いこか』が 
自分を励ます 一言

「オッケー!」の 言葉も 連発
ダバオで 自分の言葉 通じない から
相手に 何でも『オッケー』って 言ってた
『オッケー! オッケー ラン!』

OKで みんなが『ヤッター!』
みたいな 顔に なる 
互いに 気分が いい

今や 24時間 
自分のための 時間割が 作れる
好きなこと順に
やりたいこと順に やり
会いたい人順に 会う
わかりやすい 毎日

自分が 楽しいと思えば 楽しい
自分次第 本質は それだけ

ご機嫌で いること
不機嫌でいると 周りの人たちも
不愉快に なって いる

ご機嫌で いる ことが
みんなに対する 貢献

なるべくなら
この「なるべくなら」が いい
「こうしなきゃ」は しんどく なるし
「なるべくなら」が 丁度 いい塩梅

できる範囲で いい
「なるべくなら」楽しんで いこう

「生きるっちゅう のは
   ほんまに しんどうて おもろい」

きっと これからは ええことも
ぎょうさん あると 思うよ

 


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歳とれば 
頑張るなんて 出来ないん だよ
ひたすら 人に優しく しか 
できなく なる もの

「人から 優しくして もらった こと
   うれしいと 思えな かった」
最近の日本人 そう 言うん だって

「受け取り下手」に なっている?

「借りを つくってしまう から だって」

人に 何かを して もらったら
お返し しなきゃ いけない けど
それは 無理 お返しできない から
他人から 何も してもらいたく ない と

ふ〜ん

「受け取る」ことに 
素直に なれない のか

「してあげる」
受け取って もらって こそ 優しさ

誰も 押しつけて なんか いない
気持ち良く 受け取って くれたら
それが うれしいんだよ

相手の話を 聞くとか
相手が 自分の想像とは
違うことを 言った時に
受け止めて 提案する とか

道徳は 困ってる人が いたら 助ける
小学校で 習った それは 命令だった

倫理は 具体的な 状況に おいて
最善な選択と行動を 自らの意志で
起こす こと

道徳が 命令する こと
優しさの ベストでは ない

自粛警察は「こう すべきもの」と
上から 一般論の道徳を 投げつけて くる
同じ状況で 自らの判断を発揮する 倫理を
道徳が 抑圧していく これは 怖いこと

人的資源を 現状のシステムが
人を パーツとして 見ていれば そうなる

そうでは なく 環境から 
人に 必要な資源を 取り出せる 
その能力を 持てる人を 見ている

その辺の 雑草を 

優しく見て「これ 食べられる」
そういう レベルで 資源を
取り出せる人が 求められる

「優しさ」目には 見えない 

だから しっかり 受け取ろう
優しさ 返せる ならば 
返せる時 きちんと 返そう

あるいは 優しい嘘を つく
それも 優しさの お返し

自分が 痛い思いを 経験したら
人の痛みも 分かる 情を知る

情を知ると
自分が 不幸に なっても
人には 幸せになって 欲しいと
思うように なる

少しぐらい 
自分が 不幸に なっても いい 
そういう 考えが 現れる

人の器量は 顔にでるから 分かる

「優しくしていても 時には
   ブチ切れて やることも ある」

生活が スムーズに 進むように
アブノーマルや狂気
愚かさや妄想を 抱え
もだえ 苦しみながら 生きている

自分は そこを 小説として 読みたいし
ブログに 書いて みたかった

人生は 最高の遊び場
だから こそ
この「いま」を 遊び 抜きたい

 


◇◆◇ ─────────────────────