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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines 

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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適度に ざわざわ と 外の音が して
人が 集まる 大きな 住宅地
その中に 埋もれる 独り暮らしの家

準備も できて ない うち
2月に 連れ込まれた

賃貸平屋の ベランダ
屋根付き 過分な広さ 
季節風が さわやかに 肌を なぶり
時に強く 風が 通り抜けていく

ベランダに 不釣り合いな
大きな サイドテーブル
小さな いす 六脚

ひとり ベランダの 椅子に座り
白く濁った アラックという 酒と
タバコを 交互に のみながら
悲しみや 放心などが 入り混じり
魔法が かった 表情だろう

庭の木を 見つめている

素朴な 一本の樹 名は 知らない 
黄と赤の 小さな花を つける

コロナで 自分は 疎外され
憂鬱な 気分の 中で 元気に なろうと
今は もうない 古き良き時代を
想い かえして いた

この 世界は
かくも 可笑しく 愛おしい

この ままでは まずい よ
人間が おかしく なって いく よ
人間が 壊れて しまう よ
ダバオの街 だって
黙示録的 終末期の イメージ

非常事態下に 暮らして いるのは
何も コロナが 起きてから では なく
その前から ずっと そうだった

どこに 行っても 検問所が あって
軍や警察が 住民を 支配している



 

中国 ロシア トルコ ベネズエラほど
住民弾圧は ひどく なくても
どこの国も 多かれ 少なかれ
国家が 民を 監視下に 置く
権威主義が 強まった

新自由主義は
「小さな政府」と 呼ばれたり
「構造調整」と いう 
意味が 伝わりにくい 言葉で 
世界に 広まって いた

日本では 規制緩和
構造改革や 行政改革と いう
その 言葉の影に 隠れて いた

鉄道 電力 水など 
国民の 日々の暮らしを 支える
基幹産業を 民営化し

社会福祉など 
暮らしを支える部門を 削り込む

国家予算を 減らし
大方のことは 市場に 任せる
小さな政府



 

資本主義社会で 国に 支えられ 
暮らしが できて いた 人たち は
規制緩和で ビジネスを 始め
富を 得ることも できた 

そうでない 人たち は
暮らしのための 出費が 増え
生活苦に 追われた

当然ながら 格差は 激しくなる

「新自由」と 言う 言葉から
自由で いいように 思える が
儲ける人が 市場の自由を 謳歌し
そうでない 人たち は
不自由に なった

それが 人間世界の 普遍 なの か

団塊世代が 
生きている間は 無理でも 
いずれは あり得る

「日本」「フィリピン」など 
新自由主義に 支配されない 
新たな社会を 創り直せる か 

そう 言えば すぐには 難しい

世界には
民族間に 根本的な優劣の
差異が あり 
優等民族が 劣等民族を
支配するのは 当然で あるが 如く
のさばる 

新自由主義思想が 消えた 世界でも
白人至上主義の時代が 終わる でも いい

そういう 世界が
50年か 100年後には
現れて くる?

角川春樹さんも インタビューで
「今世紀中に 
   一神教が 支配する世界は 終わる」と
似たような ことを 言って いた



 

調和を 大事にする 無政府主義者
集まった 若者たちへの 印象だった

彼らは ネットを 通して
国を超え 同じ世代で
多くの人たち と 繋がる

新自由主義が
格差など 今の世界を もたらした が
同時に 新自由主義に 抵抗する
若い世代を 生み出して いた

運動の 担い手と なった
1997年生まれ 以降の Z世代
ゲームでも アニメでも ネットでも 

Z世代は 幼い頃から
見てきたものが ほぼ 同じ
国を 越えて 同じ話題で 
理解 し合える

なんで 
若い人は ニュースを 観ない

そう では なく

なんで 
これまで 若い人たちの ための
ニュース番組を 作ること が
できなかったの か

ようやく 気付いた みたいだ

他局の番組が
シニア向けのnews作りを してる 中
『news zero』は 
若い視聴者向けに 舵を 切った
ターゲットは 13~49歳の『コア層』
11時 放送なのに 視聴率は 高い

「未来に 希望が あるか?」
そう 問わ れれば

Z世代が 社会の中心に なれば
今よりは まし

そう 思いたい 自分が いる



 

単に 若いから 
周囲に 希望を ばらまいて いる 
ただ それ だけでの 事では ないの か

そうした 見方も ある

団塊とは まるで 違う 
環境で 育った Z世代が
老いた時は 今の 老人とは
まるで 違って いる はず

それが 感じて いる「希望」

何が あろう が
我ら団塊 死ぬまでは 生きている
ならば どう 生きるの か

人に優しく おおらかに・・
生き延びるしか ない か



 

『ベランダ カフェ』で 
うつろい ながら 
ぼんやり 色んな事 夢想に ふけった

日が 暮れれば テラスに
明かりは ない ここで リミット

 


◇◆◇ ──────────────────────
ガシ ガシ かきまわす
台所に 跳ねる 炒め音
おたまが 小気味よく 鍋を 叩く
カン カン と 乾いた 響き

鉄は いい

フッ素樹脂加工 鍋に
何度も 世話に なった
いずれも 長持ち しなかった

一生 連れ添うのは
鉄鍋 ひとつ かな 鉄の女か と
煮ても焼いても 食える ヤツ 
使った後 手入れを 怠らない 
鍋肌の黒青を みて これなら



 

何者かに なろうと しなく ても
暮らしは たのしんで いい らしい
寝て 起きて ご飯食べて 仕事して
笑って 泣いて 無になって 抱擁

食べて 生きて 死ぬ
その営み 簡単に みえる が 

誰にでも 出来る 事では ない



 

「食人之食者死人事」の 古諺
食を 分け与えられた 者は
その人のために 死すべきで ある

広く捉えれば 
撫育を 受けたものは・・と なる か

世の中 ナメたら あかん
苦労なんて して いない
本当の 苦労は
人間を 押しつぶす ほどの もの
意志の強い 人間でも
押しつぶして しまう

食べていく 苦労

ただ 生きて 死ぬって 
どれだけ すごい こと か

日本からの はじかれもん
ダバオの 温かい目線
心 懐かしく 肌に なじむ風景 
心地よい感情に 包まれて いる

1秒ごと ダバオに 惚れてしまう



 

停電が 起きれば
ろうそくを 灯(とも)し
順番に 歌を 披露して 過ごす

スコールで 
雨宿りしている人が いたら
見知らぬ人でも テラスに 招き入れ
雨が やむまで つかの間の おしゃべり
難儀も 明るく過ごす フィリピン人

フィリピンの 人たちの 
強さ 心の豊かさを 感じ
魅せられて きた

「ここに もう少し いよう」



 

うまく いかない ときは
あらがわず
流れが こちら側に くるまで 待つ
停電の時と 一緒

「今日も かかってこい 人生!」

ひとりで 暮らす日常は
南国の太陽と 風と 植物が 友
心地よく 身の丈の 豊かさ

「自分の面倒くらい 自分で みたい」
「自分の機嫌は 自分で とりたい」

老い人の孤独を 傍で みつめる女
他人なのに 温かく 接してくれる
共にいる 時間は 何も考えず 楽しむ
そんな 存在の 女(ひと)が いる
人を 愛したい 思いが 強い



 

艶福家の 自分 が
女の足を 床(とこ)で 揉んで やり
もも裏に 傷跡を 見つけた

 

女が 昔 木から落ちたと 聞いて
ダバオでは 娘は 木にのぼるの か
と 返す

枕出せとは つれない言葉
そばに ある 膝 しりながら

百冊の本を 読むよりも
一度の 真剣な 恋愛の方が
はるかに 人間の心を
人生を 豊かにする

間違いありません



 

行儀作法を律し 暮らす
老い人に 野暮は いわぬ
女に 肩を 揉ませるのが せいぜい
男と女の 硬い壁を 取り払った
偸安(とうあん)の ひととき
女の盛り 女子に 触れる ことは
よいものだ 精気が よみがえる



 

女性としての 苦しみ 苦労は 
女の宿命に 通じている

けれども その苦しみを
味わわ ない と
人間の 真の やさしさと か
想像力と か
本来 人間に 備わっている
素晴らしい力が 表に 出てこない

生き残るため 1日4回の 抱擁
調子を整える 1日8回の 抱擁
肌を通し 相手の鼓動を 感じ
楽しかった こと や 
つらかった こと
耳元で ささやく

抱擁の たび
互いの体温を 感じている

おのれ以外の 人の ために
何かを する それが 生きる

生活の お金には 限りが ある
している 経験自体は 楽しい
やりたい ことが あったら
食を 犠牲に していた だけ

一人で いると つい うっかり
「食べる」という 行為を
忘れてしまう 瞬間が あった

ひとり だから と いって
食を 適当に したく ない
温かいスープか 
こんぶ水で 味噌汁を 作る

おにぎりと 海苔を 
分けて 出された
「食べる とき
   海苔が パリパリと して
   おもわず 涙が 滲んだ」

ライスカレー? え! 
おじさん・・
そんな 言い方 あるん ですか?

なんだよ ライスカレーって
今 あんまり 言わないの か

なんと そんな ことば
そも そも 
聞いたことが ない だって
そう のたまう じゃ ない か



 

昭和の ある時期 までは
普通に「ライスカレー」だった

夏目漱石の『三四郎』(明治41年)に
「ライスカレーを ご馳走に なった…」
と いう 行が 出てくる

さらに リアル
正岡子規の日記『仰臥漫録』
明治34年9月 ある日の 夕食に
「ライスカレー 三椀に なら漬け…」
など と ある
皿では なく 椀と いう ところが 明治

1980年代 脚本家・倉本聰さんは
ドラマのタイトルを
『ライスカレー』と している

多くの 日本人は 長らく
「カレーは 西洋料理」と した
誕生の地は インド なのに…

インドで 
各種の スパイスを 混ぜて
家庭ごとに 作られている 料理



 

インドを 植民地に した
イギリスが 本国に 伝え
食品メーカー「C&B」が
「カレーパウダー」を 売り出した

イギリス・スタイルの カレーが 定着

日本には 明治の初め
イギリスから「カレー粉」が 
入って きた

アラジンの 魔法のランプの ような
銀色の容器に カレーを 入れて
テーブルに… なぞと いう 給仕も
イギリスを 経由して いれば こそ…

カレーを
「洋食」と 認識する か
「インド料理」と 認識する か…で
世代の差を 知る

「皿1枚と スプーン1本」
片手で 食べられる 料理
食後は あっという間に 片付く

安土桃山時代
ポルトガルから やってきた「天ぷら」
「家庭料理」の 座を
いまだに ゲット できて いない

明治時代から 
食卓に 上り始めた 新参者「カレー」
すでに 確固たる「家庭料理」の
ポジションを モノに している

 



ライスカレーが 
いや カレーライスが 
無性に 食べたく なった…

「腹が へった」

ダバオ食堂
本日の夕食 ライスカレー
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♪サラリーマン は
気楽な稼業 と きた もんだ~

クレージーキャッツ 植木等の 
能天気な顔を 思い出す

高度経済成長期に 現れた 
のんきソング ♪

「ニッポン無責任時代」
アンチ真面目 サラリーマン

みんな 元気で 笑顔に 溢れてた

国民全員が せっせと 金儲けに 走った
歌や映画は そんな昭和を 皮肉った

団塊らは その頃 まだ クソガキ
バカ歌に 調子を 合わせ
大人を よそ目に 悪餓鬼三昧
自分の将来に など 興味も なく

夕飯の おかずが
イカと大根の 炊き合わせ
一品 だけでも 文句を 言わず
ご飯を 何杯も おかわり してた

月に 一度か
母親が 作って くれる
クジラ肉の すき焼きに
舌鼓を 打って いた

あの頃の 悪ガキども は
毎日 同じ服を 着て
靴下の先に 穴が 開いても
気に とめず 頑丈に 育ち
日々の 喜怒哀楽に
たくましく 成長していた

夜に なれば
アメリカの テレビ映画の 虜に なり
学校の宿題も 忘れて 寝て しまった

朝起きると また 新しい 今日が
待って いて くれた

バブル時代の 活気は
本当に 楽しかった
下を向いて 歩く人 なんか
一人も いな かった もの

日本中が お祭り会場
皆が 集い 皆が 張り切り 踊り狂う
よく遊び よく仕事しました

毎日が ハイテンション



 

経済の仕組みから 言えば
異常な ことかも しれません が
団塊たちが  一生懸命 働き 遊び
経済を 盛り上げて いた

資産家でも 有名人でも 何でも ない
普通の人が 一生懸命に お金を 稼ぎ
細やかな 贅沢を 味わえた 希望の時代



 

団塊世代は
日本経済史上 まれに見る
バブル景気が 生んだ
「バブルDNA」を 持つ

甘美な 記憶は
団塊人を とりこに し
活力の源に なって きた

「時代は 変わった」
「もう 年だから…」と
忘れたつもり で いても
きっかけさえ あれば
再び バブル魂に 火が つく

楽しむほうが 人生は 何倍も 面白く
萎えない精神を 維持 し続けられる

昭和元禄を 描く ハチャ メチャ
欲望の 向かうまま 生きた
今より 何倍も 人々に 熱い心が あり
何でも 猛烈で シンプルで
感動的な いい思いを してきた

今「ファンタスティック!」と
大きな声を 上げる者も いない

生きる気力が 萎えた 静寂の令和

今だけ カネだけ 自分だけ
新自由主義的 価値観
人間が 追い詰められて いた

あんた たちの やって いる 政治
お友達と 親戚のため じゃ ないのか
世間の人たちは 誰も 
その事を 喜んで ないのよ

いくら 言葉で 
国民のため だと
高邁な 政治思想を 吐いても
多くの市民に 
聴いて もらえな かったら 
何の 意味も 無い

日本政治の 脆弱さが 浮き彫り
政治を 間違うのは しかたが ない
常に 正しい判断が できるわけが ない
間違いは きちんと 認めて
次の政策を 明確に アナウンスすれば
国民は 不信感を 持たな かった

天才政治家 国の指導者は
何事にも 忖度 しない
政党の都合など 考えない
世の常識に 縛られない
国の行く末 だけを 考えた

だから
時代を超える 仕事が できた

天才 政治家 戦国から 紐解けば
織田信長 幕末の 坂本龍馬 高杉晋作
みな 二十歳代で その才覚を 発揮した
明治期の 児玉源太郎
その後 日本に 天才は 現れて いない

現代の天才 オードリー・タン
台湾デジタル担当政務委員(閣僚)

今の 政治家は
枠に 収まった 注文しか こなせ ない

日本人は ウソ 不正に 対し
鈍感に なって 抵抗すら しない
若者は 大規模な デモ抗議も やらない 
年寄りは 一揆で 反抗も しなく なった

日本は 平気で 
ウソを つくように なった 
やさぐれが 世に のさばる社会
コロナより 始末が 悪い

子供の頃から げんまん
「嘘ついたら 針千本 飲ーます」
「嘘つきは 泥棒の 始 まり」

長じて からは 稀に
「ま ここは 嘘も方便
   事を 荒立てることも ないか」
と なるが

堅気の人を 騙して 私腹を 肥やす
悪事が まかり通る 世 

日本人は 全てに もう 諦め 
何事にも 無関心を 装う
こんなに 危機感が ない
国民は いない

本当に 危機に直面して 気付き
変わらなきゃと 思った 時には
手遅れ じゃない か 

報道では
貧富の格差など と 言うが
案外 それぞれの 暮らしは 豊かで
政治に 文句なども なく
貧しくも ない
上手に 生活できて いる

だから 底辺の人たち が
大規模デモで 訴えるほど
困窮なんて して いない
報道が 大袈裟に 扱う だけ

事実は そうなのか 

違うだろ

それなら それで いいの だが

自分は 頭にきた ことには 反論
今でも 団塊は 大票田を 持つ
政治に 抵抗する 群力を 有している

その 強固だった 群も
ひとり ひとり 切り離な されれば
抵抗する力は 削がれてしまう

いくら 愚痴っても
国民が 変わらないと
政治は 変わりません

元禄と 今は 似てる
武家社会や 政治が 行き詰まり
金に 精神まで 侵された 連中が
元々人から盗んだ 富を 奪い合う

自分が どう 生きて いいのか
めざす姿が 見つから なくて
特に 若い人が 困ってる



 

政治家の 禄とは
殿 すなわち 君から
国民から 頂戴した「信」を
かたちに したもの
禄を 金と 考えると
そこに 多寡が 出てくる

禄は 国民からの 信で ある
大小も 不足すらも ない

今の世は 牧歌的では ない から
どこに いても 悪政から
逃れることは でき ない 

けど 諦められ ない 極限では
ジジイの反乱だって 起こせる

反逆は 政治や経済の
思惑が 絡んだ中で 過去 起きた

今だって よく 暴動が 起きないなって
思うよ

声は 形にして こそ 声

国のトップに 立つ者は
上手な ウソつきで なければ
いけないの かも しれない

ときには 大風呂敷を 広げて
国民を 安心させることも 必要

後で それを きちんと 回収し
広げた大風呂敷を 国民の ため
ウソを ホンモノに できる だけの
度量 器量 力量が あるなら 
そんな 嘘 ついて ほしい

だが 決まり きった 
仕事しか できない 軟弱者ばかり

常識は
昨日 今日 明日が
問題も無く 変わらず 過ぎてゆく 
泰平の世に 役立つ 知識や判断力

破壊的な事態に 遭遇すれば
常識は なんの 説得力も 持たない

今は 危機の無い 泰平の世 ですか?

国民は 
人間としての 本文を 失って いる
世間の 無関心が あるが ため
なか なか 政治家だけで
取り組んでも 越えられ ない
壁が たくさんある

官僚は
何も 考えず
上の意に 忠実に従い
瑕瑾なく 職務を 果たす
英才である 必要は なく
凡庸な 事なかれ主義が
頭脳を 占めている

反骨こそ 官僚の本分

同調圧力に 屈せぬ
気骨ある人が 混乱の世には 
必ず 出てくる 言い伝え

どうかな・・

格差は 社会に 巣食っている
今の風潮は 困難な 現実が
ちゃんと 存在して いるのに
社会の中では それを 消して 隠そう
その 流れを 推し進めている

日本の政治家は 
プロの政治家では ない
アマチュアの 立場なら
様々な専門家に 話を聞き
成果を まとめ
政治家として 大きな視点を 
国民に 提示して 欲しい

凡人政治家でも
「総合知」が 国の未来を 作る
その 信念に なれない か

そして ユーモアで
政治を 語って 欲しい
「政府は 事実を 伝えるだけで なく
   ムードを 変える 必要だって ある」

道徳的に 倫理的に 政治的に 
正しく振るまうよう 求め られる
正しく ないものは  許さない 
それは 同調圧力の 極致

政治言葉を 罵倒するだけの 野党
正しさだけ 国民に 強要する 国家
24時間 監視される 個人
どこにも 逃げられない 
システムが 縛る

すべて 出揃った とき
日本の『日没』は 
衝撃的な ラストを 迎える

現実は 追いついて きている
日本的な 形で・・ 



 

香港で 起きているような弾圧
ロシアの 反政府デモへの 大量拘束 
日本の コロナ感染者への 懲役 
世界で 監視社会化が 
間違いなく 進んで いる

この世の 
行き過ぎた 正しさ が
人間の 美しいカドを
丸く 削ろうと している

正しすぎる ことからは
何も 生まれ ない

常識を 積み重ねても
所詮 それは 常識以外の
何物でも ないの だから

自分の 感受性を守れ
自分の 衝動を守れ
自分の中の バカを守れ

本能が 面白いと 
感じる方向へ  動く 
まっすぐ 愚直に 
大きく いこう

不誠実な 指導者
不確実な 報道から は
何も 生まれない
デマを 積み重ねても
所詮 それは デマ以外の
何物でも ない

自分の 感受性を守れ
自分の 衝動を守れ
学問や知性を 尊べ

自分は 生きる
そう強く 思うことしか できない
この世を 諦めず
声を あげて いこう

どうじゃ?

『日没』からの 
夜明けなど 見えない
むしろ 2021年は まだ 
薄暮なのかも しれ ない

これから 日は沈み
そして 暗い夜が やってくる

明けない夜は 無い
その 言葉 
もう 誰も 信じ ないし 
使え ない

正しくない ものは
絶対 許さない 国家…
それが「日本の近未来」なの か

 


◇◆◇ ──────────────────────
フィリピン
野良犬の レベルが 違う
初めて フィリピンを 訪れた者は
焦る だろう

見た目から 恐ろしく
野良犬の 目の色が 銀色

そいつらは 足が 異常に速く
体は シャープで
色は 泥色 常に 飢えている

そいつらは 何頭かの グループで 行動

流れ星銀の 熊を 追い込む時
車の中から そいつらを 見ていて
「やばいな 噛まれたら
   映画『震える舌』みたいに なる」

そいつらが 道路を 走る
おばちゃんの原付に 走り寄った! 

飢えた そいつらの 狙いは
おばちゃんの 原付の 足元
ステップ台に 乗せて いた のは
おそらく 晩ご飯の 食材

フィリピンの おばちゃん ピンチ

緊張の中 野良犬の 一頭が
おばちゃんの バイクに 飛びついた

その時 おばちゃんは
正面を 見ながら
真横に 飛びついてきた
犬の頭を 蹴りつけた

「ギャイーン!」
1頭目が 戦線離脱

すかさず
2頭目が 逆サイドから 飛びつく

今度は おばちゃんは
腕時計を 見ながら 犬を蹴飛ばした

先鋒 次鋒とも やられた犬たちは
戦意を 失い 去っていった

勝利した おばちゃんは
颯爽と カーブを 曲がり ながら
いくつか 食材を 落として
走り去っていった

「フィリピンは 
   犬も おばちゃんも レベルが 高い」

家に戻り NHK テレビを つける と
「犬たちの 命を 守りましょう」と いう
女性アナウンサーの声が 流れていた

 


◇◆◇ ──────────────────────