□□■─────────────────────■□□
ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
□□■─────────────────────■□□
ほう! 空の青が 美しい
経済活動が 滞ると
人間は 息苦しく なるが
その分 空は のびのびと
深呼吸を している
地球の環境は
もう 元には 戻らないと 言われた
だが 約1カ月に わたって
地球人類が 活動を 止めた
自然が 少なからず 元に戻った
人間は 自然を
コントロールしようと してきた
地球の中で 一番 害のある存在 人間
地球の覇者 人類
コントロールできない ものが あった
自然災害 コロナで 実証された
いまだ 人類は 反省も せず 自然を
コントロールしようと している
ワクチンが 出来れば
ウイルスを 無くすことが 出来る
そう 思う 人々が たくさん いる が
ウイルスが ゼロに なることは ない
イタチ ごっこ
自然は コントロール できない
経済のため 森を 切り開き
立ち入っては ならない 内側
ウイルスのいる 境界に 人が 侵入
人間が 動き回る と いうことは
自然界に 排出するものが
それだけ 大きい
おしまいの地 ダバオ
この地が 嫌いじゃ ない
ですが ここに おいでよ と
誇れる感じでも なく
ただ 普通に 受け入れている
田舎に 住んでいて
自虐的に なっているわけ でもなく
普通の 日常を 過ごす
ダバオには
野草を 用いた 民間療法が 根付いていて
転んで 膝を すりむいた子供に
通りかかった おばあちゃんが
よもぎのような 草
「これ 擦り込んどきな」と 渡す
そんな 場面に 出会った
身体と自然は 直結している
必要な ところには 必要な ものが
きちんと 組み合わさり
この地球は 作られている
そのことが 理解できる

――『ダバオに いったい 何が
あると いうん ですか?』
自分は 国境を 超えた
ダバオに 移住した 理由だって?
自分は 本当は こうじゃ ないのに と
心の奥底で 不自然に 感じていた こと
「こう あるべきだ」と
自分に 思い込ませ 我慢し 生きてきた
そうした 歪みや 違和感を
一気に ダバオで 叩き潰した かった
そうして 芽生えたのは
蛹が 蝶に なるように
新しい自分を ダバオで「再生」
復活の 場所
「生き直すには 悪くねえ 土地で さぁ」
『自然』と『無駄』の なかで 生きる
どんな 生き物でも 共通して
真ん中に 鎮座しているのは 命
大切な 自分の中心を
思い出そう として ここ ダバオに
社会 文化 全ての分野が
命を 中心とした 本来の姿に 戻る
命が なければ 経済も文化も ない
まず 命が あり
経済という順番に なって 初めて
本当に 必要な ところに 必要な人に
経済が きれいに 回って ゆく
世界は 一人 一人の 意識の繋がり
集合体で あることに 気付く
コロナは 瞬時に 世界を 繋げた
地球全体を 一挙に 巻き込んだ
今までのウイルスとは 異なった
コロナで 生まれた 新しい意識
「丸ごと地球」と いう 概念が
一般的に なりつつある 大きな変化
気候危機 温暖化 乾燥化
大型台風 大雨 洪水を トランプは 無視
相次ぐ 山火事に「すぐ 涼しくなる」と
この人は 壊れた 狂人
「グレタさんに 叱られる」
中国が 2060年までに
温室効果ガスの 排出量を ゼロにする
その目標を 世界に 打ち出した
太陽系の 中の地球という 船に
人類も 動植物も 乗っている
人種差別を している場合でも
どの国が と 言っている場合でも なく
地球人として いかに 命を 大切に
育んで いけるかを
子供たちの 若い次世代の
まなざしの先を 想像して ゆきたい
暑いを 通り越し 無の感覚を 味わう男
大きなベッドから 男は 起き上がる
顔を 洗う作業から 朝は 始る
近所の人々は
海岸まで 拙宅の 前の道を 通り
散歩に 出かけるが
自分は サボる事が 多くなった
朝ご飯を 作る
コーヒーに その時の果物
今なら ドリアン 自分の好物
朝ご飯が 終わると
パソコンの前に 座り込み
メールなどを 開き 返事を 書く
日本のニュースを 読んでから
気分が 乗れば 週刊の
ブログ原稿を 書いたりする
少し書いては ダラダラ のんびり
めんどくさがりで
うち虫として ゴロゴロしてる
フィリピン娘が 訪ねてくれば
家の中が 華やぐ
娘に 興味を もつ
それって 相手に 伝わって いく
その場の 空気の中で
娘と 時間を 過ごすと したら
どういう会話を するかを 考える
会話で 娘の魅力を 引き出し
そこに 一つの 出来事を つくる
体は 徐々に 衰えるん じゃなく
ある日 ほんとうに ガクッと くる
体は 壊れて いくけど
心は 素直に なっていく
生きやすく なっている
競争心とか ないし
人の足も 引っ張らない
起きて メシ食って
メシ食え なかったら
「まぁ いいか」って
また ゴロリとし 音楽を 聴く
生きて いるのに
何も しないと いうのも
けっこう 疲れるん ですよ
だから ぼやっと ナニか 考える
なにしろ づいぶん うまいこと
70年も 続いてきた
なんだか 散らかった 人生
死んでも よい年に なって いるのに
死なないから 考えた
もう こうなったら 自分好みで 生きる
そう 決めた 国境を 越えた男 だからネ
顔立ちは 美男で なくても
佇まいは 美しい男
女には こよなく 優しい
そんな 好みで 生きる
悪く ないかもな・・
コロナ騒ぎも
少しも 気にならない くらいに
――バランス悪すぎるよ お前って・・
バランスを とる
自然と人為の バランスを 調整する
それが 掃除では ないか
人間って 一日中 掃除してる
掃除を 大事に してきた
自分たちの 小さな幸せを
維持しようとする 小さな努力 掃除
美しいけど 切ない 生き物だよね
断捨離したり 掃除を したり
料理を したり 家庭菜園を したり
人間の 本来の 営みというものが
コロナの今 大事な メッセージに なる
これからの 暮らしへの 思い
――「忘れる」と いう ことは?
老いたら 仕方ない・・
それだけ ですか?
忘れるって いう ことは
このあいだ さあ・・って 話した
「このあいだ」が 10年前 だったり
「先日・・」って 話した ことが
まったく なかった ことだったり
「忘れる」と いうことを 肯定
「忘れたい」と いう事も ある
イヤなことが めちゃ くちゃ あって
パワハラみたいな ことも あったな
忘れてる いくつか しか 憶えて ない
イヤな ことは 強制終了させてきた
イヤなこと 過ぎれば 忘れてる
何日か 夜を越えれば どうにか なる
今は とりあえず 伏せろ みたいな
イヤなことの 対処なんか ないから
ヤバいときは やりすごそう
そしたら 忘れるぞ みたいな感じ
忘れる くらいが ちょうど いい
そんな 暇つぶし してると
まもなく 昼になる
えッ! さっき
朝ご飯 食べた ばかりじゃん! と
文句を 言いつつ
椅子から 立ち上がり
ラーメンか うどんか 炒飯か パンか
前日の残り物や 冷蔵庫の
中身次第で 簡単な ものを 作る
生きている限り
かならず お腹が すいてしまう
なんだか 不思議で 可笑しい
叱られても 自ら腹を 立てて いても
もう 立ち上がれない の では
そんな ときも いつも通り 腹は すく
そんな場合では ないでしょう・・ の 時でも
「ぐ~」と お腹が 鳴る ものだから
情けなく なったりして
そして 相撲中継が 終わる頃
コカコーラ工場の終業か 勤務交代か
サイレンが 遠くから 響くのを 合図に
シャワーを 浴び 汗と澱を 落とす
部屋や 身体の掃除を すると
汚れが 剥がれ 落ちて
蓋を してきた ことを 思い出す
心と向き合う 時間が 始まる
自分への 問いかけ
本当に これで よかったのか と
問いかけ ながら 考えている
清潔な 衣服に着替え 気分壮快
テラスに出て 海風に 肌を なぶられ
風って 吹かない日は 頑固に 吹かない
でも そう思って 諦めていると
不意に 一陣の風が ふわんと全身を 包む
そのハッとする 快感と いったら!
どんな 僅かな 空気の動きも
「風」と 認定できるように なった
さらには お 来るぞ という
気配まで わかるように なってきた
10メートル 向こうの
空気の動きを 感じる
テラスで 風と遊び
オンザロックの一杯で 体を 癒す
一本の煙草を 灰にして 心を 整える
ひとつだけ 持っている 贅沢な もの
見た目も 唇に当たる 感じも 好ましい
バカラの カットグラスで
ウイスキーを 飲むと・・
その時間の 上質さが
増すような 気持ちに なる
過ごす時間の 質が 作られていく
そんな感覚 時間の作り方
こだわりの 楽しさ
時間に 対して 質を求める
自分とグラスの 関係の中に
「自分への もてなし」
そして グラスに 対して
「物語」を 作る
人に うまく 説明できない
「か弱い」ものを 時間の質に 使う
美しいものを 見たり 感じたり
「直感」で 接している
晩ご飯の支度に 取りかかる
作るのが 面倒くさい日も ある
そんな時 無理せず 夕食を 抜く
免疫を 上げる 身体の掃除だと
そう思い 断食
日常の中で
自分が やっている ことだから
当然 自分の 意思決定の もと
そうしていると 思っている ことも
「あの人が やって いるから」
「こういうものが 流行って いるから」
他人の影響で 自分の行動が
決まっていることも ある
そんな時 思う
「自分」って なんなん だろう
それも「自分」ですが・・
本当の「自分」って
いつ 現れるん だろうか
さても「本性を 現したな・・」
なんて 使われます が
棟方志功という 画家は
「自然人」と 呼ばれた
「自分を そのまま
常に あらわしている 人間」と いう
それも また 真似は 難しそう
社会に 適応しながらも
しっかりとした 大人って いる
「自分」で しっかり 決めて
「自分」らしく 生きる 人って
大変だろうが 魅力は ある
いちいち
「本当に 自分で 心の底から 思ったか?」と
問うように している
「今の 答えって 本当に 自分か?」とか
面倒なん だけど そうしている
怠け者生活を 続けてる うち
気が ついた
ぜんぜん 動いて いないぞ
コロナ騒動が 起こる 以前から
思えば たいして 動いて いなかった
たまに 用事で 市街に 出掛ける 以外
運動らしき 運動を している 自覚は
なかった
買い物に 出かける ときに
少し 歩くぐらいの もの
それでも カロリーを 消費していた
コロナ蟄居とは こういう ことだ
もはや 増加した体重は
いくら 室内で ジャンプして みても
たまに スクワットに 励んで みても
いっこうに 減る 気配が ない
老いたら 少し太る ほうが いい
そうか そういうなら ま! いいか
歳を 重ねるごとに
できなくなって いくことだって ある
後先 考えずに 勢いよく 決断したり
恥ずかし がらずに 他人を 頼ったり
素直に 謝ったりする ことが
できなく なった
誰もが 経験することに 違いない
だからこそ そんな 自分自身と
真正面から 向き合ってる人は カッコいい
そんな格好良い 大人に なれれば・・

◇◆◇ ──────────────────────
自分が 勤め始めた 会社は
銀座 七丁目に あった
若い頃は どうして あんなに
いつも 腹が 減って いたんだろう
大盛りでも ぺろっと 食べていた
早い 安い うまい そして 大盛り
4拍子 そろうのが 食欲旺盛な
若い自分には 理想の 店メシ
東銀座にある「蘭州」という
小さな中華料理店は まさに それ
銀座なのに 街中華
職場に 近いことも あり
通うだけで なく 出前でも 食べた
残業に繋がる 楽しみ だった
腹が減って どうしようも ないとき
腹一杯 食うことが できたら
明日のことを 考える 力が わく
その一食が 活力に なった
食欲を かき立てる
においと 豪快な 盛り
濃厚な 味わいで
東京・銀座周辺の 企業に勤める
会社員らに 長く愛された 中華料理店
「蘭州」銀座6丁目が 閉店した
コロナによる 売り上げ 減少で
「これまで」と 40年の歴史に 幕
オフィス街 雑居ビル1階
蘭州が 開店したのは 1981年
寺尾聰さんが「ルビーの指環」で
日本レコード大賞を 受賞した 年
冨澤直志さん(70) が 街中華
挑戦の地として 選んだ 銀座
シルクロードの
出発点に ちなんだ 店名を 掲げた
5卓 20席の 店は
開業当初から 客筋に 恵まれた
目の前に 日産本社
部長が 深夜 部下を 引き連れ
「ずっと 飾らない店で いてくれよ」
励まして くれた
近所の 料亭の女将から
「らんしゅうちゃん
銀座で 仕事するなら
出前やらなきゃ つぶれるわよ」
商売のコツも 教わった
出前で 丼が 冷めない距離に
歌舞伎座や 新橋演舞場が あり
役者からも ひいきに された
楽屋から 漂う 匂いに つられ
私も 俺もと 出前が 途切れない
指定された 時間 2分前に 届けた
最近 どこに 行っても
ウーバーイーツの 姿を 見る
フィリピンでは バイクパンダ
こんな ご時世 だから
多少 配達料が かかっても
家で 待っている方が いい らしい
あくまで デリバリーで あって
店が 提供している
暖かく 麺が 伸びない内に 届ける
出前とは 違う
江戸時代から 出前文化は あった
人気なのが 鰻
冷めた鰻は まずい と いうので
熱いものを 持ち帰ろうと した
初めの工夫は おから
熱した おからの上に
鰻を のせ 重箱に 入れた
これだと 冷めるのも 早かった
熱々の 飯の上に
鰻を のせるのが 一番 いい
「鰻丼」が 生まれた
「芝居町」歌舞伎座が ある
そのあたりで 鰻丼が 食べられた
蘭州が 今 ある辺りの ようだ
コロナ暮らしの 中で
「出前」は 当たり前に なった
寿司 中華 蕎麦 仕出し弁当
江戸時代には バイクも なければ
自転車も ない すべてが 徒歩
すると 店の人間が
出前に行くのは 現実的では ない
食べる側の 家の人が
取りに行く 自家出前
だが 多くの文献には
「持って こさせた」と 書いてある
では 誰が 運んだのか
「江戸ウーバーイーツ」に
あたるものが 存在して いた?
江戸の主要な 仕事に
「お手伝い」が あった
老人の手を 引いて 歩いて4文
120円が 相場
「ちょっと 鰻を 届けてくれ」で
8文程度の 手間賃で 届けて くれた
配達料 240円
ウーバーイーツが 380円 だから
十分に 成立する
鰻丼を 最初に 取り寄せたのは
大久保今助 芝居小屋の経営者
鰻丼の値段を 100文と 決めた
何十年も 鰻丼は 100文
鰻重は 値上がりするのに
鰻丼は 値上げを しない
鰻の質を 落としたり
鰻を 小さくして 対応した
こういう 対処は いまと 同じ
そして 現代 拡大展開した 姿が
キッチンカーや 移動スーパー
蘭州 安く 盛りが 大きいのは
開店当初から 変わらない
多い日は 1日 米20升を 炊いた
「量が 多く たって
きれいに たいらげて くれる
それが 気持ち よかった」
十数種類で 始めた メニューは
客の注文に 合わせたり するうち
「裏」も 合わせて 100を 超えた
休みは 日曜日だけ
ぎっくり腰に なっても
鍋を 振っているうちに 治った
これまで
危機が なかった わけでは ない
バブル崩壊の時も 危なかった
だが コロナは これまでの
どの ピンチとも 違った
4月の 緊急事態宣言後
在宅勤務の影響で 来客が 激減
出前も 1日で 数件の日も あり
売り上げは 3割ほどに 落ち込んだ
助成金は 得たが
従業員3人と 店を守るのは 難しかった
「生活するために 店を 続けて きたが
店を 続けるほど
生活が 苦しくなって いった」
ビルの大家は
「店を 続けたい時期まで 続けて」
家賃を 減額して くれた
フィリピンでも 日本料理店や
大型のレストランが 閉店した
フィリピンの大家 家賃交渉に
情状酌量 一切なし 冷たい もんだ
夜10時の 閉店後
従業員らと 話し合いを 重ね
最終的に 閉店を 決意
「一代限りって 決めて いたから
でもね 本当は 続けたかったよ」
営業最終日
開店前から 多くの人が 駆けつけた
午後 2時40分ごろ 食材が なくなり閉店
まだ 30~40人が 待って いたが
梅津さんが 胸の前で バツを 作り
一人 ひとりに 頭を 下げた
都市部 飲食店の 賃貸契約解除は
「半年前に 告知する」ことが
契約上で 織り込まれている
すでに 閉店している ところでも
賃料は 告知から 半年 支払い続ける
4月の緊急事態宣言直後に
「もう 継続できない」と
賃貸解除を 決めた お店が
なんとか 契約終了までは
賃料分の損失だけでも 補填しようと
売り上げ半減の 営業状態でも
続けてきた ところが 多かった
いよいよ 10月から 11月に かけ
賃料契約の終了と ともに
店が 軒並み 閉店することに
その状況が 見え始めた
女優の樹木希林さんの
実家として知られる横浜・野毛の
居酒屋「叶家」が 27日に 閉店した
コロナとは 一体なん なんだ
フィリピンでも 日本でも
スエーデン以外 これまで 各国が
対処してきた 方法は 適切だった?
はたして そう 言い 切れるか
フィリピンでは
空き地に 勝手に 小屋を 建て
住んでいる 貧民窟が トンド
小さな小屋に 家族が 密集
住民は 訳あり ばかり
暮らし向きが 楽な者は
ひと家族も いない
働かない父を 抱えた 娘が
恋人と一緒に 今の生活から
抜け出ることを 夢見る
トンド(密集貧困地帯)への
徹底した 消毒 地域 封じ込め
点で 地域拡散を 防止する
初期防疫体制は とられな かった
面で 都市部まで 感染が 広がった
全国規模で 一般防疫を 展開
経済を 封じて しまった
フィリピンの 防疫対策には
今でも 自分は 疑問を 持っている
これほど 知識が 溢れて いるのに
それが 知恵に 結び つかない
これまでの歴史に そんな事 なかった
人類は 流行り病を
乗り越えて ここまで来た
コロナなんざ 新参者
怖がって どうすんだ
バッサリ 切り捨てたい
幕末の動乱期 安政5年(1858)
江戸の町を 襲い
多くの人の 命を奪った「コレラ」
文化方面では 歌川広重
政治方面では 薩摩藩主の
島津斉彬(なりあきら)ら が
コレラで 命を 落とした
江戸全体の 死者数は 10万人
大きな衝撃を 与えた
コレラに 対する
江戸時代の 人々の 向き合い方
「コレラ」という 病
潜伏期間は 数日で
早いと 急激に 来るらしく
一気に 脱水症状に 陥り 発症
重篤に なると 二 三日で
死んで しまった ことから
「ころりと死ぬ」という
意味合いから
「コロリ」と いう 呼び名で
庶民に 定着した
「コロナ」と よく似ている
「たかが 言い換えだ」
しかし そこに
江戸っ子の ユーモアセンスが ある
現代風に 言えば
感染爆発で あるはずの
恐ろしい 病気すら
思わず 笑ってしまいたく なるような
語感に 置き換えてしまう 余裕
困難を 笑いで防疫 乗り越える
江戸の知恵だと 真似したい
医学が 未発達状態に あった
江戸時代だから こそ
庶民は 困難さえ「笑」に 変換していた
そうした 精神性は
大きな「免疫力」だったとも 考えられる
◇◆◇ ──────────────────────
30分間の 皿洗いで 食事代無料――
その サービスで
延べ 3万人もの 学生らの
胃袋を 満たしてきた
京都市 上京区
「餃子の王将 出町店」
10月末に 閉店する
店長の 井上定博さん(70)が
「若者に 食べ物で 困って ほしくない」
その思いで 続けてきた
古希と なり
後継者も いないため
のれんを 下ろすと 云った・・ が
近隣の大学は 門を閉じ
オンライン講義が 続いて いた
コロナの せいには 悔しくて
したく なかったの だろう
井上さんは 20歳のとき
周囲に結婚を 反対され
駆け落ち同然で 家を 飛び出し
6畳間のアパートで 食費を 切り詰め
トラック運転手や 食品加工作業員など
職を 転々
見かねた 知人が
井上さん夫婦を 夕食に招き
すき焼きを ごちそうした
その時の 感謝の気持ちが
無料サービスの 原点に なった
王将社員と なり
別の店を 任された 1982年
学生を 対象に 無料サービスを 始めた
95年 京大や 同志社大
京都府立医大などに 近い
出町桝形商店街 京都市 上京区 に
出町店を 構えた後も 続けた
部活動や 資格試験の勉強
就職活動などで アルバイトする
時間が ないという 学生たちが
多いときは 1日に 10人近く
流し台の 前に 立った
衛生面の観点から
2年前に 学生による
「皿洗い」は とり止めた
仕送りが 遅れて いたり
前日から 食事を とって いない
学生に 限って 無料で 食事を 提供
現在も 月に 2~3人が
申し出て 食べて いく
井上さんは
「学生たちは
『タダで 食べよう』くらいに しか
思って へんやろ」と 笑う
それでも
大学を 卒業してから 数年後
「学生のころ お世話に なりまして・・」
顔を出す人も いる
「大勢の 後輩たちの
食事代の 何千分の 一かの 代わりに」
そうして 1万円を 贈られたことも あった
「もったいなくて 一生 使えへんよ」
古い 一軒家の
暖簾が 掛かった 引き戸を
ガラガラーっと 開けると
コの字の カウンターが あって
常連さんたちが 丸椅子に 座って
ワイワイガヤガヤ 賑やかに 飲んでいる
街中華で 描かれる 世界観
自宅近く 駅裏に あった 昭和食堂
シチュエーションが まず いい
料理も 季節感が 出ている
ブリ大根が あるのって こういう店
栗ご飯や 味噌串カツなんかも
リアリティーが あった
ゆとりや 奥行きが ある
そんな お店まで いま コロナで
危機に 瀕しているんだと 思うと
切なくも なる
こういう店の 良さは「密」ですよね
乾杯から 始まって
心の触れ合いが あって
密だから 良かったんです
続いている お店も
閉めざるを 得なかった お店も ある
◇◆◇ ──────────────────────
中国で 食べ物の むだを なくす
「光盤行動(食べきりキャンペーン)」
習近平(シーチンピン)
指導部の 呼びかけ
米中対立などの 逆境のなか
14億人の 胃袋を 満たすという
重い課題を 背負う政権
運動の背後に 食料危機感が
見え隠れ している
「これ 包んで くれますか」
北京の 四川料理店で
男性客が 店員に 声を かけた
店員は
テーブルの 皿に残った料理を
手際よくパックに詰め
男性に 手渡した
フィリピンも そう
東南アジアの 国では
持ち帰り テイクアウト文化は
昔から あった
最近では 丁寧に
容器に 料理毎に 小分け
包装してくれる店も ある
この 四川料理店では
客が 食べきることが できるよう
量も 値段も 半分に した
「半人前」メニューを 始めた
料理を 食べきるか
持ち帰る客には 6元 (90円)の
割引券も 渡す
女性店員は
「残飯は かなり 減った」と 話す
「浪費は 恥という 雰囲気を つくれ」
共産党機関紙の 人民日報に よると
中国の 食べ残しは
都市部だけで 年間1700万トンを 超え
3千万~5千万人の 1年間分の 食事量に
相当する と 報じた
食べきれない ほど
たくさんの食事を 出すことが
客へのもてなし そう考える
習慣が 残っている ことも
食べ残しが 多い 要因
習は
「浪費は 恥 節約は 栄誉だという
雰囲気を つくれ」と 求め つつ
コロナの 流行に 触れて
食糧安全保障に ついても
危機感を 持つよう 呼びかけた
米中冷戦と
コロナが 世界の 食糧生産や
流通に 影響を 及ぼしている
そのことが 念頭に ある
◇◆◇ ──────────────────────
まだ まだ 老人初心者
「年齢なんて ただの 数字よ!」
そんな 強気な言葉は 吐けない
恋愛・・「いまさら 遅いか」
「もっと早く 初めて いれば ねえ」
そんなんで いろいろな事を 諦めがち
でも 本当は
遅すぎること なんて 何ひとつ ない!
ホント ですか?
何が あっても
どんなことが 起きても
ブレることは ない そんな人
そのスタンスに しびれてしまう
いつだって
自分らしく 生きる人は
強く かっこよい
Age is just a number
年齢なんて ただの 数字だから
それに とらわれずに 生きよう
その 意味の ことわざ
時代を 追う ごとに
年齢は どん どん 意味のないものに
なって きている
病院の書類に 記入する時
お酒を 飲んでいい 年齢
そういうのは 別として ネ
8歳だって 90歳だって
何か したいと 思えば すれば いいし
恋人が 欲しいと 思えば つくれば いい
自分が どうしたいか なんて
誰かが 決めてくれる ことじゃ ない
70歳を 過ぎて いたって
かけがえのない 友情も
手に 入れられるし
眠れ なくなる ほどの 恋を
すること だって できる
だから 尻込み しない
誰でも 男は
死ぬまで 女性が 好きだし
出来ることなら 触れたい と 思う
女性は 灰に なるまでと 言うし
自然の摂理
老淫力を かなえる 作品を 読んだ
「昭和好色一代男」再び性春
老人と孫が 肉体交換
好色一代男 井原 西鶴の 昭和版
蘇れ 俺の快感!
元刑事の 昭一郎は 寝たきり
母屋から 聞こえた音が 気になり
必死に 起き上がろうと して
幽体離脱して しまう
そこには 孫の平太が 倒れていて
様子を 見ていると 昭一郎の魂が
平太の肉体に 入ってしまう
動ける肉体を 手に入れた 昭一郎
快楽を 得たいと 町へ 出る
元女刑事で 旦那と別居中の 人妻
涼子が 絡まれていた
それを 助けたことを きっかけに・・
昭和元年 生まれで
寝たきり 90代半ばの 昭一郎
ある日 突然
平成元年 生まれで 30歳の孫 平太と
心が 入れ替わって しまう
60歳以上 下の 若い肉体に
乗り移った 昭一郎
寝たきりから 自由に 動き回れ
新鮮な感覚を 取り戻し
2度目の青春を 謳歌しはじめる
知識は 深いし
元刑事として 武術の腕も あった
多彩な技も 覚えている
ニートの 孫は
寝たきりの 昭一郎の肉体に 宿って
ノンビリ 寝てばかり いる
結末が どうなる のかは
好色一代男を 読んで いただく として
再び青春を 取り戻したら
何を するか・・
昭一郎は 長く 寝たきりで
栄養も 鼻からの チューブだった
入れ替わって から 何食っても うまく
眼鏡が なくても
視界は はっきりしている
自由に 動ける ことが
うれしくて たまらなかった
若い頃は 当たり前の ことが
老人から すれば 夢のように
うれしい こと・・
浮気も せず
真面目な人生を 送ってきた
昭一郎 だったが やはり 思うのは
女体を 自由に したいと いう こと
老妻は すでに 亡く
昭一郎の勢いを 止めるものは ない
かくて 孫に なりきり
若い女性を 次々に 攻略して ゆく
「おお 久々の 感覚だ」
昭一郎は
雄々しく 勃起しながら 感激に浸り
若妻や処女 その母親の 熟女などに
思いを ぶつけて いく
これは あくまで
官能ファンタジー小説
現実には あり得ない こと だが
シニアの 願望を 満たして いる
昭一郎は 何十年ぶりに 味わう
絶頂の快感を 全身で 受け止めた
感激と快感の描写は 延々と 続くが
それは どうか 本編にて
こちらは 本家
好色一代男 井原 西鶴
登場人物は たった 1人
性欲豊かな主人公「世之介(よのすけ)」
舞台は 江戸初期 京都に 始まる
「好色一代男/井原西鶴のあらすじ1」
「夢介」という ある 金持ちが
妾(めかけ)達と 甘い生活を 重ねる うち
1人の 男子が 生まれた
その男の子 こそ
「世之介(よのすけ)」
世之介が 7歳の頃の夏
世之介の 隣室にいた 侍女が
夜中に 気配を 感じた
侍女が 明かりを つけて
世之介の部屋に 近づくと
世之介は
「その火を 消して もっと 近くへ」
などと 言う
侍女が
「暗闇では 足元が 心配です」
世之介は
「恋は 人を 盲目にする闇だ
そういうことを 知らないのか」
侍女の袖を 引っ張り
自分の方へ 引き寄せて しまった
世之介7歳に して
すでに 恋に 目覚めていた
その後
日に 日に 性に 目覚めていき
艶っぽい美人画を 集めては
部屋に 閉じ こもったり
折り紙遊びを している ときでも
オスとメスの つがいを 折ったりと
全く 抜け目 ない
こんな ありさまで
世之介は 60歳までの 54年間で
女4000人と 戯れ
美少年800人とも 遊んだ
よくも まぁ
性尽きずに 長生きした もの

「好色一代男/井原西鶴のあらすじ2」ー
世之介 出家させられても めげずに 遊ぶ
手当たり 次第に
女性と 遊び歩いていた 世之介
19歳の時 ついに
親に 知られることと なり 勘当
出家させられて しまう
世之介 最初の1日2日は
耐えることも できたが
仏の道は 面白くない と
すぐに 逃げ出した
放浪の旅を 続けるうち
世之介は 漁師の町に たどり着く
男が 漁にでると しばらく 戻らない
女たちが やたら 開放的で
そこでも 世之介は
娘や女房達と 遊びまわった

「好色一代男/井原西鶴のあらすじ3」ー
世之介 遺産で 大金持ちに
ある日 世之介は
知り合いの夫婦から
父親が 亡くなったことを 知らされた
実家に 帰って みると
母親から 莫大な遺産が 渡された
世之介は
「夢が かなう時が 来たと
女を 一人残らず 買わずには いられない」
世之介 34歳の歳の 出来事
大金持ちに なった 世之介
町中の女は もちろん
江戸の吉原 大阪の新町 京都の島原と
名所を 巡っては 情事を 重ねた

「好色一代男/井原西鶴のあらすじ 4」ー
世之介 愛欲の果てに 行きつく 先は
世之介は
女と遊び回る 夢のような 日々を
20数年も 繰り返した
この世の 女という女を 見尽くした
世之介には もう
現世に 未練など残って いなかった
世之介は 60歳に なっていた
そして 世之介は 友人6人と
「好色丸」と 名付けた船で
大阪から 出港した
「ひとつとして 見逃した遊女は いない
これから 女護島(にょごがしま)に 行って
旅の締めくくりと しよう」
世之介は そう言い 行方 知らずに なった
以上が『好色一代男/井原西鶴』の あらすじ
一代男とは 跡取りの いない男のことを 言う
一人の 男として
なんとも うらやましい 限り ですか?
最後に 船で 出発するまでに
「浮世に 未練は ない」と 言ったが
船には 強精剤や媚薬
春画や寝床の 秘具などを
ちゃっかり 持ち込んでいた
そして 目指す場所は「女護島」
その後の 余生は どのような もの だったか
「女護島」は どこか?
江戸期 既に 交易の有った ルゾン
現在の フィリピン・マニラだった
そんな 想像を 膨らませている
藤本義一は 井原西鶴を 敬愛した
西鶴に ついて 何冊も 本を 書いている
江戸期の 原文を
うん うん 唸りながら 読むのも 乙だが
名うての 文学者たち が
腕を 振るった 現代語訳が ある
吉行淳之介訳の ものは 力作
百ページを 超える 解説が
とても 面白い
その解説で 吉行淳之介は いう
「読みおわって まず 感じるのは
世之介 というのは モテたと
おもって いたん だが
それどころか 酷い目にも あってる なぁ」
酷い目に あうと いうのは
7歳で 性に 目ざめて以来
放蕩に 放蕩を 重ねる うち
呆れ果てた 親に
19歳で 勘当されてしまう からだ
以来 西は 鞆の浦や下関
東は 寺泊や酒田など
諸国を さまよい 歩きながら
遊女ばかりで なく
魚売りの女や 下女などを 相手に
しみったれた 色事に ふける
どん底に 達した 34歳のとき
父親の遺産
「銀二万五千貫目」が 転がり込む
吉行淳之介の 試算では 四百億円 余り
これを 太夫遊びに 惜しげも なく
蕩尽するのが 後半の 物語
しかし 内容は
スター太夫たちの 紹介が 主となり
前半の ひりつく情感は 薄れる
西鶴本人が 豪勢な 太夫遊びなど
したことが なかった せいでは ないか
吉行淳之介は 推測する
「明け 暮れた わけを つくし」た 挙句
女護(にょご)の島を めざす
ラストは 凄い
「死んだら 鬼に 喰われるまで と
今まで 後生を 願った ことは
気(け)さえ ない この身」
「行末 これからは
どうにでも なるように なれ」と
還暦に なった 世之介は 決意
その 覚悟によって 世之介は
ドン・ジュアンや カザノヴァと
並び称されるに ふさわしい
偉大なる 罰当たりな
色狂い ヒーローと なった
◇◆◇ ──────────────────────

































