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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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散歩途中 野良の子犬に 出会った
人間を 怖がる様子も なく
近づいても 逃げることも なく
リラックスしている
母親らしき 犬だけが
少し離れたところから こちらを 見ていた
「道端で 犬を 見かけても
狂犬病が あるから 触らないように」
注意を 受けた事を 思い出した
どんなに 可愛くても 相手は 野良犬
一線を 越えないように
「よろけた ついでに 由美かおる」
ただ ただ 優しく接する オジさんが
モテる時代 到来 どうだ! まいったか

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「どんな状況でも
普通で いられる ヤツが
一番 すごいんだ」
そう 諭したりするのも 笑ってしまう
思えば 食堂で
仲間と並んで 食べる 時間も
居酒屋での おしゃべりも
現在のところ 夢の また夢
普通が 普通で あることの
ありがたさを 懐かしみ つつ
コロナ コロナと 騒ぐなコロナ
ここまで 広がれば 予防を 心掛け
いなくなるのを じっと待つしか ない
ジタバタすれば ホコリが 立つだろ
コロナだけでは ない
地震や台風による 風水害の季節にも 向かう
いざという時の 対応 結局 一人 ひとり
自らの 命を守る それしか できない
この トンデモおやじと 元気を だす
コロナへの
不釣り合いとも いえる 反応
生きがいや 楽しみ よりも
健康を 優先させる 現代の文化に 起因
健康 第一主義は 比国でも 日本でも
社会に染み付き 当然視 されている
『穏やかな死に 医療は いらない』
末期がん患者が 望む
「自宅で 最後まで 目いっぱい 生きる」
死を 忌避するあまり 延命治療を 続け
生をも 遠ざけてしまいがちな 病院文化
コロナについて 発信するのも
終末医療と コロナ問題の 根底に
死を 怖れ 受容できない 現代人
「死なないための医療」の 意味を 考えた
死を 怖れるのは 生き物にとって 自然
怖れを 放置しているから 肥大化
暴走して 自分自身を 苦しめ 傷つける
心の中の 怖れから 逃避するのでは なく
怖れを 深く 見つめることで 安堵を得る
「病気に かかった から
死ぬのでは ない
生きているから 死ぬ」
人は 死すべき者 その ことに
もっと 頻繁に 思いを 巡らす
さすれば ます ます 生を 愛する
生が 脆く 短く 時間的に
かぎられて いることに 思いが いく
で あれば 命は 貴重・・
伝染病は
これまで 以上に 生を 愛するよう
人類を 促していた
わずか なりとも 明晰さを 保ち
わずか なりとも ユーモアを もち続け
ウイルスと 共存
この事を 考えている だけで
自分との接し方が 少し変わる
頑固に コロナを 怖れ
「自分の中に ルール」を 作り
がんじがらめに 自分を 縛れば
自由になれず 楽しくなく 面白くない
そこで 大きく意識を 変えた
「できないことが ダメなのでは なくて
どれだけ 自分が 楽しむ かが 優先される」
「自分が 心の内から 楽しむことで
周りも 楽しませることが できる」
夜に なると
若者たちが わかりやすく 浮かれていた
今 考えてみれば その頃の 自分も
そこ そこ 若かった はずなのに
街中に あふれる 落ち着きのない 笑い声を
懐かしく 切なく 感じてしまった 時間
後ろめたくなる くらい 平和で 自由
海で 泳いだり 船に乗って 沖へ出たり
あまりに きれいで 気持ちが 良くて
長い時間 浮いたり 潜ったりを 繰り返した
生きていれば アクシデントが 付き物
ちょっとした 油断で
楽しく なくなって しまうから
恐れて いては どこへも 行けない
生きる時代も 場所も違うのに
フィリピンで
「こうも あり得た もう一人の 自分」

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お尻の穴で 鉄パイプを
グニャリと 曲げるとか
肉体的な ことでは なく・・
言うなれば 精神構造的な
奇人・変人とでも 申しますか
誤解のないように 言って おきますが
自分は サッパリとした イイ男!
その イイ男の 中に
「決して 自分以外は 信じない」という
信念が 内在している から
やや こしいことに なっている
この時代に
携帯電話は まだ ガラケーだし
ま それは 個人の自由ですが
電気や水道の 公共料金は
絶対に 口座引き落としに しない
インターネットの この時代に
イソイソと 支払い窓口に 出掛けていく
それに 対して ひと言でも
「でも 引き落としの方が 便利ですよ!」
などと 言われよう ものなら
「あんなモノ 信じちゃダメだよ!」
ネット誤動作とかで 気がついたら
全財産が 通帳から 取られちゃうんだからね
烈火の ごとく
昭和40年代くらいの 思想が 牙を むく
陽が 真上にある 影が 無くなる 時間
そんな 午後 拙宅を 訪ねて くれたなら
アイスコーヒーを ごちそうするよ
スターバックスなら 一杯350円
昼メシ 一食分と同じ バカ高い珈琲
氷が 溶けにくいのは どうした ことか
店内 今では 拘置所の接見場の風景
それでも 人は たむろする
そして 密かに 仲間とブツブツ
次代の 樹木希林さんは・・ そんな 話 を
室井滋だなあ・・ と 思って いるのは
自分だけじゃ ないん だなぁ~

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地べたが 好きだから
ここ ダバオを 表す 形容詞は
「めんどくさい」
昔は どの地域も ダバオのように
「めんどくささ」が 存在していた
経済発展の ため
都市化する 街づくりで
効率性や 利便性が 優先された
原風景とは
表層的な 自然だけの 話では なく
人と土地の 本来の関係性 自体を
とらえるべき だった と 今では 思う
それを 自分は
「めんどくさい」形容詞で 表した
「土徳」という 言葉が ある
と いっても 辞書には 載って いない
浄土真宗の教えから 生まれた言葉
難しい意味は なく 文字通り
生まれた場所や 生きている地域に
感謝をする 心を 持つべし と いう
そこから「おかげさま」と いう
普段 使う言葉にも つながって いく
この土地に 生かされている 身として
ダバオの土地に 感謝を し・・
生かされている者 同士
周辺「共同体」と して
地域の自然や文化を 尊ぶ
その 心が
ダバオの人たちには まだ ある
太古から「移動」と いうものは
人類に 欠かせない 要素で あり
自分自身「風の人」のように
アジア微住を やって きた
コロナで 移動が できない 現在
これまで 当たり前だった
移動が できない中で
改めて 感じたことが あった
フィリピンの中でも
最も早く「風」の 存在
微住者を 日本から 受け入れ
微住発祥の地と なった ダバオ
「土」は「風」の ない ところ では
育た ない
美しい テリトリーデザインの 時代
地域に 必要な 外からの「風」と
地域の 守るべき「土」
それが 合わさって 何年 先の事か
新たな「ダバオ土徳」に 変わる

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ダバオ微住 そこは なか なか 手強い
姿勢を正し 土地の正面に 体を置き
ひじをあげ 肩の力を 抜き
毅然とした 態度は しっかりと 持って
小手先で 動かず 体全体 土地と 向き合う
ふと 日本のオジさんが
「老後 すごい 贅沢な時間だよね」
俺ってさ 日本にいたとき
いつも カネのこと ばっかり
考えて いたもん
フィリピンに居ると カネのこと
なーんにも 考えて ないもんね
食う事と ヤルことだけ
これほど 無駄で なかった
時間ったら ありゃしません
時間に 拘束されることも ない
追いまくられる ことも ない
ここは フィリピン
勘違いしては 困ります
日本では ありません・・ と
常々 この国に 叱られている
無駄でない 無駄な ような
わけ分からない 時間を 過ごす
無駄なこと 無駄で ないことに
一生懸命という 究極の贅沢
そんな時間を 増やして いける
老い人 オジさん ならではの 悦楽
フィリピンにいて 幸せですね
そうかね 幸せ ね〜〜
何なのか ハッキリしないもの
幸せで あるとは どういう ことだろ
「何が 幸せ」なんだ?
子供の頃から
金持ちの存在は 知っていた
自分は 戦後2年目に 生まれた
自分の家も 周りも みな 貧乏だった
それで 不幸だったか と いえば
不幸だ なんて おもって いなかった
傍から見ると 不幸だと 思うことが
意外と 当人は 幸せだったりも する
人類の文化は
実体のない 幸せに 執着した
もっと 満たされる 生き方が あったら
それを 知ったら どうなる?
幸せは 気まぐれな もの
でも 生きがいを 見いだすことは
自分自身のため だけで なく
自分を 高めてくれる 拠り所
確かな 生きる手応えを 得る
かつて 自分は 人生の目的は
幸せを 追求することだと 思っていた
幸せになるには 成功する ことだと
皆 口を 揃えるので
理想の仕事や 完璧な彼女
豪華なマンションを 求めた
しかし 満たされる どころか
自分は 不安で 途方に 暮れていた
友人たちも また そうだった
人々が 何に 純粋に 幸せを
感じているのか? を 探れば
幸せを 追求することで
人々は 不幸に なりうる
それが 答え だった
自殺率は 世界中で 上昇
生活は 向上し 豊かなのに
より 多くの人が 希望を失い
鬱々として 孤独
人々の間に 虚しさが 広がった
うつ病で なくても そう 感じている
遅かれ 早かれ 皆 こう思う
「人生は こんなもの なのか?」
この 絶望感を 覚えるのは
幸せが 欠けているから では なく
他の 何かが 欠けている から・・ か
そこに 疑問が わく
人生には 幸せになる 以上の
何かが あるんじゃ ないか?
生きがい なんだ それ
幸せで ある ことと
生きがいを 持つこと 違いは ナニ?
幸せは
快適で 安らいだ状態
現在に 充足を 感じている
生きがいは もっと 深い
自分を 超えたものに 属し
社会に 寄与しているという 感覚や
最高の自分を より 高めている
幸福という 縛りに 囚われてきた
生きがいを 手に入れる 事が
より 満たされる 生き方では ないか?
生きがいを 持つ人々は
逆境に強く 仕事の成果も上がり
長く生きると 分かっている
どうしたら 晴れ晴れと 意義深い
生き方が できるの だろうか?
その答えを 見つけた
生きがいを 持った人の 人生を 追った
生きがいを 探れば
ヒントになる 柱が あった
こうした柱を 作り上げることで
生きがいを 見いだした 人が いた
柱の ひとつは 「結びつき」
自分を 本質的に 受け入れてくれ
同様に 他人をも 重んじられるような
人間関係から 生まれる 結びつき
グループや 人間関係の 中には
安っぽい 結びつきを 生むものも ある
真の 結びつきは 愛情から 生まれる
個人間に 生まれるもの
他人との間に 結びつきを 持つかは
自分で 決める
知り合いの 前田サンは
街頭の 新聞売りから 毎日 新聞を買う
その行為は 売り買いに とどまらない
ちょっと 歩みを緩めて 言葉を 交わし
お互い 人間として 接してきた
ある朝 前田サンは
小銭の 持ち合わせが なく
新聞売りは 「気にしないで」と 言った
前田サンは 支払うと言って 聞かず
近くの店で 要らないものを 買って
お金を 崩した
前田サンが 新聞売りに お金を 渡すと
新聞売りは 受け取らなかった
新聞売りは 傷ついて いた
彼が 親切な行いを しようと したのを
前田サンは 拒絶した から・・だ
私たちは 皆 気づかぬ うちに
こんな風に 相手を 拒絶している
相手を 価値を 認めない 行い
相手の 姿が 見えず
無価値で あるように 思わせる
愛情に 導かれて 接すれば
つながりが でき
互いに 心が 晴れやかになる
多くの人に とって「結びつき」は
生きがいの 最も重要な 核
もう ひとつの 生きがいの 柱
それは「目的」
やりたい仕事を 見つけるのとは 違う
目的は
自分のやりたいこと よりも
他人に 何を 与えられるか
ある病院の 看護者は
「病人を 癒やすことだ」と 言った
多くの 親は
「我が子を 育てること」だと 言う
目的は
自らの強みを 他人のために 使う
仕事を 通じて それを 実践
仕事を 通じて 貢献し
自分が 必要と されている事を 感じとる
これは 裏を 返せば
仕事に 打ち込めなかったり 失業したり
労働参加率が 低い ことは
その人の 経済的問題 だけで なく
存在意義の 核となる 重い 問題
やりがい あるものを 失えば
人は うろたえる
仕事に 目的を 求める必要は ない
目的に よって 生きる目標が 生まれ
前進する「理由」が 与えられる
まだある 生きがいの 柱
自分の限界を 超える
「超越」という 状態は
とても まれな瞬間
日々の喧噪から ふと離れて
自我という感覚が 消え去り
高次の現実と 一体になる 感覚
芸術作品を 見ると
超越の感覚になる という人も いる
教会の礼拝のときに 経験する人も いる
時には あまりに 入り込んで
時間や場所を 忘れて しまうほど
こうした 超越の瞬間は
自分を 変えてくれる
学生たちに
60メートルの ユーカリの木を
1分間 仰ぎ 見上げさせた
その後 学生たちは
自己中心的で なくなり
人を 助けるような 状況で
より寛容に 振る舞って くれた
・結びつき
・目的
・超越
生きがい もうひとつの 柱
自分で語る 自分についての物語
人生の出来事から 物語を 紡ぐ
自分や 物事が 明確になる
今の自分に 至るまでの 過程が
理解しやすく なる
その物語を 語って いるのが
自分で あることや
物語を 変えられる ことに
自分が 気づかないことが ある
人生は 単なる
出来事の連続では ない
自分の物語を 編集し 解釈し
語り直すことだって できる
事実という 制限が
あったと しても・・ だ
「昔は 良かった 今は だめだ」と―
不安や 憂鬱で あることが 多い
時が 経つにつれ
児玉サンは 違う物語を 紡ぎ始めた
児玉サンの 新しい物語は こうです
「プロ選手として 怪我を する前は
人生に 目的など なかった
遊び回って 自己中心的 だった
それが 怪我を したことで
よりよい人間に なれると 気づいた」
自分の物語を 編集することで
児玉サンの 人生は 変わった
新たな物語を 自らに 言い聞かせ
児玉サンは 子供たちの指導を 始め
人生の目的を 見い出した
他人のために 生きる「取り戻しの語り」
生きがいのある 人生を 送る人々は
償いと 成長 そして 愛 自分の物語り
何が きっかけで
人々は 物語を変えるのでしょう? か
セラピストの 助けを 借りる人も いる
自分で できる人も いる
ただ 人生を じっくり 振り返る ことで
経験の 捉え方や
失ったもの 得たものに よって
いかに 自分が 形成されて きたかを
児玉サンは そうした 自分を物語る
物語は そう簡単には 変わらない
何年もの 日々と 辛い過程
誰もが 辛さを経験し 苦しんで・・
痛みを 伴う 記憶を 受け入れることで
新たな洞察や 知恵を 得ている
自分を 支えてくれる 自分物語り
自分の 良い部分を 見いだしている

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時には 道を 外れることも あるでしょう
イヤ! 外れて いないって・・
慎ましい 老後ですが 豊かな人生
死に 瀕しても 生きる理由が あった
愛情 結びつき 父親としての目的
家族の名前を 繰り返し ながら
超越せんとする 瞑想
これらが あったから 生き返った
父親は そんな物語を 自ら紡いだ
父親の 生きがい 家族愛 結びつき
幸せは 瞬時に訪れては 消えてしまう
人生が 本当に 充実して いれば
物事が まったく上手く いかなくても
生きがいが あることで 踏ん張れる
東京では
地方から 人が 出てきて 東京の 人になる
出会うはずの ない人が 出会い 家族を 作る
『東京の夫婦』というもの そして 父親
愛情は
婚姻で 永遠を 約束することでは ない
愛を 持続させるためには
怠慢で あっては ならない
それが フィリピンで
2度目の 結婚をした 父親の 強み
「記念日を祝う」ことも そう
かわいげのある 年寄りに なるために
日本のオジさんは がんばる
日常的に はっきりと「好き」という 気持ち
言葉に出して 伝える フィリピンの 流儀
さすれば 付き合いが 長くなっても
マンネリ化して 冷たく なったりは
しない
毎日 褒め言葉や 愛情言葉を かける
その スタイルは 心地良い
日本人男性の 控えめな 愛情表現も
男らしくて 素敵なのだが
もっと 情熱的に 愛したい!
そう 感じる方は 国際婚に 向いている
年を とることは つらい
やりたい ことが 多すぎて
死ぬまでに とても 追いつかない
限界が 区切られて いくので
剥がれ落ちるものに 対して もがく
物覚えの問題も ある
フィリピン妻が いるから
生きるを 手伝ってくれる
父親役を 引き受けられる
フィリピン人と
夫婦になって 生きやすくなった
ないものを 補い合う
何で 結婚するか? という 問い
昔 若い頃は 欠落していた
好きで あれば 何でも いいじゃないか
今は ないものを 求めてくれる ほうが
愛 生きがいを 感じ 安心できる
東京で 家族を 失った男が
フィリピンで 女に 出会った
フィリピンで また 家族を つくる
ときどき シビアで
ときどき ファンタジー
日比の夫婦は たくさんいる
その どれにもドラマが ある
フィリピン夫婦の 自分の物語り
自分は もう七十を 超えた
水戸黄門を 見たって
うっかりすると 泣き出す
脳動脈硬化じゃないか と 思うが
その 説明だけでは
自分でも 納得が いかない
教会に なぜ 音楽が あるのか
ことば だけでは 追いつくことが
できないものが ある
人間が 絵を描くことも
ことばに ならないものを
かたちにし 絵に 仮託している
ことばは 不自由
日本語で 雰囲気とか 空気とか いう
自分は それを バカに しない
自分で 理屈を 言うから
理屈は つまらないもの と 知っている
理屈は 後付け 言い訳に 過ぎない
フィリピンが 浮かんでくる
自然と人生が 独特の調和を 保つ
犬が 登場するのも それ・・
いくら 部屋の温度を 調節しても
外は やたらに 熱い
ここでは 自然を 消すことが できない
歌なら 中島みゆき
ふられる歌が いいと いうのでは ない
メロディーが 美しい
フィリピンで 老いた男と 若い女
結びつき・目的・超越・自分物語り
二人を 決して 肯定しようとは
だれも 思わない だろう
でも だれも 否定も できない
「自分たちは 自分たちで いいだろう」
そんな 身勝手な 生きがい
そんな ことには ならない 不思議?
すべてが 結びついて
つながって いるのだから
それに 気づいて 生きていこうよ と
空気が なければ いのちは ない
「そんなの 知ってるよ」じゃ なく
謙虚に 静かに 感じて いく
「このままの 自分で いいのかな」
「何か おかしいん じゃないか?」
「でも 何が おかしいか 分からなくて」
それは たぶん「自分」という 前提を
疑って いないから なんですよ

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何を どう作って 食べ どう住まうか
「ご飯ですよ」人型ロボットに 促され
ベッドから 体を 起こした
ひと口ずつ 食事を 口元に 運んでもらう
油が滲んだ メザシの 丸焼き
「おいしいですか?」
そう 聞かれたところで 目が 覚めた
今朝 見た夢 それにしても リアル だった
「老年に 深く入」って
夕暮れ時の ダバオの 秋の雲を 眺め
心中に ひろがる「老い」
野辺よりも 眺める心よりも はるか遠くへ
無限の境まで ひろがる 秋より 外の秋
あまりゆく 心とは そのことか
この目で 眺める秋を 超えて
果てしもない 秋の中へ・・
心が あまって
ひろがり 出て 行ったのを
自分は 少しも 知らず
老年に 至って
無限の境まで 抜けた心を
置き残された 身体が ひそかに 慕って
声も立てずに 泣く
住むという言葉は 重い
生きるというよりも 重い
世に あるのは 住むことに ほかならない
食べるのも 住むうちのこと
男女の同棲も 男の通うのも
住むの ひと言で あらわされた
家の内の 変哲もない 日常の空間が
間取りやら 家具の 位置やらが
妙に くっきりと 目に映る
そこに映る 一日の 光と陰とが
すでに 懐かしいように 感じられる
この空間も 時間も 所詮
いつ失せるとも 知れぬ はかないもの
眺める自分に くらべれば
はるかに 永遠らしい相を 見せる
その日暮らし「邯鄲の夢」の
終りが 始めに かさなり
はてしもない 反復の 気味を
ふくみは しないか
人間の 生き方が
地球の限界と ぶつかった
そうした「人新世」に 生きている 自覚
「自然資本」が あってこその 世界
そう 理解する人が 育ち
新しい仕組みを 考えていく
その ためには
穴埋め問題が 得意なのでは なく
問い自体を 立てられる人材が 必要
その 教育が
社会に 反映されるまでには
時間が かかり もどかしいが
そこに 希望を 持つ
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