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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines 
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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はたらき とおして
こんなに 小さくなった せっけんが
自分の目には どうしても
せっけんの おばあさんのようには
見えない
どうして せっけんに
どのように 心惹かれたのかは
うまく 説明できません
生き物では ないから
生きているものにも
生きていないものにも
「いのち」は ありますね
せっけんを いとをしんで
躰を 泡だらけにして 洗ってもらい
話しかけながら 鬱屈を 流す
せっけんが 一日分 ちびていく
アルハンブラの想い出が 浴室に満ちている
あやうく 一生懸命 生きるとこ だったヨ
難しくも シンプルな 暮らしの基本
やっと たどり着いた 気がする
かかった 長い歳月に 敬意を 払う
無理しない
がんばりすぎない
あとは
なにごとも 気にしない

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「美しさを失う」と いって
人は「老い」を 激しく 嫌悪する
「自立することを 失う」その意味でも
人は激しく「老い」を 嫌悪している
それまで
「自分で 自分を 律し 自立してきた人」ほど
「老いて 自立することを 失う」ことへの
恐怖や 衝撃は 大きい
須原一秀という 哲学者を ご存知ですか?
2006年 65歳で
本 一冊分の 遺書としての 原稿を 残し 自死
本の タイトル『自死という生き方』
出版された 当時 話題になった
須原一秀は その中で
「自分は もう 十分生きた
あとは 自分以外の人に 迷惑を かけず
自分自身が リスクを 負わないため」と
その言葉を 残している
老いて いくこと
思考が 明晰では なくなること
身体が 利かなくなること
それらに対しての 冷静な考察
「老いていく」自分を 拒否
自死という結論を 出した
ヨーロッパでは
自分で選択する「安楽死」の 問題を
多くの人が 考えるようになった
どんなに なっても いい
ヨロヨロに なっても
ヨイヨイに なっても
生きていて ほしい
流れるように 波に 任せて
生きれば いいじゃ ないか と・・
励まされる 老い人だって いる
最後 鶴に戻った「つう」は
飛んで 去っていく
『夕鶴』物語的としては 分かる
でも 格好 良すぎないか
さっと 消えるのは 美しいけれど
人生は そんな もんじゃ ない
「つう」は 自分の羽を 使い過ぎて
去ろうとしたが 飛べなかった
また「与ひょう」の 家に 戻ってきて
そのまま 暮らし続ける
居続けること
格好よく 去れないことの中に こそ
人生の真実が あるんじゃ ないのか
生き残る 美しさを 描いた話しも 多い
言えるのは ここまで
「どう老いるか」「どう死ぬか」は
ひとり 一人 切実で 特殊な問題
個別の答えしか ない
事態が 把握できないまま 死ぬ人も いれば
工夫して 状況を 楽しもうとする人も いるし
対応できない人も いる
いまさら 老い人に 愛とか希望とか 必要ない
大人なら そんなものなくても 生きてみせろ
「ムダな抵抗は やめろ!」
「ムリして やる気なんか 出すな!」
今日から 必死に生きない と 決めた

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外的な条件で 生活が 一変するなど
ありえないだろう・・
誰もが そう思っていた
人生の転機などと いうものは
簡単に 説明が つくような ものでは ない
自分で 決意して 何かが できるわけでも ない
他力 といえば 抹香くさいが
世の中には 自分で決意したとは 思えないことが
いくらでも 起きる
フィリピンの 空の下に 住み暮らし
邦人みんなが 同じ感慨を 持つとは 限らない
数十年と長く フィリピンと 一緒だったのに
この国を 理解できて いないことが 沢山ある
なんでだろう と 今でも 驚くことが・・
長逗留 この国を ぞんざいには 見ていない
年を取ると こんなに 良い町だったのかと 思う
肩の力が抜けて 生きたいように 生きられる
人間は 自分も含めて
愚かで どうしようもない 生き物
「わかりやすい答え」を 人は 求めている
「聖書」を 読む
「こういうふうに 生きて いきなさい」
バイブルには「答え」が 書いてある
それで 明日から うまくいく
そのように なるとも 思え ない
きっと どこかに
絶対的に 正しい答えが ある と
カリスマの言葉を 探したり する
それは やめたほうが いい
バイブルとカリスマの 全否定
じゃあ 私は
いったい どうしたら いいんですか・・と
悩んでる人 ここに いますか?
(ひとり挙手)
あなたへの答えは すごく簡単
「自分の人生は 自分で考えて
自分で 決めてください」
それに 尽きる
バカに してるんですか
そうじゃない 怒らないで・・
「誰か」や「何か」に すがりたくなる
失敗せず 正しい 人生を 歩みたい
その気持ち 自分も 同じだから わかる
自分の運命は 他者を あてにせず
自分で 切り開く・・
連帯を求めるも 孤立を 恐れず
まずは 自立した人間となる
あなたは 今
どれだけの問題を 抱えているだろうか
どんな現実に 直面しているだろうか
ひょっとしたら
世間一般のものさしを それに あてがい
世間一般の苦しみを モデルにして
嘆いているところでは ないだろうか?
現実には 意味がない 意味があるのは
あなたの 受け取り方 なのだ
すべての 現実は
どの角度で 見るかによって 変わっていく
自分で 自分を 考えるためには
考える枠組みが 必要となる
その枠組みが 教養なんでしょう
人間は 哀しく 寂しい 孤独な存在
その思いに どっしり 腰を下ろした時
「人生は 所詮 そういうもの・・」か
ほのぼのした 安心感に 包まれる
これまで なんでも なかった
日々の ちょっとした 出来事に
「ときめき」を 感じ始めている
カツ丼が 好きな人なら
カツ丼を 食べることでも いい
異性を 見て ときめく人が いて いい
本や 言葉に触れて 発憤するのも いい
そんな 小さな ささやかなこと・・に
人間の心は ときめいて 解放されていく
フィリピン人と日本人
男と女 情念を 共有している
跨げない文化が 微妙に 突角を 溶かす
その溶けた部分で 関係が でき上がる
自分は フィリピンを 見誤って いたな
ダバオ人の生活は
自分が 及ばぬ程に みずみずしく
しかも 愛情を 向けられる
家族だったり 知り合いの 係累までに
東京人には
愛情を 向けられるものが ない
東京に あるのは 認識だけ
認識は 訳知り(常識)を つくる
訳知りには 愛情を 向けられるものが ない
愛情を 向けられるものが 無い所に
世間の支え合いは 生まれて こない
愛情を 向けられる 男と女 と 言うものは
現実から 僅かばかり 宙に浮くだけに
香気が ある
二人の香気と いうものが それでは ないか
人の 体温が きちんと 伝わってくる
人間が 人間として 生きていくための 理想
ウイスキーCMの 名ゼリフ
「少し愛して 長く愛して」の ままの 甘い声
生の声が 聞けただけで 舞い上がっていた

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自分は アップル製品の
簡潔で 美しいデザインや
直截(ちょくせつ)的な 使いやすさに
敬意を 抱いている
いまも アップルの 古いPCで 書いている
ジョブズは 禅の影響を 受けていた
その話も 知って いた
ジョブズが 生涯の師と仰いだ 乙川弘文
ジョブズは 癌 弘文は 溺死
二人とも 亡くなった
弘文は 日本では まったく無名の存在
元は 曹洞宗の僧侶で ありながら
独自のスタイルで 布教を続け
3回も結婚し 5人の子供が いて・・型破り
弘文の活動場所は 日本からアメリカ
ヨーロッパを 転々とした「風来坊」
なかなか その生涯を 追いきれない
禅のお坊さん と いえば
まじめで ストイックと 思いきや
お金にもルーズ 女性関係は だらしなく
結婚と離婚を 繰り返した
アルコール依存症で 家族には 苦労を かけ
最期は 池で溺れた 5歳の娘を 助けようと
64歳で 溺死した
雲のように つかみどころが ない
来る者拒まず 去る者追わず
お金にも 執着しない
常に ドア全開で
寄ってくる人は 誰でも 受け入れる
弘文は 雲の様 フワフワ 流されながら
生きているだけ? いや あえて
「流される生き方」を 選んだ
あえて 流されること
地に 足を着けずに 生きる
そう簡単では ない 相当な 覚悟が いる
生きることの 苦しみや 悩みも増す
その結果 家族も 顧みない
これは もう 極道の世界
スケこましの コーやん
コーやんは 無害な人
あるお坊さんは 弘文について
「弘文さんは 自ら願って
地獄に堕(お)ちたのだ
望んで 泥の池に落ち
泥中の蓮(はす)と なったのだ」と 話す
そんな型破りで メチャクチャな 弘文
ジョブズは 彼の思想に 強く惹かれた
ジョブズは アップル社の 成功よりも
自分が 生み出した 革新的な 製品で
世界を変えたいという気持が 強かった
彼を そういう境地に 導いたのが
弘文を通じて 学んだ 禅
「我執を すっかり捨て
自分を 空っぽに することで
物事や 自分のありのままが 見えてくる」
その 瞑想
「坐禅で直感が 花開く」ジョブズの言葉
ジョブズ自身を 救い
彼が 生み出した アップル製品に
ジョブスが 生き続けている
宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧
江利チエミが 歌った 最期の曲
「あのドアを 開けて みたって
あなたは いない
暗い闇が 私を 待ってるだけよ」
歌詞から つらすぎる 心情が 伝わってくる
孤独死 だった
礼が 有るから大人
しかし 大人とは 仕様の無い者で
子供が 持っている 疑問を 持たなくなる
天地人の様々な 現象に ついて
なぜ そうであるのか という
疑問を 忘れた所から
大人が できあがっている
高い童心を持て 一生 童心で いてくれ
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ほんとうに 得難い 経験は
履歴書には 書けないような ことばかり
旅した国の 経験と記憶
遠い国や マイナーな国
行きづらい国へ 行った人の話
微笑みながら 黙って聞いている
どんな 遠くにも
人の暮らしが ある
想像を 絶する景色が ある
行くだけでも 大変な場所・・
想像を かき立てられ 情景を 結ぶ
旅好きの あいだでは
マイナーな 国に 行くことが
ステータスのように扱われることも ある
じゃあ 近い国での 体験は
遠い国と くらべて つまらない?
そんなはずは ない
日本の九州に
生まれ育った 人で あれば
東京へは 行ったことが 無くても
韓国の釜山(プサン)には
何度も訪れる 近くの外国
福岡から 高速船で3時間
港を降りれば すぐそこに 異国の街が 広がる
「国内旅行より 安いし 一度 行ってみるか」
そんなノリで 気軽に 出掛けられる
飛行機にさえ 乗らず 行けるのに
そこには 日本と違う光景が 広がっている
カラフルな パラソルが並ぶ 市場の雑踏
香ばしい匂いを ただよわせる 夜の屋台
屋外に響くパワフルな音楽
目に飛び込む 記号のような 文字
電車に 乗ったら
若者が 躊躇なく お年寄りに 席を 譲る
年配敬慕
きょろ きょろしながら 歩いていれば
魚市場の 新鮮なタコの 墨を 浴びる
何を 食べても 辛い
「ふつうのラーメン」と 頼んでも 激辛
どれもが 光って見える経験
この国を 好きになるのに
食は じゅうぶんな 理由
覚えた 文字
あろうことか「酒」だった
体力が あり 動ける うちは
とにかく 遠くの国へ
遠くへ 行かなくちゃ
清貧 老い人の 焦り
トルコの首都
ニコシアの下町には
レストラン街が 拡がる
雑踏を くぐり抜け
国境に近い場所に ある トルコ料理店で
昼食を とった
なんと
昼間から ビールは サービスで ついてくる
この習慣は キプロスの 南側に共通
日本で 言えば
レストランで 水が だされる ようなもの
追加で頼むと ビールは 550円 だった
コロナの影響で 旅が 自由に ならない
過去の 旅の 想い出に 浸る
タイからラオスへ ボートで 移動
母なる メコン川の上を
2日間かけて 一艘のボートで
ゆっくり 進んでいく
船の左右に 広がるのは ひたすら大自然
たぷ たぷした 水の音だけを 聴きながら
買っておいた ビールの缶を 開ける
船着き場にある 小さな店の店主が
「冷たいほうが いいだろ」と
ビニール袋いっぱいに 氷を詰めてくれた
キン キンと 冷えている
目の前に広がるのは ただ 山と川
たまに 沿岸に住む 人たちが
洗濯をしていたり 子どもたちが 水遊び
彼らが 大きく手を振る
馬鹿馬鹿しいほど なんでも なく
呆れるほど のんびりだ
地球の資源を 好き放題に 使って
「こんな 暮らしが あるはずが ないだろ!」
目の前に 現実の風景
いや
あらゆる現実は 転変していく形に 過ぎない
いつ どの角度から 見るかによって
位置づけも 意味合いも変わってくる
自分が 追体験しているのは 現実ではなく
その時の 視線

1日目の夜 宿泊は
パクベンという 川沿いの町
あらかじめ 乗船者は
めいめい 宿を 予約していた
だが なんと 全員が 同じ宿だった
そのくらい 小さな町
翌朝
朝靄に つつまれた 川を眺めながら
不思議な気持ちに なった
知らない場所に いるというのに
とても 気持ちが 落ち着いていた
すっかり 慣れたボートに 乗りこみ
2日目の 船の旅が はじまった
途中
地元の人たちも 船を 乗り降りする
両岸の景色に うとうとしたり 目覚めたり
船に 窓ガラスは ない
雨が降ってくると 中まで 吹き込んでくる
そのときだけ みんなが 機敏に動いて
ビニールシートを ひっぱりだし
カーテン代わりに 取り付ける
フィリピンのジープと 同じだ なんて
アジア だなぁ〜
おかしくて 一人 笑ってしまう
やがて 日が 沈むころ
船は ルアンパバーンに 着いた
穏やかだった 川の色が
もう すっかり 深い紫色に なった
灯りひとつない 川辺の夜は
人ならざるものの時間
そんな 感じがして 慌てて 船を降りた
何か 学びを 得たわけでも なく
刺激的な体験を したわけでも ない
ただ 川波の上で 移り変わる景色を
ぼんやり 眺めていただけの 2日間
でも たしかに「旅」だった
誰とでも いつでも つながれる
便利な 世の中 だからこそ
その すべてから 遮断された
空白の時間を 愛せるようになる
旅の中では
「二度と ごめんだな」そう思う 体験も多い
スローボート もう 一度 また 乗っても いい
今 心に浮かぶのは
最初に 旅の楽しさを 教えてくれた 場所
それは いちばん 近い隣の国
久しぶりに訪れる 馴染みの場所
そこには また 新しい魅力が 生まれてる
コロナが 落ち着いて
安全に 旅を楽しめる 世界に戻ったら
どこに 行きたいだろう――
フィリピンから 隣のアジアへ
ベトナム マレーシア インドネシア 台湾 ・・
そして 行ったこと無い フィジーも
日常と非日常が 入れ替わるとき
思いがけない「旅の味」が ある
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その名も「マイトガイチャンネル」
今年 82歳 え! おどかすなよ?
ターゲットは?
誰が見るの? と
最初に知った時に ???? だらけ
ブレずに 堂々としゃべる アキラ節
これが 82歳 くぎ付けに なっていた
少しも ヨボ ヨボして いない
髪も フサフサ 目線も 泳がない
同時代に 活躍した俳優は
皆 すでに 亡くなっていた
一人 生き残った 小林旭
コロナに 掛けて
てっきり 持ち歌の「自動車ショー歌」で
「♪ここらで やめても いい コロナ?」
やるのだと 思ったが・・
「遠き昭和の・・」で
またまた クエスチョン?
かと 思いきや
「♪元気で いるか?」
「変わりは ないか?」と きた
80を越えた 小林旭さん
自分から YouTube やろうとは
言わなかった と 思うが
勧められて「よしやってみよう」
おそるべし 妖怪 マイトガイ
80歳 80年と いえば
戦後が 経てきた 年数
日本政府は
フィリピン残留日本人2世に 対し
救いの手を 差し伸べて いない
ほとんどの人が 80歳を 超えた
このままでは 問題は 消滅してしまう
ダバオ歴史資料館に あった
一遍の 簡潔な「遺書」が 心をつかむ
日本軍に 徴用され
ダバオの戦闘で 亡くなった 日本人男性が
フィリピン人の妻に あてたもの
汝(なんじ)もし 一身上の 困難が 生じたら
日本の住所を 必ず 訪ねてきなさい
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