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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines
    

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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テレビで 妻を 亡くした ばかり という
七十代の男が インタビューに 答えて
「仕事なんか どうでも よかったのだ」
話していた

仕事を しなければ 
食べて いけないでは ないか
という人も いるだろう

愛する人と 死別した人は
人生に おいて 大切な ものが
他に あったことを 思い知った

仕事での 成功では ない
成功よりも 大切なことを こそ
人生の目標・・ 

それは 幸福だろう
妻を失くした 老いた男は 言った

成功しなくても 何も 遂げなくても
今 ここで 共にいられるという
幸福が ありさえ すれば
他に 何も いらなかった

自分が 生きてある ことが
他者に とっての 喜びで あり
それだけで 自分が 知らぬまに
他者に 貢献している

そこに いるだけで いいって
愛しているって 
その言葉で 心臓を守ってる
生きている と言う 旗印

あなた 知ってますよね
「2日間 死ぬ薬」が あることを
どんな アイディアで 使いますか

ちょっと 飲んでみて
あの世は どんな世界なのか
見てみたい・・

亡くなった人とも 再会できますしね
ただし 2日後 ちゃんと戻れる 保証が 
あれば ですが 取扱い注意の薬
戻れないことも 起こり 得るのでね 

拠点を ダバオに 移した事
特別な行為だと 思って いない
イメージとは 程遠い ど田舎に 着地

海外移住 むずかしい よくわからない
そんな声も 耳にする

それなりに 手痛い思いやら
何やら あれやら 経験を 積んできた
年齢も そうですが 積み重ねてきた 時
無駄じゃ なかった

ダバオ・デビュー 20年未満
「私のダバオって なんだろう?」
見つめようキャンペーン だと 思って
何か 見つけられたら また 新鮮

ただ 暮らすなか 日々生成
めったに 大きな出来事も 起こらない
ごく 自然に 湧きあがる感情
誰かを 想う気持ち 尽きない哀しみ
ふと見上げた 空の 途方もない 青さ

できるだけ 構えずに 心を ひらく
最初から最後まで 律義でなくて いい
どこか 1カ所 だけでも
ダバオが 指先に 引っかかっ たら
そこに ひろがる 景色のなかに 立つ
それは すでに「異国」との 出会い

他人の言葉は 決して
あなたの 正解には ならない

それを 知って いて
この気持ち 誰かに 伝えたいと
思いは した ものの

自分が 感じたことを
他人に 感じてもらう ことなんて
できないのだと 気付いた
だから 人生は 楽しい の だとも

ひとり 夜を 未読にする
ふさいだあとの 街から
もれだした ものは なんですか
分厚い 雲の下で
渦のように 愛と親切を 交換して
死んでいくことが 人間の普段  

あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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外出自粛を 余儀なくされた
「巣ごもり生活」



 

家から 歩いていける距離に
ショッピングセンターなどの
商業施設や スーパーは ない

自宅前で 
トライシクルを つかまえ
住宅地から 幹線道路に出る 
ジープに乗り換え 20分の所に
SAVE MORE スーパーが ある 

コンビニ 7/11は 近場に あるが
日本と 中味が まるで違う 使えない

まともに 食べられる
レストランは 遠く 外食は 値段も高い
特別な理由のある時しか 利用しない

車は 持たない 自転車は 修理に困る

知ってる街を 歩いて 迷子
道に迷った時
いま立つ場所を 知らない ことより
どちらの方向に 向かったら いいか
その ことの方が 不安

人が 未来予測に 心を砕くのは
決定的な 未来を 知るためでは ない
これから どう生きていくのか
それを 考える補助線が 欲しいのだろう

ひょいと入った お店が
はなはだしく はずれ だったり
急に 雨に降られて びしょぬれ

ハッと 心を動かされる
嫌な思いをして キュッと 心が縮む
それでも 時間をかけて 見ていると
ジワジワ 見えてくるものが 街には ある

そんな繰り返しで 得られるものは
おいしい店を 見つける コツでは なく
自分は どういう店が 好みかと いうこと
自分自身が わかってくる
美味しい店の情報など いらなくなる

みんな 早く答えを 出そうとする
失敗したく ないから
スマホで ネットの評判とか 見て
行く場所を 決める

でも それは 他人の意見だもの
それで いて
『美味しいと 書いてあったけど まずかった』
なんて 自分本位は 店に対して 失礼

ブラブラに 疲れたら 一休み
喉が渇けば そこらの店に 入って
足と心を くつろがせる
そして ビール 最初のひとくち 
ああ 今日も いい日だ

外出は 心と躰のリハビリ
我慢でも 不便でもない 
これが 異国の街 ダバオ生活

いつの間にか 自分の思惑通りに
未知の感覚を 味わっていた
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健康で あること 
元気で あること 一緒ですか?

「今日も 一日 健康で元気に 過ごしましょう」
そんな言葉で TVの声に 励まされた

健康って いうのは 
数値が 全部OKでの 健康基準
検査結果が 満点でも
元気が ない人が いる?

「健康」と「元気」の 関係
「綺麗」と「素敵」の それに似る

女性には 綺麗に縛られて
素敵じゃない 人が いる

健康より元気 綺麗より素敵
目指すべき理想は そこに・・

 



1年前  1カ月前
10日前とも 昨日とも違う
そんな 自分を 自覚している
見て みないふりを しない

そのたび 洋服やメイク 
ヘアスタイルを 見直し 自分を 更新
それを「楽しい」と 思う しめた

そんな人に 
生き生きとした表情が 宿る
それが 元気で 素敵

男性で あれば
ロックミュージシャンという 人種が
歳を取るなんて 
じいさんに なるなんて
誰が 想像した? 



 

早逝を 幸せだった とか
美化しようとか いう気も ないけど
かつての 英米スーパースター達の
近影など ネット上などで 見るにつけ
経年劣化の 厳しき 現実というものを
イヤというほど 知らされる

ローリング・ストーンズのメンバー
例外の なきにしも あらずでは あるが
いって みれば それは「カッコよさ」
或いは「色気」と いうこと

その方向性に あまり制約は なく
二枚目である 必要とか
甘いマスクのような ものを
絶対的に 求めたりも しないのが
ロック世界の 美学的特徴

この先 もはや 青年とは
呼べなくなってきた 彼らが
如何な ベクトルで
「カッコいい ロックな 老い」を
展開して くれるの か? 

「年相応」って 誰が そんな基準を 決めた?
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子どもが いる 家庭が ほとんど
送り迎えや 家事に 追われている

フィリピンの人は
日本ほど きっちり料理を 作ったり
お弁当を 作ったりする 習慣は ない
一品料理に ごはんだけ
シンプルすぎると 感じる食事

「暮らしとは そういうもの」と
あまりにも あっさり していて
戸惑う時が ある

戸惑うって なにに・・

日本では 共感を 示すこと
強く求めれて きた から ・・ 
ひとつの事に 訳もなく みんなが 同調 
怒り 悲しみ 悩みを 声だかに 叫ぶ
だが 日本人は 飽きやすく すぐ 忘れる

TVのチャンネルを 変えては
何も 無かったの ごとく
西の芸人に 無邪気に 笑い転げる

電車に乗ると
他のお客様への ご迷惑となりますので
スマホでの通話は ご遠慮ください
何回も アナウンスが ある
それこそ 戸惑う

なぜ 電車の中で 電話しては いけない
喋るのは 問題ないのに
うるさいと いうなら 静かに 話せば いい

これが 車内での会話も 
ご遠慮ください だったら どうか 
喋っちゃ いけないのだ  怖いぞー

鉄道会社が われわれを
抑圧している わけでは ない
世間が 鉄道会社に そう言えと
言わせている

情報過多な時代に 生きている
冷静な人が すごく 冷めた目で
いろんな状況を 見て苦言
世間を 悪意の正義に 導く

フィリピン人は 「そっか」と 
静かに 受け入れて 余計な ことは 
誰も 言わないし しない

一歩引いた 人間関係

フィリピン人は 
相手に 選択肢を 与え
自由な時間と 空間を 与えることが
おもてなし と 考えている

それに 慣れない 戸惑いを 感じる
背景にある 考えを知れば 心地いい

空気を読む 関係よりも
深呼吸が できる 
スペースのある 人間関係

何か 話した 時に
「うん」と 聞いては いても
言葉を かけたり 同情することも ない

奇声をあげ 騒いでいるのは 若い者
若者たちの けたたましさは 特権
あの年頃で バーベキューで
精進料理を たしなむ ごとき
年配者の あなたさまの ように
静かで あっては 逆に心配

言葉は 多くなくとも
否定されているとは 感じないし
そのあっさり感も なかなか いい

日本だと 口数は 少なくとも
相槌(あいづち)を 打つことで
「聞いているよ」と 表現する が

その相槌すら とても 少ない
「本当に 聞いているの? 」と
思うことも ある



 

でも きちんと 目を 見てるし
あなたの話を 聞いて いて
自分の話す番が 来ることを 待っている
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これまで 日本人の 人生設計は
20年間 学び 
40年間 働き 
15年間 年金生活を する

平均寿命が 大幅に延びた 今
人生設計を 作り直せと 言われた



 

65歳から 年金受給
平均寿命が 90歳を 超えれば
年金制度は 破綻

年金受給年齢を 75歳に 引き上げる
隠居や 余生を楽しむ時間は 無くなり
一生を 仕事に 奪われる生涯

人生は 楽しむために ある
そうでは なかったか・・

何を 信じていいか わからないから
自らも この問題に 食いついた

75歳まで 働けとは 正気か
だが 暴動も 一揆も おこらない
文句を言えば 自己責任だと 圧迫される

60と70歳では 体力が まるで違う
65歳で 再雇用されても 給料は 僅か
そんな環境で 自尊心は 保てるか
我慢できない と いって 転職 

その先に あつたもの

ビルの清掃員か 炎天下の交通整理員

老い人を 弱い者を 救えない 日本
こうした 現在の惨状に 日本が なること
50年前 既に 官僚には 分かっていた 
今日の どうにもならない状況 
未来予想図の通りに なっていた

対策を講じる 気すら 無い
その時は 誰かが なんとかするさ で
官僚が 先送りしてきた 医療 高齢化問題

老い人は 淋しさ
弱い人には 信じられる 仲間が おらず
いざという時 助けあえる人も ない
そんな社会を 我々は 生きている

金持ちには 関係ない話し 
あっちいけ シッ シ

フィリピンは アジアの中 でも
家族主義的な 傾向が 強い
ファミリーが 生き延びるため
前近代的な風習を 今に 残した



 

福祉制度は 確立していない国
高齢者のケアも すべて 個人単位 
家族が 面倒を 見る

家族が 高齢者の 面倒を見る
日本と 近い部分が ある
だが フィリピンには
日本とは 比較にならない 数の
無職の人たちが いた

無職の家族や 
親類の 誰かが 介護できる
老人のケアは 

日本ほど 大きな問題には ならない

日本の介護制度が
うまく機能していないのは
生産性に対する
基本的な認識が 誤っている

日本は 就業率が 高すぎて
手が空いている家族 親戚は いない

就業率は 高くても 
一人当たりの 生産性は 低い
個人が 責任を迫られ
自己の経済力を 確立する社会

福祉における 国民負担が 大きい割に
政府の福祉政策は 失敗 崩壊の兆し
社会を 迷走させる 後進国 日本

フィリピンでは
働ける人だけが 効率よく働き
残りは あまり働かない社会
家族や親類の中で 
手が 空いている人が 介護に 対処

日本の場合 就業率が 高く
全員が 労働するという状況
生産性が 低いから 余剰の富で 
福祉を カバーすることが できない

就業率が 高すぎるため
手が 空いている人が おらず
家族介護は 限界で 老老介護に至った
妻が 先立てば 高齢独居 孤立死となる
ひとりぼっち だと 自分を 追い込んでしまう
あなたは 誰ですか ? 

自分で 後始末できない 孤立死の現場

政府による 福祉制度に 頼れない
家族が離職し 介護せざるを 得ず
これも 貧困を招いた 一因

企業の 生産性が 低いことは
経営上の 問題だけでなく
高齢者介護にも 悪影響を もたらした

農業 漁業では
必要な人を 配置できない 事態 
外国人労働者を 受け入れた
社会保障の分野に これから
大きな影響を 抱えてしまった
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こういう非常時に 一番 聞こえてくるのは
『それどころじゃ ない』と いう言葉

「それどころじゃない」という 言葉は
人を 強く 引っ張ってしまう

コロナの恐怖
自らは 右往左往の
「右往で やめて 判断する」
情報を見極め 冷静に 対応

もう「コロナの話は やめよう」
と しょんぼり
みな 精神的にも ボロボロ気味
ウイルス騒動に 疲弊する世界の人々

どれだけ
「それどころじゃ ない」非常時 なのか
社会は 冷静に監視する目が いりそうだ

桜の下を マスクをつけて散策する
静かな花見に とどめるしか ないか

罹患する意味では 被害者
知らぬ間に 自分が 加害者にも
それが 不安を 加速させる

引っきりなしに 警戒して いなければ
ちょっと うっかりした 瞬間に
他の者の顔に 息を 吹きかけて
病毒を くっつけてしまう ことになる
その意志は 決して ゆるめられない

致死率が低い 季節性インフルエンザ
毎年 8千人ほどが 亡くなっている

人類は ウィルスと 闘ってきた
コロナで どれだけの 犠牲が 払われるか
わからない ものの いつかは 終息する

終息と いっても
その渦中にいる 自分たちに とって
その「いつか」こそが 重要なのに
それが わからない

未来が 見えなくなり
恐懼(きょうく)する だけ

たゆまぬ 市民の注意と
代えがたい 犠牲の重なりの中で
ゆっくりと ゆっくりと
終熄の音が 聞こえてくる

死亡者は 減っていき
安堵の雰囲気が 広がる

市民は 幼児が 元気に 走り回る様を 見る
急激に 安穏とした 空気が 広がる わけも なく
不安も じれったいほどの 速度でしか 

払拭されて いかない

そして ついに
街は コロナ終結の宣言を おこなう

暗い街から 祝賀の花火が 上がった
全市は 長い かすかな歓呼を もって 
それに 応えた



 

1947年 カミュの小説『ペスト』は
現代に通じる 人間心理を 書く

伝染病に 襲われながら
それが 通り過ぎると
なんら 教訓を 引き出そうと しない

伝染病に「懲りない」人間たちを
突き放すでもなく 諦観するでもなく
ただ ただ 冷静に 記述している

その冷静さが
不気味なほどに 読むものを 恐怖させる
終結を ただ ただ 祝う者たちは
それまでの犠牲を すべて 忘れている

死んでいった 男女を
思い返すことも ない
それが 皮肉なことに 人間の強み
罪のなさであり 人間性

さらに この小説は
単なる ハッピーエンドにも しない
街中が 終息で 歓喜に 包まれるかと いうと
そう 単純なものとしても 描かれない

終結を 祝うものは いる
いっぽうで 大切な人を 失った者
なによりも 平和を 喪失した

人びとの欠落感と ともに 描かれる

小説は このように 終わる

おそらくは いつか また 人間に
不幸と教訓を もたらすために
ペストが 再び その鼠どもを 呼びさまし
どこかの 幸福な都市に 彼らを 死なせに
差し向ける日が 来るであろう ことを

私たちは
コロナウィルスが 静まった あと
なんらかの教訓を 引き出すだろうか



 

かつての「サーズ」のこと 
あれは 何だったのか もう記憶が 曖昧
2002年頃から 世界的に流行した 伝染病
怖がったのに 記憶に 残ってない なぜ

「サーズ」は 重症急性呼吸器症候群
その病原体が コロナ・ウイルス
コロナ・ウイルスは 従来から あるもの
それが 変化し 更に 強力になった ものが
今回の 新型コロナ・ウイルス

以前の ものも 発生地は 中国・広東省
だから 今回の新型コロナも 
全くの 未知との遭遇では なかった

前回のコロナ・ウイルス(サーズ)の 経験が
まったく 相続されていない 不首尾

サーズのときは
こんな状況には なかった
前回の サーズのときと
今回とは 何が どう ちがうのか

洗浄便座が 当たり前の 日本で?
トイレ・ペーパーのストックを 自慢する人
狭い家に トイレ・ペーパーを 山ほど積みあげ
優越感に ひたる 日本的風景



 

フィリピンでも 同様
トイレの後は 手で尻を洗うのに
なんで トイレ・ペーパーを 買いあさる

イタリアを始め ヨーロッパ諸国に蔓延
コロナウイルスは 刻々と変化を 遂げ
中国や 日本を襲った頃 よりも
遙かに 進化し 強力になった

中国では 既に人々が
街に溢れ出している 絵が 流された
本当に ウイルスを 制圧した結果を
誇示しているのか?
掛け値のない 真実を 見せているのか
そう あって欲しい

中国国内での
コロナウイルス感染が
本当に収束したとは まだ 信じ難い

SARSの終息には 4カ月を 要した
新型コロナウイルスの終息には
それ以上の期間が かかる

日本の面子や 正当性を繕うために
情報を隠蔽あるいは 歪曲して 顧みず
都合の悪いことは 
他者に責任を 押しつけるという その体質 

コロナでも 何ら変化は ない

コロナと戦う 唯一の方法は
誠実さということが 分かった

コロナを乗り切り 終息した後の
社会を立て直すための 準備だ

桜を見て 食べ 飲み 踊るのは
大昔からの 伝統
「そこに 人が いるからこそ 花見は 楽しい」
やっぱり そうでしょう

来年の 今ごろは
落ち着いて いるだろうか
そこに 大勢の人が いて はしゃぐ
来年の花見が 目に 浮かぶ

 


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