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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines
        

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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みんなが マスクでない街 ダバオ
車の排気ガスを 吸い込まないよう
マスクを付ける 女学生は マスク美人
サングラスの男が 付ければ 変装 犯罪者

フィリピンの感染者は 5人

困難な フィリピンに生まれ
貧しさから逃れる様に 海外で仕事を得る
そうできれば 良い暮らしが できる

フィリピンに残る 家族に 
仕送りを することも できた

エンジニアだった 父親が
アフリカのナイジェリアで
職を得たのを 機に 一家で移住

生きるたくましさ 行動力
戦前の 日本人にも あった
今の 日本人に その 根性は ない 

日本とは 貧しさの質が 違う
フィリピンから 見れば
全ての日本人は 金持ち 平和

ジョイ 3歳まで 
ナイジェリアで 過ごした後 一家は 
アメリカの シアトルへ 移り住んだ

慣れ親しんだ 味は
母のメリーさんが 作る フィリピン料理
中でも 一番 思い出深い 家庭の味は 
セネガン 魚のスープ

仕事は 大事だけれど
人生の すべてでは ない
家族は 大切だけれど
個々は 自立していたい

大方のフィリピン人は そうした考えで 
極北の地まで 世界を相手に 生きている

赤ちゃんが 生まれる
子育てが 始まると 
夫婦は ぶつかることが ある

何が 起こるか わからないのが 人生
常に パーフェクトなんて あり得ない
「とにかく 人生を 楽しむこと」
そのために できることを すれば いい
うまく行かなければ 別の方法を 試すまで!

生きる喜び方 日本人より 数段上手
フィリピン人の姿 じっと見ている

アフリカ系アメリカンの社会では
家族に 優秀なプロ・スポーツ選手が いると
卓越した その1人を 中心として
運命共同体が できやすい

アフリカ系トップ選手に 父親は いなかった
彼は 母や兄弟 さらに いとこまで 養っていた

試合後の ロッカールーム
シャワーを浴びている その選手の前に 
若者が 1人 立っていた

「何をしているの?」と 聞けば
ボディーガードなのだ と言う

その有名な選手は「Brother」と 呼ぶ 面々に
バーや 理髪店などを 経営させ
それでも 仕事が なかった者には
ボディーガードとして 雇っていた

家族の面倒を 見ることを決意した コービー
「こっちに 来ないか」 
母親と姉に 声をかけた

日本人なら たとえ 家族で あっても
誘いに乗るのは 甘えに つながる
大人なのに 自立して いないのは 
いかがな ものかと 批判される

コービーが 
親と2人の姉と 同居するようになった
背景には アフリカを ルーツとする
民族的な考え方が ある

頭の中を 巡ったのは
「もし 日本人 だったら」
その思い 異国での 学びは
日本社会を 映し出す 鏡だった

国家戦略 というのは
貧しい国が 豊かになるのを
どうやったら 加速させられる かが 使命

フィリピン 
何を どのような順序で 整えていけば 
成長を 加速させ られるのか
国柄とか国民性 民度の高さが 国の運命を 決める




良き国民は 良き国家を築き 繁栄し
悪しき国民は 悪しき国家を築き 没落消滅する

ドテルテの苦悩 何かを 解き明かそうと している


あなの 心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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クルーズ船
「ダイヤモンド・プリンセス」に おいて
コロナウイルスの 感染拡大阻止に 失敗

日本が 検疫を 始める前に
英(船主)  米(運営会社) 両国の 
大使を 呼んで 
3カ国合同の 記者会見を開く

会見の場で 
英米両国の「依頼」に 応え
日本が 検疫に乗り出す と 発表する

日本は 検疫を実施する 義務も 権限も ないが
管轄国の 英国とアメリカの 依頼に応え
「善意の協力」を 行う

その立場を 国際的に 明らかにした

その上で 世界で 最も権威のある
米国CDCの「助言」に 従って
船内で 14日の隔離を 行う

乗客の引き取りを 希望する国が あれば
船なり チャーター機を 派遣して欲しい
乗客の 移動に関しては
日本政府が 最大限の 協力を行う
その表明を 行った

同じ 検疫を するにしても
日本の善意を 世界に 明らかにし
英米のみならず 他国に 対しても
道徳的な高みに 立つことが できた

船内に閉じ込められていた 乗客の不平も
事実に悖る 批判記事も 出る余地は なかった

なぜ 政府は そうしなかったの か・・



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戦時中を 彷彿
「欲しがりません 勝つまでは」
我慢しろ 根性だ 総理のコロナ会見

安倍首相の態度は 国民の憂慮と苦悶を
共有している とは どうしても 見えない
国民の苦しみと 同じ地平に たっている 感覚を
人々の多くは 持つことが できなかった

心が 感じられないのは 
官僚が書いた 原稿を 棒読みする
本人の 心から出た 言葉では ない
責任回避が 常に 裏にある 言葉の羅列

政府が 出す情報 もう 誰も 信頼しない
最後には 自己責任を 突きつける
国民は その辛さ 身に滲みている
自己防御の 緊張に 疲れ果てている

こういうときに こそ 願うのは
自分の言葉で 国民と向き合う リーダー
国民を パニックに しない マスコミ

ニュージーランドの
ジャシンダ・アーダーン首相
最初の感染者が 出たことを 受け
会見で こう話した

私が 訴えたいのは
ニュージーランドは 
こうした状況に 適切に 対応できる
公衆衛生に携わる 官僚や 専門家の知見は 
トップクラスで あり
医療施設も 十分に 準備できています

アーダーン首相は
相談センターの 電話番号を書いた
パネルの前で 会見し 何度も 何度も
「prepared(準備はできている)」と
 繰り返した

シンガポールでは リー・シェンロン首相が
スピーチという形で メッセージを 出した

今日は 国民に 直接 
今の状況 そして 何が 待ち受けているの かを
お話したいと思います

われわれは 17年前に SARSを 経験しており
コロナウイルスに 対応できるよう
しっかりと 準備が できています
われわれは 十分な量の マスクと
個人用の保護用品を 確保しており
医療施設も拡張し 改善させてきた

ウイルスについて
高度な研究能力を 実現してきた
医師 看護師は さらに 訓練されて おり
心理的にも 準備が できています
シンガポール人は 何を予期し
どのように 対応するのかを 知っている 
国民を 信じています

何より 大事なのは SARSを 克服し
私たちは この問題を 乗り越えることが
できることを わかっている ことです

さらに 首相は
中国からの 渡航者を 入国禁止にした際
公衆衛生上の 問題で あり
民族や国籍の問題では ない と スピーチ
華人社会で 評価が 高まった

国民の不安を やわらげようと
語り口は とてもやさしく
聞き手を 勇気づける ものだった

さらに インスタントラーメンや 缶詰
トイレットペーパーを 買う必要は ない
具体的な アドバイスを した

団結して 解決して いきましょう
良識ある 予防策を とり
お互いに 助け合い 落ち着き
私たちの生活を 続けていきましょう
そう 結んだ

安倍首相のスピーチは おざなり
長期政権の 死に体を 意味していた
それほど までに 
生気も やる気も 感じられなかった

汚染拡大が 危惧される 国のリーダーが
友人と 会食ごっこを している 時間は ない



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証拠が ないから 警戒しない 日本 
可能性が ゼロでは ないから 警戒を強めた 台湾

先手 先手で 対策を打ち出す
「武漢で原因不明の肺炎」と
中国が 発表した 昨年12月31日に
台湾では 注意喚起が 行われた

1月2日に 専門家会議を 招集 
日本の厚労省が まだ
「人から 人への感染は 低い」と
のんきだった 同15日には
感染者が ゼロにも かかわらず
新型コロナを「法定感染症」に 指定

同24日には マスク不足に 対応して
「輸出禁止」を 決めた

休校措置は 旧正月(春節)休みから
2週間延長して 実施され 既に終了
現在は 授業が 再開されている
その結果
感染者は 40人(2日現在)に とどまる

口先首相とは 本気度が まるで違う

台湾の学校対策は 教職員や 生徒で
感染者が 1人出れば 学級閉鎖
2人以上なら 学校閉鎖
その基準を設け 授業を 続けている

共働き家庭への 配慮では
休校中に 小学生の世話が
必要になる 保護者は
看護休暇を 申請できるように した
また
障害を持つ 子供の保護者で あれば
同じ制度が 適用された

企業が 有給休暇の取得を 拒否した場合
法律にのっとって 処罰することも 表明

人々が 不安に感じていることに ついて
常に 先回りした 対応を した

武漢からチャーター機で
帰国した 台湾人から
一人の感染が 確認された 時は
陳時中衛生福利部長(保健相)が
記者会見で 涙を 流しながら
『患者の数は 増えて ほしくない 
   我々は 命を救うことが できる』
そう訴えた その真剣な姿




対応を 連発する 蔡政権の なかで
デジタル担当政務委員(大臣に相当)の
オードリー・タン

タンは 
世界的に有名な プログラマーで 38歳
8歳から プログラミングを 学び
14歳で 中学を中退
15歳で IT企業を起業

タンは IQ180とも いわれる天才
台湾の人々は
「彼女の存在は 私たちの希望」と 慕う 

台湾でも
1月後半から マスクの在庫不足が
問題に なった

輸出や 持ち出し 転売が 禁止され
2月6日には マスクの購入が 実名制になり
7日間で 2枚しか 買えないように した

厳しい 供給規制に
反発が おきる可能性も あったが
タンは 衛生福利部(保健省)
中央健康保険署と協力し
台湾国内の薬局にある
マスクの在庫データを
インターネット上に 公開

すると 民間の ITエンジニアが
そのデータを 地図上に 落とし込み
在庫状況が ひと目でわかる
アプリを開発 無償配布した

コロナウイルスに 感染しやすい 
タクシー運転手や バス運転手に 
マスクが 優先的に届くよう
求める情報を 発信すると

フェイスブック上では
本当に 必要な人に マスクを 譲ろう
その声が 国民に あふれた

台湾にも寄港した クルーズ船
「ダイヤモンド・プリンセス」の
乗客については 下船してから
訪れた場所を すべて 公開した

こういった テクノロジーを 使用した
危機管理に 米国を はじめ 世界から 
注目が 集まった

タンは『情報』が
人々に どのような影響を 与えるかを
理解していた

現役の閣僚で ありながらも
特定の政治的立場に 立つのでは なく
むしろ 意見の対立を IT技術で 可視化して
解決に つなげることを 考えていた

入閣した時
『公僕の中の 公僕になる』と 宣言
特定団体の 利益のために 動くのでは なく
テクノロジーを 駆使して
台湾の人々と 行政院を つなぐ パイプに なった

台湾に 防疫や 衛生管理を 根付かせて
伝染病の撲滅に 貢献したのは
日本統治時代の 1898年に 
台湾総督府で 民生長官を務めた 
医師出身の 後藤新平

それから 120年以上が たった 今
立場は 逆転した
日本は 感染症の 流行対策について
台湾に 学ばなければ ならない




日本は なかなか 動かなかった
危機感もリーダーシップも 欠けていた
何より 衝撃的なのは 重症に ならないと 
検査対象に ならないと 決めた

高熱が 続いていても 肺炎に ならなければ
日本に暮らす人たちは 検査すら してもらえない
コロナウイルスは 初期での対処が 重要だと
専門家が 口をそろえて言っている と いうのに
重症になるまで 待てとは どういうことなの か

検査数が 少ないので 日本での感染者は
少なく見えるが 真実が 見えないことで
深まる不安に 底は ない

そんな中で 
北海道 鈴木知事が発した フレーズ

自分が 責任を負う という 強い言葉
緊急措置 外出の自粛
やりすぎでは ないか という 批判も ある
政治判断は 結果が すべて
結果責任は 知事(私)が 負います

リーダーが いうときに いうべき言葉
非常時の 今こそ 日本の政治家から
こうした 力強い言葉が 聞きたかった
やっと 聞けた 思いが した

ウソは つくな すぐばれる
気の利いたことは 云うな 後が 続かなくなる
そして 何より 自分の言葉で しゃべることだ
田中角栄(元内閣総理大臣)
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休校宣言で 市民生活が 裸にされた
報道を見た瞬間 非正規雇用の主婦は
「あッ! 詰まれた・・」
自分が 潰されれて しまう

在宅勤務や時差通勤を 推奨しても
朝夕のラッシュは 続いている
日本社会は 安定していることが 強み
安定している と いうことは
おいそれとは 変われない と いうこと

コロナは 市民生活に 劇薬

ウイルスが 収束した
「コロナ後の 日本社会」
危機の教訓を活かし 変われるの か

大震災から 9年
コロナウイルスの脅威 という 国難は
どこか 当時とも 重なる
大切なことは 命を救えるか どうか

今 9年前の教訓を 生かせて いるのか
被災地東北を 想い出すのは
365日の内 1日だけだろ

ウイルス禍が「ケガの功名」と なれば
社会変革に つながる ツボミ

世の中は 三日見ぬ間に 桜かな




人類は ここまで なんとか 克服して来た
コレラ ペスト スペイン風邪

日本では 原子爆弾を 落とされ
東日本大震災が あり 
苦難を 乗り越えようとしている 途上

最悪なことが あっても
最終的には 何とかなるさ という
『呆れた 楽観』を 持ってしまう
喉元過ぎればの 日本人

コロナを『ケガの功名』に しなければ
変革の萌芽は 花を 咲かせない
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コロナの発生で 緊急性が 増し
在宅勤務を 一気に 加速させた
電通や資生堂 ユニ・チャーム

自宅で 仕事を するために
ワークスタイルへの 投資

マーケティングの仕事に携わる 彼女は
「マリメッコ」の クッションに 横たわり
パソコンの キーボードを 叩いていた

その姿は
仕事に 追われている 
余裕のなさでも なければ
サボっている わけでも なく
心の落ち着き 豊かさが 現れていた

ワークモデルの 目新しさや
便利な 合理性に 注目が 行きがち だが
仕事ぶりを 見ていると 特段
最先端な ワークシステムの 印象は ない

職場にいる 時間より
自宅にいる時間の方が 長くなる 社会
そんな時 あなたが 満たされる環境を
整えることが よりよい 仕事や
豊かな人生に 繋がる

オフィスの改革や 働き方
経営層に とっても 社員に とっても
双方共に メリットのある 姿

4000人を
週5日間 勤務の内 1日を 在宅勤務
フリーアドレスの 事務所の座席
20%を 常に 空けることが できた

グループ全社で
週1日の 在宅勤務を すれば
全員で 6,000人 
20%にあたる 1,200名分の
オフィススペースを 削減できる

週二日の 在宅勤務で あれば
オフィスを 40% 空けられる
2,400名分が 増員となっても
オフィスを 増やすことなく
現在のオフィスのままで 対応が 可能
会社を 120%〜140%も 有効活用

オフィスコスト削減が『100』実現したら
『50』を 社員の『在宅勤務手当』で 還元
残りの『50』を 利益計上

在宅勤務で サボったり 副業するような 人は
会社に 出てきても きっと サボったり してる人
それで 在宅勤務が 採用できない というのは
もはや 今の 時代の会社では ない
生産性が 上がり 業績が 上がる
そんな 会社に していかなければ
有能な社員の 確保など できない



 

朝 起きて 身支度をし 駅に向かう
通勤電車に もまれて ようやく会社に 到着
片道30分なら 往復で1時間
片道が 1時間の人ならば 往復で 2時間

ピークの時間には『痛勤電車』と なり
生産性のある 時間でも ない
給与が もらえる時間でも ない

往復2時間の人で あれば
週に2日の 在宅勤務が あれば
一週間で4時間 月にして16時間
年間52週だと 208時間の
ゆとりのある 可処分時間を 得る

1日は 24時間以上 延ばせない
在宅勤務で 通勤時間が 
なくなるというのは 大きい

身体的 距離的 環境的な
移動の制約が ある人
介護離職の人 育児で 外出が難しい人
在宅勤務で 働く場を 得た

体を 会社に 運ぶことを
仕事の 前提としている 社会

体が 弱い側の人 障害を持つ人
その 課題を 乗り越える 働く手段

在宅勤務が 拡大すれば
『多拠点分散居住』も 可能
毎日出社する必要が なくなれば 周辺に住む
東京の会社ならば 房総や箱根 甲府など
それが 地方創生に 繋がっていく

空気と水のきれいな 土地の価値が 上がり
混雑した場所の 土地の価値が 下がる

テレビ会議で 情報交換に 支障は なく
できないことは
触ること 臭いを かぐことくらい

触れ合う相手は 家族
これまで 触れ合うべき人と
過ごす時間が 少なくて
触れ合わなくても いい人たちと
多くの時間を 過ごしてきた
日本の会社形態は 変わる

在宅勤務で 
家族や地域と 過ごす時間が 増え
人間として 健全な方に 行く
ストレスも 減る
結果的に コロナが 良き契機 と なった




コロナが 終わってから
世の中 変わったよね そんな会話が 
七転八起 生き残れる 好機 5Gが 後押し

時差通勤 在宅勤務
そんなことすら できなければ 衰退一途
事態が 深刻であることを うかがわせる
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日本は 昔 豊かだった
今 貧しくなった? それは 違う

日本は もともと 貧しく
80年代に 豊かに なりかかった だけで
再び 貧しい時代に 戻りつつある

パナソニックに 限らず 企業の多くは
欧米企業が ヒット商品を 出すと
すぐに それを パクって
より安い価格の製品を 出す
それが 定番商法だった

日本人には 革新的な製品を
発明する 能力は ないが
既存製品を 改良する 優れた技能が あり
それが 日本人のパワーだ と 信じていた 

マネシタ電器は 100% 悪く なく
賢くて 商売上手
パクり商法で 利益を 上げること こそが
無資源 弱小国家が 生き残る道 だった

バブル期を 経て 社会が 多少 豊かになり
日本人は 自らの技術力を 過信した
昔から 傑出した 技術大国で あったという
錯覚を 持つようになって しまった

この基本認識の 間違いが
現状維持を 強く発揮することになり
衰退産業に しがみつく 結果 と なった

日本は 後進国に 転落したという事実を
謙虚に受け止め これを 逆手に取って
狡猾に立ち回る企業が 増えてくれば
袋小路に 入った 日本経済にも 光明が 差す

日本企業の競争力が 拡大した 1980年代に
薄利多売を やめ 高付加価値の製品に 特化する
先進国型の産業構造に 転換すべきで あった
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に 酔いしれ
こうした努力を 怠った

1989年には 時価総額で
世界のトップ50社の中に
日本企業が 32社 入っていた
1位は NTT

2018年には
世界のトップ50社に 残っているのは
トヨタ1社だけ しかも 35位
その他の企業は すべて
落ちこぼれて しまった

今や フィリピンの家電店 では
日本の製品は 完全に 姿を消した

トヨタ 日立 パナソニック
三井住友銀行など 少なからぬ 大企業は
メインの研究所が 日本国内には なく
カリフォルニアのシリコンバレーに 設置

なぜ シリコンバレーなのか
日本では 人工知能の 研究者を
育てなかったし 育って いない

米国の
スタンフォード大や ハーバード大には 
多くの研究者が いる 
だが 日本には 来てくれない

理由は 報酬の差
中国や 欧州各国に 比べ
日本は 年功序列制で
20代の 研究者の報酬は 大きく劣る

もう 一つは
日本企業は 守りの経営で 失敗を 認めない
日本の大企業は サラリーマン経営者
失敗を怖れ チャレンジが できない
第3次産業革命に 乗り遅れた

どうすれば 第4次産業革命に
チャレンジできるのか 

ビジネスは 
世の中の 幸せの総量を 上げるために 存在
能力ある 若者人材を 活かす 組織と運営
経済を 回復させるには
労働マーケットの 問題解決が 先決

雇用の 流動性を高める
人が 転職したい と 思った 時に
それを 実現しやすい社会に なること

長い髪を はじめ
女性としての 自分の特徴を 殺さず
男性と対等に話す存在は 日本では 特異
それを 見て「女が えらそう」と 感じてしまう
女性の存在を どう位置付けて いいか
いまだ 日本は 分からない まま・・




従来の事業 だけでは 生き残れない
ビジネスを つくるには 有能な人材が
安心して働ける環境が 必要

口先 だけ
「地方創生」地方は 疲弊したまま
「女性活躍」という 看板も 色あせた
「働き方改革」も 笛吹けど 踊らず
医師の働き方も 教師の働き方も
つまずいている

デフレからの 脱却も できて いない
消費税を 10%に 上げた ことで
経済は 腰折れかけている

「少子化」に 歯止めを かけるはずが
女性も若者も 大事にして いない
結婚も 出産も 難しくなった

家族の機能が 小さくなる なか
「介護離職」への 対策も できない

今 「一億総活躍」の 言葉が 空しい

日本を 覆っている 物語が
安易で 薄っぺらい物語だと 
国民は やっと 気付いた
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コロナのお陰で 面白くなった

プロ野球オープン戦が
無観客試合で 行われている

やたら うるさい 太鼓も 
遠慮会釈のない ラッパも ない

グランドに 響き渡る プレー音
ピッチャーの 投げるボールが
ブンと 空気を切り裂く音が 聞こえる
キャッチャーミットに 
ブヮシンと収まる音が 響く

ベンチで
「オラオラオラ バッター ビビってるよ!」
の声が よく聞こえる

打てば カッキ~ンという音が こだまし
外野手が グワシグワシと芝を 蹴る音と ともに
打球が 外野席に ガッコ~ンと 跳ね返る音に続き
「ナイスバッチ!」と「ドンマイ!」が 飛び交う

無観客試合と いうのは
本来の むき身の野球を 肌で感じ直す 
絶好のチャンスと なった

スポーツや コンサートでは
会場に観客を 入れず
ネット上の集客で 利益を 出す形の
新たなビジネスが 生まれてくる

相撲で あれば 
観客が居たから これまで できなかった  
リアルな音響や 多角映像で 
臨場感に驚く 映像配信が できる

実況を工夫すれば
新たなエンタメの見せ方が 構築できる
斬新な発想で 視聴者を 釘付けにする
NHKが 底力 見せてくれるだろう




まわしに マスク姿の 関取が
相撲を取る光景だけ 見たくない
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