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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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受験生たち この時期に コロナ
自分の身を 守って いる
社会生活や人間関係を「汚染するもの」
有効な対策は 難しい
止める壁は 存在しない
目に見えない ものからの
脅威を感じている 時
仲間なのに 潜在的な 侵略者だと
見なしてしまう
集団の妄想に 惑わされず
冷静に 十分な予防 普通の生活を 送る
目の前に 相手が いるのに
直接会うことが できない
近くて 遠いクルーズ船乗客
遠い 武漢の 問題だった間は
小さなことに 見えていた
だが 接近してくる間に
みるみる 困難な脅威と 肥大化した
小さな問題が
近いから 大きくみえることも ある
女優が 薬物常習犯だった ことが 判明
本人に とっては ともかく
世の中的には さほどの 大事件では ない
だが 近いから 騒ぎが 大きくなる
政治家が イクメン宣言で 点数稼ぎ
それが どうした だが
これが 大型サイズの 扱いを受ける
少し カメラを引けば あまりにも 小さい
小さいことと 遠いこと
大きいことと 近いこと
近くて 小さいものと
近くて 大きいもの
遠くて 小さいものと
遠くて 大きいもの
大人になれば これらの識別が つく
識別に 狂いが ないことが 大人の証し
我々は 常に 大人でなければ いけない
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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ごろごろしては ビールを飲むことだけが 日課
日常を 過ごす中で 同じ毎日が 続いてしまう
この感覚 マンネリ 隠居したんだ 許している
くそつまらない 会社員人生を 歩んできた?
「努力は 必ず報われる わけじゃ なかった」
「負けたくないから 一生懸命を やめよう」
努力らしい 努力は してこなかった
食いっぱぐれる ことは なかった
1%ぐらいの努力は してきたか
ムダな努力は 不幸な人を 増やす よくないもの
過ぎた時間を 振り返っても 当然の歳
「一生懸命 生きてきたのに
たった これだけ だった か」と 思う
虚しさが 脳の中から 膨らんでくる
若いころは 多少なりとも
恋とかで ワクワクすることも あった
仕事は 楽しかったし 充実も していた
悪いばっかり だった わけじゃ ない が
くそ面白く なかった
青年の頃 汚染された モヤモヤ 何だッ
今 もって 脳内で 動き続ける
深い反省に 基づいたものでは ない
脳内ゴミ 駆除して しまいたい
変わりようのない くそつまらない人生が
老後にまで 及ぶなら とんでもない こと
いまさらだが 青の人生を 整理
考えれば ああすれば よかったのかな
今 紐解ければ 脳内汚染が 駆除され
沈殿した不安も除去 安心できる
一生懸命 努力して 生きれば
すべて よくなると 思っていた が
自分の 若き人生 そうでは なかった
不透明な 見えない先に
人生単位で 悩みつづける より
目先の楽しみを 最大限に 楽しめよ
それも ありだろう
老後・・
50前半まで 抱いていた 思いをリセット
イチから やり直せる 信仰を 持った
努力や 一生懸命を やめた 逆の生き方
老人過多 日本に残る メリットは 少ない
日本の枠組みから 抜け出しても 生きていける
なら 日本に居る 必要は ない
できるだろう か 異国ダバオに 住んだ
居心地が いい 自由な 懐の深さという気風
雑音のない この街で 考える時間が 持てた
いざ 自分の現在を 値付けする
ゼロを1つ 増やしてあげる ぐらい
盛った インフレ化を しないと
背中が うすら寂しくて
老後は やっていけない
一生懸命 生きないは 真面目
老後は どう変わるか その実験
現在 実験の 過程と 言って よいかと
「一生懸命 生きなければ」と
みんな 口では 言う けれど
本音では みんな 楽して 生きたい?
あんなこと こんなこと いろいろあった
誰もが 抱えた 人生の普遍的な 悩み
十分に 手応えを 感じられる
人生を 送ってきた 成功者も
そう思うのは なぜか?
情熱に あふれ 一生懸命 生きている人が
熾烈な競争社会に 意味を失った? から
金儲け以外に 生きる真実に 気付いた?
何を バカな事を言ってる 危ない アブナイ
『あやうく 楽に 生きるところ だった』
「努力は 成功の確率を 高めるもので
成功しなくても 努力しないと いけない」
「努力を するな」とは 言ってません
努力 それ自体は 良い事 ただ
「努力すれば すべて 何でも うまくいく」
その考えに 青年時代 盲目に なりすぎた
良い結果が でなければ
自身の努力が 足りない と 自分を 責めた
そうなれば 自己嫌悪から 抜け出せず
燃え尽きるまで 自分自身を 追い込む
「本当の 自分って?」
「本当の自分 自分にも 分からない」
「個性とは 結果」
自分の 心の おもむくままに
いろいろなことを やってきた
結果的に 周りの人たちが
「あなたは こういう人間」と 結論付ける
個性や 自分のあり方
自分で 決めるのではなく 他人が 決めるもの
そういう スタンスも ある
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「君は なんだか 終始不安なん じゃないか
少しも 泰然と していない ようだが」
「他人が 不安であろうと
泰然と して いなかろうと
上皮ばかりで 生きている
軽薄な社会では 構った事じゃ ない
他人どころか 自分自身が 不安で いながら
得意がっている連中も たくさんいる」
「ここだよ 小野さん 真面目に なるのは」
「この機を はずすと もう駄目だ
生涯 真面目の味を 知らずに 死んでしまう
死ぬまで むく犬のように うろうろして
不安 ばかりだ」
「人間は 真面目になる 機会が
重なれば 重なるほど 出来上ってくる」
「真面目に なれるほど 力の出る事は ない
真面目に なれるほど 腰が据る事は ない
真面目に なれるほど 精神の存在を
自覚する事は ない」
「真面目とはね 真剣勝負の意味だよ
人間全体が 活動する意味だよ
口が 巧者(こうしゃ)に 働いたり
手が 小器用に働いたりするのは
いくら 働いたって 真面目じゃない
頭の中を 遺憾なく 世の中に たたきつけて
始めて 真面目になれて 安心できる」
そして こう付け加えたい
「人 一人 真面目になると
当人が 助かるばかり じゃない
世の中が 助かる」
働くこと・稼ぐことの意味が
凝縮されているようにも 感じられないか
「真面目」とは
小手先の テクニックでは なく
全身全霊を 尽くして 物事に取組み
世の中に たたきつける ような
真剣勝負を すること
勝負に出る と いうことは
負けて 傷つくおそれも はらんでいる
片手間で戦って 負けたので あれば
精神的な ダメージは 小さい
全力を 尽くしたのに 負けたと なれば
自分の全てを 否定されたような 気がして
大きなダメージを 負う
誰しも 傷つくのは 怖い
この恐怖から 真剣勝負を 避ける選択を
続けていくことも できる
そうすると 大きな傷こそ 負わないが
生涯「うろうろして 不安ばかり」と
なってしまうかも しれない
「真面目」に なると
自分を助け 世の中を 助けることが できる
それは どういうことでしょうか
「自分を助ける」とは
今の言葉でいうと「自己実現」に 近い
頭の中を 遺憾なく 世の中に たたきつける
その アウトプットとは
自分の内側にあった 潜在能力を
この世に 顕在化させる 営み
このような機会を 重ねれば 重ねるほど
自分の存在を 少しずつ
この世に 実現させていくことが でき
人間が「出来上ってくる」ように なる
こうすることで それまで 抱いていた
何者でもない 自分に対する 不安から
解放されて いき「安心する」
自己実現を
仕事を通して 達成することが 叶うと
発揮された能力は 社会に 還元される
それは 誰かの役に立ち
「世の中を助ける」ことに なる
その結果 お金を 稼ぐことが できる
自分を鍛えて
能力を 高めれば 高めるほど
この世に「出来上ってくる」
自分のレベルも 上がり
より強く 自分を助け
世の中を 助けることが できる
世の中を 助けているが
自分を 助けていない人
自分自身が 不安でいながら 得意がっている
こういった 人たちの 中には
世の中を 助けているが
自分を 助けていない人が 含まれている
就職や起業して
がむしゃらに 仕事を続けた 結果
高給取りになって 喜んでいた けれど
ふと 冷静になると
自分の仕事に 価値が 見出せず
虚無感に おそわれて しまった
その声を 耳にすることが ある
「不安」を 抱えていることに 気が ついた
このような状態に 陥ってしまうのは
ここでいう「真面目」で ない ことが
原因である と 整理できる
自分が 心から
価値を感じられない 仕事に おいては
「人間全体が活動」しているとは 言えず
自己実現のプロセスに 乗ることが できず
「安心」に たどり着かない
会社において 高い能力が 評価されて
昇給・昇格を 手にした場合
会社から 認められ
人より 余裕のある生活を 手に入れて
自信が つくかも しれませんが
「自信力が 出る」とは 言えない
「自信力」という 言葉は
他人の尺度に基づき 評価されて
自信が つく段階と
自分の価値観に照らして 自身を認め
自己実現を 達成した時
自分の内側から「自信力が出る」段階とを
区別している
自信力が 出て
「精神の存在を 自覚し」安心できる
自分が どのような価値観を 持って いて
何を 大事に しているのか
世の中を 助けているが
自分を 助けていない方は
これを 見つめ直すことで
「自信力」を 湧出させられる
自分の価値観に 照らして
働くこと・稼ぐことの意味を 問い直したとき
起業や転職といった選択も ある
仕事を 見つめ直すことで
同じ仕事でも 取り組み方を 変え
自分の価値観に沿った方法で 進めることで
自分の仕事に 価値を 見出せる
自分を助け 世の中を 助けるような
「真面目」な 真剣勝負を していたか
若い頃の 自分に 問う
おおらかな気持ちを 持ちたい
みんな疲れている 資本主義社会で
もっと がむしゃらに 努力するより
ちょっと 努力しないで みる
おかしな考えだが 真面目
サラリーマン経営者が 立ち塞がって いる
若い世代の多くが 苦しんでいるのは
努力が 足りないから よりも
日本版 経営システムに 問題が ある
それにも 関わらず
個人 個人が「もっと努力しろ」
「努力が 足りないからだ」
そんなこと 言われれば 理不尽
努力しなかった から
個人に すべての責任が ある
安易で 無責任な 解釈
仕事は そんな簡単
単純な ものでは なく
個人の努力だけで
どうにか なるものばかりでは ない
努力が 実らなければ さらに 努力するより
一生懸命に ならない 真面目も必要だったか
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老後・・
真面目に 生きていて 良いときも ある
いい日が 来た ダバオで 穏やかで いられる
人生の本質
自分も 望み通りの 人生を
手に入れようと もがいてきた
決して 計画通りには いかなかった
そんな ほろ苦い 人生からのメッセージ
今 青年時代から 時を経て 受け取った
大橋巨泉が「セミ・リタイア宣言」を した
彼が 56歳の時 自分は 触発された
人間 人生を 楽しむために 生まれてきた
自分にも どこか 通じるところが ある
老後まで 走り続けるのは しんどい
苦手意識の ある人との 関係構築に
時間を 割いたり するには
人生 あまりに 短かすぎる
仲のいい人と だから こそ 得られる
喜びの時間を みすみす 逃してしまう
人格を陶冶し 豊かな人生を 送る
女でも 仲のいい人との関係を より密に
そうしなければ 最後は むなしくなる
大事な人と 多くの苦楽を 共して いれば
「つまらない人生だな」と 思わなくて 済む
パートナーの ことを 思いながら
評判のパンを 手に入れるために
1時間も並ぶなど 日常の 小さな幸せ
人間嫌いな ところが あって
胸襟を 開くとか いわれても
簡単には できない
それでも コンセントとプラグのように
カチッとハマる人は いる
年の離れた パートナーも そう
世代を 問わずに いる
そういう人に 支えられている
一度 回路が つながれば 長く付き合う
困ったときに お互いに 助け合う
そういう信号も 流れる
それは 得難いこと
自分は いま
パートナーが 病気にでも なったら
攪乱すると 思う
さんざん 世話に なってきて
最期も 彼女に 見送ってもらえると
勝手に 思っている ので
おそらく 何も 出来なく なってしまう
「カップル」という くくり
恋愛感情を いつも 抱いて いたい
自分の人生って
パートナーと 仲良く暮らしていく
そのことなんだと 思う
ダバオは
他人の視線など 気にならない街
自分らしく 老後を 真面目に 生きられる
此処で 良かった か な
ノーストレスな 生き方が 最強か
焼酎の お湯割りを 飲みながら
贔屓の力士を 応援して
ああだ こうだと 言ってるうちに 日が暮れる
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ロボット・アシスタントの
「ポコ」と 暮らしてみたい
ポコは ドラえもん(50歳)と 同じように
食事をし 腹部には ポケットも ついている
「ひみつ道具」が 入っているわけでも なく
「てきとうモード」に 設定されている
小学生程度の 知力しか 持って いない
小学生だから 或る日など
一日中 質問を 浴びせてくる
「子供電話相談室」が 家の中で 展開される
マンネリな 老い人を 気遣って いるのか
遊び相手に なってる つもりの ようだ
ポコから 質問を 受けた
「数時間って 何時間?」
え! 考えたことも なかった
老練な 先輩として
明快な答えを 出さなければ
じゃぁ と ポコが つづけて
病院で「数時間後に もう一度 来て下さい」
そう 言われました
それは 「一時間後」では ありませんよね
一時間後に 行ったら たぶん「早い!」と
そうだろうな
「数時間」なの だから
最短でも「二時間後」か
「二時間」では ありません
それなら 病院は「二時間後」と
はっきり 言うはず でしょ
自分が 無言で 頷くのを
カメラ画像で 捉えたのか
ポコが さらに
十時間以上では ありません
十時間を 超えると
それは「数時間」とは 言いません
「十数時間」と なる
すると 三時間から 九時間の間
でも 四時間でも ないようにも
思えませんか と ポコ
「数時間」とは もう少し
短いイメージ だから
「数個」「数本」「数センチ」
どれも 量としては それほど 多くは ない
「数~」は 論理的な ようで
まったく そうではなく むしろ 感覚的
自分は「数時間」を「三時間」と 答えた
「数時間」と 同じ表現で
「二 三人」でと 言いますね
果たして「二 三人」とは
二人なのか 三人なのか
これは「三人」で 正解だろう
「いきなり 二 三人の 刑事に 囲まれて」
その文章が あったと して
この場合 囲んだ刑事は かなりの確率で 三人
二人の場合は「二人」と 描写するはず
急なことだったので 刑事の数を 数える暇もなく
二人だったような 気もするけど
後ろに もう一人 いたような 気もする
そんな時に「二 三人」という表現を してる
「二 三千円 貸してくれないか」
その 場合は どうか
そう言われた時
相手が 欲しているのは 三千円
「二 三千円」と言われて 二千円貸したら
相手は がっかりする
「二 三発 ぶん殴ってやった」に なると
発言者の 様々な心理的要素が 加わって 複雑
殴られた側の ダメージが
予想を超えて 大きかった場合
殴ったのは 三発だが
ぼかす意味で「二 三発」と言う
逆に 敵が強大で
殴った数の多さが 勇ましさに 比例する時
実際は 二発しか 殴ってないけど
覚えているのは 二発ですが
もしかしたら 三発かも しれません
そういう意味で「二 三発」と 言う ケース
日本語には 曖昧な 表現が 多い
いまだに 海外から 見ると
日本人は はっきり意思表示しない と
それは そもそも日本語が
そういう風に 出来て いないから
ポコと いると 不思議な 郷愁が 漂い
恥ずかしげも なく 子供言葉で 会話している
なんとも 懐かしく 温かい気持ちになる
のんびりした 毎日のペースに
入り込んでくれる ふさわしい 同棲相手
力が 抜けていながら
細部まで ていねいに作られた「ポコ」
いつか 我が相手に なってくれるのを
待っている

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どこにでも 売っている「さきイカ」
フィリピンのコーナーにも ある「裂きイカ」
天ぷら粉で 衣を 作って
その衣に「するめ」を 1本づつ 浸ける
油で揚げるだけの シンプルな 酒のツマミ
カラッ サクッと 揚がるに
こしたことは ない が
ベタッと 揚がっても 問題なく うまい
で
このするめ天に
あるものを 付けて 食べると 二倍 美味しい
その あるものとは・・
マヨネーズに しょう油を ちょっと
唐辛子を ほんの少し ふった 居酒屋風
辛いの 苦手であれば
マヨネーズ ピーナッツバター めんつゆ 砂糖
これらを 溶いた ゴマダレ風ソースも いける
さて 酒の用意
若者の様に 躰にリズムが 生まれ
台所で 動いて いるのだから 呆れる
「酒は良薬」 なんて 歌いながら
笑顔が 溢れている
京都 宮津の みやげとして 頂いた
「徳利(とっくり)いか」
日本海で取れた スルメイカ
脚と内臓を 丁寧に 取り除き
空気を入れて パンパンに
乾燥させると 2合ほど 酒が入る
琥珀(こはく)色の イカとっくり
熱かんの日本酒を 注ぐ
イカの香ばしい風味が 香る
イカを肴に イカ酒を 吞む
飲んだ 後は あぶって 叉 おつまみに
数度も おいしい イカ
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