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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines

         
            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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正気と狂気
日々の暮らしの 直感として
正気と狂気が ついてまわる

酒呑みという 狂気だから 
そんなことを 思う

人間は 誰も 自分を狂気だと 思わず
正気だと思って 生きてる

ご飯ごちそうしてあげると言われ  赴くと
お刺身とか すごい料理が 卓一杯に 並んでた
お店の人が「お飲み物 どうされますか?」って
聞かれたとき「俺 お茶で」って 答えたら
「キチガイだろ」



 

普段 食えない すごい料理が 並んでいて
酒呑めないって 頭 おかしいだろ こいつ

ここに「呑め」って 書いてある
それを「お茶で」って 言ったら
大丈夫か お前  井之頭五郎じゃ ないだろ
直感的に そう思いますね

「俺 今日で もう3カ月 酒を呑んでいない」と なると
人間って 数字で 物事を考えると 単純に なれる
100メートルを 何秒で 走った とか
人間の暦で もう 3カ月呑んでない
やったー! じゃあ 祝杯だ って なる

おかしいだろ 気ぃ狂ってるだろ
呑んでないって言って なんで 祝杯なんだよ
自分が 普通だと 思っていることが
よく考えたら かなりおかしいということは
どの立場から見ても ある

人間の営みは つねに狂気
いけいけ バカジジイ

酒というものを 入れると
みんな 思い当たるフシが ある

ただ 酒を 呑んでいると
人生を生きていても 直線的
「はよ 呑みたい」って 目的が 明確

生き急いでいる つもりは ない
そんなに 急いで いなかったら
色んな事に 気がついたりする

しょうも ないことで 
人生に 役に立つ事では ないけど
「目が合ったら 犬が ニコって 笑った!」 
たいしたこと ないけど 
ちょっとしたことで 笑えることが ある

人の話 ひとつ聞き終わった 節目ごとに
乾杯をして 酒を 飲み干す
酔っぱらうころには 相手の話しが 体に滲みる

フィリピンは まだ これからの 狂国
靴が 両方そろってなくても 前に歩む
どんな国に なるのか イメージしにくい

 

異国は 見て 経験しないと わからない
勝手な想像で 人種を 差別したり
偏見を持ったりすることは 避けたい
後進的な部分も まだ まだ残っている
これからだ 国が どのような顔を 見せるか
期待できる

直感で生きる 現代人は 賢く考え過ぎ
わかりやすく 説明できることを 良しと し過ぎ
わかりにくいことを そのまま 飲み込んで
感覚で応える そんな 処し方
南の島にいれば 意識している

どうして 疑問に思いながら 答えを 出さない



やぁ! みなさん 
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオで ウロウロ
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作画三昧 見事な狂人

料理は 買ってきたり もらったり 
自分では 作らない
居酒屋の となりに 住んだときは
3食とも 店から出前
家に 食器ひとつなく 器に移し替えることも ない
包装の竹皮や 箱に入れたまま 食べては
ゴミを部屋に そのまま 放置した

土瓶と 茶碗2、3は 持っていたが
自分で 茶を 入れない
娘のお栄も 茶を入れない
客があると 隣の小僧を 呼び出し
土瓶を渡して「茶」と だけ いい
小僧に入れさせて 客に出した

乱れた生活を 送りながらも 長命
クワイとそばを 毎日食べていた?
この親子は 生魚を もらうと
調理が面倒なため 他人に あげてしまう

衣服は 絹類や流行の着物を 着たことが ない
雑な手織りの紺縞の木綿 柿色の袖無し半天
六尺の天秤棒を 杖にして
わらじか 麻裏の草履を 履く
「いなかものだ」と 言われ 喜んだ 偏屈



 

歩くときには 呪文を 唱えているので
知人に会っても 気が つかない

葛飾北斎 汚れた衣服で 机に向かい
近くに 食べ物の包みが 散らかっている
娘 お栄も ゴミの中に座って 絵を 描く

女 酒 たばこ 一切無縁
甘いものだけには 目が ない
耳が大きく 江戸で 180cmは 巨大丈夫

どれだけ 手を伸ばしても 掴めない北斎
ご飯を食べて 寝て 起きて また 絵を 描いて

日本に こんな人が いた 
北斎 なんなんだ この人は?

日々 描いて 描いて 努力を重ねた 大器晩成人
天才じゃない 若い頃の デビュー作など 
魅かれる 何ものも ない 絵

画風を 刷新することに 明け暮れた
ひとつの画風に 固着しない 師も 変える
吸収できるものは すべて 吸収した
吸収して しまえば どこかに 描き残し
また 次の画風の 研究を すすめる
探究心 執念で 描き続ける事を 止めない

とんでもない ジイさんですよ この人は・・

『東海道五十三次』を ヒットさせた
新々気鋭・歌川広重への 陰鬱な葛藤と嫉妬
弟子に 東海道を 観に行かせた
「で! どんな 絵だった?」
斬新さは なく ただ 東海道を描いた絵でした
「評判なのだから 何か あるだろう?」
さて  特に観るべき点も なく 分かりません

70を 過ぎ 構図 描き方に 狂熱を帯びた
ジャンルも 何もかも 超越した北斎
一体 この人の中で 何が 起きていたんだろう

冨嶽三十六景 その1図「ビッグ・ウェーブ」
「神奈川沖浪裏」描いたとき 73歳

波頭が 崩れるさまは
見る限り 抽象表現としか とれないが
ハイスピードカメラなどで 撮影された
波と比較すると それが 写実的に
優れた 静止画であることが 確かめられる



 

今の自分と 同い歳に描いた 波裏 
あきれた ジジイ 描く事に憑かれた ジジイ
歌川広重 なにする ものぞ その気概だったか
独白する 声が この絵から 聞こえる

 

原画は B4より 少し大きなサイズ



 

1826年 長崎オランダ商館長が 江戸参府の際
北斎に 日本人男女の一生を 描いた絵 2巻を 

150金で依頼した
随行の医師 シーボルトも 同じ2巻を 依頼した
北斎は 承諾し 数日間で 仕上げ
彼らの旅館に 納めに行った

商館長は 契約通り150金を支払い 受け取った
シーボルトの方は 商館長と違って 薄給であり
同じようには 謝礼できない
半値75金で どうか と 渋った

北斎は「なぜ 最初に 言わないのか」
同じ絵でも 彩色を変えて 75金でも 仕上げられた
すこし 憤った

シーボルトは「それならば 1巻を買う」と いうと
通常の絵師なら それで 納めるところだが
激貧にも かかわらず 北斎は 憤慨して
2巻とも 持ち帰ってきた

当時 一緒に暮らしていた 妻も
「丹精込めて お描きでしょうが
   このモチーフの絵では よそでは 売れない
   損とわかっても 売らなければ
   また 貧苦を重ねるのでは ないか」と 諌めた

北斎は じっと しばらく黙っていたが
「自分も 困窮するのは わかっている
   半金で売れば 自分の損失は 軽くなるだろう
   しかし 外国人に 日本人は 人をみて 値段を変える
   そう思われることになる」と 答えた

通訳官が これを噂に聞き 商館長に伝えた
商館長は 恥じ入って ただちに 
追加の150金を 支払い 2巻を 受け取った



 

この後 長崎から 年に 数100枚の依頼が あり
北斎の絵は オランダ国に 輸出された

後に 海を渡った絵が
ゴッホなどの 印象派画壇に 影響を 与えた

浮世絵 春画の揃物(色摺半紙本)で
その中の1図「蛸と海女」そんなものも 描いた



 

北斎は 横柄ということは なく
「おじぎ無用 みやげ無用」と
張り紙するように 形には こだわらない
常に貧しく 不作法な 北斎で あったが
気位の高さは 王侯にも 負けず
富や権力でも 動かないことが あった

作品も さることながら
尋常ならざる 図画への意欲を著した 跋文

己 六才より 物の形状を写の 癖ありて 
半百の此より 数々画図を 顕すと いえども 
七十年前 画く所は 実に取るに 足るものなし
七十三才にして 稍(やや)禽獣虫魚の骨格
草木の出生を 悟し 得たり
故に 八十六才にしては 益々進み 
九十才にして 猶(なお)其(その)奥意を 極め 
百歳にして 正に神妙ならんか 
百有十歳にしては 一点 一格にして 
生るがごとく ならん
願わくは 長寿の君子 
予言の妄ならざるを 見たまふべし

私は 6歳より物の形状を 写し取る癖が あり
50歳の頃から 数々の図画を表した とは 言え
70歳までに 描いたものは
取るに足らぬもの ばかりである
そのような 私で あるが
73歳になって さまざまな 生き物や
草木の生まれと造りを いくらかは 知ることが できた
ゆえに 86歳になれば ますます 腕は上達し
90歳ともなると 奥義を極め
100歳に至っては 正に神妙の域に 達するで あろうか
100歳を超えて描く一点は 
一つの命を 得たかのように 生きたものとなろう
長寿の神には このような 私の言葉が
世迷い言などでは ないことを ご覧いただきたく
願いたいものだ 

90歳で 絵の奥義を極め
100歳で 神の域に達し
110歳で ひと筆ごとに 生命を宿らせる

筆使いから 
年代毎の 北斎の息吹が 感じられ
飽きずに いつまでも 観ていられる

食も忘れ 日々 絵筆を持ち
晩節の老醜など 微塵もない
続々と 新作を描き 死の直前まで
エネルギッシュな 画凶の 制作ぶり
江戸時代後期の 浮世絵師 葛飾北斎

 

不屈の人 北斎も 病を得て
嘉永2年 4月18日
浅草聖天町遍照院内に 没した 90歳

翁死に臨み 大息し 天我をして
十年の命を 長ふせしめバといひ
暫くして 更に謂て 曰く
天我をして 五年の命を 保たしめバ
真正の 画工となるを得べしと 言吃りて 死す

死を目前にした 北斎翁 大きく 息をして
『天が 私の命を あと10年 伸ばしてくれたら』と 言い
しばらくして さらに 言うことには
『天が 私の命を あと 5年 保ってくれたら」
私は 本当の絵描きになることが できるだろう と
言吃って 死んだ

辞世の句は
「悲と魂で ゆくきさんじや 夏の原」
人魂に なって 夏の野原にでも
気晴らしに出かけようか・・
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葛飾北斎の娘

「江戸のレンブラント」と 称される
天才女絵師・葛飾応為(おおい)

 

「他の浮世絵とは まったく違う 表現方法」
「光と影の美しさ」に 息を呑む

父 北斎 同様 西洋表現に 触れていたと みられ
描写には 立体感も 光と影の関係も 正確

夜を暗く表現したこと自体が 珍しい
人物は 丸みを 帯びてい
簡単な形態で 立体感を 強調している
ファンタジックで メルヘンな効果を 生む

 

原画 縦26センチ × 横39センチ



 

異彩を 放つのが 
格子越しに 客と話す 花魁
他のほとんどの人物に 立体感が あるのに
この花魁は かんざしだけが 輝き
厚みのない 黒い板のよう

影の一部が 格子の外に にじみ出ている
光源の位置を 考えれば 花魁の影が 

路面に落ちても よさそうだが それも ない

画面中央で すべての光を 吸い込む
ブラックホールのように存在する シルエット
見る者の視線も 誘い込む

西洋の陰影描写や 
シュールレアリスム表現に 親しんだ
現代の目にも なじみやすい

 

混沌とした歳月を 経て
60代で「吉原格子先之図」で 

画家の境地へと 辿りついた

超絶技巧の細密描写

大胆な構図 鮮やかな色づかい
絵画の 見どころは 多様
この肉筆画では 何と言っても
色も細密描写もない 影の部分

夜の吉原遊郭「和泉屋」
格子越しに 花魁(おいらん)たちが
客を待っている 奥の花魁ほど 高位

闇に明かりを放つ 主な光源は
室内の 大行灯(あんどん)と
外壁に掛けられた 掛け行灯
そして 大小三つの ちょうちん
それぞれが 放つ 光の部分だけ
顔つきや着物が 浮かび上がり
幻想的な光景が 生まれている

三つの ちょうちんには
「応」「為」「栄」の 文字 

隠し落款

葛飾応為(おうい)は 北斎の三女 名は「栄」

南沢等明という絵師と結婚

等明の 絵のつたなさを 笑ったとも 伝わり 離婚

北斎の下で 父を手伝い 画業に励む

美人画などに 高い力量を 見せた

奔放な人柄でも 知られた

 

「応為」は 北斎が「オーイ」と 呼んだから とも

北斎を「オーイ」と 呼んだから とも
 
北斎親子 他人に 合わせても
自分の人生が 良くなる訳も ない
責任も とってくれない
自分の好きなことをする 時間の方が 大切
父娘とも かなりな頑固 他人に 同調しない
「合わせない」生き方を 貫いた

今日「何でも 面白くすれば結構 OK」の 世間
バカ騒ぎ そんな社会 いつまでも 続かないだろ?
シリアスな局面で うまく面白がれる いかが
モノゴトの捉え方として そう思う
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2013年 イギリスの大英博物館で
日本の春画を特集する 展覧会
「Shunga:Sex and pleasure in Japanese art」が
開催された

大きな成功を収めた この展覧会の巡回展を
母国である 日本でも開催しようとの 機運が高まり
日本を代表する 美術研究家や歴史研究家が
実行委員に 名を連ねた

だが どの美術館も 責任取れないと
手を挙げられ なかった

公立美術館は 263館
私立美術館を 合わせると 490館

美術館にかける予算は 削りに削られ
半数以上が 購入予算が ゼロとなっている

東京国立博物館など 一部を 除けば
閑古鳥が 鳴いているし
存続自体が 無駄遣いじゃないか という
批判も 出ている

国立系の4館は 独立行政法人
補助は するが 自分たちで 採算が取れるように
努力しなさいという 形になった

それに 追い打ちをかけるのが
政府の「リーディング・ミュージアム」構想
「稼ぐ美術館」に なれという メッセージ

では 美術館の絵を 売って

運営資金に してしまったら
どんなことが 考えられるか それを 想像する



 

そんな中 ただ 1館だけが 春画展を 開催した
私立博物館「永青文庫」が 手を挙げた(細川前首相所蔵)
会期中の3カ月で  21万人が 鑑賞した

春画という 日本独自の芸術
当の日本人が 自ら規制し タブー扱いしてきた
表現の自由を 脅かすものの 正体は 何なのか
春画は わいせつ物ではなく 歴史資料
だから 問題ないという スタンス?
でも 何らかの配慮が 必要な 類のもの

展示する意義は あっても
見たくない人への 配慮 忘れては いけない

人には 無限の自由が あり
その自由に よって 民主的な社会が 保たれる
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別れ際に 投げかけられる言葉
「SEE YOU」や

「KEEP IN TOUCH」では なく

「LOVE YOUR LIFE」
人生 祝福してるよ

フィリピンでの 後半人生
自分の老後の 価値を知り
おかれている状況を 肯定する言葉

手のひらにある 宝を慈しみ 感謝し
あるがまま 自分を 思いやる
心静かに 人生を 愛する

心身がよく 心地よい
「おはよー  元気か~い」 

声掛けに 手をふって
「大丈夫 幸せ」
 声を張り上げ 答えてくれる



 

どうして 幸せですか? 

「だって するべき仕事が あるんだから」
ありがたくて

それから 続けて
「でも 仕事が なかったら もっと幸せ」
大きな声で 笑った

OK 『グッド・バイ』

『グッド・バイ』もとは『ゴッド・バイ』
『ゴッド』とは 神様で
『バイ』は 傍に ということ

神様が あなたの そばにいて
よく守って くれますように
「グッド・バイ」「ゴット・バイ」

「こいつ いいやつだな」
困難な状況を 楽しく過ごそうとする

人生最良の日々とは まだ 生きていない日々だ

現在は 過去より強い
現在は 未来よりも 強い
過去を 胸に抱きしめ
未来に 不安を感じている

現在が 過去より 美しさで 劣るとしても
私たちが この手に できるのは 現在だけ
過去も 未来も 死も
私たちには どうすることも できない

年が 過ぎゆくたびに
より多くのものを 得ている と 感じる
過去よりも 現在が 自分を 夢中にする

これまで 幸福な人生を 送れたのも
自分の手の中にあるのは 現在だけだ ということを
いち早く 理解できた からなのかも しれません

 


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