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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines
   
   
            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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「東京から 来ましたって」
このご時世 何の価値も ないな

ダバオには 
自然に磨かれた 豊かな感性が 残る
まだ 情報社会に なる前
ダバオが 活気に溢れていた 戦前 
実を 育んでいた 豊かな産物が あった

祭がある 宗教がある 風土がある
東京では 得られないもの ダバオの風
皮膚が・・ 喜んでいる
当たり前に 存在していた 空気との触れ合い
こんなにも 違うのか

風は 留まらない 
自由に飛び回る 1000の風

軽快な音楽 気のいい人たち
水 酒と食べ物―― 居心地のよい場所
中には 観光客も やってくる
2002年10月に ダバオを訪れた時には
ガイドマップに ここは フィリピンでも
フィリピンらしい場所って 書いてあった

天気の良い日に
歩道にたむろする 20代の若者
真新しいコンドミニアムに住む
カクテルグループ

近所のホテルで ショーが あり
モデル達が 店の前を通り過ぎて 行ったんだ
まるで ハイヒールを履いた クジャクが
道に迷ったみたい だったね と
シェリダンが 陽気なアクセントで 教えてくれた
刺激的な物語が 街の歴史を共有

 

日本が 嫌い そんなこと 言ってない
変化する東京に対する 興味
ダバオの魅力が 自分を突き進め
もはや 留まざるを えなかった

それなりに 必死に
自分なりに 考えた末のこと
その気持ちと 一緒に 飛行機に乗っていた
急に 先に送った 段ボール箱 3個

「さようなら 東京の自分・・」
声に出して 言ってみた

風を吸い込み 瞳を閉じれば
苦しかった情景が 
浮かんでは 薄れ 消えていく

 

体の中を 新しい血液が 巡った
無表情な涙が 止めどなく 流れては
ダバオの海に 一つ一つの出来事と共に
落ちて消えて・・溶けた 

乾いた頬が 夕日に染まる
沈む夕日と 同じ時間を ゆっくり過ごす

遂に沈んだ太陽・・ ところが

夕日は  沈んでも まだなお
ダバオの空を 色を変え 染め続けている
美しく 沈んでしまった 
今日という 一日の 責任を終えた 太陽

まだだ これでもかと! 
空を赤とも朱色とも言えぬ「熱」という 色で
ギリギリ最後まで 燃え尽き 染め上げる
限界まで 照らし続ける

 

涙が また 溢れていた
さっきとは違う 熱い意志を持った 涙

やぁ ごきげんよう お元気でしたか?
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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番組を止めて ニュースが 入ってきた
アフガニスタンで 日本人医師 中村さんが
武装した男らに 銃撃され 亡くなった

目の前に突きつけられた死
人生の不確かさに 直面する出来事



 

30年以上やってきて 現地の信頼が  
一番のセキュリティーだと 言っていた
アフガンのことを思うと ありえないこと

先日は 緒方貞子さんが 亡くなった
アフガンを 考えていた2人
同時期に失った 大きな損失
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2001年9月11日の 米国同時多発テロ後
米英軍は アフガニスタンを 報復空爆したが
タリバーンは 05年ごろから 息を吹き返し
08年には 国土の7割を 征圧していた

 

大干ばつが進み 農民は 難民や傭兵になった
若者は 水がなくても育つ ケシに 頼った
数年とたたず 麻薬超大国になった



 

安保法案で 自衛隊が 戦闘中の他国軍に対し
可能になる「後方支援」法案が 成立すれば
「かえって危険が 増す」と 
日本への反感を 招くだけだ
紛争相手に 米英軍事同盟と見なされ
海外の日本人が テロの標的になると 指摘
こういう事態を 恐れていた 最悪の結果
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2000年 
アフガンは 大干ばつに襲われ 

農地が 砂漠化して消えた

国連は 当時
アフガンで 1200万人が 干ばつ被災し
100万人が 餓死線上にいると報告

中村さんは アフガンで 
どのように 生きてきたのか
人間が 生きるとは どういうことなのか ――

同じ年齢だ 自分と中村さんとの 距離を 考えた
距離取ってる場合じゃないだろ と思えてきて
『人間』の中に 中村さんも 自分もいた

「その場 しのぎにしか ならない
   ちょっとした薬を 渡すしかなかった
   世の中の 不条理を 感じた」

「生きておれ 病は 後で治す」
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餓死とは どういうものか 

何週間も 食べる物が なく
飢えに苦しんだ末に 衰弱して死ぬ
そのイメージが あったが
医師として 中村さんが 
アフガンで 見てきた餓死は 違うと言う

人が どうやって餓死するかというと
食べ物が まったくないわけでは なく
足りなくて 栄養失調状態になる
そして 飢えを 紛らわすために
不衛生な水を たくさん飲む その結果
赤痢などの感染症に罹り 脱水症状になる
そして 死ぬ

小さな診療所の限界
薬より 清潔な水と食べ物が 命を保証する
医療活動を超えた行動に 踏み切る決意

井戸堀りを 始めた
診療所の周辺で 陣頭指揮し 
1600本の井戸を掘り 飲料水を 確保した



 

清潔な 飲料水が 飲めるようになり 
村人の病気が 減った
赤痢などの感染症が 激減した
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しかし まだ 水が 足りない 砂漠化した畑を 潤す水

 

灌漑(かんがい)事業に 乗り出した
財源に乏しく 技術水準も 高くない現地で
近代的工法を 採用しても 画餅に終わる

土木工事 といっても
コンクリートで固める 用水路では なく
将来 農民の手で 
現地の材料で 維持や修理が できる 用水路
そこらじゅうにある 地元の石ころを 使い
川の水と 折り合いをつけながら
農民の力で 作るには どうしら いいか・・

「水を 制するものは 国を制する」
日本の 古い言い伝えを 思い出していた

クナール川という 大河が流れ
水そのものは あった 
高山の雪を 水源に持つ この川は
水量の季節変動が 大きく
水と共に 大量の土砂も運ぶ
農業用の水路を 造ろうにも
土砂の堆積で 取水堰(せき)が
詰まることも あれば
洪水で 耕地が 水浸しにもなる

「水を制する」を 考えながら
古里・福岡県に帰った 
筑後川「山田の堰」を 研究した

蛇籠(編んだかごに 石を詰めたもの)
コレを使った工法を 活用できないか
川にだって 生きて 意志も あるんだから
自然に逆らい造れば 用水路は 川に壊される

土砂を 取り除きつつ
必要水量だけを 耕地に流す この堰
江戸時代の日本人が 考案した伝統工法
電力や高度な機材が 使えない アフガンでも
いくらでもある石と人力で 造れる

蛇籠工法は フィリピンでも 見かける
階段状をなし 堅牢で美しい仕上がり 

用水路なんて 本当にできるのか?
諦めが先に立つ アフガンの農民
どう 思いを伝え 一緒に動いてもらうか

大勢の人々が 砂漠の上に 無言で立っている
これは 人で 人間では ない
農民らが 関わるとき 互いの心の中で起きる
農地への思い それが人間 と 言いたくなった
困難から 立ち上がってくるもの それが人間・農民

農民との対話 そのものが 豊穣だと思えてくる
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ジャララバード近郊 
クナール川沿い ガンベリ砂漠に乗り込み
クナール川からの 水を引き込む 
用水路建設 農地を再生する事業が 始まった

約束する 必ず 食わしてやる 

安心して 家族も 一緒に暮らせる



 

誰かに 強い志が あれば
そこに 人は集まる 人が集まれば
それは 大きな力になる

「あの山のすそまで 水を引くんですよ」
岩山の上で 中村さんは 指差した
それは 地平線の かなた 25キロ先

金網に石を詰めた蛇籠の 取水堰が
クナール川流域に 次々と出来上がる

水を制御できれば
自給自足の農産生活は むろん
国の食料安定にも つながる
江戸時代の治水技術の研究が 
アフガンで 役立った

2003年〜2008年 ついに 
用水路に 水が満たされ 流れを産んだ
ガンべリ砂漠の光景を見て 誰も 息をのんだ
クナール川から引いた 用水路の水が 
後年 農地を潤し 砂漠の緑化が 進んでいた



 

パキスタンに「干ばつ難民」となって 逃れた 
農民が この地に 戻って 潤った農地に はりついた
1万6500ヘクタールの土地を よみがえらせ
15万人の難民が 農夫となり 畑で 働き始めた
小麦 トウモロコシ 米 60万人の 食料を賄う 成果
市場が開かれ モスクができ 学校も開かれた

 

家族が一緒に住み 安心して 三度の食事が とれた
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用水路建設自体は
日本のゼネコンに やらせれば
コンクリで 短期日で 完成できる

中村さんは 総延長25キロの 壮大な工事を
1期工事9億円 2期工事6億円 計15億円
NGOの寄付だけで やり遂げた

同様の距離の用水路を 
ゼネコンが 建設すれば
少なくも 500億円以上 かかる

武装集団や軍閥が 割拠し
さらには アフガン戦争以来
米軍の戦車が 往来し 空爆も行われる
その危険地帯で 人力で 工事を やり遂げた

用水路が 完成した 2008年 
悲劇が 起きた ボランティアスタッフとして
農業指導をしていた 伊藤和也さん(31)が
武装した男たちに 襲われ死亡

これを機に 中村さんは 現地事務所にいた
日本人スタッフを 全員帰国させ
自分だけ 現地に残った

 


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このころから 中村さんの 奥さん
いつか テロに 襲われかねない と・・

『いつ死んでも 悔いが ないように』
その言葉には 欺瞞が 混じる

死という行き先が 見えているかも しれない
その未来だけから 今を照らすような 覚悟は
そのつどに変化する 可能性を 見落とし
未来を まるっと見ることの 大切さを 忘れてしまう
死に対する 通俗的な見方は したくなかった だろう
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その後 中村さんは アフガン人と共に 
用水路を さらに 近隣地区にも 広げた
農民1000人を入植させ 新たな農村を作った
用水路の保守点検も 担わせる人達

農業が 復活すれば みんなが 食べていける
外国軍や武装勢力に 兵士として
雇われる必要もない 戦争やってる場合じゃ ない
水がもたらす豊かさが 人々の平穏を導き
大きな意味の平和に繋がると 信じた
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90%が 農民の国
中村さんの 活動を 歓迎しない農民など いなかった

タリバーンの信奉者も アルカイダの信奉者も いた


しかし 外国人である 中村さんが 歓迎され
農民の熱烈な支持を 受けていることを
快く思わない勢力が いた

中村さんの人生とは 関係のない
第三者の 貧しく無知な予言のなかで
可能性が 未来が 閉じられてしまう構図
アフガンへの 正しい愛国に基づく
アフガン人の意思を尊重した 支援について
そこに アフガンの未来を 同調させられなかった 
そうした 無知が生むテロ 凶行 悔しく 無念

 


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アフガン戦争への きっかけは
2001年9月11日の アメリカ同時多発テロ

あれから18年 戦争は 泥沼化
タリバーンのメンバーは 増え続け
今が 最大と見られている

――タリバーンって どういう人たち?

タリバーンは 学生を 複数形にした単語
イスラム法の「シャリーア」に 基づいて
アフガニスタンを 統治しようとする 集団

自らを タリバーンと 名乗ったわけでは なく
周りが 学生の集団という意味で
タリバーンと呼び その名が 定着した

――学生なのに 武装しているんですか?
 
1994年11月
アフガニスタン南部 カンダハルで
武装蜂起した 20人が タリバーンの始まり
それが 11月末には 2千人
数カ月後には 2万人と 増えていった

資金や武器の供給などは
パキスタンの支援を 受けている
東側で インドと相対している パキスタン
西側に 親パキスタンの タリバーンを置き
軍需補給の供給地を 確保したい 狙い

――タリバーンが 武装蜂起したのは どうして?

アフガニスタンは 79年~89年に ソ連に侵攻され
当時の政権は ソ連の支援を受けた 共産主義政権
ソ連の崩壊と共に 当時のアフガニスタン政権も崩壊

その後 ソ連と戦った
ムジャヒディン(イスラム聖戦士)が 政権を作った
彼らの間で 権力闘争が 激しくなると
略奪や暴行 レイプなどが 横行する 無政府状態

そこへ登場したのが タリバーン
ムジャヒディンの司令官を 討伐して
96年には 首都カブールを 制圧
国土の9割を実効支配し 政権を築いた
 
――無秩序だった国を 変えたということ?
 
タリバーン当初の目的は
イスラム統治による 治安回復と世直し
当初から 武装は していたが
社会運動的要素が 強かった

内戦という 暗黒時代に あって
国民も「国を よくしてくれるのでは ないか」
その期待感を タリバーンに 持っていた
厳格なシャリーア法の適用で 治安は 安定した

ただ 音楽などの娯楽や 女性教育の禁止 
姦通罪は 石打ちの刑に処するなど
タリバーン支配を 快く思わなかった人も 
数多くでてきた

世界的な 文化遺産である
バーミヤンの大仏も 破壊した
欧米諸国は 激しく非難し
タリバーン政権を 承認したのは
サウジアラビア アラブ首長国連邦
パキスタンの3カ国だけ だった

同時多発テロ事件を首謀した 
テロ組織「アルカイダ」の ビンラディンが
アフガニスタンに 潜伏していることを 
米国は 突き止めた

タリバーン政権に 引き渡しを求めた
さらに タリバーンの保護下で
アルカイダが 戦闘員を養成していたことも
問題視した

だが タリバーン創始者のオマール最高幹部は
ビンラディンが テロに関与した証拠が ない
引き渡しに 応じなかった

隣国パキスタンやイスラム聖職者も
タリバーンへの説得に 当たったが
奏功しなかった
 
「タリバーン政権は 代償を払うことになった」
当時の ブッシュ大統領は 攻撃開始を宣言
「テロとの戦い」軍事行動に 踏み切った

当時の小泉純一郎首相は
「テロリズムと戦う行動を 強く支持する」
と 表明した
 
米軍は 首都カブールや南部カンダハルで
タリバーンやアルカイダの軍事施設を 空爆
民間人も多数 犠牲になった 米国は 憎まれた
2カ月後に タリバーンは敗れ 政権を追われた
だが 崩壊解散したのでなく 山岳地に潜伏した

同年12月 最大民族パシュトゥンの
カルザイ議長が率いる 暫定政権が 発足
世界各国が 復興支援に 乗り出した

紛争が 18年と長引く アフガンから
駐留軍の撤退を 模索する米国
反政府勢力タリバーンとの 和平交渉

8月22日から9月1日まで カタールで 開かれた 

トランプ米大統領は 7日
タリバーンとの 和平協議は「中止だと」
ツイッターで 突然表明

アフガニスタンの 首都カブールで
5日に起きた タリバーンによる 自爆テロで
米兵1人を含む 12人が 殺害された
そのことを受けて 決めた

米国とタリバーンの 和平協議は
基本合意に達し 最終段階にあったが
トランプの決断で 最終合意は 遠のいた

トランプは さらに タリバーンは
和平協議を 続ける間も 停戦に合意できず
12人の無実の人々を 殺害するなら
意味ある 合意に向けた交渉をする 力は
タリバーンには ない

あと何十年
戦い続けるつもりなのか?と ツイート

「史上最長の戦争」アフガン紛争

東西冷戦下の1970年代から 40年
紛争が 断続的に続く アフガン
米国との紛争が 始まったのは 2001年
米国にとっては ベトナム戦争を 上回る

米軍撤退は アフガン戦争での 敗北を意味する
その敗北を 追い掛けようとしている 日本

中村さんは 対テロ戦争を 念頭に置き
極悪非道な タリバンが いなくなり
アメリカによって 自由とデモクラシー
解放が 進んだという認識は 間違っている
餓死や 凍死の恐れが残る人が まだ 沢山いる 
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中村さんは アフガンで
外国人が 活動をすることの危険を 十分知り
民族衣装を着込み 行動には 常に慎重だった が
今回の悲劇が 起きた

中村さんは 言葉を繰り返す
みんなが まず 食べられること

家族と 一緒に暮らし 食べていける
その 命の保障が されれば
アフガンの人々は 満足してくれる
紛争も 自然 収まっていく

「戦より食料」
中村さんは そのためだけに 尽くしてきた
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この仕事が 新たな世界に 通ずることを 祈り
真っ白に砕け散る クナール河の
はつらつたる清流を胸に 力を 尽くしたい

不毛な土地を潤した 奉仕者

中村さんの人柄は 窺い知れる
ひょうひょうと していながら
人を引きつける 力を 感じる

人は 何のために 死ぬべきか
ヨハネ福音書にある 言葉
友のために 自分の命を 捨てること
これ以上に 大きな愛は ない 



昔から 日本人には

自己犠牲の文化が 存在していた
今でも 存在する
自分のためでない 人のために 命を落としても
日本人に流れる 日本人の魂

何かせずには いられないという気持ち
愛情とか 尊敬から おこるものだろう
頭で 考えているだけでは
そういう気持ちには なれない
愛情もって アフガン人を 理解すれば
行動できる 信頼される

知ることは 行うこと 実行という行為
理論より 豊かな何かが 含まれている
現実を 重んじる人と いうよりは
現実を 敬う心が ある

私たちは あまりにも 観念的になり
抽象的になり 理論的に なっている
理屈ばかりいって 実行しない
現実を 大切にしないから だ

実行するのは 難しい
目の前に現れている現実 具体のほうが 大事
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中村さんは
キリスト教プロテスタントのクリスチャン
その政治的信念は 護憲派
アフガンに行って 9条が 
バックボーンとして 活動を 支えた

アメリカによる 
アフガンへの攻撃が 始まりそう
中村さんは 現地の実情から
それが いかに危険なことで あるか 
発言していた

日本が 軍事力を行使しない国で あるから
現地の人たちの 信頼を得ているのだと
憲法9条が あるから 私たちは 活動できる
とも 繰り返し 語った

9条が 我々を 守ってくれたんだな
その実感が あります 体で感 じた 想いですよ
武器など 絶対使用しないで 平和を 具現化する

それが 具体的な形として
存在しているのが 日本国の平和憲法 9条
それを 現地の人たちも 分かってくれている

だから 政府側も反政府側も
タリバンだって 我々には 手を出さない
むしろ 守ってくれているんです 
9条が あるから

海外では 
これまで 絶対 銃を撃たなかった 日本
それが ほんとうの 日本の強味 そう語った

「日本として 何が 最善か」との 問いに
戦争が終わり「平和回復の建設的事業」で
他の国に できない貢献が 日本には できる
緒方貞子さんの 隣席に座っていた 中村さん
政府の会議メンバーに そう答えた

自分とは 異なる考えの人
現実主義者のクリスチャン
聖書などは<神話化>して
イエスキリストは<道徳の師>と
位置つけたら 良いと
イエスの考えに 現実論は 離 れても
人間の生き方の<道しるべ>

中村さんとは 異なる意見が 講演で出た時

中村さんは 相手の意見を 否定したり
間違いを指摘したりしません
中には 激しい調子で 批判する人も いた
決して強く反論は しない

あなたの言うことも もっともです
この質問をしてくれて よかった と
相手の考えを 全面的に 受け入れる
そして 静かに 穏やかに 言葉を 選びながら
相手に納得してもらえるよう 語りかけた

ある講演会では
「アフガニスタンでは
   イスラム教の女性は
   ブルカという布で 全身を覆っている
   女性の人権を 無視した 行為だ
   そういう社会を 支援することには 疑問がある」
そんな 批判の声が あがった

中村さんは 応じていた

女性の人権について
考えなければ いけないことは 沢山あります
ただ 日本でも 外からは
夫が 主導権を持っているように 見えても
実際に 力を持って 動かしているのは
妻だという家庭は たくさん ありますよね
笑いを 誘いながら
自分たちとは 違う社会の あり方を
理解しながら 実情を 見ることも
大事では ないでしょうか・・
考えることを 促しました

遠くに 銃撃の音が聞こえる 場所で
子供たちが わらべうたを 歌いながら
遊んでいる様子を 話してくれた



 

現地の日常の風景 
過酷な状況では あるけれど
その中に ほのぼのとした 時間が あり
ごく普通の生活が ある

アフガンに 尽くす事は
ただの日常を 取り戻す 支援をすること

大きな事業を しながら
そうした 細やかな 暮らしのひとこまにも
目を向け 私たちに 伝えてくれた

「裏切られても 裏切り返さない 誠実さ
   それでこそ 人が人を 動かすことが できる」

それは 大きなメッセージ

中村さんの 
人生哲学からの 理想より
そのパッショ ンから 
40年も 戦争に苦しんでいる
アフガンの人々を 救うため
医療活動や 彼らの食料生産のための
灌漑設備を 逆境の中で 命がけで 造った
悲しい 悲しい また悲しい 
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なぜ 医者が サンダルづくりや
井戸掘りを するのか
なぜ 今 重機を 操っているのか 
農民と農業を 愛し 平穏を願った 

困っている人 貧しい人の側に立つ 素朴
宮沢賢治の 生き方にも つながる 

中村さんは 宮澤賢治が 好きだった
賢治の本は よく手にとる

アフガニスタンで
賢治の詩や物語を 思いながら
星を見たり 風を感じたりする時
「救われた気持ちになる」のだ そう
力強い行動の人 そして 文学的な人
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人間として 最も美しい生き方
人のために 自分を犠牲にできる人間 

吉田松陰の言葉を 引けば
人間の寿命は その時間的尺度に ない 
どれほど 社会に貢献したのか ということ
短い人生の中でも 人間の果たすべき使命は
そこに ある

中村さんは イデオロギーに 関係なく
誰が見ても 一切の私的世界を 捨 てて
農業国としての アフガンの将来
誰よりも 考えていたのでは ないか
独特のリーダーシップ 

アフガンへの奉仕者



 

中村さんのことを 思った
今日 アフガンで このような 
テロが起きたのは どういうことか
自分なりに調べたり 記事を読んで 考えたり
中村さんの ことだけを思い 一日を 過ごす 

意外に知らなかったことが
多いことにも 気づく

今日が 真珠湾攻撃の日
ということは 知っていても
アフガンのことは なにも 知らない

命の危険を 察知しながら 
他者を救おうとする行為 人生の価値 

「あなたの命は 奪われたが
   あなたの“誇り”は 
   誰にも 奪うことは できない」

権力者や 金を握る者の 動向や 

顔色ばかり 伺うのでは なく
自分の考えに従って 判断を下し
思い通りに行動した
自主性 主体性の大切さを 示唆した

墓の前に あなたは いない 
アフガンの風に なった
Blowin’ in the Wind

アフガンの農民達 何か困りごとが できたら
「天国につながる電話」で 中村さんを
呼び出し 指導を 仰ぐのだろうな

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「水」に ついて 話を聞いた



 

水は かなりの情報を 蓄える性質を 持っている

わかりません どういうことですか?

水を たくさん含む花に 話しかける時も
悪い意味の言葉を 投げかけられた花は
早く枯れてしまう  試してごらんなさい

東京でのこと 変な事 聞くが
お宅のパンは どうしておいしいの 

パン窯を つくる時に
良い言葉を 蓄えた水を 使って
練り込んだ レンガを 使った からかな

パンを  つくる水も
ここのパンは パン生地が 
窯の中で 同調すると 言う

こういう話 自分は 割と信じる
パン屋には そういう客たちが 集まり
場の居心地が 出来上がって いく

パン屋さん自身も 大学と連携して
古代種の小麦などを 栽培する 研究家タイプ
そういう 神様寄りな ところと
物理的研究も している バランスが 好ましい

焼き物の窯場にも そういう気配を 感じる
火や水に 感謝の気持ちを 込めている
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