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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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躰の中で 起きている
自分の細胞 その働きを
見てないし 会った事も ない
病原体を駆除する 免疫細胞
信頼し任せている ところがね
その中には 過剰に反応 やりすぎて
正常な細胞を 壊したりするのが いる
アレルギーや癌を 引き起こす 半グレ免疫細胞
半グレ細胞 許さんと 立ち向かう
優等生「制御性T細胞」
全ての細胞に 役割と働きが ある
体が ピンチになっても
経過を じっと 観察していれば
免疫細胞が 解決するのが 見えてくる
「待つ」という 時間を 経ると
細胞は ちゃんと 命に 答えをくれる
「命は どこにある?」って 質問すると
心臓に 手を当てて
「ここに あります」子供たちが 答える
心臓は 大切な 臓器だ けれども
心臓は 頭や手足に 血液を送る ポンプで
命では ありません
命とは 感じるもので 目には 見えません
空気見える?
酸素は?
風が見える?
空気が あるから 生きていける
大切なものは 目には 見えないんだよ
「命は なぜ 目に見えないの?」
命とは 君たちが 持っている 時間
死んでしまったら 時間も なくなってしまう
やぁ!「みなさん 何してるんですか?」
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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フィリピン暮らし 17か18年に なるかな?
自分として 貫禄でなくて 慎ましく
老いのうねりを 新たに携えて 歩く
初めて行く場所
行きは 遠く感じるけれど 帰りは 近い
行きは 初めて見る景色
脳が 視覚情報を処理するため フル稼働
帰りは 既に見た景色だから 脳は 余裕
子供の頃は 毎日が 新鮮な経験
休む事なく 脳が フル稼働
時間が遅く 一年を 長く感じていた
70も超えれば 経験したこと ばかり
刺激のない 一年は あッと いうま
フィリピンに 馴染んだ ということか?
昨夜 感慨深く うまい酒を 飲んでいた
いや 待てよ 自分の「一年のモノサシ」
「さらに 短くなっていないか」
さっきまで 輝いていた はずの 今年は
瞬く間に 色あせ 酒も 普通の味に なった
いやはや
翌朝 起きたら 11月
そろそろ年末が チラチラ 頭によぎる時季
梅干し湯 飲みながら
さて どうした ものかな ・・
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まだ あった! バリッと力強い 揚げ春巻き
ダバオで訪れた食堂 何軒に なるだろう
これまで 何度も通っていた道でも
目に入って いなかった 小さな食堂
行きたい店が 増えている
だが これまで通った食堂の9割が 既に 無い
「あれ? こんな店 あったっけ・・」
見つけた時の ワクワクする気持ち
暮らしている 街ながら 旅してる 気分
募っていく 別の思いが あった
「また すぐにでも 行きたい!」「通いたい!」
そう思う 食堂を 見つけても
再訪する機会が なかなか 作れない
そうする内 その食堂が
知らぬ間に 無くなっていた
昨年の暮れだった
それまでも 食堂のある通りを 歩くとき
いつも 気にかけて いた
2カ月だろうか 通って いなかった
気づいたら 無かった
閉店した その状態も 見ていない
確かめたくて その通りを 3往復した
もう どこにあったかさえ 思い出せない
すでに 他の店に なっていて
印象的だった 赤いファサードは
跡形もなく 消えていた
休憩時間に 椅子を並べて 横になり
休んでいた 調理人のおじさんは
どこに 行ったのだろう
昼の営業後に 訪れた時の光景を 思い出す
再訪しないままに なってしまったことを 後悔
飲食店が 軒を連ねるエリア
今日 いきたい食堂は そんな場所にある
5〜6日に 一回しか 家から出ない
久しぶりの 外出
親しむ ご近所さんたちは 3秒後には
まるで 自分なんか いなかったよう
時間さえもが 自分を 無視している
知る中で 最も古くから続く
家族経営の中華料理の1軒
自分よりも 前から通っていた 知人に
「この食堂の主人は 中国からの移民としては
第一世代なんだよ」などと 聞いた
食堂が 長く続いている 事実は
その移民家族が 変わらず 元気に
ダバオで 生活している と言う証し
食堂の存続を 目の当たりに している
今日も まだ あって欲しい
気持ちが 先立ち 不安が よぎった
食堂との距離が 20m 10m 5mと 近づく
今日も あった その姿を 認め ホッと
辺りの風景が 変わっても 馴染んでいた
ずっと そこにあって 当たり前
でも 庇が真新しくなり
店名のフォントも モダンに なっていた
途端に もしや オーナーが 変わった?
という疑念が 頭をもたげた
揚げ春巻きは 何も 変わっていなかった
20センチもある 特大サイズ
バリッとした 香ばしい食感
すぐさまに 思い出させる
もう お昼のピークは 過ぎている
まだ 買って帰る人が いるのだろうな
そう思わせる数の春巻きが 用意されていた
食堂に 看板娘の3代目が いなかった
中年の男が 1人で 注文を取り
料理を よそって運び 会計を している
奥の洗い場にも行き 皿洗いもしてる
持ってきてくれた メニューは
デザインも料理のラインナップも 前と同じ
値段だけが ほんの少し 上がっていた
もう 14時40分で 普通の食堂なら
ランチタイムも ほぼ 終わり お客が 引けて
店内は 空席の方が 多くなる時間帯
この食堂は ほぼ 満席だった
ひとり客が 大半ゆえに
空いている席は あるには ある
でも テーブルは ほぼ 埋まっていた
1卓だけ 空いていたので そこに座る
食堂に漂う空気は 気だるさを伴う ゆるさ
生ぬるい温度さえ いつものイメージ
自然と肩の力が抜ける アジアの空気
揚げ春巻きは 持ち帰りに することにして
生春巻きを頼もうか とも 思った けれど
目の前にあると この場で 食べたい
前菜は 揚げ春巻きを 取ることにした
ビールは 程よく冷えていた
堂々たる姿の 揚げ春巻きは
コショウが 効いている なじみの味だった
皮はパリッ では なくて
バリッと 力強く揚がり
春雨とひき肉が ギュギュギュッと
詰まっている 見た目どおり
メインは 鶏のレモングラス風味と 迷った
鶏肉よりも 豚の気分な気が して
豚肉のコショウ風味に 決めた
それに 白いごはんと 野菜炒め
食堂奥の左手に 厨房が あり
作りたてが カウンターに 並ぶ
それを そのまま 皿によそって 出す
お客さんの作る 食堂の雰囲気は 以前と同じ
半ば 感心しつつ 残りの春巻きを 頬張ると・・
奥から出てきた人が いた あれ? 彼女だ!
彼女は 厨房にいたのか 途端に安心した
キャベツ 白菜 人参 セロリ ネギ
彼女は また 厨房に戻っていき
自分の頼んだ料理は すぐ出てきた
野菜炒めは 以前と同じように
歯ごたえがあり 塩気の優しい味付け
この日 初めて頼んだ
豚肉のコショウ風味は
ゴロゴロと大きめに切った肉で
塩コショウ味を 想像していた
だが 豚肉は 薄切り肉が 一口大に切られ
甘みのある しょうゆベースの 味付けで
粒コショウが 存在を アピール
味が 甘じょうゆ だとしても
さらっとしている そこが なんだか
日本の煮物を 思い起こさせる
お酒いれるだけで そんなに 味変わるの・・?
食べて 笑えることの大切さが 身に染みる
食べて 達者で いたい
自分が 食べ終わる頃には
もう お客さんは 他に1人で
3代目の彼女も 片付けを 始めていた
それで 少し話をした
名前を 訊ねたら
私の名前は「デルフィー」と 言った
「ミン・ショウ飯店」という 店名は?
ミン・ショウは 私の名前とは 関係なくて
前からあった店名を そのまま 引き継いだの
私は お母さんから 料理を 教えてもらった
お母さんは おばあちゃんから 教わったから
レシピは おばあちゃんの ものよ!
この店は 祖父母が 昔に買い取って 始めた
前の店は この場所で「ミン・ショウ」の 名で
ベトナム総菜店だった そうです
いつ頃の事か 年月は 分からない
この食堂が「ミン・ショウ飯店」として
存在するのは 自分が 思っていた 50年より
更に さかのぼるようだ
祖父母が 始めた食堂
母から受け継いで 3代目 デルフィーさん
昔からある店が どんどん なくなっている
彼女は おおらかに そして たくましく
続けられるうちは やっていく と言った
「料理って 楽しいんですよー!!」
彼女たちの 人生が ダバオに ある
細かな部分には 時代独特のものが あるが
現代にも あり得る状況を 生きてきた
実際に存在する 女性系譜
携帯電話が 無い時代から
距離と時間で 懇切丁寧に
互いの気持ちを 育ててきた
食堂と客の繋がり 客も 三代に 至る
戦後 フィリピンと 縁を持った者たち
日本人を含め 多国籍の人
現代では 出せない情緒 背景がある 家族たち
親子 もとは 他人だった 夫婦
血縁は ないが 一緒に育った 兄弟
異国で育ち 過ごす環境の中で
移住した国から 受ける影響は 計り知れない
男女の関係の中に 存在し
様々な生き方をする 女性たち
決して 派手ではない 表現の中に
彼女たちの強さが ある
数日後・・
自分は また 外出した
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「自分の余生を どう 生きるべきか」
悶々とする気持ちが 心の中に あった
表面的には 日本は 楽しかった
だけど あらゆる事に モヤモヤし続けていた
「真の老い人として 生きるための 生き方」
微妙な時期だった
60歳 目前になって このまま 年を重ね
余生を楽しめない 環境で死を 迎える
つまらん しょうに あわん 焦りも出てきた
『人は 必ず死ぬ』その真理が 心を決めた
普通に結婚し 子供を育て終わって 退職
あとは 悠々自適の生活に入る
理想であり 常識でも あった
それが 幻想になった・・だと
「資産がなければ 定年もない」
死ぬまで働け・・ って
いつになったら 余生 楽しめるんだよ
違った人生に 想像を巡らした
これ以上 年とったら
チャレンジする 決意が 鈍る
おっくうにも なっていくだろう
臆病だし いくじが ないほうだ
やれる元気が ある いま いまなら やれる
積極的な冒険 覚悟は できた
国は 高齢者を「消費し尽くすのだろう」
弾かれても しぶとく 生き抜いてみせる
個人的な経験 自分だけの物語を描く
やる やってみなければ わからない
高齢者を 持て余し 自己責任に 追い込む
団塊たちも 自分も 意図を超えた現実
沈みゆく日本脱出 南の島上陸
到着できた 安堵
この気だるさ 嫌いじゃない
小さな空港の 外に出た瞬間
湿っぽい空気が 肌をなでる
少し細い道に入ると
人々は 皆地面に座り込んで
時間を 持て余していた
まるで 時間が 流れて いない
ずっと ここにいたら
自分は 全部溶けて なくなって しまうのか
とにかく 動かないと
ダバオ市内を ぐるぐる 歩き回った
のどが渇けば 50円ほどの ビールを飲み
おなかがすけば 200円ほどの 飯を食べた
何もかも 不自由だったが
とんでもなく 自由だった
ホテルに戻れば また 異世界
スペイン植民地時代の コロニアル建築は
とても しゃれていて
プールサイドに 寝転べば
ここが どこなのか わからなくなる
さて この余生 ここで どう生きるか
非日常的な異国に 足を踏み入れて
考えずには いられない
世界は こんなに 広い
自分の人生は 自分だけの もの
自分の 何かを 変えたかった
変わらなくては いけない
混沌(こんとん)とした
街の喧騒(けんそう)の すぐそばで
マイペースに 暮らしている人たちを 見て
自分にも 此処で生活できる 気がした
日本を辞めると決めた ダバオの夏
10数年前 想像もしなかった場所に 立っていた
10数年後 想像もできない自分に なって いたい
市場の隅で
小さな椅子に腰掛け カゴを編んでいた 女性
ふと 顔をあげて ほほ笑んでくれた
心の奥を 見透かされているよう だった
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異国で 自分を知る人は 誰もいない
これから 1人で こなして いかなければ
自分のやりたい暮らしを 自分で表現する
ワクワク感は 無限では ないだろうが
面白ろがるしか ない
もう 一昔も 二昔も前の話し・・
冷房タクシーなど 稀だった
AIRCONと書かれた ぼろ車
モールも僅かしか なかった
生活情報など 全く 得られない
ジープ タクシー 現地米 家賃など
価格は 大きく変わって ないが
この数年で 酒 タバコ 他のモノは 高騰
電気 水道は 安定している
年金で 家賃を払って カツカツの生活
異国の街で 1人暮らして いくのって
けっこうな 人間パワーが 要る
もっと 踏ん張れる力が あれば
よかったん だけど
年寄りというのは すぐに 結果を 求める
そうした 隙間に くじける 挫折もあった
未熟だったん でしょうね
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心の平安だけを ダバオに欲した
ダバオで 自立した余生を 目論む
無能で無知 無鉄砲な 日本の老い人
大切な金を失い 心 震える思いもした
情けなく 恥ずかしい 移住のスタート
何も知らず 何も分からず 右往左往
異国の生活を 作るのに 精一杯
そんな 昔のダバオは 素朴だった
今より 魅力的で 刺激に溢れてた
何 バカな事してる
数年して 気付いた
日本の暮らしを 此処で 踏襲して 何になる
東京ライフ・スタイル そのまんま ドンと
ダバオに 余す事なく 持ち込んでいた 馬鹿もん
小さな家に いても こころ 貧しくなるな
まずいものを 食っていても 物欲しく なるな
堪えがたいことが あったら
広い海を見つめて 勇気を出せ
生命を つかむためには 素直になれ
あせらず 苦にせず しずかに
自分の道を まっすぐに 行け
なぁ〜に すぐに降参して 帰ってくるさ
移住に 反対した 周りの人たちは
口を揃えて そう言っていた
そんな人たちも もう この世には いない
仲間だけを 集めた 日本老人村を
ダバオに つくって
みんなで 無邪気に遊び 面白がる
全員を みとって 自分も ここで 死ぬ
このアイディア 夢
「みんなで 遊びながら」が「いいだろ」
仲間に話すと「おまえ バカじゃない」
一人で やってろよと 一蹴された
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移住って 捉え方ひとつで 異なる
生きるも 死ぬも 自分次第
移住下手な ほうが カッコいい
カッコいいって・・ 考え出すと
カッコつけるのが 一番カッコ悪い
カッコ悪い と されることを
堂々できるほうが カッコいい
「あの人 カッコつけてるよね」
それは 悪口で しかない
カッコつけるのが カッコ悪いって ことは
みんな 気付いてる だけど やっちゃう
カッコつけるのって
誰かのまね ふりを してるダケ
身の丈より 大きく見せようって いうのは
自分を 小さく見積もっているから
そのまんまじゃ 恥ずかしいから
借り物の自分で 着膨れしてる
「ダバオで やっと 生活できるように なった」
そう言っている さまが カッコいい
自分が 何か 成し遂げたという 実感
揺るぎない 移住生活に
自信が あれば いいけど ない人は
不安になって カッコつけちゃう
自信を 持つのって なかなか できない
でもね 他者から見れば
移住に 成功していようが
していまいが どっちでも よくて
自分なりに「移住を極めたんだ」って いう
自信を 持てば それで いい
自分が 自分を 認めてあげる
ほとんどの人は 絶対価値じゃなく
相対価値で 自分を 見ちゃうから
それだと 自信を 持ちにくい
他は 全部ダメでも
何か一つ 自信を持てれば 素晴らしい
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何事も「どうする」って 嘆いてばかり
不器用で 石橋を叩く癖も ついてしまった
他人の真似するな 自分なりの失敗しろ
移住暮らし 身に付くまで 10年 かかった
「LOVE YOUR LIFE」
自分の人生を 愛しているかって・・
そんなこと 自問したことが なかった
「自分は 間違って いなかった」
でも まだ 終わっちゃ いない
死ぬ時まで その答え とっておくよ
フィリピンと 喧嘩したり
仲直りしたり フィリピンとの同居
人は 太陽が昇ってきたのを 見た時
神々しいって 感じる
心が 奪われるほど 美しい夕暮れも
みんなが 美しいと思う
生きていることを 喜びに 転換させるための
想像の力 なんでしょうか?
生きている 喜び?
音楽を聴いたり 本を読んだり 映画を見たり
日々 ごまかし ごまかし生きて いくんだけど
それは ぜんぜん 悪いことでは ない
人間は それをする 特権を 持つ
泣きたくなるような 美しい夕焼けを 見て
死ぬと思って 生きるのは 大変だけど
こういうきれいな夕陽を 見られるなら
命に代えられない と思ったりも できる
これからの10年 あなたは
どんな命 余生を 刻んでいきますか?
この国における 幸せって?
教育費と医療費が 無償になることか
健康も教育も すべからく享受でき
それに対する不安が なくなった時
人々の暮らしの中に 幸福への近道 が できる
あるがままを 肯定して 感謝
次世代のことを 思いやる 心
これが 人生を愛することと “幸せ” に
つながっている
他と比較したり
足りない事柄に 焦点を当て
明日を 思うのでは なく
“足る” を知る 価値観をもつ
競争ではなく 共存を重視する
フィリピン人たちの 人生観
心身が 心地よい状態が 続いている
今では 穏やかに この地に 溶け込んで いる
いろんなことに 寛大になったし 広くなった
固定観念に とらわれて いたのが
ほどけていった 心を 解放していけた
この国の大統領
服装にキチンと感は 無いが 下品では ない
親として あなた方を守り
兄弟のように あなた方の世話をし
息子として あなた方に仕える
大統領には そんな国民への 思いが ある
人々の心に 強く信頼が 刻み込まれている
そんな国に 充足し 好意を持って 長居してる
「ダバオが 好きだから ダバオの現場に いたい」
自分の 身の丈に合った 暮らしだろう
青いまま 人生の冬を迎えたことを 実感
「外見は 変わったけど 目は 青年」
グロテスクでしょ
移住者も高齢になった 現地で 亡くなる方
団塊世代が 後に続く・・
異国での死に方 考えてみたい
移住も 今では 様変わりした
スマホと 数日の着替えだけで 移住できる
全て揃っている貸家 現地で 何でも整う
身軽で 便利な時代の恩恵を 移住者は 甘受できる







