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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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「助けてください」
台風に見舞われた 12日夜
午後9時ごろ 台風のニュースを 見ていると
突然 呼び鈴がなった 玄関の扉を 開けると
ずぶぬれの 見知らぬ男女3人が 立っていた
外を見ると
一面に 田んぼが広がっているはずが
急流が 音をたてていた
「助けてください 車が 動けなくなって」
30~40代ぐらいの夫婦と
60代ぐらいの母親で 避難の途中だったという
外に出ると
自宅前の道路は ひざ下ほどの水位で
水が勢いよく流れ
車が立ち往生していた
3人を 室内に招き入れ
タオルを渡し コーヒーを 出した
また 呼び鈴がなった
今度は 2歳ぐらいの幼児を連れた 女性だった
台風豪雨 日本国土が 大きな傷を おった
いつもの朝が 来るのが こんなに遠かったか
暴風と屋根をたたきつける雨の音に 身を縮め
暗闇の怖さに 眠れず 疲れきってしまったろう
フィリピンの家屋は 平屋にトタン屋根
スコールが来れば それは すさじく激しい雨で
屋根に叩き付ける雨音に いつも 怖い思いをしてる
自然が 乱れた循環が
命や くつろぎの場である家を奪う
理不尽な仕打ちに 悲しみや 怒りを
雨に ぶつければいいのか
胸が つぶれる 思い
「命を守る行動を取ってください」と
アナウンサーらが 繰り返した
どうすりゃいいんだ!意味が 分からない
先手をとった 対応を促す 若者の言葉に従う
避難所で 危険をやりすごすのが 懸命な判断
「避難所に 今すぐ 移動を 開始して下さい」
それが 昼間のアナウンスならば 行動できる
テレビは 大騒ぎするだけ
大袈裟に 不安を あおり立てていた
それが マスコミだと 知っては いても
「数十年に1度」が 立て続けに起きている
台風報道に 別な言い方は ないものか
いつもの場所が いつもじゃなくなります
夜の運転や移動は 特に危険です 今すぐ 避難所へ
いつもよりも 慎重に道選びを して下さい
信号もついてない所も 何カ所か あります
近道より 安全な道を と
地元のラジオ局が 呼びかけた
東日本大災害の時の事を 思い出した
津波が 背後に迫っているにも かかわらず
ゆっくりと 歩いている人の 映像だった
高台に逃れた人が 動画を撮影し TVで流れた
高台の公園に避難した 人びとが
必死に 大声で 呼びかけている
「早く! 早く! 走って! 走って!」
それらの人々の声にも かかわらず
相変らず ゆっくりと歩いてくる人影の背に
津波が おそいかかろうとする シーンだ
それを見たとき
なぜあの人は 速く走って
高台のほうへ 逃げてこないのか と
一瞬 不思議に思った
今になって ふり返ってみると
ちがう考えが 浮かんでくる
あの人は あれでも
必死で 歩いていたのだろうと 思うのだ
ゆっくり歩くことは できても
走ることが できない
不自由な 脚の痛みを 抱えていた
お年寄りなのでは あるまいか
現在 自分に置き換えて 考えてみると
そのことが よくわかる
なんとか ゆっくり歩くことは できる
突然 何かが 襲いかかって きたとしても
とっさに それに反応して
走って逃げることは できない
自分自身 納得が いった
災害は 弱い人にほど 過酷
あの人は 脚が 不自由だったのだ
どうにか 歩けるが
走ることが できなかったのだ
松葉杖を つくほどでは ないが
ゆっくり歩くことすら
相当の努力を 必要とする人が いる
そういう人たちが 無数に存在する
ようやく訪れた翌朝 見えてきたのは
茶色い泥水に埋まる畑 家 車
普段にあった景色は 様変わり 泥の海
その下にあった営みを 覆い尽くしていた
黄金の実りを迎えた水田も あっただろう
上階の窓から 手を振っている人が いる
救助されるからと 声を掛けたくなる
ひっそりとした 家を見ると
逃げ遅れて つらい思いを している人が
中にいないかと 心配にもなる
穏やかな日常を すべて奪い去った
アルバムを失った事が 象徴するように
たとえ家を失っても 命さえ無事なら
やり直すことができる
農家や 被災された方々の気持ちを 思うと
それは 慰めにもならない 傍観者の言葉
晴れて 真っ青な空 無残さが 際立つ
ご近所同士で「大丈夫かい」と
声を掛け合っているだろう
1人暮らしの人が いるなら なおさらだ
自分は 一人じゃない 守られている
そう素直に 思ってくれたら
これからの 先の見えない夜を
そっと照らす ともしびになる
被害の甚だしさを 思えば
復旧までには 相当な時間を要す
泥水の茶色に覆われている 被災地が
本来の個性ある彩りを 取り戻す
そんな日が 少しでも早く訪れるよう 祈る
やりきれない 一日が過ぎ 叉 夜が訪れた
避難所から外に出ると 寒々とした月が 綺麗
静まり返った市街 存在したと言われる街に
聞こえるのは 自分たちの話し声と 風の音ぐらい
ふと 自分たちの ちっぽけな存在の
コントラストを 感じて 身を寄せ 震えていた
やぁ! みなさん 元気だしてください
あなたの心と躰 大丈夫ですか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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日本人は 水に わざわざ『お』をつけて
『お水』と 言ってきた
水というものに 特別な思いを持つ 民族
東日本大震災の津波で
「水が こんなに 恐ろしく 憎らしいとは」と
語っていた 被災者が
たちどころに 水に困り 給水を受けて
「水が こんなにありがたいと
思ったことは なかった」と 話していた
水は 時に恐ろしく 時に有り難い存在
山から流れ出る水は
飲み水として あるいは 農業のために
多くの恵みを もたらす
しかし 水は 時に不足したり 多すぎたりし
古来から 人々に 困難を 与えてきた
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水そのものの神様は みずはのめがみ
海には 海の神様が いらっしゃる
ご先祖様は
雨が山に降って それが そこここの谷川に集まり
平野に出て やがて 海に注ぐという
水の流れを 精密に観察し その自然の驚異に
神様の存在を 感じとっていた
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ご先祖様たちは
水には 様々な力がある事を 感じとってきた
神社で参拝前に 口をすすぎ 手を 清めるのは
「手水(ちょうず)」
庭先や玄関先を掃除した後に撒く水は「打ち水」
単に ほこりが 立たないように するだけでなく
心が洗われる感じを もたらす
水の中に入って「身をそぐ」ように
穢(けが)れを 祓うのが「みそぎ」
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
黄泉の国から 戻って
「我は 穢(きたな)き国に 行った
体を 清めよう」と
水に入られたのが「みそぎ」の 始まり
そこから 天照大神
月読尊(つくよみのみこと)
須佐之男命(すさのをのみこと) が 誕生した
穢れを祓い 清めることによって
貴いものが 生まれてくる と
ご先祖様は 考えられ
そこに 水の清めの霊力を 見てとった
穢れの語源は「気枯れ」で
体内の水分が なくなると 体が弱り
体が 汚れて 不快になる
水を飲み 体を洗い清めることで
元気を回復する
相撲で 取り組みの前に 口に含む水を「力水」
水には 身体に力を与える霊力が 籠もっていると 見た
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世界では 7億人の人々が 安全な水を 飲めず
毎日 千人規模の子供が 下痢で 死んでいる
水の霊力に 恵まれない人々の 不幸
清らかな水は 美しい そこから 我々の祖先は
「みずみずしい」という言葉を 生み出した
漢字では「瑞々しい」と 書く
「瑞」とは 中国語では 宝石の美しさを 表す
中国人が 宝石に見た美しさを 日本人は 水に見た
ご先祖様たちも
日照りで 水が無くなった時の 苦しみは
よく ご存じだったろう
だからこそ 清らかな水の持つ力と
美しさに 賛嘆の念を 込めて
「力水」「手水」「みずみずしい」などの
言葉を 用いた
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水の力を 賛嘆していた
清らかな水の恵みを
安定的に 広範囲に いただけるよう
太古の昔から いろいろな工夫を 凝らしてきた
その一つが 水田 特に斜面に造成された 棚田
作物の豊かな稔りを もららすだけでなく
大雨の際には ため池としての役割を 果たし
下流に広がる平野の洪水を 軽減してくれる
田に引かれた 水の一部は 地下に浸透し
地下水となって 下流部を潤す
人々の手によって 水循環が つくられていた
山の傾斜地を 何段もの 棚田にすることは
いかにも 山国らしい工夫で 苦労だが
美しい景観をなす 棚田は
稲の稔りを もたらすだけでなく
ダムとして 水の恵みを安定していただける
役割を 果たしていた
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崇神天皇(第10代 3世紀?)
「農は 天下のものである
民の生きていく 命綱である
今 河内の狭山の田には 水が 少ない
この地域では 十分に農が できないでいる
池溝を 多く掘って 民のなりわいを 広めよ」
河内のこむくに 大溝を 掘る
石河の水が 引けるようになり
多くの田が できて
この地の百姓は 豊かに にぎわうようになり
凶作の憂いは なくなった
先頃 世界遺産に認定された 仁徳天皇陵は
全国にある16万基もの 古墳のうち 最大
当時 大阪平野が 広がりつつあった
そこで 田を 広げるべく
多くのため池や灌漑水路が 造られた
そこから得られた 膨大な土で 古墳が 造られた
その事を「世界が称賛する 日本人が 知らない」
こうして造られた ため池が
現在でも 全国で21万も ある
ご先祖様により 2千年に わたって
営々と造られてきた
調整池が 機能
「19号台風から 首都圏大洪水防げた」
荒川の調整池である 彩湖や
利根川水系の渡良瀬川が 流入する
渡良瀬遊水地にも 大量の水が 流れ込んでおり
「調整池が 機能し 下流の首都圏の大洪水を 防いだ」
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12世紀 後半には
山間部に散在する溜池から 水をいただいていた
やがて 近くの川に 大きな堰を設け
そこから 用水路で 水を引き
広範囲に分配するシステムを
15世紀から 16世紀までに構築していった
耕地面積に伴い 全国の人口は 大きく伸び
現在の 日本社会の基礎を 形作っていった
時代を超え 地域を越えて
人々の水をめぐる知恵や技術が 進歩し 引き継がれ
やがて 国土の姿を 変えていった
ご先祖様たちは 水を司る神々を 拝みながら
その恐ろしさを 最小限に 食い止めつつ
その恵みを 最大限に いただけるよう
知恵と努力を積み重ねてきた
その結果が 今日 我々が 生かされている 日本国土
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世界では 7億の人々が 安全な水を 飲めずと 述べた
バングラデシュの農村地帯
その地域は 灌漑が うまくいって いなくて
雨期になると 毎年 洪水に悩まされて
農家の暮らしは 貧しいもの
どこへ行っても 泥水ばかり
溜池が たくさんあり
顔を洗うのも 髪の毛を 洗うのも
鍋や食器を洗うのも 洗濯するのも
その溜池の泥水を 使っていた
日本人が 指導している農場が ある
そこでは 井戸を掘ったことで
清らかな水が 滾々(こんこん)と
湧き出るように なった
用水路には
その清らかな水が 豊かに流れて来ていた
バングラデシュで
泥水ばかり見ていたせいか
重苦しい気分が 続いてた
ところが その清らかな水を見た 途端
そういう 重苦しい気分が サーっと
洗い流されるように 気分爽快に なった
泥水を飲み 泥水で 顔を洗っていたら
それが 当たり前になってしまう
そういう人々でも 井戸から流れ出る
清らかな水を見れば 美しいと 気がつき
飲めば おいしいと 思うだろう
その思いの 究極
水は 様々な神様の賜だと 感謝し
水の力や 美しさを「力水」「みずみずしい」
などの 言葉に籠めた 日本人
先人は その感謝と感性が 原動力となって
何世紀にも わたって 清らかな水の恵みを
各地に広げるべく 溜池や水路を 作りつづけた
自分が住む フィリピン・ダバオ市も
水に恵まれた街 水道水が そのまま飲める
蛇口を ひねるたびに
その向こう側に 思いを寄せる
現代に生きる我々は 蛇口をひねれば
自動的に 水が出るのは 当たり前で
出てこなかったら
「水道局は 何をしているのか」と 文句を言う
しかし 蛇口の向こうには
雨を受けとめる 水源林が あり
それを集めて流す 溜池や水路がある
それらは 我々のご先祖様が 2千年ほどかけて
水の神々を お祀りしながら
営々と築き上げたもの
そういう幸福を 持てない
バングラデシュの 人々に比べれば
何という 豊かな恵み
こう考えれば 我々も 子孫に対して
ご先祖様から受けついた 恵みを
さらに大きくして 遺していかなければ ならない
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振り返ってみたら
水に 求めすぎて いないかなって
水のせいに してないかつて
「自分の基準を 自分以外に置くのも アリだよ」
台風情報
仕事で提供している人の 全国情報よりも
地元で 発信し続けている人の 情報の方が
刻々変わる 町の状況が わかりやすく
危険を避け 役に立つ
目の前の状況を どんなタイミングで
どんな情報として 発信すれば 役に立つか
知らず 知らずのうちに 投稿していた
写真の撮り方も 動画の撮り方も
それに合わせた コメントなども
地元の固有名詞を 使い 的確だった
町民の情報が 地元ラジオ局にも 集まる
避難所までいく 今 安全な道が 放送される
役場が 放送する声は 雨音で聞こえなかった
この体験から得た 気付きは
「投稿は SNS慣れしている人に 任せる」
投稿技能は 台風の状況把握で 役に立つ
「町民 台風対策 情報ボランティア」として
システム化 できないものかなぁ
気象庁だけの報道では すでに時代遅れ
テレビでは「命は 守れない」ことも 学んだ
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原発に対しては
何百年 何千年先を 見据えた
人々の安全な暮らしと
エネルギーの安定的供給を 主張する人たちが
こと 治水事業に関しては
まったく 何も語ろうと しないし
それどころか 国の予算の無駄遣いだと 否定する
この背景にあるのは
「いまさえ よければいい」と いう
戦後利権屋の思想と
自然と共生し みんなが 良くなることを
優先しようという 日本古来の思想の
対立のようにも思える
けれど 私たちの祖先は
そういう目先の利益や 損得だけに
汲々とする人のことを
守銭奴といって 軽蔑してきた
長い目で見て 必要な ことのために
たとえ それが 自分ひとりの 世代では
実現できないような ことで あっても
何代も かけて これを 実現してきたし
その証拠が 私たちの目の前に
「巨大な堤防」という姿で
明確に見せてもくれている
古来 わが国は 治水と政治が 一体だった
暴れる利根川の河口を 江戸から 銚子に移した
徳川家康の「利根川東遷」
甲斐の暴れ川を 非連続の石堤で鎮めた
武田信玄の「信玄堤」と 治水の技が
世を治めてきた
先進技術は 今やスーパー堤防の時代
それで 列島を 守り切れるのか?
篠(しの)突く雨が バケツを引っ繰り返した
雨になる
営々と続いてきた 先祖からの治水事業
これからも 世代に引き継ぎ続けて
いかなければ ならないだろう
「想定以上の事が 起きる事を前提」とした 上で
堤防とか どうするのか
ハザードマップなどで
川の近くに 住んでいる人たちが
何かあった時に どうしょうって 考えるのが
減災でしょう
一人でも 命を落とす事が 無くなるように
防災を 訴えたい









