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           ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines

                
            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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ィリピンに 旅した人が ホテルにチェックイン
すると こんな説明を受けた
「ドリアンの 室内持ち込みは 罰金です」

なめらかで クリーミーな甘みを 持ちながら
強烈な においを発する「果物の王様」ドリアン

受付係のユドさん(31)に よると
部屋に付いた臭いは 1週間は 取れないという
このため 喫煙と同じ罰金で 規制している

今の世の中「無臭」が スタンダード?
自分は そのスタンダードな状態に なれない
フィリピンの においに とりつかれれている

ファーストクラスで 来た
海外移住に 憧れる 同年輩の知人
フィリピンを訪れ いる間 
当地の批判を ひっきりなしにしていた

フィリピンは 途上国なんだ・・
そこを 面白がれよ

過去の 戦争の影響から
フィリピン人の中には 日本に対して
必ずしも 良い印象を持っていない人も いる

年々給与水準が上がる フィリピン人に とって
言語の問題も クリアしなければならない 日本は
出稼ぎ先としての魅力も 下がっている と聞く

知人には
「日本が 好きならば 海外に住みたいなどと
   言わない方が いい」と 忠告した

世界って 以外と質素なもの

「自分のことを ちゃんと 分かってくれる
   そんな人たちが いるところで 暮らしたい」
そんな 気持ちが 強ければ フィリピンは セーフ



 

何もしない時間が 無駄じゃ ないんですか

ああ 無駄じゃない

何も 考えなくて いいときって
すごく ハッピーじゃ ないか?

ハッピーね  本当に ハッピーですか?

いや  あんたは 
フィリピンと親友になれるな ふ ふ ふ

南国の果物は エロく匂う エロいは うまい
ドリアンが シーズンを迎えた 精力増強果実



 

やぁ! みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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ィリピンに 触れ合っていると
余計な物は どんどん 削ぎ落とされる

 

旨いもん食べ 海を見ているうちに
論理思考から 感覚思考に 変わる
自分を脱ぎ捨て 感覚を 面白がる

「なりたい自分」を 思い描き
人生 つかみとったもん 勝ち!



 

誰にでも 当てはまる “正解” なんて ない
ですが ここに おおらかな年寄りが いる
好感を持てる そんな人は やさしい
年寄り扱いされるのは 好きじゃないようで
若々しい雰囲気があり アクティブに 旅もする

パソコンを 使いこなしたり
「アミちゃんと同じ 携帯電話が ほしい」と
スマートフォンを 持ったり

遊びに行くと「ランチを作ったよ」と
お洒落な もてなしを してくれたり
こんな 歳の取り方もある・・ と 思わせた
フィリピンでの 日本人 老い人の存在

「写真ありがとう 楽しそうで いいね! 



 

団塊なら みんな 老いと向き合っている
PCは 古くなり 新しいアプリが 開けない
うまくメールが うてない! 
足が痛くて 歩けない! 
目がくしゃくしゃで 読めない! 
頭が 理解不能! 
もう まともじゃないんだよ この先 どうしたら・・
でも 自分が オリジナルの生き方
生き方 死に方を つかむための道程

「ここんとこ 読んでみて ラーメン作ってる あいだ」
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つひにゆく道とは かねて聞きしかど
昨日今日とは 思はざりしを

誰もが 最期に通る道と 聞いては いたけれど
まさか 自分にとって 昨日今日 だったとは
思いもしなかったよ と嘆く

ページを くくりながら 思い当たった

人間一人 死ぬのは ただ 一度のこと
生と死 境界を超越した 成熟した行為
死ぬときは 厳粛に 立派に そうやって 死のう 
いろいろな人や できごとの おかげで できる

正解とか 常識とか フィリピンでは 曖昧
大切な人が いて 仲間がいて 面白くて 
好きな家で 生きていられれば それで十分
一人を 嫌がらず 楽しむ



 

このひと月 詩を 書いていた

安寧をもたらす言葉は 意味に 支配されない
意味に還元されない すべてのものを ふくんで
それら すべてのイメージとしての「言葉」が
「わかるかどうか」や「いいわるい」という
二項対立の のろいから 救い上げる



 

詩を 丁寧に 読み返している
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間には 体と心 そして「いのち」が ある
むしろ「いのち」が 体と心を包んでいる

「生きがい」という 問題も ある
「生きがい」の発見とは 居場所の発見

どんなに 才能や経験が あっても
居場所が なければ「生きがい」は 花開かない

「人間の生活」を 見据えている人は
生活の中に 量ではなくて 質を見ている

「量的」な ものには 代わりがある
「質的」で あるとは ひとつしか ないもの 

自分の「いのち」

「いのち」を 見つめる姿勢を 取り戻す
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んが 人にすること

別に 宣告されたわけでは ない
70年も 生きれば 何かしらの がんは 
身に巣食っている 気付かないほうが いい

先のある 若い方は 別だよ



70歳 死が 現実的に そばにある
がん患者の 老い人を「殺す」方法
体力を奪う大手術 術後の 抗がん剤副作用
治療という物差しだけでは 現実を 見誤る

統計によると 自分の死因は「がん」
身近な人の多くも がんで 亡くしてきた

人間は いつかは 死ぬ

だから 考えても 仕方ない
仕方ないことは 考えないという人
そんな人にも 自分の人生に 集中するために
「癌」という仕掛けが 施されてくる

自分は 死ぬ時を アタマの隅において
安らかに死ぬこと 苦しみもない 往生
そんな 死に方を 思う 
フィリピンに居るから できる

本や映画から そういう
「覚悟」めいたものを 受け取る

黒沢明「生きる」
マイケル・キートン「マイ・ライフ」
あるいは「死ぬまでにしたい10のこと」
これらは 癌を 宣告された 主人公が
死を自覚することで 生の輝きを 取り戻す


 
 

「いま」「ここ」「自分」に とって

人生で やりたかった ことを
10のリストに書き出し 順番に実行する
映画「死ぬまでにしたい10のこと」は
そのリストが 単純で 簡単なものだった
観る人は 自らを 振り返る
残された日を 知らされ 気づく

やりたいことは
「もう充分」とは 言えないけれど
「やってない」「手をつけてない」わけでは ない

けれど 家族は?と 

考えるだけで 熱くなってくる
できれば 黙って 消えていきたい

そういうわけには いかない
遅かれ早かれ いずれは 分かる
そして 自分自身が 

家族のサポートを 必要とする時がくる 必ず

いつまでも 続くかに見えた 日常
がん宣告を機に 変わり始める

最後まで 黙っていた ほうが
いいんじゃ ないのか その思いが 透ける
エゴと優しさを 一緒に 抱えたまま

自分が 癌と宣告されたら
悩む 少し泣くかもしれない

今から 態度を決める 無理だろう

「覚悟」には 程遠いが
そのとき 考えるのでは なく 
いま 考えておきたい
 
癌に 自信なく うろたえる
「どこか」に「なにか」が あるはずだ・・
ネット相手に 療法を 探し回ったり
「勉強」を はじめてしまう

「自分が 10人いれば すべての療法を 試す・・」
治療のすきまに あせりが 読み取れて いるうち
ブツっと 途切れるように 逝った 命の終り

自分の時間を 生きるので あれば
医師を 信頼するのが 最初だろう
自分も 同じような 罠にはまる
これを lifetime-eater という「罠」だと 気づいた

後で 思い出すために
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「がんと闘う」のでは ない「がんとつきあう」

がん細胞という "悪いやつ" が いて
そいつを やっつける わけじゃない
がんも 自分の細胞なんだし
それを 否定すれば 自分を否定すること?
だから がんを ひっくるめて 生きる

増殖する がん細胞と
がん細胞を 食べる細胞が せめぎあう
体の働き そのカラダに 任せておく
信頼している「流れを 操作しない」

思うように ならなかった 日でも
「今日は 今日で よかった」と 思う



 

「期待しない それで すべて 上手くいく」
自分のことばかり 考えていると
気持ちを 病むように 人間は できている

少しでも 他人のことを 考える
「あの人 今日は どうしている のかな」
「この草 枯れそう」とか
自分以外のことを 考える余裕が あれば
外から エネルギーが 入ってくる

“楽しさ” ですよね “笑い” に勝る 薬は ない 



 

人は 生きる上で 色んなことを
主体的に 選択する権利を 持っている
でも 死に方について だけは 違う

そもそも 100年 生きたいですか?
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類は がんを どのように理解したか

手術に対する 恐れも 不安もない
医師は 良かれと 手術したのに

がんは ゆっくり準備され
急速に広まる ステージの進行
対抗する 研究治療のリミットは
時限ミステリーのように 描かれる

がんの理解は 
試行錯誤と回り道の 積み重ね
どの治療法が 功を奏して
どのやり方が 闇に葬られたか

後知恵だから 分かるのだが
そのときの "実験体" となった 人の話は
胸に迫るものが ある

「がんを 殲滅できる 魔法が ある」
そんな信念で 握ったメスによる 根治的切除術
超大量化学療法 強力な放射線医療を施した 事例

無慈悲で 冷酷なまでの 執拗さで
患者が 副作用に耐えうる 限界を 押し広げ
そうして いかなければならない 姿勢は
医学の未来を 明るくとらえた 無邪気の裏返し
そして そうした 先人の積み重ねの跡に
いまが 成り立っている

がんとの闘いの 統計的な 成績表
「何ひとつ 無駄な努力は なかった」には
こみあげる感情を 抑えることが できない

一方で 強烈な違和感を 抱く がんに対する姿勢 
医師たちは がんとは 闘う相手であり
殲滅すべき「敵」として 扱っている

この姿勢は 救うべき患者自身を
攻撃することに ならないだろうか



 

「先生は 私を 見ていない

   私の がんしか 見ていない

   だから 過酷な治療 こんなこと できるのだ」

“こんなこと” とは
メス 薬 放射線による がん攻撃で
死滅させるなら がんの母体である
私を 殺してしまっても かまわない

がん込みで「私」が あることに
先生は 気づけ なかった
そして そう 感じたとき
医師に 問うべき 質問を 教えてくれた

先生 あなたが 私と同じ状況だったら 
私にしている療法を 選びますか?

それは 残りの命も 考慮しながら
「根治を 目指す」保証は ない ならば
「がんと 折り合いを つける」療法は・・

がんの系譜を たどることで
最後は 自分自身に至る
がんの理解は 自身の理解に つながる
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しい 死に方とは?」

人は 死ぬ 確定している
どのように生きるかは 未確定
生き方を選べるように 死に方も 選べるか

自分の死について 考えたことで あり
読み手である「あなた」に 当てはまるかな?
一般化できる点も あれば
自分 個人に留まるものも ある

老齢でも 達者で ピンピンしていたが
冬のある日 あっという間もなく
コロリと 死んでしまう 「ぽっくり逝く」
死に方の 理想のように 扱われている
これは 良い死に方では ない?

家族や親しい人と お別れの挨拶を したり
死に水を 取ってもらう 時間は ない
身の回りの整理を したり
伝えておきたいメッセージも 残せない

一人暮らしで 突然死なら 孤独死
誰かに見つけてもらうまで そのまま

死ぬほうに とってみれば
「えっ! もう終わり!?」と 思う
死なれる側にとってみれば 悔いが 残る 

猶予もなく 言葉もなく
突然 人生が 断ち切られるように 死ぬのは
自分にとって「良い死」では ない

「良い死」とか「悪い死」といった
死に方に 良し悪しは あるのだろうか?

その答え「ある」

上々の人生を 送ってきたのに
最悪の 死に方をする人も いるし
悲惨な 人生だったが
最期は 安らかだったという人も いる

現代は「悪い死に方」が 多い
法のもとに医者が 死を管理する「死の医療化」
自律的で 安らかな「良い死」を 阻害する

長い慢性病の末に 病によって 

知力と意思疎通の能力が 失われ
食事 着替え トイレといった

日常動作さえ 介助が 必要になる

食べる 飲むという楽しみは 遠い記憶
最後を 自宅で過ごせる可能性は 低い

長い衰弱の後に 死は 突然訪れる
処置室では 知らない人間に 囲まれ
鎮静剤を与えられて 苦痛はなく 意識もない
家族や友人に 別れを告げる機会も ない
いまの「院内での 死に方」

死にかかっている人は 
あまりに疲れ 消耗しており

「尊厳死」するほど「崇高」では ない

医者は「良い死」の処方箋を 書くとは 限らない
家族から「できるだけのことを して下さい」
と言われたら 医者である 立場上
そうしないわけには いかない
「できるだけのこと」を 尽くすほど
「良い死」から 離れてゆく

家族は 死に行く人を
「がんばれ」「大丈夫」と 励ます
嘘をつくのは 希望を 失わせない善意

死が 近い人は その結果
「希望を 失わせない」アリバイ作りのため
無益な医療が 押し付けられる
しなくてもいい 苦痛を味わせ
惨めな思いをしながら 死んでゆく

死ぬのは 1回だけ 何度も 試すことは できない

多くの死に 立ち会ってきた医者たちが
望む死に方だと考える事には 説得力が ある

医者が 薦める死に方は
医者が 患者に施している方法と 全く異なる
医者は 自分に対して やってほしくない 医療を
患者に対して 行っている
医者は 自分に対し やってほしくない医療として
「胃ろう」を 取り上げる

胃ろうは 患者のためというよりも
家族と医者の 感情的&経済的な問題を
解決するためだという結論を 打ち明ける

医者の本来の仕事は 病気の治療だ 
死を タブー化し 社会から隠そうとした 結果
解決不能な ごたごたが 医者に 押し付けられた
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「寝たきり老人」が
日本にはいて 欧米には いない

理由は 本人の決断で
「寝たきりに なる前に 
   延命治療を 拒否して 死ぬ」

数十年前までは 欧米でも日本と同様
終末期の高齢者に対し 濃厚医療が 普通だった
医者は「できるだけ生かす」ことに 注力し
死にゆく人が 何を望んでいるかは 二の次

この「無理やり生かすやり方」が 
倫理的でない という考えが 広まり
終末期は「食べるだけ・飲めるだけ」で
看取られるのが 社会常識になった

こういった考え方が 欧米では 広まっても
日本では 広まらないのは なぜ?

「宗教観や 人生観が 違うから」では ない

寝たきり老人を 量産することが
医者と家族双方の 利益にかなっている
日本の「延命医療主義」の 裏には
医療関係者と高齢者を抱える家族との
共犯関係に ある

いざ 親の死に 直面した家族は 
本人の意志に関係なく
延命措置を 強く希望するのが 常

医者は 家族の要望に 沿うべく
「生かす」ことに 尽力する

急に体調を崩し 救急車を 呼んだところから
寝たきりへの道は 用意されている

濃厚医療を 行わざるを得ない 理由
病院では ベッド数を 増やせないため
診療報酬が高くなる 中心静脈栄養や
人工呼吸器装着を 行うことで
ベッドあたりの "利益" を 増やす 経営判断

延命を 希望しない
患者本人の 終末期医療についての
文書による 意思表示が あったとしても
日本で 法制化されていない 以上
延命措置を 怠ったとして
遺族から 訴訟を起こされる 可能性が ある
病院側は リスクを回避 濃厚医療を 選択する

悲しみを 先送りしたい家族と
利益を最大化・リスクを 最小化したい病院
関係者の都合が 優先され
本人の意思は 二の次に される

家族の 終末期の治療や 処置において
医師が 判断を 求められたら どう答えるか?

「先生ご自身が こうなられたら
   どういう処置を 望みますか」と 聞く

 

家族の場合なら
「先生の お母様が こうなられたら~」と 置き換える

ひとりの個人として 答えてもらう
医者としては 言いにくいことも 伝えてくれる
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後は・・どうか 幸せな記憶を
フィリピンに習う 死に方

大切な人などに 世話や迷惑を かける
人生の最後の時間が そうできれば
『お守り』の よう

いまの日本は 老いては 独居か1世帯2人
長時間ヘルパーを 雇える 金持ちは 別ですが
介護施設などを 充実させた社会が 面倒を みる
迷惑を かけても いいんだよ
「安心して 生きていられる」と 思える社会
老いていくのに 迷惑をかけても いい社会
そんな環境に 日本は なっていない

今の 日本は 超高齢社会なのに
自分の老後は 自分で どうぞ といった
「自助」自己責任が 迫られる社会

「何を 理想ばかり 言っているのか」と
言われても それでも 自分は そう思う

死のことより 
今 何をするかを 考えるほうが 楽しい

「おーい おはよ〜 ジンさーん」
ミツオさんは 毎朝 散歩の途中
名前を あかるく高らかに 呼びながら
手を振り振り 近づいてくる
庭を掃く 自分の手も 止まるほど

フィリピンにも 百歳近い 老人が いる
はじめて 会った時「百歳です」と 言ってた
十年経っても まだ「百歳です」と 可笑しい
 
「はーい おはようございまーす」
おなかから声を 出す こんな大声
小学生のころ 先生に挨拶をしていたころ 以来
澄んだ空気が 肺いっぱい 入ってくる

「おー ジンさん 朝から元気だねえ
   よかった よかった」
 
「はい 鳥たちも 元気  空気が おいしいですね」
 
ミツオさんと 自分は
もう何回 この会話を 繰り返しただろう
相手の顔色が 優れないな と思うときは
おたがい 哀しくなり

「お大事にねえ」と ねぎらう
ミツオさんの おろおろした 大声の励ましに
すこし 笑える
 
「今日も一日 生きるのを ガンバロー
   エイ エイ オー」
ミツオさんの かけ声の定番
これが なくっちゃ 一日が 始まらない

ミツオさんは 目が 見えなくなって きているから
一日一日が ほんとうに 貴重

いつか 人生最後の旅に 出るとき
私たちは この朝を 思い出すだろうね
こういう話も 私たちは 平気でする
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ックスをする機会は 月に 数回くらい
ミツオさんに とっては 丁度良い感じらしい
もちろん性生活にも 好不調の波は あるけど
ミツオさんは 心底喜んでいる 

がんを 受け入れ 人間 まるごと とらえ 
老いに身を 任せながら よりよく生きている

島の自然 空に繋がる海 鳥たちや生物に 心打たれ
パラダイスに 近づいた 手ごたえを 感じていた
愛する女性と楽園の島を 手に入れていた



 

心のときめきを 失わないことが がん養生
「ときめき そいつは なんといっても 女だよ!」

かたわらには 島の女性が 寄り添っていた

ミツオさんが 81歳で 亡くなる 少し前のこと
自宅に お見舞いに行きました
固形物が のどを通らないよう でしたので
ロイヤルゼリーを 持っていった

寝たきりの 状態でも
頭は しっかりして 話は できる
ロイヤルゼリーを 渡すと ニッコリして
「これを食べると また できるかな」と
かたわらには いつものように 
若い女性が 笑みを浮かべ 寄り添っている

この人 魚の食べ方が へただった
目玉焼きには ウスターソースを かけるの
今は 好きなものを 食べられるだけ
飲みたいモノを 飲めるだけ・・ 


 

風の吹き通る 涼しい所で 寝たければ 眠る
ほどけていく 暑いのも 苦しいのも 痛いのも
死を待つ人の居場所 昏睡状態に 入っていく
昔からの この島の死に方だと 女性は 言った 

感服したのは そんな話しの 後
ミツオさんが ロイヤルゼリーを 
すぐに食べると 言いだし
かたわらの女性が スプーンで 食べさせた
うまく食べられずに こぼれて
口のまわりが ベタベタに なってしまった

そうしたら 女性は
ベトベトの 口のまわりを 舐めだした
本物の島の女だ 自然な愛情に しびれた
そうした女性に 寄り添われた ミツオさん

80歳を 過ぎても 女性に優しかった
最後まで 恋心を 失わない人でした
老いとは 関係なく
みずみずしい恋心を 持ち続けたからこそ
連れ添う女性と 深い愛情で 結ばれていた

好きな感情が 継続して
その感情を 肉体で 確かめて いたのだろう
人間本来の まっとうな営みに 見える
からだ ぬくもり この営みの確かさと 切実さ
とても 心地よい 
日本の老い人の 求めた最期
死の楽園が フィリピンに あった

ミツオさんと女性との付き合いは 達人の域
がんの養生 死ぬまで 女性が 付き添った

 

 

ミツオさん 独り言を
鯨のような 優雅で 頑健な肉体をもち
西も東もない海を 泳ぎ続けたい と
その話しが 印象に 残った

西も東もない 時間が とけた海に
この言葉を そっと ガラス瓶に入れて 投げる

ミツオさんに 届くかもしれないし
生まれても いない人に 届くかもしれない

死を想像するのは いつも 海なんですよね

病院では なく 
家でなら 穏やかな最期を 迎えられる

人間 終末期には 次第に 食べる量が 減り
自然に苦痛をも 感じにくくなる
生理的メカニズムが 働き 死の準備を 体がしていく

「平穏死」を 受け入れた ミツオさん
老衰を受け止め 穏やかな死に あゆむ
死の床に就き 彼岸へと旅たった

 

寄りそう女性も 死を受け入れて
7日間 灯明を絶やさず 遺体を 守る

「肉体の死で 終わりではなく
まだ そこにある魂を 残った者が 引き継ぐ
その時間にも 立ち会う



 

「こんな 死に方の老人 少なくなった」と
自分のことを 棚にあげて 嘆いている

自然死というのは 餓死
老衰や病気で 身体機能が 落ちてくる
自然ものを 食べなくなり 水分だけを 取り
枯れるように死んでいく 理想的な 死

 

病院では なかなかそうは させてくれない

フィリピンでは 死後の処置 
エンゼルケアが 行われる
ヒューマニティーの語源は『埋葬する』
遺体を粗末にして 人を愛することなど
できるはずが ない

苦しまないと 死ねない日本では 上手に 死ねない