□□■─────────────────────■□□
ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
□□■─────────────────────■□□
「池正」の 全集は 図書館にあり
1冊の厚さが 5センチから 8センチくらい
装丁も立派で とにかく重い
活字は 小さいし 行間も狭い
読むには 目が疲れることも あり
1冊読了するにも かなりな時間を 要する
この全集を 読んだのは 日本でのこと
退職直後 まだ 遊び事に 手を出す前
たっぷりと 自由な時間が あった
池波全集の後は 自然の流れで
「藤沢周平」に 熱中した
初めの数作は その内容の暗さから
興味が 薄れそうになった
「よろずや平四郎活人剣」を 読んで
印象が がらり変わった
非常に明るくて 楽しい作風が 生まれ
今までの暗い作品と 明暗の両面が 際立って
感ずるようになった

本を読む 想像力の涵養(かんよう)
この話は この先 どうなるのか
この風景って きれいだなと 頭の中で思い浮かべる
この人は どんな顔してるんだろうって
自分の中で 生き生きと それを よみがえらせる
想像無きところに 創造無し
ものを考える 想像 これが できていないと
ものを つくりだす創造って いうのが 出来ない
創造というのは ものをつくり出す だけで なくて
自分の人生を つくり出していくことにも 関わる
本に登場する 主人公のことを 好きになり
ページを めくっていると
主人公が すぐそこにいて しゃべったり
動いたり しているかのように 錯覚する
池波さんが 亡くなり
しばらくして 藤沢さんも 鬼籍に入った
「これで 時代小説は 終わったな!」
侍言葉を書ける 書き手が いなくなった
本で 遊ぶことなんです 自分が 楽しむこと
こうやって 読んできた 本のことを
幼少期から 思い出すと
「いつも 傍らに 本があった人生だったな」って
何万冊読んでいるタイプじゃ ないけれど
それでも 人生は 本で形作られたんだなって
やぁ! みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
■□■□■────────────────────
【淪落 りんらく】落ちぶれること
落ちぶれて 身を もちくずすこと
普段 耳にしない言葉
林芙美子の『淪落』
坂口安吾の『淪落の青春』くらいか
映画『淪落人』邦題『みじめな人』
観終わったら「みじめな人」どころ か
アナタ そりゃもうねぇ・・
工事現場での事故で
全身麻痺状態に なってしまった
香港に暮らす 初老の男性・昌榮
孤独を 強いられる 彼のもとに
フィリピンから 住み込み介護の
家政婦が やってくる
彼女 イヴリンは 広東語を話せない
コミュニケーションが とれず
イライラを つのらせる 昌榮
ひたむきに介護を続ける イヴリンの姿
ゆるやかに 彼の心を ときほぐし
二人は 親友のような 関係になっていく
中国語で「阿媽(アマ)」と 呼ばれる
フィリピン人を 中心とした 出稼ぎ外国人家政婦
香港社会を支える 欠かせない 人材
香港人雇用主と阿媽
限りなく 愛情に近い 友情のドラマ
ありそうで なかった映画
電動車いす生活の主人公
下半身だけでなく 手も 満足に動かせない
重い障害を持ったが ために 気難しくなって
アマさん(家政婦)を 次々と変えていく 昌榮
障碍者と外国人家政婦
アマさんが 置かれている 社会的な ポジション
現状は厳しい 日本よりも 平均寿命が 長い香港
障碍者だけでなく 独居老人と
どう 対峙してゆくのか 思いを 巡らせるに
暗澹たる気持ちに ならざるを得ない 香港の現状
フィリピン人に 代表される 外国人家政婦
本来は 共働きの夫婦に代わって 家事や子供 親の世話を
任せるという 存在だった
住込みから 週1回 数時間まで 何らかの形で
アマさんを 雇っている家庭が ほとんど
子供が フィリピン訛りの英語を 覚えてしまう
文句言ってる 香港人も 多い
「お前の英語 どれほど 美しいねん?」
作中で イヴリンが
八百屋の おばはんに 意地悪される場面
香港の経済活動を 家庭から支えている 割には
待遇も含め アマたちを見る 世間の目は
温かいもの ばかりでは ない
香港人が もっと「自分のこと」として
意識を 高めなくては ならない 問題
主役の二人が 「体当たり」で 演じたから こそ
現実を 赤裸々に 浮き彫りにした
昌榮とイヴリンの間には
雇主とアマ 香港人とフィリピン人
障碍者と健常者という壁を 取っ払った
「情」の通じ合う関係が 紡がれて ゆく
そこに 至るまでに
いくつもの衝突や すれ違い 不理解などが あった
それゆえ 終盤になるにつれ 目が 湿り気を 増していった
昌榮が 次第に 穏やかな表情に なっていく
同じように 不安しかない表情だった イヴリンが
いつの間にか 自信にあふれた 明るい表情になっていた
この変化が 観る者を 穏やかな気分に させた
まるで「おとぎばなし」を 見ているかのよう
現実の社会が そうあって欲しい そんな思いで
エンドロールを 見つめていた
あーだの こーだと「書くのも言うのも簡単」
現実は もっと複雑で 切なくて やるせなくて
腹立たしくて 憎たらしくて・・
港題 『淪落人』
英題 『Still Human』
邦題 『みじめな人』
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=3C6Ak_iLiB8&feature=youtu.be
■□■□■────────────────────
年を とれば とるほど 人間らしく いられるか
というと そういう もんでも ない
勢いがあって 脂が のってきて
そこから 味が 出てきて
落ち着いて アクが抜け 枯れてきて
人間の生き様は 移り変わる
衰えを 経験で幾分かは 克服できる
だが 足が 達者じゃなければ それまで
周りの環境も 変わって いった
同世代は どんどん年とって 先に 死んでいく
憧れた 米映画「イージー・ライダー」
俳優 ピーター・フォンダが 死んだ (79)
反体制派なのに その 薄い色のサングラスのままに
妙な気負いなど まるで 感じさせなかった
静かなたたずまいは 切れ味抜群の刀を
いつでも 抜く 覚悟ある 侍のよう

「アンタらの その長髪や格好が 象徴する
『自由』って やつを この国は 一番恐れてるんだ」
法の下の 制約付き自由「リバティー」じゃなく
誰からも 妨害されず 個人の意思で 行動するのが
「フリーダム」英語の授業より先に
我らは 銀幕で 教えられた
50万人の若者たちが 集まった
野外音楽祭ウッドストック・フェスティバル
開かれたのは 50年前の 8月
1960年代に育ってきた 我々 団塊
混乱と動揺 激情 そのすべてを 感じてきた
泥沼化するベトナム戦争
人種暴動や政治家の暗殺
さまざまな問題で 憧れた米国は 揺れていた
社会の 至るところにできた亀裂を 修復すべき時
そう感じたと 団塊たちは 回想する
反戦運動や環境保護 女性の権利拡大
社会を 変革するために 何が できるのか
若者の意識改革を ウッドストックが
力強く 後押しし 世の中が 変わっていった
周りが いつの間にか 年下に なっていて
老いた 自分を 扱いにくそうに してる
人は 必ず年を取る
どうやって 我々は 克服するのか
自分は まだ よくわからない
今までの 積み重ねしか ないんだろうな
その歳に ふさわしく・・
何事も 今までの 積み重ね
これまでの 積み重ねだけが 判断の知軸
周りにいる 70代 80代の方々も
「必要として もらえるうちは・・」
なんて 言ってました が
人間は 必要とされなければ 存在感を 失う
若い頃から どう過ごしてきたかを 問うている
若い頃からの蓄積が 一生 ものをいう
70年代は 日本の転換期だった
60年代まで 日本の戦後復興は 目覚ましく
70年代には 経済大国に成長した
その結果 これまでの「みんなで 支えあって」が
希薄化 核家族化が 進んだ
家族が そろって暮らせる
当たり前の生活に 何が 必要だった のか
成れの果てが 団塊たちの老いだ
死を 感じられる現実を 生きている
■□■□■────────────────────
お盆という時期でも あるので
もう少し 鬼や閻魔様に いてもらう
いろはかるたの中には 地獄の沙汰も金次第
閻魔様の裁きも 金の力で 自由になるという
金さえあれば この世では 何でもできる意
閻魔様の裁き 地獄行きの決定も
金の力で いかようにもなる というのですが
いつ どの段階で「金の力」が 効くのでしょうか
どうも その辺の事情が はっきりしない
閻魔様は 死者の生前の行いを 記録した
「閻魔帳」を もとに
「極楽行き」か「地獄行き」かを 採決する
その場で お金を渡して つまり賄賂ですね
閻魔様が 地獄行きを 取りやめにしてくれる
のでしょうか
どんなに 金持ちでも お棺の中に までは
お金は いれませんし 持っていけません
三途の川の 渡し賃の六文銭だけ
閻魔様 怖い 怖い姿で 描かれているが
別のお姿では なんと 地蔵菩薩
現世では 地蔵菩薩のお姿で
私たちのことを 見守って くださっている
見守っているからこそ 良き行いは もちろん
悪い行いも みんな見ていて
閻魔帳に 書かれているのかも しれません
地獄と地蔵菩薩は 繋がりが ある
「三途の川の渡し賃 六文銭」は
1文ずつ 河原にいる お地蔵様に渡す
六体のお地蔵様 そう六地蔵
京都には 六地蔵という地名が ありますし
民話『笠地蔵』は おそらく六体
五つの傘では 足らず 最後のお地蔵様には
おじいさんが 自分の手ぬぐいを 巻いている
さてこの『笠地蔵』の おじいさんは
お金は あまりない 貧しい おじいさん
きっと「金次第」と 言われるのに 関係なく
善行の施しで きっと 極楽行きでしたでしょう
「習慣」は 個人的な行動様式
「慣習」は 特別なグループ内で
引き継がれてきた 行動様式
「風習」は「風俗習慣」といい 行為伝承
お盆や祭りの類は「風習」の ひとつ
その土地の 土 地形 歴史から醸成され
時間の経過と ともに 文化や風習になる
文化や風習は その土地で 生活する人々の
知恵や経験が 活かされている
人間の想いの集積が 文化や風習になった
それは 歴史が 長ければ 長いほど
容易に 穿つことができないほどに 神格化し
よそ者は それと対峙した時に
どう向き合うのかが 問われることになる
とりわけ 神仏にまつわることは
何よりも 尊重すべきこと
先祖や亡くなった人が あの世から
こちらの世界に 戻ってくる
特別な日に 経済的価値とは 異なる
「価値観」について 考えた
経済活動が 止まる 有田のお盆
「すみません その時期は
『お盆』なので 働けません」
てっきり どこかに 遊びに行くのかと思い
「いいですね! 夏休みを 取られるのですね」
「どこに行くのですか?」と 聞きました
すると 奥様は 驚いて こう答えた
「ご先祖様が あちらの世界から
帰ってこられるのに
家を空けるなんで とんでもありません」
お盆は ご先祖様を お迎えする準備と
ここで 過ごして いただくために
色々しなければ いけないことが ある
ご先祖様や 亡くなった人が
帰る家の目印になるように 提灯を 玄関に灯す
初盆の場合は「白い提灯」を 飾る
この返事を 聞いた時
この地域には 自分が 知らない
お盆の過ごし方がある 気づき ハッとした
仏壇の飾り付けを 見ると
御膳が 二つある 聞くと
ひとつは「ご先祖様」の もの
もう ひとつは「餓鬼じょうろ様」の もの
「餓鬼じょうろ様」って なんです
帰るところがない 霊のことで
その霊は 誰からも 歓迎されなくて
気の毒なので こうやって お食事を 出す
茶碗に お箸が 数本刺さっているのは
餓鬼じょうろ様は 何人も いるから
住民が 400人にも 満たない
八重山諸島にある 竹富島では
島民あげての 祭りが ある
住民は 全員参加しなくては ならない祭り
大人は 仕事を休み
島を離れている人は 休暇をとって 戻ってくる
子どもも お祭りを手伝うため 休校
島全体が 経済よりも 学業よりも 祭りが 優先

島で 審判を受けた あの夜
彼は 自分に 二つの質問を した
暗闇を どう思うか?
もう ひとつは 神さまは いると思うか?
彼は 神様と共に生きている と言った
島民の若い男性だった
北の先住民族 アイヌが 行っていた
子熊を 数年育てた後
神の元へ 送り返すために殺害する
儀式「イオマンテ」
自然への感謝の気持ちや
畏敬の念が 込められた こうした儀式を通して知る 命
生命の循環や ダイナミックさが 伝わってくる
多くの風習が 失われている中で
今も 続いているものが あるとすれば
そこには なにか 必然が ある
人間の魂の 根源みたいな 話だけれど
「日本のお盆」に 向き合う
こうした風習が 未だに残る 地域文化が
集合 全体となって 日本と なっている
元駐日仏大使で 詩人のポール・クローデルは
戦争で 日本の敗色が 濃くなった 昭和18年
『世界で 生き残ってほしい民族を ひとつあげるなら
それは 日本だ』と 言った
珠玉のような その日本が
このままだと 消えてしまいそう
『失われた美風』
中のろうそくに 火をともすと
その熱で 円筒が ゆっくりと回り
薄い紙の上を 草花や人馬の影絵が 走る
お盆 飾られた回り灯籠が ほのかに光を放つ
〈走(そう)馬(ま)燈(とう)いのちを 賭けて
まはりけり〉
年末年始 お盆 冠婚葬祭
1年間で 父と一緒に過ごせるのは 数日だった
寡黙で 働き者だった と思う
内面まで 知り尽くしていたか 問われると
恥ずかしながら 自信が ない
■□■□■────────────────────
そこに しかない 景色や人
文化に 触れられるから 知らない地に憧れる
だが 人生は あまりに短く
訪れることができる場所は 限られる

日本人としての 常識的な人生は もう 充分やった
行き着いた国で 脱いで 脱いで 脱ぎまくる
自分の殻も 全部!
知らない街での 新たな出会い
人間同士 分かり合えるのは ほんの 一部分
大切に思う人が いる
この人の前なら 気取らず こびず
自然体で 居られる
彼女は 満面の笑みで 言った
一皿の向こう側「おいしい! 」
ほかの 女の人に 作らないでね
彼女が 28歳の時 知り合い 今 42歳になった
褐色の肌 大きな瞳のフィリピ女性
一緒にいれば 楽しく 笑顔が たえない
自分が 57歳から70の 今日までの間
大切な人と交わり 心の均衡を 保つことが できた
長い時間を掛けて 元気を とり戻していった
「愛にできることは まだ あるかい」
「私たちは どのくらい
お互いのことを 理解できていたんだろう」
フィリピンに移住した 後悔などは 無い
ぼんやり思ったのは ダバオの 暑さのせい
ダバオという街が ダバオの女が
演出してくれる劇に躍っているのに すぎない
ダバオで なにもせずに 暮らすっていう スタイル
この街に 居る限り 誰からも とやかくいわれない
此処が そういう街だ としたら
それで いいのでは ないか
「ほんとうの自分」が 明確になれば
これまでの人生で 起きた出来事
自分が ないがしろにした事
周りを 傷つけてきた事
傷口を開く事なく 再度向き合う機会を 与えられた街
直接 肌のぬくもりを 感じ合っていれば
男と女の間に よろこびは おのずと湧く
ほら と 匙(さじ)を 差し出された
のろのろと口を開けて それを 受けた
舌の上に とろりと甘い液体が のる
たまに 朝食に出す 蜂蜜よりも
淡く やさしい味が した
食事の前に ひと匙 舐めること
元気がない時は もう ひと匙
そしたら ちょっとだけ 楽になれる
甘い食べ物って そういうもの
蜜蜂が 一生をかけて集めた 蜜の量が
匙一杯分だということを 知った
なんだか 胸が いっぱいになる
人間は 生きる意味を 必要としている
意味が 見つからないまま 酒や趣味に逃避しても
それは 真の歓びにも 面白さにも つながらない
歓びも 楽しいも 人が 自分自身の意味を 見つけ
それを 果たした結果として 得ている
大切な 人のために
一日でも 長生きしてやろう
それが 今 自分の生きる意味
それなのに タバコを吸い 酒を飲んでいる
「一隅を照らす」「処を得る」「一期一会」
我々の先人の 深い智慧の籠もった 言葉
「和の国」の 民の生き方を 指し示した 普遍
「和の民」の 美しさ つよさ
糸が 強すぎず張りつめ ゆるみがない状態
そういう 民の生き方から 生じてる
人生で めったに 大きな出来事なんて 起らない
あらすじ なんてものも ない
人ってね おいしいご飯食べてる時と
愛しいセックスしてる時が
攻撃力とか 差別とか 争い事から 遠くなる
セックスは 相手が いないと できないけど
ご飯なら いつでも 食べられる
だから 手抜きをするな いい女 いい男たち

■□■□■────────────────────
ダバオ この街は すべてのものが 肯定されている
肯定感たっぷり ぐるり四方を 取り囲まれる
その体験は この上なく 快い
それらしい 場所だなぁ
「のどかな暮らしが続く」場所
何も変わらないという 価値
新しさや 刺激が 欲しければ
よその町や 国に行けばいい
自分には 何も変わらない 居心地が あれば いい
おしゃれなカフェなど いらない
それより 子供の頃から ずっとある風景の中で
美味しいお茶を 楽しみたい
■□■□■────────────────────
酒屋さんで 買った酒を その場で飲む
安くて 早くて 昔から おじさんに 人気だった
仕事を終えた とび職や大工が 焼酎で くつろいでいる
夏場になると エアコンがない 時代だった から
オジさんらは 上半身裸 般若や 鯉といった 入れ墨が
背中にあった
からまれるから 知らんぷりして 通り過ぎるんだよ
最近の東京では 小洒落た「ネオ角打ち」が
存在感を 示していると言うが
何れにしても 立ち飲みは 下品 この上ない
若い頃 銀座七丁目に 勤め先が あった
高架道路をくぐれば すぐに新橋駅前
新橋で もっとも贔屓にした 店が「壹番館」に あった
今も あるかどうか・・
看板には「スナック」と あり
小さな入り口から漂う 重厚さも 手伝って
「会員制」という言葉すら 連想させる雰囲気
入り口横の表示を 見ると
飲み物(オール)300
おつまみ(オール)250の文字
思い切って 入ってみた
その日のことは いまでも 憶えている
客席と厨房を仕切るカウンターのみの
細長く小さな店内
厨房には 垢抜けた 着物姿の女将さんと 娘さん
カウンターの上には 女将さん お手製の小皿料理
ひとつ ひとつラップが かけられ ずらり並ぶ
いい店だなぁ と 思いつつ
だが お決まりを 気取ったような スナックか?
目の前に
カットしたメロンが 2切れ スッと出された
女将さんの 初めての お客さんに対する 好意
「わざわざ 2階まで 上がってきてくれたから」
そう言った声が すこし低く 太かった
その瞬間 やられたな 酒飲み心が 完全に撃ち抜かれた
煮魚や焼き魚 旬の食材を使った 一品料理
どれも 250円だとは 信じられない 皿の数々
家庭的で しみじみと旨い
肉が たっぷりすぎて ほぼ すき焼きな「肉豆腐」
「シチュー」の ふたつが 自分の 口に合った
女将は オカマか? なのか・・
顔を 上げると 女将と目が合った
「おかまいなく」















