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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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スーパーは ウキウキ 週に一度は 足を運ぶ
おいしそうなものに出会えると 笑顔になれる
旬の果物が 並ぶ 僅かな季節の変化を 感じる
凧糸で縛り 円筒に整形された 豚の生肉
チャシユーだ そのまま 料理にかかれる
今まで 見過ごしていたのか それとも
誰か 日本人が 肉屋に 知恵を 授けたものか
2kg以上ある塊 360ペソだった
半額のおつとめ品なんて ない
生鮮品の売れ残りは 廃棄物になっている
養豚業者が 買い取るのか? そうなら いいが
自分には 分からない
買い物が終わり シニア・レジに 籠だけ並ばせる
シニアには 会計待ちのベンチが 用意されている
会計を待つ間も ベンチで 隣人と会話を 楽しむ
大風呂敷の話しに ウンウンと 笑いながら頷く
レジに 就いているのは 全員が 若い女性
軽快に 商品バーコードを 読み取る
日本食品であれば 手を止めて
これ どんな調理に使うんだと! 聞いてくる
会計は シニア割引の金額に直し 表示してくれた
商品を レジ袋に入れるのは 若いあんちゃん
大きさや 形に応じて 縦にしたり 横にしたり
隙間なく詰め込むと つぶれやすいものを 上に置く
案外な 手際の良さに 感心する
レジ袋ひとつの買い物でないと 重くて 辛い
ジープの乗り降りに 一袋でも 体が ふらつく
仕方ないと思いながら 老体を励ます
タラタラしてんじゃね〜
自分で 作って 笑ってしまった
まさに ラーメン屋のチャーシユーが できた
興奮して 大切な人を 急いで 拙宅に呼びだして
ワイン飲みつつ 薄くスライス これが難しい
チャーシユー・ランチ 大いに自慢した
半分を お土産にしてあげた
やぁ! みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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長生きしようと たばこと酒を やめた人が いた
運動も始めた 随分 健康になったと思っていたら
車にぶつかった
落語の五代目・古今亭志ん生が 演じた
「黄金餅」の 枕小話
人生は 思うままに ならない
人には 持って生まれた 寿命があると 軽妙に説いた
生きてることの むなしさと
それでも なんだか 生きている方が まだ いいや
こんな事が あるから その感覚を もたらしてくれる
日本人の寿命は 毎年のように 延びている
動物行動学者の 新宅広二さんは
「いきもの寿命図鑑」で 一日とか 一週間しか
生きない生物も紹介 生殖のためだけに生まれ 死ぬ
人間より 寿命が はるかに短い動物や 虫について
今という 瞬間を 懸命に生きているようにみえる
そんな言葉に どきりと させられた
ダバオの上には 青い空が あるだけ
今日という日のために 生きている ダバオの人
そんなに 難しくないでしょう?
みんなが ただ 和やかに 生きることって・・
生きることは あじわうこと
だから さぁ 食べよう
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普段 何を 食べてるんですか?
好き嫌いは ありますか?
なんでも 好き嫌いは ない
好きなのは 食べたことの ないもの
初めて食べるものが 好きだな
経験を食べるんですね 最近は 何か 食べました?
草を 食べましたね
えっ! 草は 食べないでしょう
ダバオの女(ひと)が 家に来てくれた時
花壇の雑草を見て コレ薬草だから 食べられるって
思い出すのは 梅の季節
屋敷から塀を越え 道路にはみ出した 梅の木
道に落ちた梅の実を 車が 踏んだりすると
いい匂いが そこいらじゅう 芳香で 染まる
ひとつ拾って 鼻に近づけると 何とも言えない 香り
エロい匂い ずっと嗅いでいても 飽きなかった
そっと ポケットに入れ また 出して 嗅ぐ
「梅は その日の難逃れ」って 言うよね
なんだか 不安だとか これから 何が起きるか
分からない状況に 置かれている 時
おやつを食べることで しっとりした 気分になる
羽田空港で買った「とらや」の 小倉羊羹「夜の梅」
適度に甘く 密度があって 歯ごたえがある
口にしたときは
『あぁ なんて 美味しいのだろう』
節操ないほどに 食べていた
これは 食べても大丈夫 これはヤバいとか
直感で わかるんですか?
動物と同じで 鍛えると だんだんと洗練される
ジャッジする感覚が・・ 子どもの頃 やらなかった?
全部 食べられるんじゃ ないかって
子どもだから 思うじゃない
木に なっているものも そうだし
落ちているもの 虫の死骸とか 抜け殻とか
浜辺に 流れ着いついたモノ とか
好奇心もあるし 大人が 教えてくれなければ
それが 何なのか わからない
最初は つついたりとか 匂いを 嗅ぐんだけど
友達に 先に 食べさせたり
自分では 食べないんだ
「欲望」の その先に あるもの 初めての 経験
新しいことを 発見したら また
新しいものが 欲しくなる
欲を満たしたら また 別の欲を 欲してしまう
その楽しさや 喜びこそが 人としての欲望
人間だからこそ 求めてしまう 欲望と煩悩を
断ち切ることのバランスについては よく考える
人間しか 持っていない欲望が あると思う
好奇心も 知的な欲望のひとつ
そういう欲望が あったからこそ 進化してきた
そして 文化や文明が 生まれた
その欲望を 良い方向に 飼い慣らし 仕向ける
そんなことが できたら 面白いと思う
具体的には どういうこと?
食べ物を 作って 目の前に
ここに 置くだけ それで 食欲が 湧いて
おいしそう 食べてみたいという
好奇心で 手にとってもらう
口に入れて 咀嚼して 飲み込んで
初めて 食べるという作品が 完成する
そういう 欲望を いかに かきたてるか
食べてもらわないと 完成しないんですね
食べ物って 見ているだけと
口に入れて 飲み込んで 体の一部とか
思考の一部に なることと では
体験の深度が 違っている
食べてもらいたい思いが 究極的には ある
視覚だけじゃ ないんですね
嗅覚も 味覚も含めての 表現
自分が お腹を空かせる
空腹の時間が 大切
朝昼晩と 決まった時間に 食べようとすると
お腹が すいてないのに 食べる
お腹が すごくすいて 体内側から
欲望が うかびあがるように 心の声を聴く
1日に 1回でも 空腹を つくれると
感覚が 研ぎ澄まされる
飢餓状態ですね
朝早い 空気が まだ渋滞していない 時間
大切にしている ひとりの時間とか
何かしら 役割を やっていることに
自由を 感じてる
大切な人に 料理をつくってあげる 役割とか
こうしないと いけないって 拘束されると 制限になる
役割が あるから 自分で いられるのかも しれない
自分は 欲望のままに 生きている
そう言ってしまうと 俗っぽいが
自分が これを食べたい そこに行きたい
あの人に会いたい こういうことを したいという思いに
素直になって 直感に従って やりたいことをする
当たり前だけど 自分にとっての 自由
それも 空腹の状態と 同じなんですね
確かに 空腹の状態って 自由
新しい味を 発見するのも そう
会話の中でも 何かを 学ぼうとしている
それも 人間に与えられた 特権
死ぬまで 知らないこと 知っておきたい
食べ物を あじわうことも そうだ
「あの人は あじわいの ある男だ」という 言い方
「あじわい 深いなぁ」とか
食べ物に限らず いろんなことを 体験したり
五感を通して 体感したり するときに
深く 自分なりに あじわい尽くしたい
それを 続けていくことが 自分自身の進化
好き嫌いだけじゃ なくて
嫌いなものでも あじわうことに 意味を見出す
生きることが 面白くなるなって思う
なので 草も食べます
マジで 腹下すんで 気をつけてください
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「食べつなぐ レシピ」
死ぬまで 好きなものを食べる意思を 持ち続けたい
ダバオに移り住んでから
生活の仕方を 工夫しなければと 思った
好きに時間を使って 気持ちに余裕をもって 生きるには
どうすれば? それも 自分が よく知らない 異国で・・
辛い事も あるけど 異国は 面白い
日本にいるときは 面白くなかった
異国は いい事も 悪い事も みんな自分の せい
一所懸命 暮らしてるよ
大切な女(ひと)の笑顔を 長い時間見たいから
必要経費を差し引いた 残りのお金で
なるべく安い食材を買って 節制する
将来のモヤモヤを 投影した イヤダなぁ〜病
生活には メンドクサイことも いっぱい ある
生きる 生きてるんだって 実感は 食にある
自分なりに 収まりの良い 調理に
塩と酢があって 干す 漬ける 蒸す 焼くを
駆使して 食べつないでいく その形が 出来上がる
一人だって 何人と 住んでいたって同じ
自分の好きな味を 見つけて 最低限の単純な調理
いろんな料理に 展開が出来る手前までの 下ごしらえ
それを切り崩して 料理を 組み立てていく
出来上がった 自炊の完成形
メニューは 何品か 決まっていて
出汁は こうして お米の炊き具合は こう
魚の煮つけは こう 火の通し方 調味料の特定
買い物する場所 全てが 明確になった
だが この先
筋力が衰えてきて かぼちゃが 硬くて切れない
土鍋が重くて 洗えないなど
食欲も気力もあるけど それを 実現できなくなる
そうなった時に 家族を持たない人は
自炊をあきらめて 誰かが作った 料理を選ぶ
ある人は 知人の味を 受け入れ
ある人は コンビニで 買ってくるかもしれない
だが 自分には 好きな味が 明確にある
それが どんなに自由なことで 幸せなことか!
迷惑かけながら 誰かに 助けてもらい
自分の人生を生きる意思 食を貫きたい
大切な女(ひと)と 自分は 30歳差
これからの10年を 考えた時に
食べたいものを 好きに作れなくなる日が 自分にも来る
でも 死ぬまで なるたけ 自分の好きなものを 食べたい
その意思を 持ち続けたい
そして そういう意思を 持つために
日々の 食事に対する眼差しと動作が
自分の精神構造を作る じんわり感じている
男が 料理の仕方を 覚えたら
世界中 どこでだって 暮らせる人になる
自炊で 体調が整ってるから 夜遊びの誘いにも 乗れる
大好きな女(ひと)に パッと料理を つくってあげる
最強のドンファンだろ!!
食事が 人や場所を つなぐための
コミュニケーションツールで あること
異国では より強く 感じる
街の空気や匂い 出会った人との会話
そういうもの すべてが ご馳走
みんなで食べた方が 旨いもんは よりおいしい
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ダバオは マニラ セブと まるで違う
ダバオ市郊外に 暮らす 自分には
貯金もないが 自由時間だけは たっぷり
授かった命は 残り少なくなった どする
自由とは 何かを捨てて 何かを得る
自由とは 人間が 自分に 正直に生きられる
いろいろな しがらみから 離れて
自分が もっとも したかったことや
自分を 見つめ直したりも できる
お盆『一人盆踊り』 迎え火
死霊を自ら呼び込み 慰め 詫び 説き
格闘し 一歩も しりぞかぬ もののよう
悟らず 狂わず 愚かで あり続ける
その覚悟を 決めた人ほど 強いものは ない
送り火 美しい魂に献杯
ダバオに暮らし ダバオ人に 驚いたことは 沢山ある
洋服は 他人のものを 勝手に借りて 着ていくし
帰りの交通費を 持たずに どこへでも 出掛ける
飲食店 注文したものとは 別の料理が 出てくる
浮浪児が 物乞いをする
生まれ なんとなく生きて 寿命が来て 土に還る
そういうことが 日常茶飯事 どこでもアジア
なんでも共有し 適当に生き 今に 集中して
つながりを 大事にする
これらの習慣 貧しいが 生きていかれる
知恵なのだろう
未来など 考えない
人生の憩いとは 笑いながら
家族が 毎日 ご飯をべられること
空腹を怖れ あるがままを 受け入れる暮らし
観光客には そんな光景が 幸せそうに映る
ダバオに暮らす者には 別な光景が・・
数十万円の 治療費さえあれば 助かる命だったが
救うことが できなかった 理不尽な 悔しさ
一方で 施し慣れする 青少年たちも
嫌というほど見た 20歳を過ぎた 青年が
「今度は 何をくれるの?」と 平気で ねだる
仕事に就かず 始めても すぐに辞める
ひどい場合は ギャンブルや 麻薬に はまる
13歳で妊娠し 育児放棄する 女の子も
貧困に陥る 負の連鎖を 断ち切る
なんとかしたいが 個人の力では
いかんせん 現状を 変えられない
生きていくための 自立を促す
国の基本は人 教育という人づくり
独善的に ならず
多くの人の「自立する上でのヒント」
社会の「こうしたら もっといい」ぐらいに
しておいた方が 良さそうだ 気をつけないと
余計なお世話 お節介 干渉に なりかねない
意地になって 異国暮らしを 続ける
そんな 感覚でもない 日本に 居場所が ない
自分の老後 落し所を みつけた 気がする
そこらが 分かれ道 そんな 感覚が 身につくと
アジアは 自分に 微笑んでくれる ということ だろうか
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ダバオを 上空から眺めれば そこは 緑ばかり
住宅地は 生い茂る緑の間に点々と 見える
飛行機が 日本を離陸する 瞬間に 異国で自立
そうしようと 決意を固めたのを 思い出す
ここの風は お金では 買えない 売ってもいない
南国の樹木に囲まれ 空気は澄んで 涼風を生む
日常の中で 自然の豊かさが あふれている
しかも 何でも話せる人たちが
周りにいれば ほっと 安心できる
老いた身には それを超える 贅沢を求めたら
罰が あたるだろう
日本から 眺めれば 異国に住む老人は
老境を憐れむ姿に 映るのかも しれないが
自分らにしたら ここは 桃源郷
大切なのは いまであり これからなんだから
ここは 赤道に近いが 最高気温は 33度ほど
日本は 連日 38度超え だって?
南国の方が 過ごしやすいなんて おかしい
これからは 南国日本とでも 言われるのか
うだるように 暑い 暑いと 悲鳴が 聞こえる
外に出るたびに「うっ」と うめいて
歩くたびに「ひぃ」と 悲鳴が上がり
足を止めるたびに「へぇ」と ため息が出る
今 フィリピンの隣家では
おおきな ビニールプールに 水を入れて
子供たちの行水タイム 歓声が 届く
ふくらます手間や 水道代 さらには 敷地の問題
ビニールプールというのは 夏の贅沢と悦楽
日本でのこと プールサイドから 見ていると
小学生が コーチに クロールの息継ぎを
習っている ところだった
それを 一緒に見ていた フィリピンの知人が
ぽつりと こう言った ものだ
どうして息継ぎを 小学生から 習うの?
苦しかったら 顔を出して 泳げば いいじゃない
面倒なことは できるだけ 避けようとするのが
フィリピン人の発想 自分は そういう彼を 見ながら
つまりは そういうことなのかも しれないなと
思わず その気に なってしまうところ だった
日本人は 息の吸い方が うまくできずに 悶々と悩み
その挙げ句 心の均衡を 欠いてしまうような民族
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此処で 死ぬつもりで ダバオに 流れ着いた 日本人たち
鬱屈したものから しだいに 元気を とり戻していく
気分が 若返ってるのに 自らも 気付いている
しかし それは フィリピンという国が
演出してくれる劇に 躍っているのに すぎない
青く高い空 入道雲
昼間の炎天下は ピリピリ突き刺さる 暑さ
早朝や夕暮れに ふいに訪れる 涼しい風
ドリアン マンゴスチン マランなど
南国ダバオならではの トロピカルフルーツ
収穫期を迎えて お買い得になっている
ダバオを代表するフルーツ ドリアンの価格
以前の1kgにつき 100~300ペソから
現在は1kgにつき 60~100ペソとなっている
ダバオ市のカリナン及び トリルから調達される
今後 山積みされ 1kgにつき 35~50ペソまで
価格が 下がる
カダヤワン祭り(収穫祭)が 始った
グループダンス見物に 多くの観光客が 訪れる
トロピカルフルーツを ふんだんに飾った 果実車
初めて見る人は その熱気に 煽られる
若い頃に 川辺で 目の前に広がる
ちょっとした景色を ぼんやり眺めながら
頭の中に湧いてくる イメージや発想を
追うような時間 いっとき 失っていた
ダバオに来て 取り戻せていた
ビールを飲む 時間を作り
海を眺め 流れる風を感じる時間
ただ 景色を眺め 何気ない 情緒を感じ
ゆったりとした時間を 愉しむ
人生の余暇「バカンス」という 意識の切り替え
だが それが 日常で 続くと
「やることがない」「やりたいこともない」
「暇すぎて死にそう」 と ボヤく人が 多い
これは 本末転倒
「やることがない」「やりたいことがない」
そうなのでは なく それらを 見つけ つくる
その意識が そもそも 喪失してる
与えられることが 当たり前に なっていた
己の怠慢の 成れの果てとも 言える
やることなど いくらでも ある
知らないことを 知る 勉強も いい
何かを 身につけるために 時間を費やす
幾つになっても 自身の成長を 感じる
創造力を 鍛えていく 必要不可欠な 行動
でなければ 己の人生を 設計することも できない
人生を彩るためには 誰かに与えられることに 慣れず
自ら創造し 組み立てていく
10年目ぐらいだったか 気がつけば
自然と 声に出せるように なった
『キレイな 景色だなぁ』と
これが 優雅の 第一歩
外国人は 一緒に 海を眺めたりすると
当たり前のように 言う
「こんなに キレイな海を 見られる 幸せだな」
わかっていたはずなのに できてなかった
いや 結局 わかっていなかった
言葉を 口から出す 大切さ
今 フィリピンの人たちも
どんどん 携帯の中に 入っていって いる
リアルな世界が 目の前に あるのに
その世界を 自分の目で 見ようとせず
携帯の 画面の中の 与えられた世界に 満足してる
これでは 想像・創造のチャンネルが 閉じていく
今 人との話も できるだけ フラットに
聞くよう 心がけている
いろいろな物事を 受け入れられるように
若い子と 話をしている ときにも
『面白いな』と 前のめりで 聞く
気になることは 書き留め あとで調べる
その時は 話に集中する
携帯に縛られ
豊かな感覚を キャッチする チャンネルを
自ら閉じてしまうのは 自らの発想を放棄すること
まずは 携帯を置いて 暫く その存在を 忘れる
その先に 優雅な世界が 見えてくる
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夕立の匂い そういうものに
まだ 幼かった頃の 夏休みの記憶が 重なる
子供の 自分にとって
永遠に 終わらないかのように 思えた
長い 長い自由時間 夏休み
毎日 何かが 起こりそうで 無性に ワクワクしてた
あの日々が・・
生活の中で ふと 感じる郷愁みたいな 感覚
記憶を大切に 生きていきたいと 思ってる
なぜなら 酒を よりうまくして くれるから
毎年 ダバオで季節感も薄く
何気なく すごしていても
「今日だな」と 感じる日が ある
何が 今日なのかと いうと
自分の中で 夏が始まったのが だ
5月くらい 明らかに それまでとは 違う
むせかえるような 夏の片鱗が
空気に混ざりはじめたことに 気づく
そして 勝手に 夏の終わりを 10月と 決めている
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昨日は 街で ハシゴ酒
今日は 海辺で 椅子に座って 酒を飲む
明日は あの食材を 使った おつまみレシピを 試す
ひとつ ひとつの仕事は とても楽しいし
俯瞰で眺めれば 毎日が 夏休みのような ものだ
昼が来た 冷蔵庫から ビールを取り出してくる
ミニコンポにCDをセットする 儀式だからCDで聴く
プレイボタンを押すと「プシュ! トクトクトク……」と
サイダーを グラスに注ぐ 効果音
それに合わせて ビールを 小さなグラスに注ぐ
軽快なリズムと 爽やかな ギターリフに続き
歌詞が つむがれてゆく
窓の外に 眼をやる
昨日と 何も変わらない景色
ひとまずは ちょっと 昼寝してから・・
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素麺や 冷やし中華
のど越しが 良い料理が 増えると 思うけど
フィリピンにも そんな季節の料理が あるのか?
日本では タピオカドリンクが ブームだってね
フィリピンじゃ 昔から 普通に 飲んでいるのに
なんか 滑稽に映る
自分より 一つ年上のご夫婦が 養子縁組をした
生まれたばかりの 男の子を
それは それは 精いっぱいの愛情で 可愛がっていて
1年たって 正式に 籍も入れたようだ
彼らは 周りにも公言していて
この子が 大きくなって 悩む時が 必ずくるだろう
こんなに あなたは 愛されていたという 事実が
真実と勇気になるはず・・
仕事も落ち着いて 精神的にも余裕が 生まれてからの
養子の受け入れを みんなで 見守っている
人を 糖分のパラダイスへと 運んでいく
とんでもないサービスが はじまっていた
ブリオッシュなどのパンに 注文後
アイスをはさんでくれる アイスパン
いまや夏の定番 もはや 驚くほどでは ない
パンに ハーゲンダッツの バニラを はさめる
カスタマイズの 絶対自由
フレンチトースト? ドーナツ?
パン・オ・ショコラ? 迷いに迷った末
シナモンロールを 選択
ナイフで 切り込みを入れられ
大口を開けた シナモンロールに
ハーゲンダッツが どすん
自分も 大口で対抗する
ひやひやからの じゅじゅーん
アイスとシナモンシュガーの W糖質ブースト
シナモンロールの限界地点を やすやすと突破
シナモンロールのミルキーさ バニラのまったり感
シナモンの すーすー感に 染め上げられ
甘々すぎる? 否 糖質リミッターを
解除してしまった ことへの 背徳感こそが
逆に 無上の調味料
シナモンロールの 食感のすばらしさに
刮目(かつもく)しなければ ならない
シェフの情熱が シナモンロールに 沁みこんでる
タピオカドリンクなど 誰も 目もくれない
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ときに孤独でも 嘘つかれても
この街 ダバオにいると 心が軽くいられる
街に住む事で救われ 心は 解放され自由
老いの余生を ダバオに求めて 暮らす
ダバオに根を張る 移住ジジイ 心の内
毎回読み切りのブログ「ダバオの風に吹かれて」
風を食べて生きてる 風を食べて動く生命体が 棲息
そんなジジイを ダバオに 見に行くしか ないでしょ
夏の日差しを浴び ダバオに出掛けてみる
浜辺に座って 涼をとり
樹々をそよぐ風音に ゆっくり 耳を澄ませる
風は 命を吹き込む「蘇生」と 称される
ひいては「死の意味」を みつける
生きているものが 衰退し 崩壊していくのは
至極当然だとして 風にさらして
朽ちていく過程をみせる 自然の意思
自分は 南国が 美しいと 思うし
暮らしていて 面白い
フィリピン人に 囲まれた暮らしと
ふるさとへの思い・・
アポ山が 見える 郊外
転々と 住まいを 変えてきた
今は 古い 小さな借り家に 落ち着いて
十年ほど 住んでいる けれど
よそ者である感覚は いつまでも ある
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セブには「木曜会」の 名のもとで
立派な活動を 永年続けている グループがある
活動報告も公開している とても興味深い 日本人会
「ダバオ日本人連絡会」メンバー300人
フェイスブック・グループが 作られている
いろんな 話題が 投稿される
ダバオの日本人が 集まる
「寄り合い」と称する 酒を飲み交わす集会
旨い具合いに もよおせないか 考えていた
自分が 誰かと 日本語で 酒を飲みたいだけ
「他の人を もっと面白くするために 酒を飲む」
老若男女が 呉越同舟で 店に集い ただ 飲む
“梁山泊”と 言いたい ところですが
呑兵衛たちの 出会い系パーティー
月1回の「木曜どうでしょう」
その日 夕方 いつもの店で
誰かが 来て 飲んでいる コンニチは
合流 いいですか 酒を酌み交わす
誰も 来てないかも しれない・・
それでも ただ 飲んでいる
秘密の符号のようでしょ「木曜どうでしょう」
ひとつのテーブルが 二つに繋がり 三つになる
自由参加 自分で飲み 食い 自分の分は 自分で払う
その日 自分の都合で 好きな時間に来て 勝手に帰る
会話をシェア ワイワイ楽しく やれるんじゃない
突然 眼 つぶるなよ
びっくり するじゃない 脅かすなぁ〜
気を付けないと もう みんな 歳なんだから・・
そんな冗談が 飛び交う
その店に行くと の・・ その店が 難題となる
長続きするよう 上手に仕切りができる 店主
旨いもんと 冷えた酒 店主の笑顔が あれば 合格
自分は そんな都合のいい店 知らないが
自薦他薦で そんな店が 出てくるだろう
店だけが 決まっていて 時間は 夕方からと曖昧
会長もいない 幹事なども 会員もいない
「幹事やりますよ」「お手伝いします」
「そんな店 ありますよ」と
何人もの人たちが 返信してくれるかも しれないが
気持ちだけ ありがとさん
参加予約もない お店の予約も いらない
飲み会を 仕切ってくれるのは 気のいい店主
その日 飲みたい人が 店に出掛け 仲間と飲む
最初は 何が 面白いのか
さっぱり わからないでしょう
「その内 勧めてくれた友人よりも ハマってる!」
なんていう 話に みんな「そうそう!」と
笑いながら 大きく うなずく
耳をすませば 多才で いろんな人が 登場する
え! フランス語が ペラペラなの
音楽に すごく詳しかったり エロいは 音楽だって
『僕なんか 全然――』と おっしゃって
もう『謙遜』という言葉では 追いつかない くらい
みんな 飾らず 威張らず すごく いい すてきな方
そんな光景 想像して ニンマリして 今 飲んでる
大事な仕事が あったけど
今日だけは!と 駆けつけました!
精神的に まいっていた時期が あったけど
木曜どうでしょうの 和やかさに 助けられました
そんな 明るく打ち明ける人も 出てくるかも しれない
性別も年齢も職業も バラバラな人たちが
「木曜どうでしょう」で 集まり
気持ちが つながっていく お酒も進み
それぞれの思いを ガンガン語り 笑い 怒り 泣き
時間は 過ぎていき 会計を終えて お店を出ると
名残惜しくて 二次会に流れることも あるでしょう
「木曜どうでしょう」新たなコミュニティーかな
ご近所さんといった ダバオの狭い社会だもの
価値観の同じ人たち と つながれる
おかしいでしょ いい年をした おじさんが
会社の同僚でもなく 幼なじみでもない
最初は 見ず知らずの人たちが 集まって
ゲラゲラ笑いながら 酒を飲む機会なんて ありますか?
「また みんなで集まりましょう!」なんて 感じで
いい 仲間が 増えていく
そこにあるのは「木曜どうでしょう」が
楽しい という 共通した思いだけ
それだけで 人は安心で 平和で
楽しい社会を 作り出すことが できる
「木曜どうでしょう」が 寛ぎの場所を 作る
大事な存在になっていくかも しれないな
たった 一人でも いいから
同じ思いを 持ってくれる人が 出て来たら 面白い
そんな ダバオ移住者の愉しみを 空想してみた・・
「寄り合い」主催者のいない イベント
単なる飲み会 集会 なんか 不真面目で 可笑しいよね
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