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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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季節のない街に生まれ 風の吹かない丘に育って
夢のない家を出たら 愛のない人に会った
「泉谷しげる」の 懐メロの歌詞
そんな顔をした若者たちが ため息交じりに、
スマホを見ながら 地下鉄に乗っている
選挙なんかに 行ったところで
何が 変わるんだ 今日が しのげたら いい
どうして こんなに覇気のない 世の中に
「野望」が ありそうなヤツが いない
選挙権を 行使しただけなのに
妙に 得意な気分になる 不思議
立会人が 見守る中で投票を 済ませる
立会人から「お疲れさま」と 声をかけられ
大役を果たした 満足感に 包まれた
日常では 味わえない ハレの舞台
だが 残念ながら 降板した人が 多かった
有権者の半数近くが 棄権した参院選挙
選ばれた議員に 向こう6年間の長い時間
国のかじ取りを任せる その選挙だと思えば
取り返しのつかない無責任は できない
れいわ新撰組の「特定枠」で当選した
筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の
舩後(ふなご)靖彦さん(61)と
脳性まひで重度障害のある木村英子さん(54)
「国会で 何が出来るか わからないが
彼らが 国会に行くこと 自体」が 貴重
親が『この子の先に 死ねないなんて』と 思う社会
やっぱり 残念だよね
気分直しに 日本酒か
肴に 珍しいサンマの寿司を頼んだら
えらく値が 高かった そんな話しが 聞こえてきた
「サンマが 捕れないそうよ
中国が 先取りしてるんだって」
元気な女将さんが 語気を荒らげた
中国の漁船団が 太平洋の公海で
日本の解禁時期など 知ったことかと
我先に ごっそり 捕ってしまうからだと
もう 中国が やりたい放題・・
自分が 想像する 近未来の日本
東京五輪での 景気浮揚効果は 肩すかしに 終わり
高齢者が目立つ 人口減少は いっそう進む
外国とのAI競争には 敗れ
起死回生をかけて「観光革命」に 打って出たが・・
京都のように 観光客を制限する都市が 出てきた
五輪の後 社会が どうなるか
まったく 見通せない 不安感を抱える
監視社会が 進む未来を 思う
身近にいる 大切な人を 楽しませられたら
それだけで いいのか なって・・
どんな 世の中に なったとしても
楽しく生きていく方法は あるもんだ と
どこかで 楽観していたい
「日本は 12歳の子供だ」
かつて マッカーサーは こういった
ビッグ・ダディ(米国)は もはや 年老いた
日本に 対しても
「お前は もう 12歳じゃないか
オレの仕事を 助けてくれ」と 言ってきた
「オヤジ 今まで 世話になった
オレも もう一人前だから 仕事を 任せてくれ
沖縄は 自衛隊が守る
米軍は 引いてもらって 構わない」
何なら フィリピンも 任せてくれ
日本が こう申し入れたら 米国は どう出る?
トランプなら「ああ 任せる」と いいそうだ
日本列島に 乾いた風を通す 自分の国だろ
やぁ! みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
苦しまずに 生きる術を 学ぶ?
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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豪雨 スコール それは それで 味わいも
平屋の仮住まいで ダラダラしている
雨が 降るたび「バラバラバラ」と もの凄い音
トタン屋根が サラウンドして 音響効果抜群
なまじの劇場なんて メじゃない
雨という世界に すっぽり包まれ 緑が喜ぶ
自分の心は 懐かしい過去へと 旅立つ
団塊たちの心は 昭和を 失っていない
数の上でも 行動の上でも
日本を 大きく動かした
「団塊の世代」が 70を 超えている
あの時の パワー どこにいった?
我々の前に 道はなく 我々の後に 道はできた
そういう「史上初めて」な 生き方を してきた
団塊が 何を壊し
何を叫び 何に異議申し立てをし
何を変えてきたのか 団塊人は 知っている
学生時代に 同棲し始め
大量に恋愛結婚をし
家業は 継がないことにした
都市でて働き 経済力を持った
形式張ったことを きらい
今では 葬式も墓もいらない と ほざく
団塊の世代は 子育てに失敗した
大多数の親が 子どもの ほしがるものを
買い与えることが できる 経済力を 持った
子どものために時間も 充分に消費してきた
個別社会 初めての育児で お手本が なかった
子どもに 過保護とも思える お金の使い方をした
日本全体が 成金的に 子供を 甘やかし 育てた
そんな甘やかしを 嫌った 美智子上皇后は
皇太子養育の慣習を 壊してきた 厳しい母親
団塊は 子育ての 失敗に反省している
その 団塊ジュニアが 世の中の 中心になっていた
同じ失敗を 高齢期の 自分に 生じさせない
お金と 有り余る暇が あったとしても
自分の健康や 楽しみだけを 追い求めると
「子育てに失敗」したように
高齢者としての 生き方にも 失敗する
年齢というのは 他人が とるものであって
自分は いつまでも 変わらない気でいる
そこに 老境のおかしみが ある
いつ 自分が 70になっていたのだと ウソぶく
フィリピンなどに 住んでいれば
若い娘たちと 行動しているから
つい 同じくらいの 年のつもりで いてしまう
みんなで撮った 写真を見て
一人だけ 場違いな人が 混じっていて
ぎょっとする この人 誰! オレ?
年をとったら 自分に 手をかけないと
痛ましくてみていられない 見た目を 気にし
年甲斐のない 失態は しないように 心掛ける
老い人は 上機嫌になろう 意味なく笑っていようよ
50〜60代では
質の良いものを 長く着るのが 品格ある お洒落
70過ぎたら意識して 安くても 新しいものを着る
高齢者に向けた 遺言の書き方や 墓仕舞い
「死ぬ」ことに向かって 書かれる本が ヒット
余生を 楽しむ話題など 扱われない
高齢者には 余生を 面白くを問う 必要が ない?
そうなのか
70歳でも 80歳になっても
人としての たしなみ 生き方に よって
余生を 思う存分 楽しみ 面白がる事を 得る
素晴らしい 高齢期を生きる人
そんな 70代は 自分の周りには いませんが
あえて 挙げるなら
意識して 上機嫌に振る舞う人
日々を 機嫌良く過ごすことで
周りや 自分自身が 心地良くいられる人が
前向きで 楽し気な 高齢期を過ごしている
自分が 機嫌良くしている事で
目の前の事が ほんのちょっとでも 変わる
年齢を重ねたら 他人の目では なく
自分の目で 自分を評価する
「浮世離れした ジジイに なってるかな」とか
でも それだって 他人の評価
自分は ジジイ 正確には ジジイ予備軍
プレジジイ もはや 安穏な老後を 送れるのは
ごくごく少数の 選ばれし ジジイだけだ
「分人」という概念が 使える
「分人」は 場所や人間関係に応じて 現れる
様々な 自分の「人格」「キャラクター」
その集合体を 一人の人間とする
分人=それぞれのキャラクターが 持つ
「価値観」や「『カッコいい』と
考えても 差し支えない
はたから見ると 矛盾しているような
価値観を 同時に持つことが できるのが 人間
人は 複数の分人を 抱える
どういう分人の構成 比率で 生きていくかを考える
『オレのカッコよさは これだ』などと
一つの価値観で 自分を縛れば 人生が 窮屈
批判的な視線を 絶えず 自分に注ぐことが
バランスの取れた『カッコいい』との
付き合い方だと思う
そこには「普通」なんて 存在しない だから 面白い

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恥ずかしながら
初めて 国際便の格安航空会社を 利用した
フィリピンから 近隣の東南アジアの国へ 旅する
安いと 喜んでいたのも 束の間
これまで 享受していた サービスが 全て有料
荷物を預ける 座席を指定する 食べる 飲む
毛布を借りる これ全て サービスに 応じて
チャリン チャリンと 課金される 仕組みだった
となると 意地でも 課金されまいと 頑張る自分
せっかく最安値の会社を 選択 利用したのに
追加料金払うなんて 本末転倒だろ
機上では 飲み食いせぬと 決めた
薄手の膝掛けを 持参 座席は どんな悪条件でも
瞑想で 乗り切る ナニ 所詮は 数時間程度の こと
問題は 荷物
旅に出るのに 手荷物だけなんて 考えたこともない
だが いざ パッキングしてみたら
パソコン入り ショルダーバッグの ほか
手提げカバン1個に 収まった ほぼ 通勤レベル
減らしたと いうより
これ以上 持っていくものを 思いつけなかった
これが 今の 自分の 普段の暮らしなのだ
毎日洗濯するので 衣類の替えは 最小限
シャンプーの類いは そもそも 使わない
数少ない「あるもの」で なんとかしている
つまり 毎日が 旅行中と同じ
となれば 風のように ふらりと旅立てる
おお なんだか カッコイイじゃないの
旅先で 中には 吹っ掛けてくる おじさんもいる
「俺が 耳掃除すると 100倍 聞こえやすくなる」
ほんとかと 試してもらったら
「どうだ〜! 聞こえやすくなったか〜!」と
おじさんが 叫ぶ 単に 大声出してる だけだった
もちろん お金なんか 払えない
翌朝会うと 普通は 気まずい はずが
「おまえ まだいたのか お茶を おごってやるよ」と
ごちそうしてくれた
東南アジアの国は 好き嫌いが 分かれる
人懐っこい人が 多く 長く滞在すれば
人の親切に 助けられることになる
朝から 日本人は ピリピリして
駅の中や 階段を 走っている
5分や10分 遅れても いいんじゃない と思うけど
これじゃ 疲れますよね
余裕が ないと 人間 考えることも できない
東京で 忙しく生活を していると
身近な 人だけではなく 行きずりの人に対しても
親切にする余裕が なくなってしまう
駅中で 乗り換えを 訊いただけで 舌打ちされる
それが アジアに行ったら デパートでも 食堂でも
みんな丁寧に 親切に 接してくれる
そうできる理由は「暇だから」だと 気付く
暇な人って 人相がいい 自分も 暇にして いい人相して
人に 道なんか ていねいに 教えてあげたい
勤勉に まじめに 型にはまった生き方を
これからは 75歳まで 黙々と続けていく 日本人
このままでは 死んでしまうん じゃないか
そう「まじめ死」余生は 楽しまないんですか?
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―― ダバオには いつから お住まいですか
フィリピンの第三となる街
そんなに 大きな街では ない
中心部は バイクなら 30分も あれば 一周できる
際立って見るべき 名所も ない「普通の町」
のんびりと 淡々と 人々の生活が 営まれている
そんな なんでもなさが 感じが 良かった
パスポートで 在留期間を 確かめるのも億劫
普段 聞かれれば 15年も 過ぎたかなと 応えるが
多分 20年を 超えている 自分は 東京出身
―― 生活は いかがですか
ここに 住むようになった 時分から
世の中や 人々との関わりが 変わった
メールでの やりとりで 済んでしまう
携帯電話を 持ち始めてからは
直接会話で わざわざ ダバオまで 会いにくる
時代じゃ なくなった
そして 人の怖さが 昔と 違ってきた
濃密な人間関係に あった人が
急に消えてしまう 怖さが 出てきた
人情に囲まれて 生きてきた 気がするんだが
関係が 断絶するとしても
そこに至るまでの 愛憎とかを
それが まったくないまま さよならも 言わずに
さらっと消滅する 断ち切れる 人間関係になった
自分は 人間関係の濃密さが 嫌で
生まれた日本から 逃げてきた
ダバオで見かける 人間関係は
自分が かつてあこがれた さっぱりしている けれど
お互いのことは 尊重する というものでした
―― コラムとも エッセイともつかない
連載「ダバオの風に吹かれて」は
これから どんなブログにする お考えですか
人間観察していることで 世の中が わかる
ダバオのいろいろな場所を 巡ってきた
場所から思い出す 時間や記憶 人間の情とか
そういうものを 回想したり 絡めたりしながら
書いていこうと 読んだ方が 書いた言葉に
何らかの慰めを 感じられるものに 仕上げたい
どうにかしたいのに 解決のしようがないとか
不器用や不確実で 完全さには 欠けた者だとか
そういう人への思いを これまで 勝手に書いてきた
結婚とは 男と女とは 家族ということも
みんなが使う言葉を 使わずに 書きたい
生と死と性 時間にも 関心が ある
生と死と性 記憶とか 時間という視点
ダバオにいて 人間の生命を 考えると
また 違った世界が ダバオにあった
一つの救いが 見い出せるように思う
新しい価値観や 人との出会い
未知なる発見があって それから別れがある
自分の中の不要なものだって 削ぎ落とされていく
移住とは そういうものの ようだ・・
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此処にいれば 誰の顔も 気にすることは ない
自分には 日本より 住み易い
南国の暑さは 老いた躰に 血の巡りが いい
「えっ! エネルギー問題?」なんて
エアコンは 就寝時 寝室だけで 使ってる
昼食は ビールで ゆっくりと
夕方は シャワーを浴びたら さっぱり着替え
テラスに出て 風に吹かれる よっこいしょと 椅子に
まず タバコを 一服ふかす
庭を眺めながら 一杯のオンザロック
夕食を取りながら また ビール
「酒 もう少し 控えたらどうなんだ!」
ここでは 酒でも飲んでないと 時と遊べない
70を越えてる もう 気にしなくても いい !!
昔のように『V8』の 古いアメ車に 乗って
ボロボロと重低音を響かせ ころがしたい
10年前には 市内で そんな車も 見かけたんだが
今では 女性が「そんなヤツ 付き合いたくない」と
ブレーキを かけていて
「イエーイ イケてる フィリピン人だぜ !!」
なんて 気取るやつが 多いので トヨタで 染まった
昭和的な「所有するカッコよさ」から
今は「持たないカッコよさ」に 変わっていた
マニラは ビジネス都市 観光地のセブ
なにも無い ダバオは おおらか
街全体も 人々も リラックスしている
この街に 大きな決め手が ある訳では なく
小さな「いいなぁ」が たくさん集まってる
海と山 どっちもある 緑も濃い
「ズレたままで オッケー」って ところも ある
自分が 自分のまま 素で居ても お構い無し
「こうじゃなきゃダメ」という空気を 感じない
ここまで 言っておいて 素直に 言いますが
日本が 恋しい
ドゥテルテ大統領の地元
ここ ダバオに 至っては もう
「いい人 コレクション」が できるんじゃないか
と 言うくらい 人心が いい
深夜 Barからの帰り 油断は 怠りないが
2ブロック歩いても 全く 命の危険を感じない
フィリピンでは 極めて安全な街
偶然だが 自分は いい街を 選択した
最近 一番の大事件は
なんと ワタクシのキャッシュカードが
ホテルのATM機に 吸い込まれて 出てこない
「えーっ 困るじゃん!!」と 焦って
ホテルのフロントへ 行った
「あら〜 それは 大変ね」
ごめんなさい でも 私じゃ どうにもならないの
ホテルの担当部署も 手が出せない機械なのよ
銀行の人が来るまで 我慢して
それまでのお金は ホテルへの付けで いいから
「ところで あなた 元気なの?」
笑ってないから 体調が 悪いのかと思って
おい なんで こんな時 笑っていられる
オレは 怒ってるんだよ!
「ご飯 ちゃんと食べてるの?」
ご飯も ホテルにつけといて いいんだからね
じゃ 今日も 良い日をね! あっはっは〜 と
ここまで言われて 怒る気力は 失せていた
万事 そんな感じ
トラブルは「起きて当たり前のもの」
起きてしまったら それは それで仕方ない
カードなんて 持たない方が 良かった
一方 日本であれば
トラブルを 起こさないのが 常識
目くじらを立てて 管理してる
ひとたび トラブルが 起きたら
それは もう えらいことになる
今回の事件も 日本でだったら
客は「どうしてくれるんだ!」
カードは いつ帰ってくるんだ!
いくら議論しても 進まない状態で
押し問答になる
むしろ
「そのうち 戻ってくるから それまで我慢しててね」
こっちで 面倒見るからさ!そんな 解決法の方が
なんか いいような気が してしまう
「トラブルは 必ず 普通に起きるもの」だから
「あ〜 やっちゃったね」
しょうがないから どうするか 考えようよ
実に 彼らにとっては 居心地が いい
これを「ルーズだ!」とか
「いい加減だ!」とか 批判するのは 簡単
一体 どっちが いいんだろう と
う〜ん 自分は この「ダバオ式」の方に
心が ならされてしまった
間に入る人間 お互いに感じるストレスが 少ない
日本だと「誰が どこが 悪いんだ!」
責任追及が 先になる こういう解決には ならず
関わる全ての人に ストレスが かかる
これと ゆるく関係する話を すれば
うつ病の有効な治療法に 転地療法が ある
環境を変えると うつ病が治る という
日本人の うつ病患者が ダバオに来たら
あらゆる重荷から 解放されて
確かに 治るんじゃないか・・
てなことを 言うと
おまえが 見ているのは
フィリピンの ほんの一部で あって
出鱈目 いい加減を 許すから こうなる
安らぎなんて どこにある そんなもの ないだろ
そんなことも 分からないのか!!」と
批判する人が 出てくる そうだよな〜
富める国も 貧しい国も
どこの国にだって 必ず 問題は ある
今は 貧しいフィリピンで あっても
フィリピンは 良くなる 暮らしは 豊かになる
若者が 多い事から 国の未来を 信じられる
そこに ドゥテルテ大統領が いる 秩序を保つ
フィリピン人の 中にあるのは
「未来は明るい 将来は 何とかなる」希望
今は 貧困で 苦労しているが
このままでは 終わらない と 信じる人々が
最後の望みをかけて 投票したのが
ドゥテルテ大統領という背景を 忘れてない
「明日は 今日よりもよくなる」と 思えるかは
個人のメンタリティーに 負うことが 大きい
どんなに苦しい生活でも 心は 豊か
その思いで 生きてる フィリピンと
マイナスばかり取り上げて 将来は暗い と 考える
日本人とのメンタリティーの差は 大きい
日本では 医療は完璧だし
生活保護だろうが 何だろうが 生活は 支援される
生きづらい ネガティブなものばかり 見ないで
前向きにやりましょう その気持ちを 持つだけでも
ずいぶん目の前が 明るく変わる気がする
ホテルの フロント女性
ATMトラブルが 片付いてから
「そりゃ 私だって あなたみたいに
こうやって ATMで バンバン お金下ろして
毎日 シャンパン飲んでいるような生活を
いつか したいと思ってるの
でも そのためには まだまだ 努力をしないと
いけないわね・・」
かいかぶってる バンバン お金使える身じゃない
ダバオに来た 知人が このホテルに宿泊した
お世話しているだけ
だって あなた 日本人でしょ
こんな高級ホテルで 自由自在に お金を使って
「すごい 努力をしたのね!」と 言ったのには
ちょっと 驚きだった
「努力をすれば 報われる」という希望が
この国に 芽生え始めている 国大は 無償化された
これが フィリピンドリームとなれば・・
自分は 大した努力を したわけでは ない
あえて 口にしなかった この人 誤解するからね
「教育費 子どもの将来のため 行くことにした
できる仕事は 何でもするつもりだ」
送金で 子供を大学に通わせ 立派に卒業させ
職に就かせた 貧困連鎖から抜け出す 一歩
数年の出稼ぎから 父帰る
出稼ぎからの 送金依存が 地域の発展を阻んでいる
「送金がある人は 働かない 金を 全部使ってしまい
将来への投資に 回さない」困った 現実もある
ダバオ市長は
「この地で 良い生活が できることを 示したい」
日本の国際協力機構も技術指導などで 後押しする
出稼ぎを減らすかぎは 雇用の創出だと 訴えて
各国企業の投資に 期待感を にじませた
出稼ぎの必要がない 国づくりが 課題
実際に 根拠はある
若年労働者人口が 増加している フィリピン
人口も増え続ける これは すごい活力で
働く場所があれば 経済は 膨らんでいく
ドゥテルテ大統領は ダバオの人々には
欠かせない「心の支え」
街中が ドゥテルテ大統領の大ファン
マニラと違って 街のスケールも 小さい
地元の人の心を 引き付けている
ここには 彼の悪口を言う人は 一人も いない
まさに「俺らが 街の ヒーロー」
自分は もうしばらく こんな街にいた方が いいかな!
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日本の人口は 10年連続で減り続けている
日本語を話す人が 減っていくということ
日本語の時代は 終われば 日本も終わる
人口が 減り続け 高齢者が 増える
平均年齢が若い 東南アジアに 出て行く
その余生への 采配によって
団塊の後に続く 日本の老い人
そんな老後が 普通になるかもしれない
70過ぎてからの
余生を生きることは 死ぬまでの 遊び道楽
「ああ 楽しかった」は 東南アジアでの遺言
自分は 大多数の人が 支持しているものを
いいと思えないことが 少なからずあって
自分に そういう感覚があることを 強く感じている
日本で生まれ育つと
なんとなく 大多数の意見に流される
みんなが カッコいいって言うと 自分もそう思っている
子どもの頃は 特にそう だんだん大人になるに つれて
多様なものに触れて 自分は 自分で いいんだ
自身の感覚を 大切にするようになった
それが 今に つながっている
桃の木に 霊力が宿ると 信じられ
桃の実を食べると 不老不死になるという伝説
桃源郷は 仙境ではなく
そこに住まう人々も 生死を 超脱した
不老不死の存在では ない
どこの村里にも いそうな 人たちばかり
桃源郷が 人々を 魅了したのは
管理を必要としない秩序 力によらない平和
人々は 隣人愛と信頼によって 結ばれ
行き過ぎた欲望も 他者との 争いも ない
過剰な豊かさは ないが 心が 満ち足りている
東アジアの人たちは
桃源郷に寄せる思いを 夢の枕にして暮らし
長い歴史のなかで 多くの詩歌や絵画が制作された
浩瀚(こうかん)な 桃源郷の作品群
自分も この東洋的な 綺想に 魅せられる
そして 桃源郷の中から 出て来そうな
老者の年齢に いま なった
海辺へと導く小径を 知り尽くした
釣り人のような 忘我の恬淡(てんたん)さ
桃源郷に 迷いこんだように
詩的形象と絵画的言語のあいだを
自由自在に往来し
一枚一枚の絵 一首また一首の詩から
驚くべき 夢の世界を 発見した
隠遁(いんとん)願望の 伴奏もあって
桃源郷狂想曲はいよいよ現世を離脱する方向へと
墜落して行った
一枚の古びた絵の画面が 目に浮かんだ
夕陽が ゆっくりと沈む中
一人の老翁が 読みかけた 書物を手に
飄々(ひょうひょう)と 桃源郷の迷路へと
ゆっくり歩んでいった
生きることは 大変だから 面白くしたい
それで 生き続けることが できる
生きることに飽きるなんて 罰当たりだからね
気分が 滅入ったら
ジャンジャン炒めて ガンガン食べる
人間は食べて 寝て そこから 叉 考える
一回忘れろ 逃げろ 戦う必要は ないよって
戦って勝とうとか 偉そうにするなって
人間は 必ず気力が よみがえるように できているから
つらい時は ガシガシ食べて 寝なさい













