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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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太陽が 真上から降り注ぐ
死者の魂が 家族のもとに 帰って来る日
静寂の住宅地 カラオケも 大工が 働く音もしない
小鳥の声が聞こえ 空は晴れ ゆるやかに風が 吹き渡る
当たり前に 親子 夫婦 家族が 共に暮らす ダバオの人々
「サザエさん」一家と同じ 世は 変われど 3世代一緒
単なる貧乏では なく 自らの思いによって送る 暮らし
簡素で 清貧な生活の形が 整っている
亡くなった親族に 思いを馳せ 偲ぶ
想い出話しを交わし そんなこと あったねぇ〜
微笑みが こぼれているだろう
死者は 回想の中で 色濃く 生きているから
死者も また 祝福の中にいる
幼い子でも 死に立ち会う事が 日常
死者の数より 生まれる命の方が 多い国
生と死が あからさまのダバオ
「触れる」「抱く」という 触感で
愛のエネルギーが 循環する
家族間で「命のバトン」の 受け渡しを している
死が 悲しく つらいことだけでは なく
温かいものとして 心の中に宿っている
そう考えるようになった原点は…
「食べるのも日常 生きるのも日常 死ぬのも日常」
心豊かに 貧しきものへの 溢れんばかりの
シンパシー(苦しみを 分かちあわんとの思い)
怨(うら)み 無念 悔しさといった
抑えようにも 抑えきれない情念も あるだろう
さまようほかない 人たちへの 共感
不幸や不運を 嘆いても なにも変わらない
だから 笑っている
一緒に生きていく人と
心地よい空間を 作るための 葛藤でも あるから
世代に渡り 共にする生活は
決して価値のないものだとは 思いません
日本人が 新しい環境に 飛び込むときには
慣れ親しんだものを 手放すこともある
でも それは 決して寂しいことでは ない
赤チン 少年時代 傷口の膝小僧に塗ってもらうと
ほっとした 安心感を得られる 消毒液だった
あぁ 滲みる〜 母親と交わす 歪んだ笑顔
そんな瞬間に 幸せらしいものを 感じていた
ダバオの家族を 言い表せば そんな事を 思う
いつか 自分にも 訪れる死と
そこに向かって 訪れる老いを
「知性」を 持って理解し
受け入れることが できるのは 人間だけ
日本人は 死は 怖いという感覚に 流される
死と老いを 知性で 受け入れられる人は カッコいい
生と死に 素直な ダバオの人々
明日 死ぬかわからない と 理解できるからこそ
いま 目の前にある 生を 全うし 生きようとする
感性に流されず 知性を 磨けば 死を 怖れる事は 無い
ホーリーウイークは 大切な人の家族に 出張料理
土鍋 牛肉の甘辛煮 海苔を 携え
おにぎりを作って ワイワイ みんなで 食べる
ダバオに行くではなく 戻る
理屈じゃなく ダバオの空港に 降り立つと
あぁ 帰ってきた~って いつも思う
生き返る感じ 体も なにもかも
相性が いいんでしょうね
旅ではなく 終(つい)の棲家に なってしまった
いったい ダバオの何が そこまで あなたの心を?
しばらく 考えこんだ後 はっと 気づいた
ダバオの挨拶って ご飯たべた? って 言うんです
旅行客には 言いませんが 親しい人は
これが こんにちはの 代わりになる
それくらい 人々の暮らしや 人間関係の
近いところに 食が ある
やさしくて あたたかくて いい 掛け声でしょ
「ご飯食べた?」
ここダバオには 日本人の子孫が 多くいる
ひいお爺さんは 厳しく カッコよかった
日本的 躾の痕が 今の生活にも 残されている
いただきますを 先に言われてしまった
やぁ みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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ふわっと 真っ白い湯気が 上がった
たちまち 香ばしい ご飯の匂いに 包まれる
鍋の中をのぞくと 真っ白な米粒が 立ち並んで
カニのアナが できて つやつやと輝いている
土鍋で 炊いた
いつもの お米でも 十分おいしく 炊けた
にぎりは 寿司 おを付けて区別した おにぎり
ご飯が 炊けたら 熱いうちに握る
具は 良くも 悪くも 思い出深い 牛肉の甘辛煮
梅干しも 用意した
フィリピン人に 梅干し 反応が 楽しみ
最後に 海苔を巻いて できあがり
手と手を合わせて ほっこりと 握る
それが おにぎりの かたち
作った人の 祈りのかたち
そう思って 食べると
シンプルだけど おいしい ご馳走
ご飯が 炊けたら 手に塩を すりこみ
茶碗に 軽く一杯程度の ご飯と
具を 片手に アッチッチ・・
ほっこり握って かたちを 整える
おにぎりは 気持ちで にぎる
どんなに 不細工なかたちに なろうが
自らの手で握るという ところに 味がある
人生だって いびつな おにぎり
思わぬ形で 急展開を見せる
その時の 状況とか 年齢なんて おかまいなしだ
前触れも へったくれも ありはしない
私たちは ただ 突然降り掛かってくる 急展開を
理不尽であっても まるごと受け止め 生きている
そんな時に こそ おにぎりを「喰らう」
「生き」て いくための 普通のおにぎりを 食べる
普通が スペシャルに 変わる
普通の人々の 人生の尊さが じんわり沁みる おにぎり
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運命は 避けることの できない もの?
高齢のドライバーによる
悲惨な 事故がおきた 言葉も ない
突然に 降りかかる事故ほど 不条理なものは ない
事故は 一瞬の出来事 もしも 被害を受けた側が
10秒 いや5秒でも タイム・ラグが あったら と 思う
自動車は 高齢者の唯一の足 地方では そうだろう
そんな 高齢者に 運転をひかえよ というのは
生きるのをやめよ というに ひとしい のか
「勝手なことを 言うな」
好きで 運転しているわけではない
ハンドルを握るのは 生きんがため その現実
「朝起きて 具合いいいから 医者へいく」
都会なら パスモ一枚もっていれば 自由に移動できる
マイカーを 持たなくても 不自由は ない立場
しかし とはいえ 高齢者の 車の運転について
真剣に 考えざるをえないところが ある
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西洋では 神が人びとの運命を 支配すると 考えていた
中国には〈天命(てんめい)〉という 考え方が あった
人の意志や 個人の希望に関係なく 見えない 大きな力が
人間に はたらいている とした
しかし 現代の文明は
その出発点に おいて 明るい未来を 予想した
ひとつの 不遜な 思いあがりを 心に抱いた
「意志の自由」に よって
私たちは 人生を 自由に 切りひらき
大胆に変えることが できる と 考えたのだ
つよい意志と
たゆまぬ努力を つづけさえすれば
人は 必ず 自分の人生を 望む方向へ
築きあげられる そう信じた
信じて 最後まで たゆまず 歩く
そのことによって 運命の重荷は
はねのけることが できると 考えた
だが 人間は 決して 無制限に「自由」では ない
社会制度が 近代化され 改革されても
人間には どうにもならない 運命が ある?
私たちが 人間として生まれ
この地球上に「生きている」こと
それ自体が、ひとつの 逆らえない
私たちの 運命では ないのか
私たちは その点で
すべて 共通の運命を背負っている
もし 核兵器が 思わぬ暴発を ひきおこせば
人類全員の生命が 危険に さらされる
世界の気温が 何度か上昇して
極地の氷床や 高山の氷河が すべて溶ければ
地上の 多くの国や 都市のなかには
水没してしまうところも ある
その意味で
私たちは ばらばらの 他人であっても
ひとつの〈運命の共同体〉の 仲間
同じ運命によって 結ばれた 家族
その一方で
個人は あくまで 個人として生まれ 生きる
そこでは 地上の誰とも ちがう
ただ ひとりの自己として 存在している
それゆえに その個人も また
それぞれに 異(こと)なった
運命の道を あゆまざるを えない
この自分は 人類の一員でも あり
同時に 世の中の 誰ともちがう 個人
私たちは 二重の運命を 背負っている
そのような〈運命〉は
私たちを しばりつけ 支配するだけの
鉛のような 重圧に すぎないのだろうか
私たちにとって 運命は 呪うべきもので あって
不幸のもとと いえるような悪しき 存在なのか
何のために生き 何のために死ぬかは 各人の自由
兵役の義務はなく 義務教育さえも 放棄する子供が いる
残された国民の大きな義務は 納税ぐらい だが
これも 税金のがれを 生甲斐にしているような 人も いる
私たちは 自由なのだ
しかし 自由でありながら 現実には 自由ではない
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世の中の 誰とも違う 自分
どうすれば カッコよく 老いを 受け入れられるか
どうすれば カッコいい 老人に なれるのか
「上手に 若さを卒業する」事か とも思う
知り合いで もう 結構な 年なのに
若く見せようと いろいろ努力している人が いる
それは 趣味だから 他人が 口出しする事では ないが
「若い娘が 私のほうを見てくる」なんて 言ってる
けど それは 老いを認めず 無理な 若づくりが
不自然に 目立っているからでは ないのか
年を取ることは「進化?」
若い人には 絶対得られない 経験と知識
それに 自信を 持って 若さを 卒業した
若く見える なんて 言われて 喜んじゃいけない
いろいろな カッコいい 老人が いる
いつでも やりたいことを 淡々とやってる
年を取ったから カッコよくなったんじゃない
若いときから すでに カッコよかったんだろう
好きな人が いれば 好きと言い
行きたい ところには 行き
やりたいことが あれば やる
現在進行形の カッコいいが あのキング・カズ
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外側は 老人で 中身は ガキという
「老いた幼児」に なっては 醜い
団塊世代の 老人たちを見ても いろいろ 苦労を経て
人間に 深みが出てきたなと 感服する人って
ほとんど いない
日本が直面している 最大の社会的難問は
この大量の群「幼児的な 団塊老人たち」が
自尊感情を 維持しながら
愉快な生活を 送っていくために
どうすれば いいのか その事でしょう
これは 国家的な課題
これから 日本が 迎えるのは 長期後退社会
それと どう 機嫌よく付き合うのか そこが 勘所
付き合い方次第 後退社会だって 楽しく過ごせる
高い士気を保ち 世界史的使命を 背中に負い
堂々 後退社会と馴染む
自分の提案です
ヨットは 向かい風に逆らって進むことが できる
いかにしてか 素人には 不思議にも思える
乗る人には 常識だろうが ジグザグに走る
「下り坂を そろそろと下る」という ライフスタイルで
老人は カッコよく なれる
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世の中には
努力が 嫌いでないタイプの 人間が いる
努力を つづけることが 少しも苦にならず
むしろ 楽々と自然に努力する性格
そのことに 満足をおぼえ よろこびを感ずる気質
そういうふうに 生まれついた者が いたとしても
少しも 不思議では ない
自分は 数学が 大嫌いなのに
反対に 世の中には 数学が なによりも 楽しく
幼いころから その世界に 魅了される人さえ いる
数学が 嫌いなのは
生まれつきの性格ではない そう言い切る人が いる
英語も そうだ それは 数学や英語が 嫌いになるような
悪い教育を 受けたせいである と いうわけだ
子供のころ 良い教師に 出会っていたら
数学のおもしろさの とりこに なっていただろう
それは 一部は 当たっていると 自分も思う
本人のタチに関係なく 誰にも 数学が おもしろい
良き教師に めぐりあう 幸運な生徒が いる
一方で 最悪の教師にぶつかる 不運な生徒が いることを
どう考えるのか
良き師に めぐりあう ということは
本人の意志や 努力とは ほとんど 関係が ない
いまの 教育制度のもとでは なおさら そうだ
だとすれば そこにも やはり運 不運という
私たちの 努力の及ばない 何かが うかびあがってくる
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引越したり 色々な事情のせいで
「会っておけば 良かった」「やっておけば 良かった」
後々 思う事態が 起こる
自分も この年になって
やった後悔より やらなかった後悔のほうが
はるかに大きいことに 気づいている
大きな 転機と なったのは
一緒に暮らした 日本人パートナーとの 別れ
イエス ノーを はっきり言える 強い人に なりたかった
50代の半ばで シングルになるって 結構こたえた
でも 何もしなければ 何も変わらない わけですから
チャンスだと 思おうと 自分を 変える きっかけにした
お恥ずかしいことに
以前は『できる男だと 見られたい」
「よく思われたい』なんて 思いが あった
すごく 自己中心的というか
自分のことしか 見えていなかった
邪念って いうんですか?
それを捨てて『自分は 自分で いいじゃん』
そう思えるように なったら
その 邪念が あったスペースに
人に対する愛情みたいなものが 入り込んできて
きっと 気持ちに 余裕が 生まれたんでしょうね
今は 心から喜んで 目いっぱいの祝福を している
周囲の みんなだって 気持ちが いいですし
そういう気持ちって 必ず 自分に 返ってくるもの
自分を 褒めることで 生まれるのは 小さな勇気
仕事でも 趣味でも恋愛でも
新しいことに チャレンジしてみたいなと 思ったとき
『自分は ダメだから』なんて思う 習慣が ついていたら
一歩を 踏み出せない でも
毎日 ささやかなことでも いい
『よくやったぞ!』と 自分を 褒める習慣が あれば
いざ という時に 自信を持って 飛び込んで いける
移住も そう
現地で 暮らし上手な方は 沢山いる
そんな中でも 自分が やりたいと思ったら
まずは 飛び込んでみる 新しい世界が 開けて
今まで 出会ったことのない タイプにも 出会える
最初は 小さな一歩 けれど
それが 大きな変化に つながる
最初から 大ジャンプするのは 難しいし 疲れてしまう
小さな一歩なら、いつだって 誰だって踏み出せる
気持ちを切り替えたことで 変化が 現れる
「面倒くさい」「おっくうだ」と 思ってしまう
お金がない 時間がない 老後が 心配だ
言い訳ばかりで やりたいことを やらない
お金が なかったら 好きなものだけを 見つけ
それと ふれあえる時間を できるだけ 増やせばいい
カッコいい老人は やりたいことを やっている
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お前が こんな目に遭うのは 当然だ
今日 善くなるよりも
明日 善くなろうと している からだ
「こんな目に遭う」と いうのが
何を指しているかは わかりません
いつ何時 人生が 終わるか わからないのに
この先も ずっと生きるかのように
善くなろうとする決断を 先延ばしに している
彼は 自分が 立派な人間だなんて 考えていない
自分が 不完全であることを 自覚
迷いも 弱さも正直に披瀝していた
それを 強い言葉で 戒めつつ
人として どうあるべきかという
指針や理想を 示していた
そうした理想を 不完全ながらも 体現し
善き人になろうと 煩悶 苦闘する過程を
小出監督(80)は 身をもって 見せてくれた
つらい 苦しいといった 泣き言を 言わない
冗談を言って 私たちを 笑わせてくれたので
まだ まだ 元気だなと 思っていました
まさか あのときが 最後になるとは・・
そういう方が 亡くなって はじめて
大変な苦しみに 耐えて おられたという 話を聞く
本当は 短気な男
自分を殺して 我慢して
選手のことは めったに 怒らなかった
それが ストレスに なっていたから
浴びるように 酒を 飲んでいたんじゃないか
たばこも 吸ってたし
指導法もまた 昔ながらのスパルタ式とは
一線を 画した 明るさを 感じさせるものだった
すばらしく カッコいい 老いた指導者

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そうだったのか・・
このために「移民法」成立を 急いでいた
新たな在留資格「特定技能」で
外国人労働者が 東電福島第1原発の
廃炉作業に 就くことが 可能になった
東電は すでに 廃炉作業に当たる
元請けのゼネコン関係者らに
外国人労働者の 受け入れについて 説明した
被曝の危険性が 高い 廃炉作業の現場に
外国人を 送り込むなんて 正気の沙汰じゃない
法務省は 技能実習制度における
外国人の除染作業でさえ 禁止していた
昨年3月 技能実習生の ベトナム人男性が
福島原発の 除染作業に携わっていたことが 発覚
被曝対策が必要な環境は
技能習得実習に専念できる環境とは 言い難い
〈技能実習の趣旨には そぐわない〉としていた
改正法とは いえ
1年後には 方針が 百八十度変わるなんて
メチャクチャだろう
予期せぬトラブルが 発生したり
大量被曝の危険が 生じたりした時
言葉の理解が 不十分な 外国人に
どうやって伝えるのか
廃炉作業に携わる日本人労働者の
線量が 限度になりつつあり
人手不足を 解消するための手段として
「特定技能」が 利用される
重大事故が起きて
大勢の外国人労働者が 被曝
最悪の事態に なれば
日本は 世界中から非難される
非常識 極まりない
悲しいのは 腐敗した支配者を 糾弾することは せず
逆に支配者にとって 不都合な真実を語る 人間を
つまはじきにする 日本の社会
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